「悪役令嬢に転生したのに断罪を逃れようとする者の何と身勝手なことか!」←「知るかボケ」
変だ、と思った。
だって私は何もしていなかったのに、彼女が泣いていたから。
────それこそ、まるで『ゲーム』のように。
だから、それから一日を空けて。
「………それで? 昨日のは何の冗談だったのかしら。少し伺っても宜しいかしら、アネモネさん?」
「………そ、そちらこそ、急にどうしたのですか、イザベル様………?」
学園内でも特に人通りの少ないという一階の南廊下。そこで、私たちは向き合っていた。
◇◇◇
イザベル=ヴァイス。それが私の名前。
ヴァイス侯爵家の長女で、王子アレスターの婚約者。言うなれば、次期女王。
それからもう一つ、言うべきことがあるとしたら………私が、前世の記憶を持っていると言うこと、だろう。
まあ有り体に行って仕舞えば、わたしは『転生者』なのだ。
ベタな設定だ、と思うかもしれない。実際、私も最初はそう思ったから。
しかしベタというのは連鎖していくもので、深く調べてみればこの世界は前世の私が激推ししていたとある乙女ゲームにそっくりな世界だったし、私はその作品で許嫁の王子と平民ヒロインの恋路を邪魔する悪役令嬢(全ルート絞首台行き)の役割を持つ、あの『イザベル』だということがわかったのだ。
……正直、やりすぎだ。
もうこの類のなろう小説は何百回読んだのかわからないくらい使い古されてる。もし前世の私がこんな設定の作品を見たら、鼻で笑って即ブラウザバックしていただろう。
でも、いざそれが我が身に降りかかるとなると、また話は変わってくるわけで。
ネットの感想では「主人公みんな一緒すぎw、全員同じことしかしないじゃん」などと笑っていた私だが、結局のところはその「ベタ」に従って、処刑回避のために奔走してしまったのだ。
だって、誰だって死にたくない。
そして、死の恐怖に怯えている時に頼れるのは、やっぱり慣れ親しんだ方法しかなくて。ベタとは、やはり王道だからこそ「ベタ」なのだ、と気付かされた。もし今度ベタな小説に感想を書き込める機会なんてものがあったら、絶対に「わかる〜、やっぱそう考えるよね〜」と共感してあげよう、と今は思っていた。
まあそんなこんなで、私は生まれてから十六年間必死に努力して、なるべく原作キャラには関わらないようにしながら、ここまで何とかやってきたのだ。勿論、物語の舞台となるこの「学園」でだって、できる限り影を薄めてごく普通の模範生としてあるよう努めている。
なにより、私には原作イザベルのような苛烈な嫉妬心も王子への執着もないから、処刑の直接の理由────ヒロインにして救世の聖女『アネモネ』へのいじめ────が成立することなどあり得ない。
だから、あとはこのままアネモネに変な動きがないかを観察しながら、悠々自適なウイニングランを決められる────はず、だったのに。
「うう………痛いです、イザベル様ぁ……………」
アネモネが私に突き飛ばされたフリをして王子へと泣きついたのが、昨日の魔法訓練の時のこと。
何もしていないのにゲームと同じように振る舞う彼女に、今までの安堵は大きな勘違いだったのだ、と、私の中で何かが崩れる音がして───
そして、話は冒頭に戻る。
◇◇◇
アネモネは私の質問に対して臆面もなく惚けたことを返した。何一つの言い訳すらもない。それはつまり、彼女は明確に「敵」であるという証明。まだ、貴族同士の政争に巻き込まれた、という可能性も捨てていなかったのに………
苛立ちのあまり、私はつい舌打ちをしそうになる。しかしその衝動は貴族としてグッと堪えて、代わりだと言わんばかりに、広げていた扇を荒々しくバチンと閉じた。
「急にどうした、ね……………よくもまあ、そんな台詞が吐けたものだわ。それとも、そんな事ができるくらい面の皮が厚いから私に冤罪を被せるなんて真似ができたのかしら?」
「ええと、あ、あの………すみません。私、本当になんのお話しなのか………」
「とぼけないで!」
「ひっ…………」
