28−2 ドラゴン
「ドラゴンだ……」
「伝説の魔物?」
「怯むな! 距離をあけて対応しろ! やつは飛んで炎を吐くぞ! 第一部隊、氷の魔法を足元に放て! やつの移動を止めろ!」
カリスの号令に気づくと、第一部隊が氷の魔法を放った。他の騎士たちはできるだけ間を開けて、炎の攻撃を防ぐために結界を張る。氷の魔法は足元を凍らせたが、尻尾は自由だと、体をひねって木々を吹っ飛ばした。勢いに巻き込まれて、騎士の数人が悲鳴を上げる。
目の前をドラゴンの尾が通っていった。それだけの風圧で体が飛ばされそうになる。
「カリス様!」
「よそ見をするな! 炎がくるぞ!」
ドラゴンは奇声を上げて炎を吐いてくる。勢いよく熱せられた木々は燃え始め、下草が炎を煽った。
王の予見していた通りの魔物が目覚めてしまった。古の魔物であるドラゴンが、あの場所に眠っているのではないかという話を聞いて寒気が走った。しかし、エヴリーヌたちはその可能性を知りながら結界を強化しに行っている。泣き言を言うわけにはいかない。
結界の一部を壊すために強化の魔石を地滑りで流すなど、狂気の沙汰だ。これでドラゴンが飛び立ったら、公爵領だけの被害ではなくなる。エングブロウ侯爵や他の仲間の貴族たちは、人ごとだと思っているのだろうか。
(どこまで愚かなんだ。侯爵はどうかしている。いくら王を陥れたいからと言って)
一匹が封印の外に出ただけならば、王の信頼する聖女の不手際と騒ぎ立てるにちょうど良いと思ったとしても、どれだけの被害を被るかわからない。それを気にすることもないのだ。
怒りしかない。
『一部ならば綻び程度だ。自分に降り掛からなければ、やつらはなんでもできるのさ』
嘲笑った王の言葉が頭に浮かぶ。
『長く封印されていた魔物だ。すぐには動けまい。もしも封印が壊れた場合、聖女に負担をかけたくなければ、公爵領でなんとかしろ』
(言われなくとも、エヴリーヌに負担をかけるわけにはいかない)
「怪我をした者は下がれ! 普段相手にする魔物とは違う。ドラゴンの硬い鱗は貫くのは難しい。腹部を狙え!」
「ドラゴンは羽が完全に治っておらず、飛ぶことができません! 跳躍のみです!」
「炎に気をつけ、足元を凍らせ続けろ! 魔法で結界を作り、三手に分かれて二手は背後に回れ。尻尾に気をつけろ。足元が崩れている。巻き込まれるなよ!」
急いで指示をして、カリスは正面でドラゴンの気を引いた。爬虫類のような鋭い目を目の前にいる獲物に向けて、鋭い歯を見せるように口を開ける。喉元に赤くくすぶる物が見えて、防御の結界を張る。炎に巻かれて、周囲が熱に囲まれた。
ドラゴンの赤い瞳と目が合った。奇声を上げて、羽を動かし風を飛ばす。熱風が周囲の気温を上げて、極度の高温にめまいすらした。足場が不安定で、逃げるにも熱と共に灰が舞って、視界すら悪くなってくる。
「カリス!」
気のせいか、エヴリーヌの声が聞こえた気がした。
その時、ドラゴンの足元から白の光がほとばしった。ドラゴンの動きが止まり、周囲の熱が氷で冷やされる。次いで空から金色の光が降りてきた。身体中から力が戻るように疲労が消えた。
「カリス!」
「エヴリーヌ?」
鹿に跨ったエヴリーヌが空に手を伸ばすと、灰に汚れた空に白色の魔法陣が浮かんだ。ドラゴンが悲鳴を上げる。
「あれは、大聖女の結界?」
大聖女の結界を繋げたのか、ドラゴンの足元がおぼつかなくなり、頭が傾いだ。
「ドラゴンを押さえた? なんて力だ」
「聖女様! エヴリーヌ様!!」
騎士たちは歓喜の声を上げた。聖女がドラゴンを押さえている。信じられないほどの魔力の強さだ。
エヴリーヌは手を伸ばしたまま魔力を放出している。しかし辛いのか、顔を歪ませた。
「ぼさっとするな! 今のうちに腹部を狙え! 氷の魔法を!」
魔法で腹部を狙った。ドラゴンは傷の付いた腹部を攻撃されないように前のめりになろうとする。エヴリーヌの力で動きが鈍いのか、ゆっくりと屈もうとした。その隙を、逃すことはなかった。
近寄ったドラゴンを狙い、剣を振るう。剣から飛ばされた魔力が、その目を裂いた。ドラゴンが雄叫びを上げた。首を伸ばした時、もう一度振り抜いた剣の魔力がドラゴンの首を通り過ぎた。
傾いだ頭が首からずれると、鮮血を吹き出して大仰な音を立てて倒れ込んだ。
「やった。やった! カリス様!! 公爵閣下!!」
歓喜の声を上げる者たちを横目にして、カリスは手を下ろして微笑んだエヴリーヌに駆け寄った。
「エヴリーヌ!」
「カリス。間に合ってよかっ、」
すべてを聞く前に、エヴリーヌを抱きしめていた。
体から伝わってくる温もりが、エヴリーヌが本物だと知らせてくれる。心臓の音も聞こえて、やっと自分も落ち着いてきた。けれど、すぐに別のことを思い出して、エヴリーヌの腕を掴んだ。
「なぜ一人で! 他の奴らはどうした! いや、君のおかげで事なきを得たんだ。だが、魔力は? 体は大丈夫なのか!?」
矢継ぎ早に言いすぎたか、エヴリーヌが勢いに驚いて仰け反っている。
「いや、すまない! 体は、魔力は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。この間ほど使ってないもの」
顔色は悪くない。冷や汗などもかいていないので、本当に辛くはないのだろう。まじまじと見ていたせいか、エヴリーヌは顔を赤くした。大丈夫だからと言って。
「その、ドラゴンが見えて、いても経ってもいられなくて」
一人で来てしまったのだと、恥ずかしそうに言いながら、カリスを仰ぎ見る。
青銅色の瞳がこちらをとらえて、カリスを見つめた。
その瞳がどんな色であろうと、エヴリーヌはエヴリーヌだ。
(私の妻で、聖女で、大切な女性)
もう一度、確かめるように抱きしめた。胸が締め付けられるのは、彼女が愛しいからだ。
「あなたが無事でよかった」
エヴリーヌの呟きに、涙しそうになった。
(私は、なんて愚かな真似をしたのだろう)