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3 契約について

「初夜って」


 総神殿で使っていた自分の部屋くらいある巨大なベッドを前にして、エヴリーヌは立ち尽くしていた。


 結婚式の後、聖女お披露目のパーティに出席し、ヴォルテール前公爵夫妻と挨拶を交わし、カリスと公爵家に戻ってから風呂に入れられて、強制的に身綺麗にされて追いやられた部屋に、エヴリーヌは絶句した。


「二年後、離婚することを知っている人はいないの?」


 ご丁寧にベッドには花びらが散らされて、中心には花束が置いてある。その香りなのか、部屋の中は甘ったるい匂いが漂っていた。

 離婚のことは公爵家で周知されていると思ったのだが、勘違いだった。もしかしなくても、公爵家の者たちの前で、仲睦まじいふりをしなければならなそうだ。


「ベッドをお使いください。私はソファーで眠りますので」


 カリスは部屋に入って開口一番そう言った。風呂に入ったばかりなのか、髪の毛が湿っていてやけに色っぽい。新緑のような爽やかな香りがして、甘い匂いに割って入ってくる。良い香りだと引き寄せられそうになるのを耐えて、エヴリーヌはソファーに目をやった。カリスの身長に比べたら小さなソファーに、この屋敷の主人を追いやるのは気が引ける。


「さすがにそれは」

「私のわがままですから」

 そうだけれど、ベッドを占領するのもまた気が引けた。


「部屋を出ていけば良いのですが、今夜はこの部屋から出るわけにはいきません。明日の夜からは夫婦の部屋になります。お互いの部屋の間に扉がある、行き来が可能な部屋です。明日からは隣の部屋に戻れますが、今日だけは」


 普段は別の部屋で寝ることになるようだ。今日のために部屋を作り、大きなベッドを用意したのだと言われると、顔が引きつりそうになった。


「じゃ、じゃあ。遠慮なく」

 子供ができなかったことにするには、通っているのだと思わせなければならない。初夜を避けることはできないのだから、今日は二人で同じ部屋を使わなければならなかった。明日の朝はメイドが来る前に起きる必要がある。


「せめて掛け物を」

「ありがとうございます」


 お互いぎこちなく動くのは仕方のないことだろう。薄明かりの中で、カリスは顔を背けながら返事をした。エヴリーヌの寝巻き姿を見ないようにしてくれている。


「なにか、不自由なことがあれば言ってください。できることならばなんでもしますので」

「特にはないですけれど、これからのことについて約束は作っておきませんか?」

「約束、ですか?」

「二年後の離婚を納得させるためには、私たちは仲良くしていなければならないじゃないですか。約束を作っておけば、納得させやすいと思うんです」

「たとえば?」

「たとえば、お互い名前で呼ぶとか、たまに一緒に出かけるとか。義務ではないですけれど、そういった約束を決めておけば、急に何かあった時に対処できると思うんです」

「なるほど」


 ただ単に、納得されずに契約が二年以上になることを避けたいだけだが、言う必要はないだろう。


 初夜を迎えていよいよ夫婦になるのに、今のようにお互い顔を見合わせないようでは、すぐに嘘が露呈してしまう。カリスは真面目なのだろう、大きく頷くと棚からペンと紙を取り出した。


「まずは名前ですね。私のことはカリスとお呼びください。私は、エヴリーヌと呼ばせていただきます」

「敬語をやめましょう」

「そ、そうですね。いえ、そうだな。あとは」

 その後の提案が出てこないらしい。ペンからインクが落ちて、紙を滲ませた。


「わかりました。私が考えます。スキンシップを見せる必要があると思うので、時々手を繋いだり、肩を寄せ合ったり、顔を近づけたりしましょう」

「え!?」

 え!? じゃないでしょう!? その言葉は呑み込んで、カリスからペンをふんだくる。


「できるだけ食事を一緒にとる。朝食だけでもいいです。一緒に散歩などをする。庭園などでも構いません。会った時になにかを褒めたりする。照れないようにして、顔を合わせる時はしっかり目を見る。それから」


 エヴリーヌは思いつくことを紙に連ねた。カリスはアティを一途に愛しているため、男女の仲でどんなことが行われるのかわからないようだ。エヴリーヌも経験などないが、仕事柄、有事があった後、仲の良い夫婦や恋人同士がどんなふうに接しているのかよく見ている。