強く彼女を睨みつければ、彼女の肩はびくりと跳ねる。その様子は、宛ら怯えた小動物を想起させた。もし私が唯の貴族令嬢だったなら、その無垢な様子に絆され、それ以上の追求はやめていたかもしれない。
でも、私は「唯の」令嬢ではない。だから、やめない。
「心配しなくても、暫くこの辺に人は来ないわ。事前に私の護衛に人払いをさせておいたもの。だから、改めて質問します………あれは、なんの冗談だったのかしら?」
「………………………!」
押し黙るアネモネ。顔を俯けているから、その表情は読むことができない。
けど、微かに垣間見える唇は、小刻みに震えていて。だから、きっと動揺しているのだろうことは分かった。
沈黙。
それは、重い沈黙だった。
よく状況を考えてみれば、これはついこの前まで平民だった少女に対して国でも一二を争う権力者が詰め寄っている、という構図だ。彼女が言葉を発するのに怯えてしまうのも無理はない。
とはいえ、私もいつまでも待っていられるほど気が長くはない。いい加減待ち草臥れて、もう一度恫喝でもしてみようかと思った、その時だった。
「だって、仕方ないじゃないですか!!!」
アネモネが、突然叫び出した。
「私、私…………王子のことが好きだったんです! あの人は、貴族でいっぱいなこの学園で一人おびえる平民に気づいてくれた! 一番最初に優しくしてくれた!! 頼っていいんだって言ってくれた!!! 文字通り、私にとっての白馬の王子様だったんです!! そんなの、好きになっちゃっても仕方ないじゃないですか! 振り向いて欲しいって、思っちゃうじゃないですか!!! だから私、たくさんアプローチしたのに……王子に気に入られるように頑張ったのに…………全然、振り向いてくれなくて……!」
心の奥の奥、喉の底から絞り出したような必死な声だった。
その勢いに圧倒されるあまり、私はただ、つまらない正論を返すことしかできなくて。
「…………当然よ。彼は私と婚約しているし、妾を見つけるにしてもまだ早すぎる」
アネモネはその言葉に頷くと、一度叫んで落ち着いたのか、今度はいつも以上に萎らしい声で話を続けた。
「はい、分かってます。王子とイザベル様の婚約は、恋とか愛で簡単に変わるものじゃないってことくらい。国のために………魔法みたいな言葉ですよね。私も、お二人が何を思ってその地位にいるのか、短い間でも王子と交流してきて、気づかなかったわけじゃありません………………でも、ううん、だから、だから私は、諦められなかった。たった一つの契約が、それだけが私の邪魔をしているんだとしたら───」
「その契約自体が無くなれば、今度は私に向き合ってくれるはずだ、と…………貴女はそう考えたわけね」
「………はい」
そう言ったっきり、彼女は俯いたまま動かなくなってしまった。
声の迫力からして、きっと精一杯の心の叫びだったのだろう。廊下中の空気からすら無視されたように、一人ポツンと立ち尽くす彼女に、私はえも言われぬ想いを感じた。
「───そう。なるほど、なるほどねぇ…………」
私が嫉妬に狂っていじめをしている、などと貴族に知られれば、流石の侯爵令嬢と言えどその品格は落ちるだろう。そしてタダでさえ王子の婚約に関する権力闘争で今の宮中は人の穴を虎視眈々と狙う連中が跋扈しているというのに、そんなスキャンダルは他の派閥の貴族が見逃すはずがない。万が一王子が私に愛想を尽かしたような様子を見せれば、これ幸いとばかりに私を許嫁の地位から追い落としに来る。
……そして、その空いた席に座る人間を選ぶ権利は、きっと王子に与えられるのだ。最近の国王が貴族同士の政争にうんざりしているというのは有名な話。もし突然の婚約破棄なんてことになったら、国内の混乱を避けるため王子の聖断を促すことは想像に難くない。そう、事実、ゲームでそうなったように………
なるほど確かに、筋は通っている。正しく、彼女はゲームさながらに王子と結ばれようとした、というわけだ。
卑怯な手ではあるけれど、愚かな手というわけではない。それは決して平民の浅知恵、と言われる類のものではなかった。
