33 対抗
「北の居住区で臨時の治療場所を作り、聖女が待機しているが、患者が減らない。お前の妻を派遣することになるだろう」
王に呼ばれて王宮に訪れれば、話題は今はやっている風邪についてだった。
聖女アティが妊娠中のため、治療に出ることができない。エヴリーヌからその話を聞いたのは数日前。町で妙な違和感を感じたことも聞いた。
告白してから何日か経ったが、エヴリーヌはカリスと話す時にぎこちなく、緊張した面持ちをしていた。負担をかけたくないためできるだけ接触しないようにはしているが、会うと明らかに動揺を見せるので、どうすべきか悩んでいる時に王のお呼びがかかった。
「エヴリーヌからも聞きました。神殿でも把握していると聞きましたが、そこまで広がった要因はなんでしょうか?」
「原因はシモンが調べている。が、今のところわからないと言った方がいいだろうな。治療しても同じ者がまた治療に訪れる。神殿では他の者にうつしてしまうから、一番はやっている場所に治療場所を作り、様子を見たいと言うのがシモンの意見だ。それに許可を出した」
「そこに、エヴリーヌを呼べと?」
「都の神殿の聖女では対応できないと判断したんだろう。実際、病は増えていくばかりだ」
反対する気などはない。エヴリーヌはこの病について気を揉んでいる。呼ばれればすぐに対応できるように、自作の薬草も用意していた。それが彼女の仕事だ。
「問題ありません。エヴリーヌは待機していますから」
「それはありがたいな。それと、ぶしつけな命令だが、しばらく妊娠には気をつけてくれ。聖女アティとエヴリーヌは特別な聖女だ。同時に二人妊娠されては困る」
「それは、」
問題ないと言いたいが、王に話すことではない。その不安は結婚前にも聞いていた。そこまでの問題は出ないだろうということになり、もしもの場合、避けるよう命令は出るかもしれないとは言われていたが。
「ここでこんな問題があるとはな。申し訳ないが、気をつけるに越したことはない。聖女アティが無事に子を産めば、あちらに控えるよう伝える」
「承知しました」
王がそこまで口を出してくるということは、ただの風邪がはやっているわけではないということだ。
「こんにちは、ヴォルテール公爵」
考えながら歩いていると、不快な笑みを浮かべる男が前から歩いてきた。その笑い方が気に食わない。自分が有利に立ったような、こちらを見下すような顔。
その通りであろう、シモンは周囲に誰もいないとわかっていながら、通り過ぎ際ささやくように小声を出す。
「離婚予定だそうですね」
「なに?」
「安心しました。あなたが彼女を縛る気がなくて。二年後の離婚。いえ、あと一年と少しですね」
なぜそれを知っている。そう問う前に、シモンは心からの笑顔ではない、含んだ笑みを深めた。
「エヴリーヌ聖女様に申し上げたんです。離婚されたら僕の手を取ってはいただけないかと。返事はまだですが、二年で離婚を約束した男が止める権利はないですよね。それでは、失礼します」
シモンは言いたいことは言ったと、通り過ぎていく。
どうしてそれを知っているのか。彼女が話したのか?
そんなこと、口にできない。
(エヴリーヌは私の話を、どんな気持ちで聞いていたんだ?)
最初からエヴリーヌを受け入れなかったのはカリスだ。エヴリーヌを咎めることなどできない。黙っていろという話もしていないのだから、疑問を持つことも許されない。
ただ、誰かにエヴリーヌを奪われるという恐れを感じて、きつく拳を握ることしかできなかった。
「お帰りなさい。王の呼び出しはなんだったんです?」
屋敷に戻ればエヴリーヌが迎えに出てきてくれた。すぐに聖女として出た方がいいのか、それを待っていたようだ。薬草などの用意も終わっているのだろう。あとは声がかかるのを待つだけ。自分を迎えてくれたわけではないと、落胆しそうになる。
(わがまますぎて笑えるな。彼女を追いかける権利もないのに)
「王からは君に聖女の仕事をしてもらう予定があると話が出ただけだ。まだ出ろとは言われていないよ」
「用意はできているから、いつでも出れるわ。それよりカリス、顔色が悪くない? もしかして、体調が悪いの?」
「少し寒かったのかもしれない。早めに休むことにするよ」
エヴリーヌに心配されるのは嬉しいが、避けるように部屋に戻る。避ける資格もないのに。だが、彼女を前にすると、問いただしそうになってしまう。
離婚をシモンに伝えて、離婚後シモンの元へ行く気なのか?
そんなこと、口を出す資格も権利もないのに。
「苦しくておかしくなりそうだ」
それも自業自得だと思えば、笑いしか出ない。
なにも考えずに無心で書類仕事をしていれば、すぐに眠る時間になる。夜になると冷える時期になった。
冬になれば公爵領も魔物が出る。その討伐に毎年カリスも同行していたが、今年はどうするべきか。神殿に頼むほどではないが、神殿は忙しくなる時期になる。エヴリーヌが神殿に行くならば付き合いたい。
それまで、エヴリーヌが公爵家にいればの話だが。
ため息しか出ない。より良い返事がもらえるとは思っていないため、明るい未来が見えなかった。
「カリス、起きてます?」
「エヴリーヌ!? 起きているが!?」
寝室に入れば、エヴリーヌの部屋に繋がる扉がノックされる。開けて良いかと問われて、急いで応えた。
「ごめんなさい。体調が悪そうだったから」
エヴリーヌは申し訳なさそうにしながら、カリスの手を取った。ふいに、体が軽くなる。聖女の癒しだ。
体調が悪いわけではなかったが、疲労はあったらしい。体だけでなく、心も穏やかになった気がする。エヴリーヌの手の温もりが伝わって、気持ちも温かくなるようだ。
「お疲れなんでしょう? ゆっくり休めるようにね」
優しい言葉を聞きながら、温もりが手から離れていくのを感じて、その手を握りしめた。驚いた顔に胸が痛むが、その手を離す気が起きなかった。
「ありがとう。もう少し、もう少しだけ、ここにいてくれないか?」
無理強いはしたくないが、手を離さずにいると、エヴリーヌは驚いた顔をしながらもカリスの手を引っ張り、ベッドに座らせた。自身はそのまま立っているが、ベッドに座れとは言えない。
「疲れているのね。おまじないもしておきましょう。心安らかに眠れるように」
そう言って、エヴリーヌは手のひらをカリスの額に当てようとした。
「加護を、もらえないか?」
「え?」
「前にしてくれたように、加護があればよく眠れると思う」
前にしてくれた、聖女の加護。あの少女がしてくれた、おまじないだ。
それがわかって、エヴリーヌは頬を染めて、口を閉じる。
嫌ならいいと言えば、エヴリーヌはむしろ加護をくれるだろう。言ってしまった手前、今の言葉を消すことができなくなってしまい、お互いに沈黙が訪れる。
「いや、いいんだ。なんでもないんだ。エヴリーヌももう眠ってくれ」
なんて馬鹿なことを頼んだのだろう。エヴリーヌを彼女の寝室に送ろうとすると、エヴリーヌの顔が近づいた気がした。
額に触れる温もりが、体全体に広がっていくのを感じる。
「じゃ、じゃあ!」
礼を言う前に、エヴリーヌは逃げるように部屋に戻っていってしまった。
扉が閉まってしまい、残念に感じていると、もう一度扉が開く。
「お、おやすみなさい」
真っ赤な顔。囁くように言って、またすぐに扉を閉める。
その仕草が愛らしく、嬉しくも感じた。
彼女を、誰にも奪われたくない。
(誰にも、渡したくないんだ。どんな手を使っても)