16−2 アティの悩み
「アティも大変だわね」
男が関わると、女の敵は増えるかもしれない。アティが鼻につくという女性は神殿時代からいた。完璧な聖女を前にして、惚れる男が多いからだ。
だからといって実害を出せば、聖女の癒しは受けにくくなるだろう。しかし、男女のもつれの前ではそんなことも吹っ飛んでしまうのかもしれない。
それにしても元婚約者か。公爵家の子息に婚約者がいるのは当たり前。それを覆すことになった、聖女の存在。令嬢たちからは嫉妬の目で見られているかもしれない。女性は敏感に感じ取るだろうが、男性はどうだろう。フレデリクはアティが攻撃されていることに気づいているのだろうか。
「エヴリーヌ、一緒に散歩しても構わないか?」
屋敷に戻ってから庭園をふらついていると、カリスがやってきた。アティに会うことは知っているので、近況を知りたいのかもしれない。
頷けば破顔して、腕を差し出してくる。夫の鑑のような行動だ。
「エヴリーヌが植えた薬草が育ってきているな。花の生育も君が手がけてから咲きが早いように思う」
「皆に手伝ってもらったからね。綺麗に咲きそうだわ」
「好きな花は、あるのか?」
「うーん。あそこにある薬草などは、育てると蜜が飲めるのよね。神殿では甘いものが出ないから、それで甘味を得ていたの」
「甘いもの、か」
そういう話ではないか。植物は実用性があるかないかで見るくせがあるので、聞かれた意図と違う答えだったかもしれない。カリスが困惑した顔をしてくる。
「果物でも植えようか。神殿でも果物を食べていたし」
閃いたように言われると、恥ずかしくなってくる。気を利かせてくれているのに、蜜の話をするのではなかった。果物も花が咲くからな。などと言ってくれるあたり、優しすぎる。
甘い夫のためにも、アティの話題を振った方がいいだろう。カリスにも婚約者になるかもしれなかった女性がいたわけだが、この話題を出しても問題ないはずだ。
「実は――――、」
「そんなことが? フレデリクに婚約者はいたが、相手側に問題があって破棄になったんだ。その後に王の命令が下っているのだから、気にすることではないと思うが」
それなのに、わざわざアティに嫌味を言ったとなると、ただの性悪だったようだ。
世間的には知らされておらず、家同士で終わらせたため、深く知っている者はいない。それを利用して、その元婚約者が嘘の噂を流しているのではないかと言う。
(貴族の令嬢がやりそうね)
自分が悪くないのだと世間に噂させ、同情を得るやり方だ。アティは子爵令嬢でも両親の噂が悪い。聖女であるというだけで公爵夫人になったと言われれば、元婚約者の言い分に同情する令嬢もいるだろう。アティに惚れた男を婚約者に持つ令嬢もいるため、彼女たちからすれば、乗り掛かりたい話題だ。
「婚約者の父親にも問題があったからな。公爵家としてその娘を入れるわけにはいかなかった。特にフレデリクの家は規律を重んじ、厳格であることが有名だから。暑苦しいとこもあるが、フレデリクも不正を嫌うたちだ。元婚約者に対しては、対処すると思うが」
「それならよかった。アティが珍しく荒れていたから、いえ、文句の一つも言う子じゃないのに、そのことばかりは気にしていて、私が根掘り葉掘り聞いたらやっと教えてくれたの」
危ない、危ない。アティの本性を話してしまうところだった。聖女は愚痴など言わない。アティに限ってそんなことはないのである。
「とても、大事な友人なんだな」
「ええ。アティはとても、」
「ブラシェーロ公爵夫人にとって、エヴリーヌがだ」
言葉を遮って、カリスは強調した。
(私がアティの大事な友人ってこと?)
間違っていないが、そんな言い方をされると、頭の中が混乱する。エヴリーヌにとってアティが大事な友人。でいいのに、なぜ、アティにとってエヴリーヌが大事な友人。と言い換えたのだろう。
カリスは足を止めると、なぜかエヴリーヌを見つめて、そっと手を取った。
「気になるならば、私から確認しておくよ。それならば安心できるだろう」
「あ、ありがとう。そうしてくれれば、アティも安心だと思う」
気を遣わせただろうか。アティに関わることで、フレデリクに助言するなど、カリスは言いづらいのではなかろうか。言いづらいよりも、アティのためならば。ということだろうか。
(なんか、悪いことしたかも。やっぱ言わない方が良かったかも)
余計な詮索をして、変に気を遣うのはやめた方が良さそうだ。もしあちらが離婚ということになっても、カリスの性格から結婚するとは思えない。ヴォルテール公爵家とブラシェーロ公爵家は、王の手としてこの国を担う公爵家の一つだ。仲違いをさせるようなことがあってはならない。
(私はただ、二年を待って、この屋敷を出るだけでいいのよ。他のことに関わってはいけないわよね)
カリスはエヴリーヌの手を取ったまま、穏やかな顔をして歩き出した。エヴリーヌの足に合わせ、ゆっくりと。
この時が続けばいいとは、間違っても思ってはいけない。そう言い聞かせるしかなかった。