…………だ、けれども。
私は、胸の奥から湧き出してくる感情に従うがまま、彼女の方へ歩を進めた。それに気づいたのか気づいていないのかは、身じろぎひとつしないアネモネからはわからない。
履いているヒールが床を叩き、その反響音が廊下に響く中、私はそっと彼女の方へと手を伸ばして───
その手を握り込んで思いっきり彼女の腹に叩き込むと、壁へ吹き飛んだアネモネに一気に迫り、その胸ぐらを掴み上げながらこう言った。
「後学のために教えとくわ、アネモネはそんなことしない。だから、彼女は『ヒロイン』なの。………あんた、一体誰な訳???」
───その瞬間、彼女の口から小さくため息が聞こえてきた。
◇◇◇
「………取り敢えず、この手を離してくださいますか。呼吸が閊えて苦しいのですが」
その時から、アネモネは今までの雰囲気を一変させた。
前を見据え煌き開いていた瞳は薄暗く濁り、明るく少女のように可憐だった声は気怠げでくぐもった様に沈んでいる。その照り映えていた金髪も、心なしか色褪せたような気がした。口調も、先ほどまでの平民然とした話し方では全くない。
もはや彼女は、ガワがアネモネであるだけの『何か』になってしまっていた。
「……はっ、そっちが貴女の本性? よくもまあ今までは上手に猫を被っていたものね」
「左様ですか。お褒めいただき光栄です」
動揺を悟られないための皮肉はさらりと流される。
いかな悪意に晒されようと関係がないと言わんばかりの対応だ。まるで、彼女がこの世界から独立して存在しているな感じがする。浮世離れという言葉もあるが、それとはまた違う何か。世界と自分を別のものとして見ているかの様な………
私の拘束から離れ、平然とスカートの汚れを払っている彼女を見て、私は言いようのない恐怖を感じた。
しかし、それと同時に私はそうか、とも思った。
自分と世界を分けて考えることができる人。それは、何よりも身近にいるのだから。
「貴女………貴女も、やっぱり転生者なのね」
「仰る通りです。……貴方『も』ということは、其方も転生者ですか。世間は狭いですね」
まあシナリオが崩壊している時点でもう一人介入者が存在するのは予測済みでしたが、と。彼女は平然と続けた。
不敵な態度を崩さない彼女から、私は目を離すことができない。
言うなれば、絶対的強者のオーラというやつだろうか。只者ではない、ということを一瞬でわからせるような佇まい。彼女と私では格が違うということを、私は無意識下で理解してしまう。
だが、裏を返せばこれは恐らく千載一遇のチャンスだ、と私は思った。彼女ほどの人間が、今まさに尻尾を出している。それはきっと、とんでもない僥倖だ。ここを逃せば、次本当の彼女と会話するチャンスは二度と訪れないだろう。
───ここだ。私が「勝つ」為には、ここに賭けるしかない。
そう私は確信する。
ここまで猫を被ってきた彼女のことだ。少しでも油断すれば、一瞬で煙に巻かれてしまうだろう。
故に、彼女の一挙手一投足その全てを見逃すまいとしながら、私は質問を投げかける。
「……答えなさい、偽物のアネモネ。貴女一体どう言うつもりだったの? こんな当たり屋紛いのことしてまで王子と結ばれたかったわけ? だとしたら、転生者らしく随分好き勝手しようとしてたみたいね。残念ながら、私というイレギュラーに阻止されちゃったわけだけど」
半ば煽っているような口調。
これで感情的になってくれるようなら、尋問もしやすいんだけど…………
「………その程度で私が我を忘れて喚き散らすと思われてるのでしたら心外ですね。一応これでも前世は官僚でしたので、下に見られるのは面白くありません」
軽くあしらわれてしまった。やはり、そう一筋縄ではいかないらしい。
けど、このまま諦めるわけにもいかない。彼女の目的が何にせよ、その行動はゲームのシナリオをなぞるもの。これ以上好き勝手されると私の命が危ない。ここで情報を持ち帰るのは私の急務で──────
「はあ…………」
