氷の意味
「ティリアちゃんは水人族…雷と氷が不得手の種族で氷の魔法を使いたいんですよね?」
「は、はい!」
ごつごつとした岩肌が剥き出しになった崖下…そこにルノアールとティリアの姿があった。
「わかりました。…準備をするので少々お待ちを」
「…?」
腰帯から扇子を抜き巫女服の袖で口元を隠しながら円を描く様に扇子を動かすと前方の地面に直径20m程の円形状の切り込みが入り、そのまま扇子を上に上げると中身を繰り抜く様に内側の地面が持ち上がり扇子を開くと持ち上がった地面がドーム状に広がり穴と二人を包み込み暗闇に変わる。
「すっ…すごい…」
「ふふ…一応空気が入る程度の隙間は開けているので窒息死はしないと思いますよ」
声が反響する暗闇の中でサラッと怖い事を言いつつ明かりになる光の球を空中に数個浮かべると開いた扇子を穴に向け、一瞬で穴の中に大量の水を注ぎこみ簡易的な池を作り出す。
「これで準備は整いました。ログハウスの前の湖は魚も居たので簡易的に池を作りましたが…一度ティリアちゃんの氷魔法を見せて頂いてもいいですか?」
「わっ…わかりました…」
黒百合をスカートのポケットから取り出し両手に嵌めたティリアは水面に触れ…
「……っぅ…」
「もうやめていいですよ」
「は、はい…」
水面を5m程凍らせるのと同時に両腕が二の腕辺りまで氷漬けになり激痛に表情を歪める。
「両腕を見せてもらっていいですか?」
「はい…っ…」
「…表面だけじゃなく骨まで凍ってますね…衝撃を加えたら砕けそう…」
ティリアの両腕を極力動かさない様に観察したルノアールが空間収納から虹色に輝く液体が入った華奢なガラス瓶を取り出し氷漬けの両腕に全部かけるとたちまち氷が溶けていく。
「っ!?な、何ですかそのポーション…?」
「これはアリアからもらった神雫のポーションと言ってアリアの回復魔法、癒女神の息吹と同等以上の効果を持つ回復薬です。癒女神の息吹は怪我や疲労の完全治癒はもちろん四肢を失った際、1時間以内なら元通りにしてしまう回復魔法の極致なのですが、この神雫のポーションは癒女神の息吹と同じ効果に合わせ、一年以内のありとあらゆる負傷、欠損、病気を完全に癒す回復薬でこの世界には存在しない物ですね」
「そ、そんな貴重な物を…」
「アリアは私達の国で神雫のポーションをベースとして30分以内であれば回復出来るポーションを大量に生産しているので問題はありませんよ。ただ…」
「!?」
神妙な面持ちで神雫のポーションが入っていた瓶を丁寧に布でくるんだルノアールは空間収納から神雫のポーションが大量に詰まった木箱を50個取り出した。
「量産品じゃないオリジナルの神雫のポーション一個100本…これが何を意味するかわかりますか?」
「っ…」
量産品は30分以内…オリジナルは一年以内…更に一年以内ならどんな負傷も治してしまう回復薬が5000本…それは氷を扱う為にティリアが今から払う代償であり地獄の時間だという事を悟ったティリアは息を飲む…。
「その表情…わかったようですね。これからティリアちゃんは種族的不利である氷に対して耐性を付ける為に氷魔法を使い続け、私の氷魔法で氷漬けにし続けます。きっとその過程で四肢が崩れる可能性もありますし、死ぬ可能性も十分にあります。なので量産品ではなくオリジナルが必要なのですが…私は正直、このポーションを使う程の授業をする必要があるのか疑問なのです」
「ぎ…疑問…ですか…?」
扇子で顔を半分隠しながらまるで獲物を捕らえる様な視線を向けてティリアに問う。
「…何故、そこまでして氷魔法に拘るのですか?」
「……」
「ティリアちゃんは水魔法が得意で、この世界を守り続ける勇者であるシルヴィアさんすら手も足も出させずに倒したんですよね?そのまま水魔法を極めた方がいいと思いますよ?」
「……それじゃ…ダメなんです…」
「ならその理由を聞かせてください。私の心証を良くする為に嘘偽りを言うのであればこのポーションを与える事は出来ません。正直にその理由を話してください」
「…わかり…ました」
ルノアールの視線に竦みながらもティリアは何故氷の魔法が使えるようになりたいのか…アリアにしか話していない目的の全てを語り始める…。
