24 遠征前
「奥様。美しいです!」
「素敵です。奥様」
「ありがとう。皆の努力のおかげよ」
「奥様の素材がいいんですよ!」
本気で言ってくれているのか、メイドたちが綺麗綺麗を合唱してくれる。
前回王妃の誕生日パーティに出席できなかったため、着ることのなかったドレスがあったのだが、なぜかカリスが商人を呼んで新調することになった。それに袖を通し装飾品をつけ、メイド立ちに装ってもらったが、すでに疲労がある。
ここ最近、よく眠れないからだ。
(演技とはいえ、あれは反則でしょ?)
思い出して、また顔がほてってきた。
馬車の中で演技をする必要があるのか? あれは誰かの前でやる気の、予行練習ではなかろうか。そんなことを考えてみたが、カリスが手の甲に口付けてエヴリーヌを守るという宣言が頭の中から消えない。
(私を惑わせないでよおおっ!)
どうしてあんな真似をしたのか。アティの妊娠がわかり、血迷ったとしか思えない。
もうすべてを諦めて、契約に専念しようということだろうか。二年の間は大切にするという約束をしてしまったため、アティを見ないために危険に足を踏み入れるという真似を考えているのでは?
「エヴリーヌ。とてもお似合いです」
カリスがまたも敬語で褒めた。うっとりとした視線が演技に見えないが、頭の中でかぶりを振る。ドレスが綺麗だと言っているだけに過ぎないと、カリスのセリフを言い換えて受け入れる。
前からカリスは演技に関わらず誉めすぎだと思う。夫婦に見える演技をしようと言ったのはエヴリーヌだが、それが演技に見えないほど心からの感想のように思えて、勘違いしてしまいそうだ。
馬車に乗りながら、心頭滅却。魔法の記号を端から順に思い浮かべる。聖女たるもの、魔法の学びを忘れてはいけない。つまり他のことを考えて、目の前の現実を忘れる技を行う。
「エヴリーヌ、手を」
気づいたらもう王宮へ着いていた。カリスは普段通りに見えたが、時折エヴリーヌに振り向いて、緩やかに微笑む。
(ううっ。眩しいっ!)
気を引き締めなければ。これからパーティだ。嫌いな貴族たちとの社交の場。ここで失敗すればカリスに迷惑がかかる。集中する必要がある。
カリスに目を向けている場合ではない。その通りと、公爵と妻の聖女に貴族たちが集まってきた。アティがいないため、とりあえずエヴリーヌに挨拶しておくか。という感じだろう。
「聖女様にご挨拶を」
「公爵夫人の噂を耳にして」
「地方で大変な事件に対処されていたとか」
概ね地方で活躍した聖女、という反応で、あとはカリスに話しかけよう。という態度が見える。あまり社交界に来ていないのではと聞こえる言葉もあった。
(こんなのいちいち相手にするって、アティは偉いなあ。カリスもちゃんと相手してる。偉いわあ)
その挨拶の間、こちらを睨め付けながら話している若い女性たちもいた。あれらはカリス大好き隊だろう。前にも見た気がする。また変な女性にからまれるだろうか。名前はヘルナと言ったか。赤い髪色はまだ見ていない。
今日のパーティの趣旨は聖女を労うもためのものだ。王はいよいよもって表立って聖女を政治に組み込むつもりなのだろう。エヴリーヌが街で平民を無償で癒したことが噂され、貴族たちの口にも上っている。本来はアティが地方へ遠征に行くための壮行会予定だったが、それがエヴリーヌに変わった。今日の主役はエヴリーヌだというのだから、さすがに喧嘩は売ってこられないだろう。
「エヴリーヌ聖女様。お久しぶりです。お身体はいかがですか? ずっと心配をしておりました」
カリスと離れて貴族の相手をしていると、シモンがやってきた。本当に心配してくれていたのだろう、憂い顔を向けてくる。倒れてから公爵家に訪れたシモンをカリスが追い返した後も、ずっと会っていなかった。エヴリーヌの手に口付けると、空色の瞳を潤ませる。
そんな色気のある顔をしなくていいのに。カリス大好き隊とは違う、別の女性たちがこちらに注目した気がした。
(シモンも人気あるのね。それもそうか。綺麗な顔してるものね。頼りない感じがする割に、剣の腕はあるし)
だからと言って、シモン大好き隊までエヴリーヌを敵対視しないでほしい。シモンは聖女信仰が強いのだ。カリスもそうだが、敬虔な聖女推進派である。
(幼い頃に助けてもらったという補正までされてるから、熱いのよ。勘違いしないでほしいわ)
「心配かけましたね。そんなにひどかったわけではないのよ。お手紙にも書いたけれど」
「それでも、丸一日眠られたと聞いています。これから大規模な封印補強のため、遠征をされると聞きました。倒れられたばかりだというのに、心配でなりません」
