14 聖女の加護
「どうか、あなたに幸がありますように」
祈りのような言葉が耳に届いて、彼女が近づいた。聖女の加護だ。あの時の少女も、別れ際に同じことをしてくれた。
「またあいつがいるのか」
エヴリーヌが神殿に行くたび、気になることが増えた。
最初はエヴリーヌに危険が伴うことが心配だった。
神殿から神殿に転移魔法陣で移動しても、その後魔物を追うために神殿を離れる。そこで魔物の攻撃を受けていないか。山道で怪我をしていないか。気になることは数多くあって、たとえ彼女の聖女生活が長くとも、つらい仕事であるのならば、手助けをしたかった。そう思っていたのが、
シモン・エングブロウ侯爵子息。エヴリーヌを追うと、必ず現れる男。
古い知り合いだとしても、しつこくはないか?
恋人でないのならば、あの男がエヴリーヌに付きまとっている理由は明白だ。
彼女に気があるから。
カリスが神殿に来ていなかったら、またあの男がエヴリーヌの側をうろつき続けるのだろう。
「だから、邪魔しないと……」
いつもと違う甘い香りが鼻腔をくすぐる。花でも飾っているのか?
シーツの触り心地が違い、なんだか奇妙な感じがする。水音もして、執事が顔を洗うために湯を持ってきているのかと思ったが、どこかで水をかけているような音に聞こえて、瞼を上げた。
「ここは」
一気に目が覚めて、カリスは飛び起きた。神殿の、エヴリーヌの部屋。ベッドの上。いつの間に眠ったのか、窓の外は明るく、朝になっているのに気づかされる。
彼女はどこに。水音が扉の向こうから聞こえてきて、頬が熱くなるのを感じた。
「湯を浴びているのか。部屋の隣に、湯浴みできる部屋があるのか??」
昨夜は気づかなかった。同じ部屋を使うとわかり、動揺していたからかもしれない。その上で酒をあおり、眠ってしまうとは。
エヴリーヌはどこで眠ったのだろうか。
「あれ、起きたのね」
扉が開くと、温かい湯に浸かっていたのか、頬を紅潮させたエヴリーヌが出てきた。髪をタオルで巻いており、頬に雫が流れる。
見てはいけないものを見た気がして、すぐに視線を別の場所に向けた。
「二日酔いは大丈夫? 顔を洗うならば、そちらで洗って。今、食事を持ってくるわね」
「いや、私が」
「大丈夫よ。ゆっくり用意して」
あのままで食堂に行くのか? ローブ姿のまま、タオルで髪の毛を拭きながら、廊下へ出ようとする。
「いや、待ってくれ。その格好で、」
「大丈夫よ。ここは屋敷じゃないから」
「そういう意味じゃ」
ないのだが。
言う前に、エヴリーヌは寝癖があるわよ、とカリスの額を小突いた。
「鏡はそっち」
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
隣の部屋は狭かったが、洗面台と小さな風呂がある。近くに温泉があるため、各部屋で湯が出るように風呂が設置されているのだ。鏡で頭を見れば、髪の毛が横にはねていた。顔も赤いが、そんなことよりも、甘い香りがして、ここにいるのがはばかられた。
軽く湯をつけてはねた髪を直し、顔を洗う。
「ちゃんと眠れたのだろうか……」
自分がベッドを占領してしまった。他の部屋で眠ったのか。誰かの部屋で?