そこまで考えを巡らせた時、突如として偽アネモネはため息を吐いた。
それは、心底から他者を見下した時に出るような音。或いは官僚らしくもある、上から押さえつけてくるような圧。
「………何か?」
その迫力からか、私は反射的に口を開いてしまった。まあ、事実、なぜ溜息をついたのかの理由はわかっていなかったのだけれど。
しかし、そのことが更に彼女の癇に障ったらしい。彼女はますます眉間の皺を増やしていく。
「……思ったより期待外れですね、イザベル=ヴァイス。私の目的にまだ気づけないんですか? それとも、敢えて目を逸らしているとか?」
とんとん、と苛立たしげに踵で床を叩くアネモネ。彼女の試すような視線が私に突き刺さる。
そして、もう耐えきれない、とばかりに、彼女は徐に口を開いた。
「私の目的は、我が国の保護です。これから先、我が国には大いなる厄災が降りかかる。私は、その解決を望んでいます。──────これで、ご理解いただけましたか?」
「………………あ」
その言葉で、私は漸く気づくことができた。
彼女が何を狙っているのか、ということと───アネモネがこの世界で担う、『役割』というものに。
◇
この世界はゲームだ。
そして、そこには当然「シナリオ」と言うものが用意されている。
大まかなあらすじとしては前編の「学園編」と後編の「災厄編」に別れていて、そこに攻略対象の恋愛イベントを絡めながらストーリーを追っていく、というものだ。
前編は説明するまでもないだろう。今、この学園で繰り広げられている群像劇のことである。
そこでは聖女として平民ながら学園に招かれたアネモネが多くの青年たちと交流を深め、時にライバルからの邪魔を受けながらも、関係性を育てていく。このゲームの乙女ゲーム要素の大半がここにあるといっていい。
因みに、私が処刑されるのもこの編のラストだ。ここで私が処刑され、物語は一旦の終了を見る。
そして、学園編から数年の時が経ち始まるのが災厄編だ。災厄編では、学園編で積み重ねたフラグや好感度を参照してルートが確定し、以降はほとんど分岐なしでストーリーを読んでいくことになる。
あらすじとしては、前編での平和な雰囲気から一転、どこからか現れた「災厄の魔王」に侵略され荒れ果ててしまった世界を救うため、アネモネたちが争いに身を投じる、と言うものである。勿論そこにはアネモネと攻略対象との大スペクタクルが繰り広げられ、築いた関係は恋へと発展し、ユーザーはこの世界により一層惹きつけられていくわけだ。
だが、この編の問題はそこじゃない。問題は、災厄の魔王の出所だ。
「どこからか現れた」なんてストーリーの序盤では言われているものの、その正体は中盤になってすぐに明かされる。それは──────
「災厄の魔王は貴女……イザベル=ヴァイスの胎内に巣食う。そこで貴女の魔力を喰らいながら成長し続け、そして宿主が死ぬと同時にこの世界に顕現するのです。そこから先どうなるかは、貴女もプレイヤーならご存知でしょう?」
「…………………」
アネモネの言葉の通りだ。魔王は私の中にいる。
それはずっと私と共にあり、私の死による解放を待っている。まさに、世界のガン………悪役として作られ、悪役として存在し、悪役として死ぬ。それが、イザベル=ヴァイスという女なのだ。
そして、そのことを思い出し、私はやっとなぜ彼女が昨日あんな芝居をしたのか気づくことができたのだった。
「ふふ、つまり………何?シナリオが崩れると困るから、私には処刑されて欲しいって……そう貴女は言いたいのかしら?」
「ええ、仰る通りです。貴女が死なないと魔王が復活しない。シナリオが遂行できない。この国のため、ひいては世界のために、貴女にはきちんと処刑されて頂きたいのですよ。どうも貴女は行動から推測するに、この学園を処刑されずに切り抜けようとしているようですが………困るんです、ストーリーから外れられると」
───思った通りだ。
私は苛立ちのあまり歯噛みした。
つまりは、そういうことだったのだ。
