31 心づもり
「ヴォルテール公爵家が持つ土地の中に、こんな場所が」
「この辺りならば気楽に来られるからな。休むにしても領地に行くのは大変だから」
カリスは気分転換に、外でゆっくりすることを提案してくれた。少し出かけないかと言うカリスに頷いたわけだが、本当は領地に連れて行きたかったようだ。時間がある時に訪れられたらいいのにという希望を口にしていた。
(一度は領地に行かなきゃってこと? ご両親に離婚の挨拶かしら)
ドラゴンを倒した後に領地に訪れられればよかったが、王への報告もあって都に急いで帰ったので寄ることができなかった。もしかしたら領地にいる前公爵夫妻に離婚の挨拶がしたかったのかもしれない。
討伐以外の旅行が離婚旅行というのも、契約結婚らしき終わり方だ。
沈鬱な気持ちになるが、最後の褒美だと思って楽しもうと顔を上げる。結婚前から決まっていたことが、少しだけ早まるだけなのだから。
馬車の中から外をながめれば、草木の隙間に水辺が見えた。海があるのだ。船が何艘も停泊しており、それが街の中に入っていくのも見える。街の中に川があるのだろう。
「ここからならば神殿も近いから、連絡が来てもすぐに移動できる。こちらにいることは神殿に伝えているから、ゆっくり羽を伸ばすといい」
そこまで考えて選んでくれたのか。急を要することがあるので、神殿が近い方がありがたい。ゆっくり休むといっても、魔物や災害は待ってくれないのだから。
カリスがよくよくエヴリーヌのことを考えてくれていると思っていいだろう。
その優しさに胸が締め付けられる。カリスが罪の意識にさいなまれるのもこれで終わりだ。
「屋敷が見えてきた」
「わあ、素敵ね」
公爵家とは違った趣のある屋敷が視界に入ってくる。別荘がわりと言うべきか、大きいは大きいのだが、公爵家に比べてこじんまりしている。小山に立っている屋敷は町の象徴のようで、花の咲いた木々に囲まれていた。
子爵令嬢のままであれば、こんな待遇は受けなかっただろう。公爵と共にやってきた公爵夫人を前に、屋敷の者たちは礼を持って迎えてくれた。部屋は海に面しており、鳥が風に乗って飛んでいるのが見える。あとで船に乗ろうと言うカリスの言葉に頷いて、まずはベッドに倒れ込んだ。
部屋が二つ用意されていたことに感謝したい。公爵家と同じで寝室は別だ。
「カリス、緊張した顔してたわ。言いにくいのかしら。言いにくいのかも。一年経ってないものね」
結婚から一年経っていないのに、一緒にいる時間は長かったように感じる。討伐や神殿でよく顔を合わせていたからだろう。公爵家にいても食事の他にお茶をしたり、散歩をしたり、かなり気遣ってもらっていた。
「考え方を変えましょ。結婚する前の妻となる女に、離婚を言ってくるような男よ。だから、早く離婚しようって提案は、私にとって良いことだわ。アティに伝えたら激怒してくれるもの。そうそう。激怒」
言いながら、鼻の奥がツンとしてきた。涙なんて流すことはないのに、目頭が熱くなってくる。
心の浮き沈みが激しくて、笑いそうになった。わかっていたことだと言い聞かせて、傷つかないように防御してきたつもりだったが、いざ直前になると胸の痛みは想像以上で苦しくなってくる。
結婚を夢見たことはなかったが、結婚したら両親のように幸せになれると思っていた。両親は恋愛結婚で、今だって二人仲がいい。貴族との結婚は考えたことはなかったが、将来は温かい家庭で生活することが当たり前だと思っていた。
「案外私って乙女思想持ってたのね。無意識に結婚は幸せだと思ってたわ。両親の影響かしら。貴族の結婚なんて碌でもないって、聞くことあったのに。相手がまさかのカリスだって知ったから、期待しちゃったのかも」
それを覆された結婚生活。予想とは違ったが、カリスとの生活が嫌なわけではない。離婚が決まっていなければ、このまま続けてもいいと思う程度には。
(離婚のことがなければ、カリスは誠心誠意夫として務めてくれたし?)