そう考えて、すぐに頭を振った。
「なにを馬鹿なことを」
洗面台に手をついてため息を吐くと、かちりと何かに当たった。髪留めだ。気づかず手で弾いてしまった。床に落ちたそれを手に取ると、絡んでいた黒茶色の髪が、さっと白色に変わった。
「え?」
触れてわかる、微かな魔力。
「これは、」
「カリス、どうしたの? 体調悪い?」
食事を持ってきたエヴリーヌが戻ってきた。その顔を見てから、手に残った髪留めを見つめる。
「……エヴリーヌ、君は、髪を染めているのか?」
髪の色が変わった。魔力の残った髪だ。黒茶色が別の色になったのならば、魔力で常に色を変えているから起きる現象だ。
エヴリーヌは間延びした声を出しながら、視線を左右に泳がせた。
「元は違う色なのよ。聖女で派手な髪色だと、なにかと目立ちすぎて、面倒が起こるの」
「面倒?」
「強盗とかに襲われやすくなるの。子供の聖女が目立つ容姿でいると、危険があるのよ。聖女を売って金にしようという輩が出てくるし、他にも、」
「なんだと!?」
「そういうことが、たまにあるのよ。だから髪色は落ち着いた色の方がいいだろうってことで、魔力で髪を染めているの。もう長年この髪色だし、この色の方が楽だから、元の髪色なんて忘れるくらいにはずっとこの色ね」
「そんな。そんなことが」
聖女に起きるのか? 口にしたいが、彼女はその被害に遭ったことがあるのだろう。長年というのならば、幼い頃にかどわかしに遭ったのかもしれない。そんなことが起きるなど、許されることではない。
聖女は、その力を人々のために使い、生かすのに、それを裏切る好意を当然に行う輩がいる。聖女たちの立場が低く見られるのは、王族の怠慢のせいだ。それなのに、彼女たちを利用しようと、身分の高い男に嫁がせようとする。
それに、自分も加担していると思うと、吐き気がしてくる。
「カリス? ご飯食べられる?」
「あ、……いただきます」
「朝食は軽めでしょう? スープとジュースと、果物と、パンよ。スープは多めにもらったわ」
エヴリーヌは朝食の好みはわかっていると、カリスに差し出す。エヴリーヌはよく食べるのか、肉なども持ってきていた。
(そういえば、彼女は朝からよく食べていたな)
そんなこと、言わないでも記憶していることに、不思議と心が温かくなる。自分が見ていないだけで、彼女は自分を見ているのだと。
「エヴリーヌの髪色は、元は……?」
「銀よ。母親が銀色の髪なの」
バイヤード子爵夫人は銀髪だった。夫のバイヤード子爵は明るい茶色の髪だ。黒茶色ではない。そんなことにも気づかなかったなんて、笑ってしまいそうだ。
けれど、金色ではないことに、なぜか胸が苦しくなった。
(まさか、期待したのか? もしかして魔力で色を変えていたら、元の髪色は金ではないかと)
「エヴリーヌは、子爵令嬢は、二人とも幼少から聖女になったと聞いているが、何歳ごろから神殿にいるんだ?」
「幼少は、私のことかしら。アティは十四歳よ」
「え!?」
「え? なにか??」
「では、エヴリーヌは、何歳から聖女で?」
「私は四歳にはここにいたけれど?」
「四歳……? その頃に、金髪の聖女はどれほどいたんだ? エヴリーヌと同じくらいの年で、金髪の女の子は」
「その頃に私と同じくらいの年で金髪なんていないわ。ずっといないと思うけれど。アティの髪色で目立つなって思ったから。年上の子なら何人かいたけれど」
「何歳くらい年上なんだ?」
「十歳以上は年上ね」
「十歳……」
では、誰が、自分を助けてくれたのか。
(まさか、銀髪だった? 記憶違いか? 子供の頃で、動揺して、泣いてばかりだったから、間違えたのか?)
思い出せるのはランプに照らされた金の髪。見間違いだとしても、瞳は金色で、太陽のように美しかった。
金色の瞳を持つ者は魔力を多く持ち、大聖女が持つと言われている瞳の色だ。
聖女アティは金色の髪で、琥珀色の瞳。だから、てっきり彼女が自分を助けてくれた人だと思っていた。
エヴリーヌの瞳は青銅色。髪の色も、瞳の色も、どちらにしても別の色。
「ならば、私が会ったのは……?」
「カリス、大丈夫? 体調が悪いの?」
混乱が押し寄せてくる。動揺が、何に対してなのか、わからないほど。
聖女アティが自分を助けたわけでないことに、がっかりしたのか?
エヴリーヌの髪色が金色でないことに、愕然としたのか?
(私を助けてくれた少女は、一体誰だったんだ?)