深い目論見も、複雑な事情もそこにはない。彼女はただ、あるべきものをあるべき通りに進めているにすぎない。本当に、どうしようもないくらい単純な話。
彼女は、ハッピーエンドを迎えようとしているのだ。
「そう。貴方の予想通り、私の計画は、何も特殊なことはありません。ただ純粋に、「ストーリーをなぞる」……それだけです。貴女が処刑され、魔王が復活し、それを攻略対象と共に打ち倒す。その方法はすべてゲームの通りに。それだけで世界はハッピーエンドになる。なんとも簡単なことでしょう?」
アネモネは冷たい微笑みを浮かべながら語る。その音が、音節が一つ発音されるたびに、一歩、また一歩と私との距離を詰めながら。
平民用の革靴では廊下に音は響かないが、その心の臓を射抜くかのような目線だけで十分な迫力があった。
カッ、と、無機質な音が私の耳に響く。
それは思わず後ろに下げた、私の右足の足音だった。
「それともまさか、人命犠牲前提の計画は間違っているだなんて、そんなことは言いませんよね? ハッピーエンド後の世界がいかに豊かで幸福なものであるかを考えれば…………例えばジョン=ウィンストン伯爵の没落阻止、フラガノフ商会とモブリッチ公国の汚職検挙、アイザックによる魔導革命など、解決する問題には枚挙に遑がありません。となれば、シナリオの過程で死ぬ人間の数など些細な犠牲です。───繰り返しますが、私は元官僚ですから。国のために小を切り捨てることに躊躇いなどあり得ませんよ」
本気だ、と思った。
この女、本気で私を殺しにきている。
この世界は中世ヨーロッパ的時代設定だから、今までに何人も「人を殺したことのある人間」を見てきた。それは兵士であったりスラムの人間であったりしたけれど………彼女の迫力は、彼らのそれと同等に思える。
思わず、脚が震えた。背中にじっとりとした汗が滲む。
この私が、気圧されている。
「そ、そもそもよ! 貴女は随分ハッピーエンドに夢を見てるみたいだけど、本当にそんなにうまくいくのかしら。すでに私が原作からいくつかの要素を改変してるのに、全てがゲーム通りに進むとは思えないし……もしかしたら、私を生かした方がより良い未来に進むかもしれないわ!!」
「笑わせますね。結局ゲーム通りに進むのか進まないのか、今の私たちにはわからないのでしょう? なら、私は貴女の不確かな理論に賭けるより、ゲーム上とはいえ一度うまく行った方法を信じます」
「ぐっ…………」
「抑も、所詮箱入り娘の貴女に改変できる要素などたかが知れています。今から世界線を戻すよう細工をすれば、後編が始まるまでにはゲームの通りにすることも可能なはずです」
「うう……」
私の悪あがきは、完全に論破された。
実際私がこの世界来てやったことって「目立たないこと」くらいで、色々改変してる、なんてハッタリだ。ちょっと社交界で影が薄いってことと、私の死後に備えて私兵軍備を進めてるってこと以外はちゃんとゲーム通り進んでしまっている。
だって、もし変な改変して世界が完全に別物になったら困るの私だし……
今まではそのほうが都合がいいと思っていたが、それがまさか私に牙を向くことになろうとは。これじゃあ、私が逆転するためのタネがどんどん────
「もしや、貴女。まだここから逆転できる、とでも考えていませんか?」
「…………ぇ」
心底冷え切った声で、アネモネは私の心臓を突き刺した。
思わず、喉がきゅうと締まる。
「どうも、貴女は私が正体を現していることを千載一遇の好機と捉えているようですが……逆ですよ。これは言うなれば勝利宣言、万に一つも逆転の目などあり得ません」
「そんなことっ」
「あるんですよ」
反論しようと口を開いた瞬間、即座に遮ってくるアネモネ。それは何も、私を痛ぶってやろうとか、見下しているとか、そんなこともない……ただただ、事実を伝えようとしている口ぶりで。
「例えば、いじめの件。貴女は私を虐める事実がないのだから疑われまいと安心なさっているようですが、別に証拠など後から幾らでも捏造できます。唯一現行犯故に捏造の効かない今回で私に疑いを向けられなかった時点で、貴女は負けているのです」
