3.
私が住まうこの国には、ヒト族の他に、獣人族が存在する。
比率としては圧倒的にヒト族の方が多いのだが、知力体力全てにおいて遥かに優れた獣人族が、ごく僅かながら共存している。のだそうだ。
私はきちんと学んだことが無いので世の中の事はよく判らないのだけれど、ここが大陸で、我が国も含めていくつもの国があり、ヒトだけの国もあれば、獣人だけの国もあると言うのは知っている。獣人族の人達がとても美しく、同朋を大切にする誇り高い種族だと言う事も。
彼らは、ひとくくりに獣人族と言われているけれども、実際には種族が幾つにも分かれていて、それぞれに固有の外見的な特徴だったり、性質的な特長があって、それらを活かす専門職に就くことが多いそうだ。とても能力が高いので、我が国ではほぼ全員が中央にて重用され、地位もうなぎ上り、らしい。
その地位と財だけでも大層だけれども、加えて彼らは男女を問わず非常に魅力的なので、まあモテる。らしい。引く手数多というか入れ食いというか、とにかく何か引き寄せ因子でも撒き散らしているかのように異性同性問わず惹きつけるらしいが、一度定めた伴侶を終生大事にするそうなので、そこもまた非常な魅力らしい。
だそうだ、とか、らしい、とばかり言うのは、私が未だかつて獣人族の方々にお目に掛かった事が無いからである。いや違うな、つい先日までは無かった。全て伝聞、しかもド田舎もド田舎、広さだけはある僻地の農村での無責任な噂話でしか存じ上げない、雲の上の人々に等しかったのだ。
それなのに。
「待ってたようレナータ!」
その禄でもない運命の日の数日前。
風邪が流行りだす前にと、咳止めや熱さまし、湿布用の練薬などを大量に背負って山から下りてきた私に向かって、転がるように万屋の孫息子が走って来た。
「旅のひとがさ、腰やっちゃって唸ってんの! 診てあげて」
「あらまあ」
こっちこっちと手を引かれて連れて行かれたのは村長の家で、成程、旅装束の女性が、お共に支えられた状態で、前庭のベンチにへたり込んでいる。
「こんにちは、ご様子を教えて頂けますか」
前に跪いて、女性の顔を覗き込む。身なりの良い、若くは無いけれども中年にはまだ少し間のある女性で、顔立ちも大変に整っているが、相当に傷むらしく、真っ白な顔で唇を噛み締めているのが気の毒だ。どうも声も出せないようで、脂汗を掻いて、連れの男性の手に縋り付いている。
「えーと、奥様ですかね、普段から腰痛持ちでいらっしゃる?」
仕方ないので旦那かなあと思われる男性に問いかけると、男性は、滅相もございません、と否定してから、困り果てたような顔をした。
「我が主でございます。お腰を傷めたことは初めてかと」
「えーと、歩き旅でいらっしゃる? それとも、何処かに馬車かなんか、乗り物が?」
「馬車でございますが、長旅故に、乗り物疲れもありまして、少々歩きたいとの仰せで降りました」
「成程。いきなり痛くなったようです?」
「ゆるりとお拾いになっておられたのですが、ごく小さな石を踏んで、よろめかれました。お支えしたのですが、それから暫くして、冷や汗をかかれるほどになってしまわれて。馬車は先に行かせてしまいましたし、立往生しておりました処、幸い、こちら様にお手助けを頂いてここまでお運びして参りました」
「判りました。多分ですけど、馬車で腰に負担が来てたところに、変な勢いで踏み外してギックリいっちゃった感じでしょうかね。湿布と痛み止めの薬湯はご用意できますけど、私は医師ではないんですよね、山に棲む薬師ですんで、それでも良ければですが」
お供は一瞬迷ったように目を泳がせたけれども、まあ当たり前の反応なので、私は大人しく彼の判断を待った。
だが、お供の決断は早かった。村長が、コレは若いですけど腕は確かで、と援護してくれたのが良かったのか、ご主人の苦しみようを見ていられなくなったのか、どっちもだろうけれども、それでは、と私はお供と協力して、ご主人を村長の家の中まで運び込んだ。
村長夫人にお願いして客間を借りて寝台を準備して貰い、相当に痛むだろう処を我慢して貰ってどうにかこうにか装束を剥がして横になって頂いて、お湯を貰ってお躰の清拭もして、さて、と私は両手を患部に当てて目を閉じた。
私は確かに医師ではないのだが、希代の薬師のスーパー弟子である。一子相伝の技とおバアが吹いた診立ての術は一通り修めている。痛み止めを処方するにあたって何が適切か、己の手を通して読むとでも言えば良いか、とにかくこうすると、何が必要か、何となく頭の中に処方が立ち上がってくるのである。
この場に手持ちの薬種で事足りることに安堵しつつ、結構な刺激臭の薬液を練り合わせ、お背中から腰に掛けてたっぷり塗って、やっこらと起き上がらせて晒しでぐるぐる巻く。とりあえず一番楽だと言う姿勢を取って休んでもらっている間に、台所を借りて痛み止めの薬湯を煎じて、取って返して飲んで頂く。
今夜は動かさない方が良かろうと、村長がこのままお泊めすると言う事なので、また明日来ますからお大事に、と客間を出た処でおろおろしていたお供に余分の薬湯の素を渡して煎じ方を説明し、私は万屋に荷を置きに行った。
