影遊び
影というモノは何とも不思議だ。自分と同じ動きをして、光の加減によって濃くなったり薄くなり、伸びたり縮んだり…
子供の頃はよく影遊びに興じたものだ。ある時、そんな影には厚さがあり質量すらあるということを知って益々大好きになった。下校途中、方向の関係もあって自分の前に影が現れる。友達と別れると影遊びに夢中になり、帰宅時間が遅くなってしまいよく怒られた。だが、ある日からそんなこともなくなった。あの日から…
夏の日の夕暮れ。真っ赤な太陽が背中を差し、首元がじわじわと日焼けしていっているのがわかるほどだ。でも、そんなことは関係ない。この、いつもより一層長く伸びた影が面白くてたまらない。自分が大人なったような感覚。どこまでも伸びる手でなんでも掴めそうな感覚。そして、いつもより長い手足と体は、いつもより一層くねくねと柔らかく不思議な動きに見えた。
ふと、あまりに夢中で影と戯れていたせいで知らない場所に来ていることに今さらながらに気付いた。
(しまった!とうとうやってしまった!)
と後悔。親にもよく怒られていた。いつか迷子になるぞ、と。辺りは既に暗くなりつつあり、電柱の○丁目という文字も見えにくくなっていた。不安が過る。しかし、下を見れば相変わらず影は長く伸びてくねくねと楽しそうに、まるで踊っているかのようで…
(え…? なんで影だけ勝手に動いて…? てか、こんなに暗くなってるのに…?)
背筋に悪寒が走る。30度越えの真夏日にも関わらず、寒くて震えが止まらなくなった。今までの楽しさが嘘のように消え失せ、逆に恐怖が支配する。そして、影はそれを喜ぶかのようにさらにくねくねと動き…
私は声も出さずに一目散に逃げ出した。影を見ないように、逆方向に走れば帰れると信じて。おそらくは夕陽だろうぼんやりとした光のある方に向かって。後ろは振り返らなかった。そんな余裕も勇気もなかった。走っている途中、後ろの自分の影が大きく伸びて世界を覆って、自分を、この世の全てを飲み込んでしまうという妄想に襲われた。声も涙も出なかった。
「あっ!?」
全力で走っていた私は、疲労の限界がきたのだろう。派手に転んで勢いよく滑り、あちこちひどく擦りむいてしまった。
「おい、大丈夫か!?」
聞き慣れた声がする。父だった。帰宅途中の父の姿は暑さと疲労でくたびれていたが、本当にヒーローに見えた。思わずその胸に飛び込んで抱きしめて、そして抱きしめられて。街灯に照らされた二人の影は小さく一つにまとまっていて、濃い黒だったが怖さは感じられず、むしろ父の影の中にあることで変な安心感があった。ただ、その安心感も間も無く消える。家の前に到着した時に、これから母の説教が待っているという別の恐怖がよみがえるのだから。ついでに父も、あちこち擦りむいて血だらけの私を抱きしめたせいでスーツがひどいことになり、同じく怒られてしまうのだった。
私は何も言わなかった。信じてもらえないだろうという気持ちもあったが、それ以上に話してはいけないことのような気がしたのだ。だから両親は知らないし気付いていない。だからあれが何だったのかは未だにわからない。ただ、私はあれ以来、夕方に一人で歩くことはしなくなった。それは今も続いている。
夕刻。逢魔が時とも呼ばれる時間。私が最も怖れる時間…