「…自分の手でお母様を助けたいんです…」
「…詳しく」
「は、はい…私の種族、水人族は女性ばかりが生まれる種族で男性がとても重宝される種族なのですが…お母様、アミュカはSランク冒険者という実力から国王であるオーバルセル・アトラスに目を付けられ男児を生む為に囚われてしまいました…その後、国王とお母様の間で生まれたのが私、ティリア・アトラスです…」
「続けてください」
「…私は一応、王女という立場ではありますが王女とは名ばかりで…国王には数え切れない程の妾がいて、更に数え切れられない程の王女がいます…あの国での王女という肩書は国王の血を引く管理番号の様な物なのです…そして子が産めなくなった妾は道具の様に捨てられ、王女の中で優秀な者がその妾の位置に宛がわれるのですが…私は生まれながら水人族や同性まで操れる強力な魔眼、魅惑の魔眼を有してしまった為、目を潰され…逃げられない様に足を切られ、助けを求められない様に舌を抜かれました…」
「…」
「そして、私という危険因子を増やさない為に自国で殺すと問題になるからと秘密裏に奴隷として他国に売られ、その危険因子を生み出したお母様を殺した…と思っていました」
水人族には水人族特有の血統魔法、精神支配は効かない…なのにその水人族すら、更には同性すら操れてしまうティリアがもし、アミュカと同じ様にこの国の在り方に疑問を持ち、反逆などされては太刀打ち出来ない…だから秘密裏に処理される自分が辿るはずだった運命…だが、それは違うとティリアは声に力を込めて言う。
「私はお母様の想い人であったウォルビスさんの手で奴隷になる前に救われました。そのウォルビスさんは私の身体を治す為にロストポーションを求め呪いにかかり…唯織さん達が助けてくれました。その後、私はアリア先生の力で救われました。上手く動かす事の出来ない足も、上手く物が見えないこの目も、上手く喋れない私のこの舌も、アリア先生とユリさんは付きっ切りで上手く扱えるまで面倒を見てくれました。…そして、私のお母様がまだ生きている事を教えてくれました。ユリさんが言うには今まで魔眼を持った子が生まれる事は無かった…今回は国家を揺るがしかねない魔眼を持った失敗作が生まれてしまったが、もしかしたら便利な魔眼を持つ子が生まれるかも知れない。もし、また魅惑の魔眼の様な物を持って生まれたのなら生まれた直後、発現した直後に処理をしてしまえば問題ないと進言した方が居たそうなんです。その進言のお陰でお母様は殺されずに済んだ様なんです。だから私は…子を産む道具の様に扱われているお母様を救い出したいんです」
「…なるほど、だから同族にあまり効果がない水魔法ではなく、救う際に戦闘が起こる事を加味して同族を殺せる氷の魔法が使いたいわけなんですね?」
「っ…はい」
「そうですか…」
泣き出しそうなティリアの顔…その表情を見たルノアールは小さく息を吐き捨て突き放す様にこう言った…。
「復讐がしたいと…そういうわけですね?」
「っ!?」
「救うと一口に言っても色々な方法があります。政治的に子を成す義務を失くし、穏便に救う事も出来ます。何故、水人族の間では女性ばかりが生まれるのか、その原因を解明して男性が今より生まれやすくなる道を付け救う方法だってあります。…なのに戦闘が起こる前提の救出劇なんて救出するには仕方ないと母を虐げた者達への殺傷を美談にする体のいい隠れ蓑…カモフラージュですよね?」
「……」
「まだ若くて囚われていたティリアちゃんにはそういう救い方を考える程の知識や見分が無い事も重々承知しています。私だってティリアちゃんと同じ歳の頃はそういう難しく考える前に力でどうにかするという事しか考えられませんでした。…ですが、アリアと一緒に国を運営するのにあたって何度も何度も頭を悩ませ何日も寝れない日を過ごすアリアの姿を見た事もあります。国王やそれを支える重鎮達がどの様な人物かわかりませんが国にもやむを得ない事情だってあるかもしれません。他国に助けを求めたくてもその助けを対価に国民に不利益な事が起きるかも知れません。…今ティリアちゃんがやろうとしている事は何でも力だけで解決しようとする盗賊や犯罪者、無法者と同じなんですよ。それでも力尽くでお母様を救うつもりですか?」
