Spotifyの使い方に絶望するひととき
Spotifyでお気に入りの曲を流す、もしくは、お気に入りの歌を聞いてそれを熱唱しながら自転車にまたがって帰る。ここ一年、毎日こんな調子で学校から家に向かっている。でも。こんな幸せと思われるひとときにも悩みが尽きないのが我々現代人ってものなのだ。まずは風。イヤホンの性能が悪いのか知らないが、風を切る音が音楽と共に耳に侵入してきて集中できるったらありゃしないなんて状況に陥ることがよくある。とてもわがままな話だが、僕が自転車に乗っている時くらいは神様も同調して欲しい。なぜなら音楽を静かに考えながら聞きたいから!そして次のが一番問題に思うのだが、音楽の価値の低下についてよく考えることがこの頃になって増えてきた。というのも、これは一吹奏楽部員としての意見なのだが、流行曲だったり、とりわけヒップホップと呼ばれるジャンルの曲には従来からの音楽のストーリー性や音楽性というのが全く感じられないんだ。だから流行曲というのを全く楽しく聞けない一種の病気のようなものに罹ってしまった。これには僕が吹奏楽を6年近くやってきて、流行の曲というよりはクラシックの方が造詣が深いことだったり、現代音楽批判の論文を数多く発表した、アドルノに影響されたところが大きいだろう。勿論、こんなにヒップホップをけちょんけちょんに言ってるが、かくいう僕もヒップホップは音楽な部分を大目に見たらダンスやアート、新傾向の歌詞なんかが大好きだ。(歌詞に関してはよくメモ帳なんかに書き記して研究してるくらいです。) でもやっぱり音楽面に行くとストーリー性を何も感じなくておもんないなぁとよく思うし、ああいう音楽をお酒の一種のような、脳の一定の器官だけを喜ばせる魔剤のように思ってしまう節がある。
あとSpotifyに関して、個人的に思った問題が、音楽の大衆化によって一つ一つの曲の時間が短くなったことによって、たとえ本当に気に入った曲だけをまとめたプレイリストを作って、それを聞いていたとしても、偶に飽きて曲を飛ばしてしますことがあるということだ。この問題、昔の人からしたら考え付きもしなかったはずだ。なぜなら、世間一般的に言われているクラシックと呼ばれる舞台芸術しか昔は存在しなかったからだ、仮にその時代にiPodみたいなポータブル音楽再生サービスがあったとしてもその時代の人なら、とりわけ舞台芸術に親しんでいる貴族のひとなんかは曲を飛ばすなんて、お話が分からなくなるし、一つ楽章を飛ばしただけで気持ちが悪くなるからしなかったと思うなぁ。平民に至っては音楽と触れる機会すらなかったからもう全く違う次元の話になっちゃってるしね。(それから何十年かしたらヒップホップの革命期が訪れちゃうよ。)
ってなわけで音楽に関して皆さんはどんな風に感じますか。僕は一貫して脳の一部分だけ刺激室図けるような音楽が世にあふれかえるのは本当にやめてほしいですね。音楽は聴き手がその音楽の背景やストーリーについて考えるから面白いのであって、決して頭を破壊するものではないと信じています。信じています。じゃあ。