確かに、これ以外のいじめイベントは陰で行われ、ほとんど証拠も残らなかったものばかり。ゲームではそれでも小さな証拠の積み重ねで私に有罪を突きつけたけど、逆にいえば無数の小さな証拠など簡単に捏造できるだろう。
「例えば、王子への懇願。貴女は最悪王子に懇願すれば命だけは助かるのではと思っていませんか? ですが聖女に手を挙げた時点で死罪は妥当ですし、そもそも頼りの王子は激情派です。アレスターが愛する人を不当に傷つけられて自身の暗い衝動を御せるとはとても思えません」
確かに、学園編の王子はとても感情に囚われやすい男だ。だからこそ後編の成長が感動できる展開になるのだが、それは今期待できるものではない。
「例えば、学園からの逃亡。確かにそうすれば一時的に疑いを被ることは無くなるでしょうが、結局は無駄なことです。貴女が今回の件で逆上し、隠密部隊を私に遣わし虐めていたということにするだけですから。ああ、その偽装に協力してくれる隠密部隊役達は、既に確保済みです」
「………………そう」
思わず、私は押し黙ってしまった。
確かに、彼女の言う通り、この状況は殆ど詰みに近い。私に取れる手段では、限界があるらしい。
となれば、やはりこの最後の手段を───
そう、ぎゅっと右手を握りしめた、その時。
「最後に、その扇」
「…………あ?」
私の希望が、粉々に砕ける音がした。
だって、だってこれは……
「音集めの扇───確か、ヴァイス家秘蔵の魔道具、何でしたっけ? 勢いよく閉じると録音が可能な魔道具。それで今の私との会話を王子あたりに見せて、交渉の道具にするつもりだったんでしょうが……あまりにも考えが浅すぎます。ダメにきまってるでしょう、ファンブックに載っている物を転生者の前で使っても。とっくに無効化してますよ」
「!!」
顔面蒼白になって、扇を再び開く。
しかし、そこには本来あるべきはずの魔法紋様は現れておらず、その扇が起動していないことをしかと示していた。
「そんな、いつ…………!」
と、言うと同時に思い出す。
最初、私が詰め寄った時、彼女は俯いていたのではなかったか。私からも、顔が見えないくらいに。
あの時か、と私は直感した。
あの時、彼女は私が気づかぬうちにジャミング用の呪文を唱えていたに違いない。音集めの扇は繊細な魔道具。少し魔力を乱すだけですぐに止められてしまうのだ。
……そんなに最初から、彼女は私を追い詰めるために行動していたなんて。
衝撃から脚の力が抜け、思わず後ろに踏鞴を踏んでしまう。
正直、完敗だ。
私が用意していた策、思いつき、道具、その全てを完封された。
いや、私はあまり賢くないからもしかしたらまだ私が気づいていない選択肢があるのかもしれないけど、それだって彼女はもう対策してしまっているのだろう。
私のような貴族の皮を被っただけの凡人では、やはり本物の才媛には敵わないのだ。
「これで、分かっていただけましたか。貴女にはもはや希望などありません。故に、ここで死んでいただくことが、世界に対する『最善』なのです。
────何も、貴女の全てを奪おうというわけでもありません。最期の学園生活を思う存分に楽しんで、それから悔いなく死んでください。シナリオ通りに進める傍ら、その程度のことならいくらでもお手伝いしますから」
今までの冷たい態度を一変、優しく呼びかけるような声を出すアネモネ。後ろに下がった私に再び近づくと、今度は徐に手を差し出した。
じっと、私はその掌を眺めている。
確かに彼女ほどの人物であれば、本当にハッピーエンドの実現は可能なのだろう。そして、その後の世界もずっと幸せになるに違いない。
少なくとも、女王に相応しいのは私なんかより彼女の方だ。
瞼を閉じて、思い浮かべる。
全てが解決し、父さんも、母さんも、王子も。みんなが笑っている世界。犠牲を出しつつも、誰もが納得し、負った傷を癒していく世界。私のいない、幸福な世界。何一つ心配のない、完璧な───
……私のいない?
