2.
私、レナータ・アニェッリは天涯孤独の薬師である。たぶん二十二歳。何せ正確な誕生日が判らない。山でおバアに拾われた時、どうにか名前が言える程には口が回り、走れ、闇雲にそこら辺の物を口に入れないだけの知恵が回っていたから多分三歳くらいだろう、という実にいい加減なおバアの見立てで年齢が決まり、拾われたその日が誕生日になってから十九年経った、それだけの事である。
おバアが薬師だったので、私も薬師になった。ならざるを得なかったとも言う。おバア曰く、アルベルティーナ・アニェッリと言えば、先王陛下にも覚えが目出度い希代の薬師である、弟子となり名跡を継げることを五体投地で感謝せよとの弁だったが、それならば何故、私を拾った時には国の中央を遠く離れたド田舎の山中深くに庵を結んで侘び暮らしだったのか、ある日何の気なしに訊いてみたところ飯抜きの上にとんでもない処まで薬草摘みに行かされたので、以降はアンタッチャブルとして蓋をした。師の過去なんぞ、知らなくても弟子は務まる。
ただ、あんな山の中にしては文化的な魔道具が変に揃っていた事と、いま私が重宝している無暗に高性能なマジックバッグの存在を鑑みるに、先王陛下はフカシにしても、何処かの貴族のお抱えとかで高給取りだった可能性は高いと思う。今後の身の振り方の参考に、何をヘマして都落ちしたのか、やはり聞いておけば良かったかも知れない。酔うと口が軽くなる人だったし。
そんなアンタッチャブルな師匠との暮らしは三年前に終わりを迎えた。
たいそう扱き使われたしスパルタも良い処だったけれど、お陰で最後の方は麓の村に卸す調薬を全て肩代わりした上、おバアの看取りまでも何くれとなくこなせるほどのスーパー弟子に成っていたので、お互いに思い残すことのない別れだったと思う。
おバアは最後の最後まで憎まれ口を叩けるほどの高いプライドを保ったまま、せめて苦痛を和らげてやろうと私が流し込む薬湯を不味いと罵倒しながら、ゆっくり、ゆうっくりと弱っていって、ある日、私が水汲みに井戸端へ出た、その瞬間を狙って息を引き取るという離れ業をやってのけ、お陰で私は哀しいよりもある種の感動をもって彼女を葬ることが出来た。麓の村の村長と万屋の爺さんに師の最期を報告した時も、ふたりとも呆れたような哀しいような笑いたいような、何とも言えない顔で、らしいなあと言って、たくさん花をくれたものだ。
そんな自称希代の薬師の公認スーパー弟子だから、ひとりになっても、その後の生活に困ることは無かった。今まで通り、薬草を育てたり採りに行ったり、いつもの調薬をしたり、万屋の爺さんのリクエストに応じたり、新しい配合に挑戦してみたり、時間はいくらあっても足りないくらい、毎日が充実していた。山の中に女ひとりだと言うのを気にした村長が縁談を世話しようとしてくれたりもしたのだが、それは丁重にお断りして、代わりに犬でも飼おうかと思ったのだが、それも止めた。村の生活しか知らないけれど、見ている限り、犬も男も同じくらい手が掛かる。
そもそも、若い女ひとりと言っても、美人でもなく、育ちも悪いトリガラをわざわざ狙って、狩人だって二の足を踏むようなこんな山の中まで、誰が好き好んでという話である。村長、気を回しすぎ。村の女たちが十二分に可愛らしいのだから、男衆の需要は間に合っている筈である。
それで誰に気を遣う事も無い、呑気で気楽な独り暮らしを満喫して三年。
間違いなくこのままおバアが遺した山の庵で死ぬまで楽しく過ごしていくんだろうと信じていた私に、突如、馬鹿げた託宣が降りかかってきたから、住み慣れた我が家を棄てて逃げ惑う羽目になっているのだが、その託宣と言うのがもう本当にどうしようもないシロモノなのだった。