翌日、山の我が家で夜なべして材料をかき集めて作った、おバア直伝の腰痛コルセットを携えて、私は再び村長の家を訪ねた。毎日この距離を往復するのは正直えらい負担だけれども、怪我人を放置するわけにはいかない。長年の山暮らしで健脚ではあるので、えっさほいさと山を下り、道々ついでに薬草を採ったりしつつ、昨日のご婦人を見舞ったのだが、驚いたことに一晩でだいぶ回復しておられた。
「薬師様のお陰をもちまして、主が今日は随分と楽だと申しております。出立も叶いそうで、まこと感謝に堪えません」
「それは良かったですけど、……もう起き上がれるって、凄いですね。ご主人さまは何か鍛錬でもなさっておいでで?」
しゃっきりとは流石にいかないものの、自力で歩いておられるのは相当だ。よほど体幹がしっかりしているのか、何か心得があるのか。上手いこと痛みを逃がして身動き出来る、そういう人は、武人とか、何かしら躰を鍛えている人であることが多い。……触れた感じでは、そこまで筋肉質では無かったのだが。
「我が主は、獣人の血を引いておられますので、御身の治りは早い方でごさいますが、それでも昨日のような状態から、一晩でここまでとは、長くお仕えしておりますけれども初めて見ましてございます。誠に失礼ながら、お見逸れ致しました」
「成程、これが噂の獣人族の回復力。こちらこそ感服いたしました。流石です。……コレ、要らなかったですかね」
ちょっと遠慮しつつおバア直伝コルセットを出しかけたら、それまでは村長夫人と談笑していたご婦人がバッと振り返ったので、私は思わず支えようと駆け寄り、手を伸ばしてしまった。そんな急に動くとまた行きますってばギックリと。
「薬師殿! 昨日はお礼も申し上げずに大変に失礼を致しました。お陰様で、今日はもう歩けますの。お若いのに大した腕で、まこと感服いたしました。有難うございました。……あら、それは何ですの、何やらわたくしの支えに良さそうな」
そう、伸ばした手に、コルセットを掴んでいたのである。間抜けな体勢で差し出してしまったそれを、ご婦人は目を輝かせて受け取って、というか捥ぎ取って、矯めつ眇めつしてから、ものすごく嬉しそうに腰に巻き付け始めたので、私は慌てて使い方を説明した。
「所謂、下着のコルセットとは違いまして、こう、この板たちがお腰をしっかと支えますので、そうしたらこの革ひもを下向きに、あ、締めすぎです」
立つときはこのくらい、座りっぱなしならこんな感じで、と一通りご説明したところ、満面の笑顔で私をハグしようとなさるので心底びっくりして硬直してしまった。
「このような素晴らしい補助具があれば、道中、安心です。本当に有難う、何度お礼を言っても足りません。お代は如何ほどなのかしら」
予備の痛み止めの薬湯も、と仰るので、それも含めてざっと計算して申し上げた処、安すぎると怒られてしまったが、お供が出そうとした金額は仰天もので、思い切り後退って遠慮した。いや、受け取れません、そんな額。私が万屋から受け取る半年分を優に超えてます。ダメ、大金過ぎて怖い。
ぷるぷる怯える私に苦笑して、お供はご婦人を振り返り、ご婦人は唇を尖らせて私を説得に掛かったけれど、いや、もの凄くお可愛らしいですけどね、受け取りませんよ絶対に。
暫しの押し問答の後、私が競り勝って、申し出たとおりの金額を押し頂いたのだが、ご婦人は大変にご納得が行っていないお顔で唇を尖らせたまま私の名を訊いてくるので、そういえば名乗ってなかった、と慌ててご挨拶を申し上げた。
「レナータ・アニェッリさん。……ずっとこちらにお住まい? 中央にご親族がいらっしゃるのかしら」
「いえいえ、私は捨て子で、幼い頃に師匠に拾われて修業を致しまして、先年、師の名跡を継ぎました。身よりは居ないです」
「そうなの…………」
何となく奥歯にものが挟まっておられるような、ちょっと不思議な感じがしたのだけれど、先を急ぐとのことで、ダニエラ・レンツォーリ様、というお名前を教えて下さると共に、小さな宝石のついたペンダントを押し付けるように下さって、お二人を迎えに来た、小型だけれども素敵に立派な馬車に乗って、また旅立って行った。
ペンダントは、小さいけれども精巧な作りで、ものを知らない私にも、かなりの値打ちものに見えた。濃いけれども透明度の高いきらきらした黄金色の宝石を、まろやかに艶のある小さな白い粒が取り囲んでいる。
山暮らしの身には勿体ないような美しいもので、とても迷ったけれども、他にこんな綺麗なものを知らないし、勿論、持ってもいなくて、私はその魅力には抗えなくて身に付けた。ただ、外からは見えないように、ブラウスの下に隠して。
身繕いの時に目に触れるたび、こそばゆいような、やっぱり身の丈に合わなくてソワソワするような、そんな気分になったけれど、どういう訳だか外したくはなくて、邪魔になるような大きさでもないのを良い事に、ずっと、それこそ肌身を離さなかった。そのくらい、気に入ったのだ。
これが、のちのち熊に目印を与える事になるなんて、この時の私が知る訳は無かった。




