天使の話
「え、えっと…これはどういう状況ですの…?」
「ふふふ、甘えていいんですよ?」
「…」
夏の花が咲き誇る花畑…そこにはサリィの膝を枕に寝転び頭を撫でられているリーナの姿があった。
「あの…魔法の授業は…?」
「そんなに焦っても仕方ありませんよ?一度背負っている物や悩んでいる事を下ろして忘れて…こうして自然を感じる事も大事なんです」
「は、はぁ…そうなんですのね…」
アリアの仲間とは到底思えない異質な性格…アリアが腹黒魔王ならサリィは聖母、聖女という言葉が似合う温厚な人だと感じながらされるがまま頭を撫でられていると、サリィの胸で出来た日影が太陽の動きに合わせて動くと眩しい日差しがリーナの目を照らした。
「うっ…眩しいですわ…」
「あらあら…ならこれでどうですか?」
「あ…眩しくありませっ!?んっ!?」
手で日影を作らなくても眩しくなくなった事で手を退けたリーナの目には純白で穢れが一切ない白い羽と頭の上に光の輪を浮かばせ髪色も交じっていた茶色は無く、自分と同じ金糸の髪となったサリィが映り驚きのあまり身体を跳ね上げるとサリィの胸に顔が押し返されてまた膝へと頭が戻される。
「え…え?て、天使様…?」
「そうですよ。でも珍しくないでしょう?アリアさんの方が珍しいですから」
「め、珍しい珍しくないじゃないと思うんですの…」
「ふふふ。……――――♪」
「あ…この歌…」
頭を撫でたまま口ずさむサリィの歌…その歌は前に一度、アリアがお風呂場で歌っていた歌だった。
「何時までも私は見守る――――愛してる――――………どうですか?一応国では天空の歌姫と言われているので下手ではないと思いますが」
「…素晴らしいですわ」
「ふふふ、気に入ったのならよかったです。この歌は離れ離れになっても見守り愛し続ける気持ちを元に作られたんですよ?」
「…サリィさんが作ったんですの?」
「いいえ?この歌はアリアさんが作ったんですよ」
「そ、そうなんですの…?あまりイメージが湧きませんわ…」
「他にも様々な歌をアリアさんは作っていて、国の建国祭では可愛らしい格好をして国民の前で踊ったり歌ったりする魔王様で皆さんから愛されているんですよ?」
「…ますますイメージが湧きませんわ…」
「でもこの歌がリーナちゃん達の為に作られた歌である事はわかるでしょう?」
「それは…はい…」
暑い日差しの中でも暑くない様に天使の羽を羽ばたかせてリーナに風を送るサリィはリーナに問う。
「リーナちゃん?アリアさんはどんな人だと思いますか?」
「唐突ですわね…」
「アリアさんに対しての憧れが人一倍強い様に感じたので聞いて見たのですが、言いたくありませんか?」
「……優しくて厳しくて…誰にでも慕われる程のカリスマを秘め、何もかもを意のままに操る全能者…でしょうか?」
「そうですか…やはりそういう風に見えるんですね」
「…?」
目を細め、少し憂いを秘めた声色のサリィに疑問を浮かべるリーナだったがサリィはそのまま自分から見たアリアの姿を呟く。
「私の中のアリアさんは物語や言い伝えに登場する天使よりも天使で悪魔より悪魔。勇者より勇者で魔王より魔王。そしていつも仲間に囲まれてニコニコして本当に幸せそうにしてます。…なのに臆病で心配性で不器用で…触れたら壊れてしまう繊細で緻密な硝子細工、息を吹きかけたら途切れてしまう蜘蛛の糸の様に酷く脆くて酷く不安定で…一人では何も出来ない、誰かの為じゃないと何も出来ない、誰も力じゃ勝てない程強いのにいつも何かに怯え続け心は些細な事で壊れてしまう誰よりも弱いアンバランスな人なんです」
「…え?」
自分の中のアリア、サリィの中のアリアが完全に正反対…それよりも全く別人の事を言っている様にも感じる感想の違いにリーナは目を丸くし言葉を漏らした…。
「リーナちゃんはアリアさんが自分の為に何かをした所を見た事がありますか?」
「自分の為…」
「ほんの小さな事でもいいですよ?例えば飲み物が飲みたい、あの食べ物が食べたい、こういう場所に行きたいとか」
「それは…先生という立場ですし生徒に言わないものでは…?」
「ふふ、確かにそうですね?先生と生徒…お互いの立場というのはあると思いますが、アリアさんは本当に先生としてリーナちゃんの事を一生徒としてしか見てませんでしたか?」
「っ…」