パン、と、乾いた音が廊下に響く。
はたかれた右手を見つめながら、アネモネは呟くようにいった。
「これは……何の真似ですか? イザベル=ヴァイス」
「ふん、アンタの手は取れないって言ってんのよ、偽物のアネモネ!」
今までの陰気を吹き飛ばすように、強く、高く、喉を鳴らす。
視線の先には、惑わぬ為に捉えた敵。
私はもう、覚悟を決めていた。
◇
「……行動の意味が理解できません。貴女が死ぬのが最善だということはもう説明したはずで───」
「だーかーらー! そんなこと私が知ったこっちゃないのよ! アンタほんっと典型的な官僚タイプよね」
「なっ、」
ピクリ、とアネモネの頬が動いた。
もしかして割と効いてる? 自分が絶対的に優勢だったはずなのに突然反撃されて、相手も意表をつかれてるのかもしれない。だとしたらザマァないわね。
「確かにアンタの話は筋が通ってる。……それに、そうしたくなる気持ちも共感できるわ」
……そう、ホント、気持ち『だけは』よく分かる。
だって、この子は私だから。
彼女もまた、知らない異世界に急に転生させられて、もしかしたら自分の命がかかってるかもしれなくて、それでつい、既存のシナリオに───いわば「べタ」に縋ってしまった人間。
何かが違えば、逆だったかもしれない二人。ある種の親近感みたいな物は、確かにある。
だけど。
だけれども。
最初にあんなことを言っといてなんだけど。
私は、その「ベタ」にだけは賛同してあげられない。
「私は、私の幸福のために生きている。私のいない世界の幸福なんて、何の意味もない! だから、アンタの計画になんか乗ってあげないわ!!」
「なっ……今、自分がいかに非道なことを話しているか分かってるんですか?」
「ええ分かってるわ。でも私は、悪役令嬢、なんでしょう? だったら、非道で結構だわ。私は私の幸せを何を犠牲にしても掴み取ってみせる!!!」
誰にも応援されない?
世界を危機に晒すかもしれない?
人間として最低の開き直り?
ふん、知ったこっちゃない! 承認欲求は生存欲求に先立たないのよ!
「別に構わないわよねぇ? だって私ってもう詰んでるらしいし、私が何したってアンタの計画にはなんの影響もないハズだもんねぇ??」
「…………成程、安い挑発です」
今まで以上に冷淡な声だった。
けれど、その声は明らかに「冷静」とは程遠いもので。
髪を掻き上げ晒されたその目は、確かに苛立ちに燃えていた。
「いいでしょう、そこまで言うなら乗ってあげます。精々最期まで足掻きなさい、イザベル=ヴァイス。私は何れにせよ通常通り、シナリオを完遂するだけです」
今までの会話で最も強い「圧」で、彼女はそう告げる。
思わず、頬に冷や汗が垂れた。
けれど、私はあくまで飄々とした態度を崩さない。
崩せば吞まれると知っているから、ただまっすぐにそこに立つ。
ふふ、こんな時でも姿勢が崩れないのは淑女教育の賜物ってやつかしら。
「それじゃあ勝負よ、聖女サマ。私はどんな手を使ってでも必ず生き残る。貴女の計画、ひっくり返してあげるわ」
堂々と宣言し、私はそのまま後ろへ振り返った。
もう、アネモネの方には一瞥もくれない。
窓からは強い日差し。
廊下はそれに照らされ、先の方までも明るく染まっている。
今、この瞬間。腑抜けた「転生者」としての私は消える。
そして、この世界を生きる人間として、改めて生まれ直すのだ。
罪悪感を投げ捨てて。
強い覚悟を胸に秘め。
もう、戻らなくていいように、力強く。
「悪役令嬢」としての最初の一歩を。
今。
踏みしめて。