「っ…」
ただ苦しむ母を自分の手で救いたい、救った母と本来父になるはずだったウォルビスと三人で平和に暮らしたいだけ…でも力で救い出すやり方は間違えれば復讐にもなる…でも私に出来る事はそれしかない…そんな事も私には許されていないのか…ルノアールの言葉でティリアは溢れそうになる涙を拭おうとしたが…
「ティリアちゃん、貴女は一人じゃないんです」
「……え?」
それよりも先にルノアールが巫女服の袖で優しくティリアの涙を拭った。
「救い方がわからないのなら誰かと相談する。一人で出来ないのなら誰かに手伝ってもらう。それは決して悪い事ではありません。何故全部一人でどうにかしようとしてしまうのですか?」
「……」
こんな危ない事を手伝ってくれる人なんていない、誰にも迷惑を掛けたくない、だってこれは自分がしたい事だから自分で何とかしなくちゃいけない…そんな思いが湧き上がってくるティリア…。
「危ないから、迷惑かけたくないから、自分の事だから…ですか?」
「なっ…」
頭を優しく撫でられながら呟かれた言葉に小さく声を漏らすとルノアールはティリアを抱きしめ懐かしむ様な声色で語り出す。
「昔、私は人間じゃなかったんです」
「ど…どういう事…ですか…?」
「両親に捨てられて孤児として孤児院で暮らしていた時、魔法が使える事が分かって一緒に暮らしていた人達の為に一生懸命働いていたんですが、悪い貴族に孤児院を助けてやると言われたシスターは私をその悪い貴族に売ったんです。私はそれで孤児院が助かるならいいと思ってその貴族のお屋敷に行くと…魔道具や魔法陣を私の身体の中に埋め込んだりして人工的な勇者を作り上げようとしたんですよ」
「っ!?」
「それから度重なる実験によって瀕死になった私は失敗作だと言われてゴミ捨て場に捨てられ…私がこんな思いをした意味があったのか確かめる為に私を売った孤児院に向かったのですが…その孤児院は跡形も無く消え去っていました」
「…そんな……」
「それから私は自分が生まれてきた意味はあったのか…玩具の様な身体になったまま、人間じゃないまま、何にも成れず死んでしまうのか…そう思っていた時、アリアの仲間に拾われたんです。それから彼は私の事を何も聞かずに食事や綺麗な衣服、温かい寝床まで用意して育ててくれたのです。そしたら彼は私の髪の色と目の色を変え、別の国で普通の女の子の様に暮らせる様にして学校まで通わせてくれたのですが…入学する時のテストで私の身体は勇者になるべく色々弄られてしまったので魔法の威力がおかしくてですね?その国の勇者になってしまったんです。私からしたら勇者なんていう称号は呪いの様なもの…クラスの皆も私の事を勇者として持て囃しましたが私の身体は魔道具や魔法陣が埋められていてなんて言える訳も無く…そのまま誰にも話さず誰かが私の事を救ってくれないかとずっと灰色の生活を送っていました。…そしたら私の前に本物の勇者様が現れたんです」
「本物の勇者様…」
「本物の勇者様は私よりも身長が小さく、女の子と見間違うぐらいに可愛らしい顔をしているのに剣で魔法を斬ったりちょっとジャンプしただけで屋根の上に登ったりと凄くて…気付いたら灰色だった世界が色付いていて…私はその本物の勇者様に一目惚れしちゃったんです。それから色々あって私は勇者ではなくなり、その本物の勇者様が国からも勇者様と認められて色付いた世界で私は本当の友達…さっき一緒にいたフィーヤという友達が出来たのですが…私を失敗作として捨てた貴族が私を連れ帰りに来たんです。私は自分の身体の事を誰にも言っていない…だからティリアちゃんと同じ様に危ないから、迷惑を掛けたくないから、自分の事だからと遠ざけようとした結果…何も知らず私を助けようとしてくれたフィーヤを貴族は操り人形となった私の手で殺させました」
「っ…」