サリィに言われて気付くアリアにしてもらった事の数々、明らかに先生と生徒という関係性を超えた以上の事…自分の為だけにハプトセイル王国どころか国家転覆を目論んだ人物として全ての国を敵に回しかねない事だって平然としてくれたのにも関わらず、何故自分は先生だからと考えていたのか…そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡っていく…。
「生徒として見る以前にアリアさんはリーナちゃんを生徒ではなくリーナちゃん個人として見てたはずです。実際にそうしていると聞いたわけではありませんが、アリアさんなら絶対にそうするはずですから」
「そうですわね…本当にわたくしの事だけではなくクラスの皆を見てくれてますわ…それなのにわたくしは…アリア先生が語ってくれた事しか知りませんわ…」
「…でもそれがアリアさんにとって当たり前なんです。死なない程度にご飯を食べて飲み物を飲むだけで自分の事なんてどうでもいい…自分の事を支えてくれる仲間の為なら文字通り何でもする…唯一自分の為にする事と言ったら自分がボロボロになって死にそうになっても大事な守りたいものを守り抜いて守り抜いて守り抜くだけ…その大事なものに自分は含めない…全ては仲間の為。そういう人なんですよ…」
「……」
悲しそうに呟くサリィの表情は今にも泣き出しそうなのを堪えて笑みを浮かべているからかとても痛々しく思えたリーナは…
「何で…どうしてそんな損な生き方を…?」
「…」
そう呟いてしまった…。
「…ふふ…駄洒落ですか?」
「え?…っ!?ち、違いますわよ!!」
「…ふふふ、リーナちゃんは意外と面白い事言うんですね?」
「だから違いますわ!!」
リーナの意図しない駄洒落に思わず笑ったサリィは目の端に浮かんだ涙を指で拭い呟く。
「ごめんなさいね?それはリーナちゃんから直接アリアさんに聞いた方がいいですよ?私はただ私の中にアリアさんを語っただけで自分自身はどう考えているかわかりませんからね」
「…そうですわね…そうしますわ。…答えてくれるとは思いませんけども…」
「誠実には誠実を返し嘲りには嘲りを返す…だからリーナちゃんが誠実に聞けばアリアさんはきっと答えてくれますよ」
「…ですわね」
膝の上で表情を暗くするリーナに微笑むとサリィは頭を優しく撫でつけ…
「ふふ……では笑わせてくれたお礼に少しだけ昔話をしてあげましょうか」
「笑わせるつもりは全くありませんでしたが昔話ですの…?」
「ええ、羽を失った天使を救ったアリアさんのお話です。…聞きますか?」
「…聞きますわ」
「わかりました。では…」
そう呟くと寝付けない子供の為に子守唄を歌う母の様に語り始める。
「昔々、空高く浮かぶ雲の楽園に歌がとっても大好きなサウリフィスととっても真面目なアルマロスという天使達が真っ白で綺麗な翼を持つ人々、天使の使いと呼ばれる翼人族の方々と幸せに暮らしていました。天使達は己を創り出した主神の言いつけ、翼人達を見守ってくれという一言を盲目的に信じていた時…アルマロスが疑問を持ちました。我らを創り出した神は何故姿を見せぬのか…その疑問は次第に真面目なアルマロスを答えの無い迷路に誘い、いつも怖い顔をする様になってしまいました。サウリフィスはそんな彼を見て少しでもその迷いを軽くする為に歌を届けましたが彼の苦悩の前では言葉遊びだったのでしょう…お前はお気楽だな。我らの主神が姿を隠してしまった今、我々は何の為に生きている?我々は主神に捨てられてしまったのじゃないのか…と。それからアルマロスは翼人族の為に歌を歌うサウリフィスから距離を取り、一人でいる事が多くなっていきましたが…その時、アルマロスに神からの啓示が下りました」
「神からの啓示…それはアリア先生ですの?」
「いいえ。とっても悪い邪神…ケルヌンノスという邪神がアルマロスに語り掛けていたのです。そしてアルマロスはケルヌンノスの強大な力を心酔し、ケルヌンノスが言った魔王復活を果たす為に堕天使として下界へ降りてしまいました。普段の彼であれば明らかにおかしい事は気付いたのでしょうが既に彼は正気ではありませんでした…きっと藁にも縋る思いでケルヌンノスが神だと信じたのでしょう」
「今まで心の拠り所にしてきたものが突然無くなれば縋ってしまうのも頷けてしまいますわね…」