そんな、うるうるした瞳を向けないでほしい。ほんのり頬を赤くして、今にもキュンキュウ鳴きそうだ。愛らしい子犬すぎて、その柔らかそうな銀の癖毛をなで回したくなる。
しかし、子犬は潤んだ瞳に一瞬剣呑な光を灯した。
「もう一人の聖女は、遠征に参加されないと聞きましたが?」
「王の依頼があったのはアティの方なのだけれど、私の方が地方は慣れているからと、私が彼女から仕事を奪ったのよ。遠征は私の方が合っているから」
「エヴリーヌ聖女様のお力が、他と比べ物にならないからでしょう」
すぐに剣呑な光は消えて、またうるうるの瞳に変わった。気のせいだっただろうか。
魔石の強化はいつか行うことだ。今に始まったことではない。エヴリーヌは前にも参加したことがあるし、それでパーティなんて行われて、内心今さら感がある。
だから、そこまで大事ではない。不都合がある箇所を確認しに行くだけだ。
「今回の旅もお供させてください。王の許可はいただいております」
「けれど今回は場所が遠いし、聖騎士の試験はまだでしょう? もうさすがに侯爵が反対されるのでは?」
「前にお伝えした通り、僕はあなたに助けられた身です。恩返しだと思って、お側に参ることをお許しください」
心服するように言われては断ることもできない。子供の頃の恩など忘れていいのだが。仕方なしに頷くと、シモンは花が咲くように笑顔になった。眩しい笑顔に目が潰れそうになる。シモン大好き隊がざわめいたのが聞こえた。
「命を賭してお守りします」
「そこまでしなくても、」
「エヴリーヌ。ここにいたんだな」
後ろから引き寄せられるように抱きつかれて、エヴリーヌは悲鳴を上げそうになった。カリスが腰に腕を絡ませてから、頬に口付けたからだ。周りが先に悲鳴を上げるようにざわめいたので、辛うじて自分の悲鳴を喉の奥に引っ込める。
(何事!?)
「エングブロウ卿。妻の相手をしてくれていたようだな。さ、エヴリーヌ。行こう」
「え、あ、カリス?」
カリスが強い力でエヴリーヌを促した。なにかあったのかと思うほどで、よくわからないがその腕に流されるように足を動かす。
(不意打ちすぎない? やっぱり血迷ってるとしか)
アティ妊娠の衝撃がありすぎて、振り切って妻への演技を強化したのだろうか。そうとしか思えない。
シモンと会話の途中だったのだが、離れてしまったので彼の顔が微かに見えただけだった。気分を害していなければ良いのだが。
「彼が気になるのか?」
「遠征に同行するという話をしていただけで」
「必要ないだろう。私が同行するから」
「本気で言っていたの?」
「……君が危険な場所へ行くというのだから、当然だろう?」
そこまでしなくても。対外的にはこれほど納得できる理由はないだろうが。
カリスはそのままバルコニーに出て、外界を遮断する。人がいなくなったからか、カリスは腕の力を抜いた。
「馬車の中でも伝えたが、君を守ることは厭わない」
「でも、公爵家を留守にするわけだし」
そんな風に真剣な顔で宣言しないでほしい。こちらは本気にしてしまうではないか。二年の契約の中で、と付け足してくれればいいのに。こんなことで自分の心が掻き乱されてしまうのだから、カリスは言葉を選んでくれないだろうか。
正面を見る勇気がなくなって、視線を斜に向ける。まるで告白されているような気がして、浮き足立ってきた。
カリスは返事をせずに、エヴリーヌの手をとった。そうして前のように片膝を突いてひざまずいたのだ。
また宣言でもする気なのか? 真剣な面持ちでカリスはエヴリーヌを見上げてくる。
「帰ってきてからでいい。私の話を、聞いてもらえないだろうか。話したいことがあるんだ」
「話したいこと? 今ではダメなの?」
「できれば、静かな場所で」
そこまでうるさい場所ではないのだが、聞かれては困る話なのだろう。
もしかして、契約についてだろうか。アティの妊娠もあり、結婚生活に支障があるのかもしれない。二年を短縮し、一年にしたいとか、そんな話だろうか。
あり得て、胸が締め付けられる気がした。動揺するようなことではないのに。
(そうよ。もっと早く離婚したいものね。夫婦の演技を傷心で続けるのは、大変だと思うわ)
「エヴリーヌ?」
「わ、わかったわ。遠征の後で、話をしましょう」
「約束だ」
カリスは立ち上がり、ゆるりと微笑んだ。まるで安心したかのような顔に、心が苛まれる。
(さすがに、きついかも)
ダンスに誘われて、ぎこちなく微笑む。
こうなることがわかっていたのに。心構えができていなかったことに、ただ自嘲するしかなかった。