8−3 パーティ
「幼い頃、重い病にかかり、手足も動かなくなった時がありました。当時、聖女様の巡回があり、父は聖女様を屋敷に連れてくると言って飛び出していったそうです。僕が覚えているのは、目の前に幼い少女がいたことだけ。うっすらと見えた少女の姿がひどく苦しそうで、どうしてそんな顔をしているのかわからず、自分が死ぬ寸前だからではないかと思ったくらいです。ですが」
シモンは一命を取り留め、走り回れることに驚いている間に、その少女は消えていなくなっていた。
その少女は夢だと思っていたが、父親が聖女を無理やり連れてきて、シモンに癒しをかけさせた。その上目が覚めるまで監禁し、暴力まで振るっていたのだと、ずっと後に聞いた。
「あの時の……」
「ずっと、お詫びがしたかったのです。ですが、その少女が聖女のどなたなのか、調べてもわからず。聖女様があの時の少女だったとわかってから、お会いする機会をうかがっていたのですが」
シモンは深々と頭を下げた。苦しむように胸に拳を作ったまま、礼をするかのように、深く詫びてくる。
エヴリーヌは神殿長の計らいで、貴族からの指定はできないようになっている。討伐に参加する聖女として、貴族の名指しで治療を行わせないようにしていた。災害地での治療は話が別だが、名指しの貴族には対応しなかった。
聖女の登録は神殿が管理している。都の神殿と違い総神殿は制度がしっかりしていて、幼い少女は聖女のリストに入れていない。前はあったが、エヴリーヌが監禁されたことを理由に、十四歳からの登録に変更した。幼い聖女たちは神殿でのみ治療を行い、神殿の者たちの目が届くように保護された。
エヴリーヌは討伐の際は聖騎士がいるため例外的に外に出ていたが、都で活動することはなくなった。
シモンがその原因になった侯爵の子供だとは。
シモンが悪いわけではない。悪いのは、その父親だ。父親は謝罪する気はないのだろう。シモンだけが気にして、エヴリーヌに謝罪する機会をうかがっていたのだ。
「気になさらないでください。昔のことです。子供が危険であれば、親がどう行動するかは想像できることです」
(最悪だったけれどね。この人には罪はないわ。当時、六歳くらいじゃない?)
パーティで父親に罵るわけにもいかない。ここで問題を起こす気もないので、頭を上げてほしい。
「謝罪は受け入れましたので、エングブロウ卿もお忘れください。古い話ですから」
「お待ちください!」
思い出したくもないことなので、それだけ言って立ち去ろうとした。しかし、いきなり手首をつかまれて、足がからみそうになった。
「エヴリーヌ! 大丈夫ですか!?」
「カリス!?」
いつの間にか現れたカリスがエヴリーヌを胸で受け止めた。転ばずに済んで安堵するが、カリスはエヴリーヌを抱きしめたまま、シモンを鋭く睨みつける。
「エングブロウ卿。彼女に恨みでもあるのか?」
「カリス、違います。私が話を切り上げようとしただけで」
「あなたに触れて転ばせようとしたのですよ?」
(違います。さっさと逃げようとした私を、止めようとしただけです。面倒だからとそのまま通り過ぎようとした私のせいです)
「古い、知り合いなんです。ねえ、エングブロウ卿!」
「……聖女様には、助けていただいた恩がありまして、そのお礼を伝えていたところです」
「そろそろ広間に戻らなきゃと思って、軽く返事をしてしまった私が悪いのよ。そうだ、カリス。ダンスの時間ではないかしら? ね、行きましょう。エングブロウ卿、昔のことですから、気にしないでください。さあ、行きましょう、カリス」
カリスが今にも殴りかかりそうだったので、エヴリーヌは無理に引っ張って歩かせた。
なにをそんなに熱くなっているのか。いや、聖女に無礼を働いたと思ったのだろう。先ほどの王の話もあったし、聖女の扱いを更に気をつけようと考えたのかもしれない。
「お話の邪魔をしてしまいましたか?」
「いえ、そんな話すこともなかったので」
だから気にしないでほしい。カリスは耳を垂らした犬のようになって、エヴリーヌの顔色を伺う。
(なんだか、本当に犬を飼っているみたいだわ)
二年の間は大切にするという約束を、カリスは約束以上に守ってくれるつもりなのだろう。だから、妻になにかあれば駆けつけるし、なにかある前に手を差し伸べようとしてくれる。
律儀な男だ。そのおかげで憎むことができない。
「でも、ありがとうございます。転ばずに済みました」
「それなら、良かったです」
ふんわりと、穏やかな笑顔を不用意に見せてきて、エヴリーヌはつい顔を背けた。その顔は反則だ。
「やはり、怒ってらっしゃいますか?」
「お、怒ってます。いつまでも敬語で話すのだもの」
「すみません! 聖女様には、どうしても敬語が先に出てしまって」
「距離を感じるわね」
「以後気をつけます! いや、気をつける」
大真面目に断言して、その姿がおかしくてつい吹き出してしまう。カリスは恥ずかしそうにして、本当に気をつける。と小さく呟いた。
この人の側で二年。たった二年だ。
だから、この優しい人の側にいて、心奪われないようにしなければならない。