「ええ。…サウリフィスはそんなアルマロスをどうにかしないとと思い、翼人族の方々にもう天使に縛られずに自由に生きて欲しいと伝えて主神の言いつけを破りサウリフィスも地上へ向かってしまいました…翼人族の方々がどれほど天使達の事を慕い、心の拠り所にしていたのかも知らずに。そしてサウリフィスは地上に降りた瞬間、きっと言いつけを破った天罰が下ったのでしょう…天使の力を失い、ただの人間になってしまいました」
「……」
「それでもサウリフィスはどうにかしないといけないという一心でアルマロスが魔王復活を企てている国でその機会を伺っていたのですが…その国ではバルドス神聖帝国みたいに人間至上主義を掲げていたのです。その理由は魔王を復活させるには国一つ単位の生贄、もしくは全種族の生贄が必要だったのです。全種族が集まらなくても国を丸ごとに生贄に捧げる事も出来ますし、全種族が集まれば余った人間を兵士として他国に攻め入る事も出来る…どっちに転んでも大丈夫な程、魔王復活の手筈は整ってしまっていたのです」
「その魔王は…アリア先生なんですの?」
「それもいいえです。…実は200年前から既に魔王は誕生しており、とある国の教皇として異世界から勇者を召喚しては殺し、自分の力を蓄え続けていたのです。なのでアルマロスはケルヌンノスに騙されアリアさんの力量を測る駒として使われていたのです」
「なっ…」
「そうとも知らずにアルマロスはただ盲目的にケルヌンノスの言う事を聞いていた時…サウリフィスは人間の身で迫害される異種族の孤児達を見捨てる事が出来ずに匿う為の孤児院を作り、親を失った子達を保護していたのですが…ゴミ捨て場で綺麗な水色の髪と狐耳を持つ男の子、ウィール君と出会ったのです。質素という言葉が豪華だと思える程に逼迫していた孤児院ですが見捨てる事が出来ず孤児院にウィール君を向か入れた時、国の兵士にその場を見られてしまいサウリフィスとウィール君はその兵士の手によって痛めつけられ…痛みを堪え切れなかったサウリフィスは悲痛な声を上げてしまったのです」
「…」
「そんな悲しそうな顔をしないでください。悲痛な声を上げたサウリフィスはそれでもウィール君を庇う様に何度も兵士が振り下ろす足をその身で受けていた時…髪の色が左右で違う真っ黒な聖女様が現れたのです」
「…今度こそアリア先生ですのね」
「ええ。その時のアリアさんはサウリフィスとウィール君の姿を見て静かに激怒していた様ですが声色は優しく、酷い怪我を一瞬で癒した後、サウリフィス達を痛めつけていた兵士と姿を消し…今度は一人でまた姿を現しました。その後、アリアさんはサウリフィス達の為に清潔な衣類や食べきれない程の食料を何も無い所から取り出して水を食べていた子供達に与えるとサウリフィス達の置かれている状況に涙を流し…見ず知らずのサウリフィス達の為にこの国を変えると一言残してまた姿を消しました」
「凄いですわね…」
「ふふ…それから数日後、夜中に王城から心地のいい鐘の音と見ているだけで心が洗われていく様な白い光が立ち上り…その日の朝、アリアさんは背中に六枚の天使の羽を生やした姿で空中に現れ、今まで女王は幽閉されており、魔族が女王に成りすまして魔王復活の儀式を行おうとしていた…それを阻止しようと女王は祈りを捧げ続け、遂に熾天使である私が助けに来たと。それから女王は水色の綺麗な髪に狐耳を国民へ晒し、彼女が本物の女王だと信じさせたった数日で国を変えてしまったのです」
「水色…もしかしてウィール君は王子だったんですの…?」
「そうです。女王、アイシャ・フォン・セルベレス・アクエリア様の実の子、ウィール・フォン・セルベレス・アクエリア様だったのです。それからは魔族アルマロスのせいで迫害してしまっていた他種族の方々ともアリアさんのお陰で仲良くなったのです」
「…本当におとぎ話みたいな出来事ですわね…でもサリィさ…サウリフィスはまだ天使に戻れてないんですの?」
「サウリフィスがその後どうなったのか…気になりますか?」
「ええ…」
「ふふ…サウリフィスはその後、何もかもが平和に変わった国で一人の冒険者の方と孤児院を運営する事になったのです。そしていつの間にかアリアさんは勇者となり、200年前から生きていた魔王を討ち果たし…魔王の種子なる物を植えられ勇者から魔王になってしまいました。魔王を倒した事に沸いていた世界は一気に新たな魔王になったアリアさんを殺した方がいいと言い始めたのです」
「…民衆の声はわかりますが事情を知ってる側としては歯痒いですわね…」
