30 決心
カリスは指先まで気を遣うように、エヴリーヌをリードした。
前にダンスをした時と違うように思うのは、カリスの視線がどこか柔らかく、穏やかな雰囲気を感じるからだろうか。
(討伐から帰ってきてから、少し雰囲気が変なのよね)
いや、ここ最近ずっとだろうか。態度が軟化したと言うか、無理をしなくなったと言うか。しかし時折緊張したように強張ったり、ぎこちなくなる時もある。
なにかしただろうかと不安になるが、ダンスをしている間は緊張が緩まっているように思えた。
温もりが離れて、ダンスが終わることに気づくと、途端男たちがエヴリーヌに群がる。次のダンスを求める声が多くて、大聖女の封印を修正した影響の大きさを知った。
(壮行パーティが終わったら、今度は慰労パーティだものね。聖女を重視してると言わんばかりだわ)
そのせいで、群がる率が増えている。カリスも参加したことを耳にしている者たちが、カリスを賞賛するように周りを囲む。それを遠目から見る女性たちの多さよ。前より増えたのは気のせいだろうか。
「聖女様。ドラゴンを倒したと聞いております」
「あなたの勇姿は都でも噂に」
「私ともダンスを」
社交界をサボっていたツケ。顔と名前が一致しない。知っている顔で問題なさそうな男とダンスをすべきだろうが、多すぎて見分けがつかない。治療する際の患者の顔はすぐに覚えられるのに、どうしてか男たちは同じ顔に見えてしまう。女性の方がよほど覚えられるのは、拒否感があるからだろうか。
「エヴリーヌ聖女様。僕と踊っていただけませんか?」
男たちの隙間から手を差し出してくる人が見えて、エヴリーヌは安堵した。シモンだ。他の男たちを避けるように、その手を取る。
「助かったわ。急に集まってきちゃって」
カリスから離れると途端に集まってくるので、対処に困る。シモンは困っていることに気づいていたかのように、冗談を言いながら笑い顔を見せてくれる。
シモンは父親たちの陰謀に気づき、遠征に付き合ってくれていたそうだ。その礼を言いたかったが、ドラゴンを倒したあと聖騎士たちや公爵家の騎士たちが歓喜して大騒ぎしたので、シモンとゆっくり話す機会がとれなかった。その後も他の封印を強化するのに忙しく、すぐに王に呼ばれてそれどころではなかったのもある。
父親であるエングブロウ侯爵を捕える代わりに、侯爵の地位を引き継ぐことを王と約束していたのだから、これ以上神殿に来る必要もないだろう。
「そのために神殿にいらしていたのね。これからは侯爵として忙しくなるでしょう」
「いえ、エヴリーヌ聖女様のお側であなたをお守りすることこそ、僕の願いです」
腰にある腕に力が入ったように感じた。シモンは空色の瞳をエヴリーヌに合わせて、真剣な面持ちを向ける。
昔のことを気にして神殿に来ていたと思っていたが、王との約束のために聖騎士の真似事をしていたのだとわかった。その割にはまだエヴリーヌを気にしてくれている。
シモンも、最初の印象から変わった気がした。当初は貴族のおぼっちゃんという感じだったが、今は器用で抜け目のない青年に見える。
(カリスは逆よね。冷静でなんでも器用にこなすように思えたけど、真面目すぎてからかいたくなるくらいには不器用なのよ)
それを考えると笑いそうになる。離れた途端カリスを考えてしまう自分にも、笑いそうになった。
「だからこそです」
「え?」
シモンと踊っているのに、別のことを考えてしまっていた。顔を上げると、シモンがふいに顔を近づけて囁いた。
「二年で離婚されるんですよね?」
どうしてそれを。問う前に、シモンは嬉しそうに目を細め、ゆるりと微笑んだ。
「どうか、約束をしてもらえませんか? 離婚後、他の男の手はーーーー」
後の方がよく聞こえなかった。ダンスが終わり、再び男たちに声をかけられたからだ。
なんと言ったのか。けれど、すぐに後ろからカリスの声が届いた。
「エヴリーヌ。疲れたのではないか? あちらで少し休もう」
「カリス、あ、」
男たちから助けてくれるのは嬉しいが、シモンがなにを言っていたのかわからなかった。聞き返そうにもカリスが男たちから離そうとしてくれているため、それについていくことしかできない。後ろを振り返ったが、シモンは追ってこなかった。
シモンはなにを言ったのだろうか。
「邪魔してしまったか?」
「いえ、そんなことは。たくさん人が集まっていたから、助けてくれてよかったわ。誰が誰だか、覚えていなくて」
「覚えなくていい奴らばかりだ。気にすることはない」
カリスはきっぱりと言い放つ。二年の間、少しくらい社交に出ようか迷っていたが、そこまで言われるなら、覚えなくて良いだろう。どうせパーティに出席するのは、王族に呼ばれる時くらいだ。
「エングブロウ侯爵は、君のことがとても気になるようだ」
「侯爵になったのだから、もう神殿に入り浸ることもなくなるわよ」
義理は返したと言っていいだろう。無理に神殿に来る必要はない。侯爵の地位は得たのだし、王との約束は守ったのだから。聖騎士にはなるかもしれないが、だからといって神殿で活動することもない。
(来るとは言ってたけど、そんな暇なくなるわよね)
父親の処分が決まれば影響はあるだろうし、王と通じていても、周囲の貴族たちを味方にしなければ、父親を売っただけという噂が立つだろう。シモンに至ってはうまく立ち回りそうだが。
それよりも、どうして離婚のことを知っているのだろう。カリスが教えたのだろうか。
顔を合わせれば妙な雰囲気で言い合う二人だ。そんな話をするとは思えないが。
カリスはもういる必要もないだろうと言って、馬車を呼んだ。シモンも主役なのだから、シモンがいればいいと言って。
カリスも疲れたのだろう。たくさんの人に囲まれて相手をしていた。
「そういえば、討伐が終わったら話したいことがあるって言っていたけれど」
「ええ、ええっと。ゴホン。落ち着いたらお話しします」
言いにくいことなのか、カリスは馬車の中で息を呑み込むように口を閉じて、視線を泳がせてから咳払いをした。緊張するとすぐに敬語になるのだから、よほど話しにくいことなのだ。それよりも、と話を変えた。
「忙しかったのですから、静かなところにでも行って休養しませんか? 公爵家が持っている場所で、良いところがあるんです」
「じゃあ、そこで、話を聞けばいいのかしら?」
「う、は、はい」
よどみながら頷いて、カリスは焦ったように外へ視線を逸らす。緊張で汗が出るのか、手の甲で頬を無造作に拭った。
そこまで言いにくそうにする話とはなんだろう。考えることもないか、思いつくことは一つで、それ以外に考えられなかった。
(契約、そこで切りましょうってことかしら)
大聖女の封印を補強し、ドラゴンを倒したことで、聖女の株は上がった。王は満足したのかもしれない。エングブロウ前侯爵のような反現王たちを捕えることもできた。今離婚しても、王は文句を言わないだろうか。むしろ、今が良いのかもしれない。まだ一年と経っていないが、聖女を公爵家で確保するより、神殿に戻った方が動きは速くなるのだから。
アティの妊娠もある。カリスは傷心だ。
「わかったわ。楽しみにしているわね」
そう笑って言いながら、拳に力を入れていた。
(荷物を片付けておいた方がよさそうね)
わかっていたことだ。それが少し早まるだけのこと。神殿に戻り、今までの生活をするだけ。
ただ、それだけのことだ。