「こんなものでしょうか。今覚えてください。これは燃やします」

「わかりました!」

「それと、要望ですが、一つだけよろしいですか?」

「なんなりとおっしゃってください」


 明日から敬語を話さないようにと釘をさしてから、エヴリーヌは一つの約束を取り助けた。








「わあ、素敵だわ」

「喜んでいただけて良かった」

「旦那様、こちらはどうされますかー?」

「その花はこちらに置いてくれ」


 昨夜の今日ですぐにもらえるとは思っていなかったが、カリスは約束通り、エヴリーヌの希望を叶えてくれた。

 それは、庭園一つ、エヴリーヌの物にすること。

(花壇一つで良かったのだけれど)


 エヴリーヌは聖女の中でも植物の扱いが得意だった。癒しの力は万人に効くが、常時対象者に癒しをかけられるわけではない。総神殿で薬草を作り、民に配っていたのだ。そのための花壇がほしかった。

 公爵夫人になったのだから、庭園は好きにしていいとのことなので、庭園一つというわけではないが、まずは一箇所、手を加える場所を提供してくれたのだ。


「薬草を手作りされているとは知りませんでした」

「私のいた総神殿では普通のことだったのよ、カリス」

「そ、そうか。聖女の仕事を勉強しなければな」


 敬語を話していると気づいて、カリスは話し方を変える。一日、二日でどうにかなるものではないか。カリスは咳払いをしてエヴリーヌの手を取ると、庭園の案内を始めた。手を繋ぐことについては覚えたと、ゆるりと微笑む。この微笑みに惹かれないようにしなければならない。朗らかに微笑まれると、心臓を鷲掴みにされそうな気がする。


 その姿を見た周囲の者たちが、ほう、と息を漏らした。うまくいっているのが見えて、安心したのだろう。

 カリスは二十一歳。公爵家の長子、しかもたった一人の後継者だ。片や相手は、聖女といえども子爵令嬢。しかも社交界に出たことのない地方の田舎育ち。公爵に合うとは思えない。周囲も今回の結婚には心配があったに違いない。


 家の者たちはこの結婚に疑問を持っていたはずだ。カリスの真面目な性格から大切にされていただろうし、聖女でも無礼な女が来たらどうしようかと考えていたかもしれない。


(下手はできないわ。気を引き締めましょう)


 なんといっても、辛いのは、カリス以外にもアティ推しがいるということだ。


 周囲の視線が痛いと感じたのは気のせいではない。

 廊下で通り過ぎた後の、どうしてカリスの相手がアティではないのか。そう届く声。聞こえるようにわざと言っているのではなかろうか。そんな疑問を持ちそうなほど、アティの名前が耳に入る。


(だってすごいんだもん。周囲のなんていうか、あれが聖女? アティの方がいいじゃない。かわいそ、子息、みたいな)


 アティと比べないでほしい、あちらは神殿の花形である。こちらは地味に、ゆるいウェーブのかかった黒茶色の髪とブロンズの瞳。顔は悪くはないと自分では思っているが、アティと比べられたら美醜さはどうにもならない。


 聖女として、アティは完璧だった。広報になれるくらいだ。エヴリーヌが貴族を相手にするのを好まないのもあって、アティは望んで都に訪れて癒しを施した。子供の頃からそれを続ければ、貴族たちに名前が売れる。実力もあるが、社交性もあるアティは、進んで貴族たちの家を回った。


 それがずる賢いという話ではない。得て不得手があるだけだ。エヴリーヌは平民を相手にしている方が気楽で良かった。アティは貴族たちに慕われる方が良いのだ。それが弊害とは言わないが、アティに比べてエヴリーヌはただの田舎の聖女なのである。


 それにアティは力の使い方が派手だった。広範囲で癒しを施すので、目立つことこの上ない。エヴリーヌは一人ずつ話を聞きながら施すことが多いため、実力にも差があるように思われるだろう。今後都で癒しを施せば、必ず言われることになる。それは億劫だが、致し方ない。


 しかし、この公爵家で口汚く言われるのは、気分の良いものではなかった。

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