「その時、私は自分の事をフィーヤに話していれば、私の事を育ててくれた彼に話していれば、本物の勇者様に話していればこんな事にはならなかったのではと後悔しました。…まぁ、結局、私が話さなくても育ててくれた彼と本物の勇者様は私の身体の事を気付いていたみたいでフィーヤが死にかけているのを助け、私の事も助けてくれました。…でも、私の玩具の身体は貴族に無理やり操られてしまったせいで限界を迎え、通常の方法じゃ助からなくなり死んでしまうのですが…」
「…?」
そこまで話すとルノアールはティリアを離し、目線を合わせながら悲しそうに呟く…。
「本物の勇者はたった数日顔を合わせただけの失敗作の玩具だった私の事を自分が死んでしまう可能性があるにも関わらず、命がけでティリアちゃんを救った方法で私を救ってくれたのですがまだ魔王でも魔神でもなかった本物の勇者様はそれから一年…深い眠りについてしまったのです」
「…」
「…もし、私が話していればきっと私は貴族に連れ戻される事は無かったはずです。本物の勇者様が自分の命を賭ける事も、一年もの長い時間を眠る事も無かったはずなんです。全部一人で抱え込んでしまった所為で友達に、仲間に、最愛の人に迷惑をかけてしまったんです。…これが私の中に今でも残る後悔です」
「後悔…」
自分の中に棘として一生抜ける事の無い後悔を吐き出したルノアールは笑みを浮かべてティリアから距離を取り言う。
「今の話を聞いても尚、自分一人で何とかしたいと思うのであれば私はティリアちゃんが一人でもお母様を救える様に一国の王都であれば一撃で壊滅させられる氷魔法でも何でも教えてあげます。…ですが、話さなかった事でせっかく出来たお友達が、アリアが、ウォルビスさんが、救われたお母様がどんな気持ちになるのか、ティリアちゃんが一人で考えた方法で救った場合、どれだけの迷惑が皆にかかるか…それは覚悟しておいてください。そして、貴女は恵まれているという事を自覚してください」
「…」
木箱に腰を下ろし、扇子で顔を半分隠して見つめてくるルノアールをじっと見つめるティリア…。
(私が無理やりお母様を救い出したらアトラス海王国は血眼になってお母様を探す…そうなったらウォルビスさんにもこの国にも迷惑がかかる…それにこんな危ない事を知ったらきっとウォルビスさんは怒るしお母様も…唯織さん達も何で話してくれなかったのって……ルノアールさんの話…後悔…私は恵まれている…)
自分が考えた方法で救った場合、どれだけの人に迷惑をかけるのか…自分が誰にも話さなかったら唯織達にどんな思いをさせるのか…ルノアールの後悔を聞いた今、ティリアは…
「…ルノアールさん」
「何ですか?」
「…ルノアールさんの勇者様は…私の事も助けてくれますか…?」
「…きっとティリアちゃんだけではなく、自分の可愛い教え子達全員を助けてくれますよ。既にハプトセイル王国の国王と王妃にリーナちゃんの為だけに喧嘩を売ったと聞いた時は呆れましたが…きっと私の勇者様はティリアちゃんの為だけにアトラス海王国にも喧嘩を売ってくれます。きっとお友達も助けてくれますよ?」
「…迷惑だと…思われないですか…?」
「唯織君とシルヴィアちゃんとテッタ君辺りは助けると即答しそうですね。リーナちゃんとシャルちゃん、リーチェちゃんは王族、貴族という立ち位置できっと政治的な観点から力になってくれるでしょうし、私の勇者様ならもっと早く言いなさいよって呆れられるかも知れませんね?」
「そう…ですか…」
胸が温かくきゅっと締め付けられる感覚を覚えながら今まで言う事が出来なかった一言を涙と一緒に零す…。
「た…助けて…ください…」
「…わかりました、アリアにはそう伝えておきます。では…」
「…?」
ティリアの言葉に笑みを浮かべたルノアールは耳に手を当て何かを呟くと空間収納から白いマフラーを取り出しティリアの首に優しく巻き付けていく。
「アリアはティリアちゃんのその言葉をずっと待っていたそうです。だからもう氷魔法を無理に練習する必要はありません。氷に対して耐性のあるこのマフラーを付けながらゆっくりと、同族を殺す為ではなく…仲間を守る為の氷魔法を練習しましょう。…いいですね?」
「………はい…っ」
やっと自分が抱えていた重荷が下りたのか…ティリアは巻いてもらったマフラーの温かさを感じながら顔を隠して静かに泣き崩れた…。