カリスと結婚して、二年での離婚を念頭にしながらの生活はうんざりするようなものだと考えていたが、実際には違かった。当初はアティと比べられて肩身が狭かったが、それもすぐになくなった。カリスがエヴリーヌが蔑ろにされないように気を遣ってくれたからだ。
そのおかげで、カリスとの公爵家の生活に慣れるのは早かった。だから、離婚が決まると寂しくなるのだろう。
思った以上に、公爵家の結婚生活が当たり前になって、このまま続くかのような夢を見てしまったようだ。
「ええい、女々しいわね!」
エヴリーヌは両頬を叩いて窓を開けた。海の見える部屋で気分はいいはずだ。こんなうじうじした気持ちなど振り払わなければならない。
「楽しむのよ。神殿に戻ったら、こんな旅行なんて行くことないんだから!」
涙など流してはいけない。カリスが離婚を申し出てきたら、笑顔で応えてやるのだ。それが、エヴリーヌのプライドだ。
「カリス、あちらに行きましょ!」
カリスを呼んで、エヴリーヌは道に並ぶ出店に足を向けた。港町らしく、魚などを調理した匂いがして、小腹が減ってきそうだ。焼き貝や焼き魚。見たことのない巨大な魚をさばくのをのぞいて、貝殻や石で作った装飾品などをながめる。
初日から船に乗せてもらい、川を下って海まで出て、そこで珍しい魚や生き物を見学させてもらった。
植物園があり、この土地特有の植物を見せてもらって、海辺に消えていく夕日を見ながら夕食も食べた。
塩や泥を使った美容化粧品を使って、お風呂にも入った。残念ながら温泉はないが、公爵夫人らしく、美肌づくりに精を出した。
満喫している。おかげでご飯がおいしい。
「綺麗ね。カリスの瞳の色みたい」
貝殻と石のブレスレットが可愛らしい。店の男が、ここで採れる鉱石なのだと教えてくれる。宝石としては価値は低いが、ここの海では有名なようだ。カリスは横で笑顔をたたえながら、欲しいものがあればなんでも言ってくれと待っている。ドレスや宝飾類を送ってもエヴリーヌが遠慮して断ることが多いので、気に入ればなんでも買う気だ。
物は残るから、購入はしたくない。ただながめるだけで良いと言えば、肩を下ろした。
(気にしなくていいのに)
購入するならば使い切れる物がいい。残らず終わりにできる。
「綺麗なところね。賑やかさもあって、みんな笑顔だわ」
「貿易港ではないから、人が多すぎず、魔物もいない。安全で食事も事欠かないからだろう。魚介類を購入しにくる商人は多いから、町も潤っている。あの鉱石も採れるし」
海辺に近づけば、水面が輝いて美しい。橋を渡れば足元を船が通った。少し上がった高台からは、一面の浜辺や遠くの島まで見えて、景色は抜群だった。
久しぶりに休んで、心も穏やかだ。できるならば、心に余裕がある時に話を聞きたい。それに、これ以上話を引き延ばしていると、ふと現実に戻っていつ離婚を切り出されるのか怯えていなければならないのがつらかった。
唾を飲み込んで、カリスに振り向くと、なぜかカリスが突然地面に膝を突いた。
「カリス!? どうし、」
「この間の、話について、ここで話していいだろうか」
カリスは同じことを考えていたと、エヴリーヌの手を取り、コバルトブルーの瞳でエヴリーヌを見据えた。
胸が急激に締め付けられる気がする。早く話してほしいと思いながらも、その時になると、一瞬でその気持ちがしぼんできた。聞きたくない。けれど、聞かなければならない。
(大丈夫よ。ちゃんと、受け止める準備はできているから)
「今さらと思われるだろう。けれど、もう、黙って続けることはできない」
(ああ。ずっと思っていたのね。契約破棄を、望んでいたんだわ)
「い、言わなくてもわかっているわ」
黙って聞く気だったが、やはり聞くことができないと、エヴリーヌは先に口を出した。自分から言った方が、ずっと楽でいい。カリスの口から、早く離婚したいなどと、聞きたくなかった。
「ちゃんと、公爵家の自分の部屋も片付けてきたから!」
「片付け?」
「だから、すぐにでも神殿に帰れるわ!」