34 結界
(恥ずかしいいっ! 気づかれてたなんてええっ!)
カリスを酔わせ潰した時にやった、聖女の加護。眠っていると思っていたのに、覚えていたとは。
しかも、その加護をおねだりされてしまった。額への口付けを、またしてくれなどと。
あの子犬の顔よ。どうやって断ればいいのか。できるわけがないだろう。気を遣って距離を置いてくれているのに、ふいにあんなことを言うのだから、心臓に悪い。
(あああっ! 意識するなっていう方が無理なのよ!)
ばたばたと、ベッドの上で悶えてから、カリスが隣の部屋にいることを思い出して足を止める。大声を出したら、丸聞こえだ。それは避けたい。
「それにしても、顔色悪かったわね。最近のはやり病とかではなかったけれど」
癒しを与え、加護を与えたのだから大丈夫だとは思うが、王にも呼ばれて忙しいのだろう。まだ仕事をしていたとは。忙しいのは、エヴリーヌに付き合って討伐に出ていたせいでもあるが、公爵を継ぐのが早かったこともある。あまり無理はしないでほしいものだ。
疲労が溜まると、たまに悪いものを呼び寄せたりする。病が続くなども同じ。体や心の不健康は、良くないものを呼び寄せるものだ。
「そうだわ。お屋敷に加護をかけておきましょ。なにかあったら嫌だしね」
町で妙なものを感じたし、病がはやると不浄は溜まりやすい。季節の変わり目などは特に多くなる。悪い気がほこりのように漂って溜まっていくのだ。暗がりの湿ったところなどは集まりやすかった。
最近、大きな事件が多かったせいか、力が有り余っている。公爵家の屋敷は広いが、全域を囲うことはできるだろう。
「成長期かしら。明日になったら土地を囲ってやりましょ。よく寝て、英気を養い、完璧に結界を作るのよ!」
大聖女とまでは行かない。一つの季節は悪い気から影響を受けないようにしたい。
「それで、お花を使われるんですか」
庭師やメイドたちが大量の花を持ってきてくれる。庭に咲く花だけでは足りなかったので、町で花を買ってきてもらった。
「しばらくはもたせるから、多めに花を置きましょうね。結界は得意な方なのよ」
エヴリーヌは花を一輪一輪、土地を囲うように一定の間をあけて置いていく。大聖女の封印の結界を強化した魔石と同じだ。花に魔力を灯し、その花で一周するように囲う。
花を持ち歩いた者たちがエヴリーヌの後ろを追ってくるので、なにをしているのかと使用人たちが集まってくる。
「結界を作られるんですって」
「病にならないようになるらしい」
「お屋敷全部か?」
「聖女様の力はすごかったからな。ドラゴンを倒した時だって」
いつの間にか騎士たちまで集まっている。後ろをヒヨコのようについてきて、さすがに恥ずかしい。
とうとうカリスまでやってきた。何事かと走ってきたが、騎士たちに説明を受けて見学に混ざる。
「邪魔しないので、見学させてください」
そう言われては断れない。見学人が増えて恥ずかしくもなるが、集中しよう。
花を置き終えて門まで戻ってくると、魔力を灯した。光の柱が一気に空へと上る。皆が一斉に声を上げた。
「悪霊なども入れないわよ。もっと早くやるべきだったわ。神殿ではよくやっていたのだけれど」
「こんなに光るの!?」
「こんな広い敷地を一人で行うなんて!」
「なんて力なんだ!」
「エヴリーヌ。礼を言わせてくれ」
カリスが地面に膝を突けば、騎士たちも真似しはじめる。見えていた使用人たちも、帽子を取った庭師も、エヴリーヌに畏敬の念を見せた。目に見えない者たちも、一瞬温かさを感じたと言って正座をしはじめる。
「ひえ、ひざまずかないで、あなたたちも、崇めないでいいから!」
神殿ではよくやっていたことだ。神殿に悪いものは入れられない。聖女たちが集まって魔力を灯し、神殿の周囲を結界で閉じる。長持ちさせるため魔石を使うが、簡易的な結界は花で十分だ。魔力が宿っている間花も枯れないので、枯れ始めたら新しい結界を張ればいい。
「本来ならば神殿に寄付金を出して依頼するようなことだ。高額な結界を、屋敷全体にかけるなど。普通の聖女では簡単にはできない。この広さの屋敷では数人かけてやっと行えるというのに」
「それは、多分、都の聖女だからと言うか」
「そうかもしれないが、とにかくありがとう」
感謝を伝えてくれるが、普通の屋敷は聖女に頼むものなのだろう。それも当然か。公爵家が悪い気を入れないように結界くらい張るはずだ。もう少し寒くなってから行うはずだったのかもしれない。
悪い気は冬に増えやすい。
(公爵家だもの、依頼くらいするわよ。余計な真似をしちゃったわね)
「疲れなどはないのか? これだけ広範囲で」
「大丈夫よ。アティや私は神殿を一人でやるのよ。これくらい、普通のことだから」
魔力を失って倒れたことが尾を引いているか、カリスは心配をしてくれる。しかし、この程度のことで倒れていたら。神殿の一、二位は張れない。
神殿の加護を一人で張る際、アティとは競争だ。どちらが長く加護を保てるか。負けた方が酒を奢るのである。負けるわけにはいかない。ザルかうわばみか。そんな女の酒代など出していられないのだ。
「旦那様、急ぎのお手紙が届いております!」
なにかあったのだろうか。カリスが手紙を開く。封蝋は見えなかったが、想像がついた。カリスがエヴリーヌを横目で確認する。
神殿からの呼び出しだ。