「そうですね。ですがアリアさんはそんな声にめげず、優しい魔王になると、魔族を含めた全ての種族が平和に暮らせる国を創り出すと世界に宣言し、異世界の知識を全て使って世界の暮らしをより良い物に変えていき信頼を勝ち取っていきました。手始めに魔王との激闘によって深刻な被害を受けた国をたった一ヶ月で復興させ、次に地下深くに存在した魔族の国をその国の掟、弱肉強食の掟に倣い武力で勝ち取り、その次に仲間がお世話になった翼人族の住む雲の上の楽園…天使が居なくなってしまった事で荒廃してしまい、絶滅寸前のクラウディアパレスをどうにかしようとしたのです」
「凄いという言葉しか出てきませんわ…」
「本当に凄いという言葉しか出てきませんね。天使に見捨てられた翼人族の方々を纏め上げ、一つの国として創り上げ…サウリフィスは復興したクラウディアパレスに招待され、そこで初めてアリアさんに自分が天使なのだと打ち明けました。そしてその後、アリアさんは魔王として全種族が幸せに暮らせる国を創り上げ、サウリフィスはクラウディアパレスで翼人族の方々への贖罪の為に毎日毎日喉が壊れるまで歌い続け、もう一度過ごす事になりましたがそれでも天使の力は戻りませんでした」
「戻らなかったんですのね…」
「ええ…ですがアリアさんにサウリフィスはこう言われたのです。『贖罪は罪を犯して傷つけてしまった人達にする事によって相手に赦され始めて成立する事だ。サウリフィスの贖罪の対象は今何処にいる?』と。当然サウリフィスは『亡くなってしまった翼人族と今を生きる翼人族の方々です』と答えましたがアリアさんは『なら生きている翼人族達はサウリフィスの事を今も咎めているの?』と。サウリフィスは『いいえ、でも、私のせいで亡くなってしまった翼人族の方々はきっと私を恨んでいます』と後ろ向きな答えしか出せませんでした…が、アリアさんは『ならその罪を私に預ければいい。この世のありとあらゆる悪は私が背負うと決めたんだ。だからサウリフィスは前を向いて贖罪の気持ちを込めて歌うんじゃなく、これからの為に歌うんだ』『あの時からサウリフィスの過去の罪はもう私の物だ。サウリフィス自身がサウリフィスを赦してあげてもういいんだよ』と。そして世界で一番サウリフィスを恨んでいたサウリフィスはようやく自分を赦す事が出来てサウリフィスを恨むものが居なくなったおかげで天使へと戻り、一生この方の為に仕えようと決意したのでした」
「サリィさんは二度も国単位でアリア先生に助けられたんですのね…」
「救われたのはサウリフィスで、私じゃないですよ?」
「そ、そうでしたわね…」
機嫌良さそうに羽を羽ばたかせるサリィに苦笑したリーナは本当に守りたいものの為なら何でもしてしまう…全ては仲間の為…それが嘘偽りがない事に驚きながらもそれから二人は何気ない会話を交わし、サリィの用意したお昼ご飯を一緒に食べたり穏やかな時間を過ごしているといつの間にか太陽の日差しが弱くなり夕焼けの時間が訪れる。
「いい感じに暗くなってきましたし…そろそろ魔法の練習でも始めましょうか?」
「あ…すっかり忘れていましたわ…」
「ふふ、ちゃんとリラックス出来たようですね」
サリィと一緒に居るだけで流石は天使と言いたくなる程の安心感と多幸感を感じていたリーナは本来の目的を思い出して後ろ髪を引かれる思いでサリィの膝から頭を退かす。
「さて…アリアさんから聞いていますが、リーナちゃんは光の魔法で必殺技を作りたいんですよね?」
「…アリア先生に教えていないはずなのに何故アリア先生が知っているのかはもうどうでもいいですわ…えっと…わたくしは赤、青、緑、水、白の魔色なので光の魔法で何か考えているのですがあまりイメージが湧かず…」
「なるほど…他の属性は使わないんですか?」
「一応組み合わせとして赤と緑…火と風で火災旋風、火と水で水蒸気爆発、水と風で吹雪とかは思いついたのですが光だけはどう扱うか思い浮かばなかったのでこの際にと思いましたの」
「そうなんですね…ふむふむ…」
「そうなんですの…ん~…」
頬に手を当て小首を傾げるサリィと腕を組みながら小首を傾げるリーナ…その時、リーナはサリィのある部分に釘付けになり…呟く。
「…わたくしも天使になってみたいですわ」
「あら…じゃあそれでいきましょうか」
「え…?」
「ふふ…」
そして二人の必殺技開発は遅れながらも始まった…。




