邪道と正道
「んっ……朝か…って、またシルヴィかな…」
カーテンに遮られた窓から零れる朝日で目を覚ました唯織は自分とは違う膨らみを見つけ、シルヴィアが服を着ている事を確認してカーテンを捲るとすごい速度で流れていく森の景色を目の当たりにする。
「…え?馬車が動いてる…?…アリア先生は本当にすごいなぁ…」
動いているのにも関わらず一切の振動も寄こさない馬車に驚きつつもササっと身支度を整えて自分の寝室を出るとそこには淹れたてなのか湯気が立つ紅茶にサンドイッチがテーブルに人数分置かれ、誰の姿も見当たらなかった。
「朝食が用意されてて誰もいないという事はまだみんな寝ててアリア先生が馬車を動かしてるのか…」
昨日外に出ると言ってから姿を見せなかったアリアが律儀に用意してくれたのだと思うと思わず笑みが零れ、自分用に用意されたサンドイッチを手に取り御者台へと続く扉に手をかけ開くと…
「あら唯織?早いわね?」
「おひゃひょうっしゅ!」
「お、おはようございます…」
真っ白の炎と真っ黒の炎に包まれた馬を操る軍服姿のアリアの背から覆い被さる様に首筋に噛みついている軍服姿のユリがいた。
「後もう少しでティリアちゃんの村に着くわよ」
「え?でもティリアさんの村…依頼書にあった村って王都から3日ぐらいかかる程かなり遠かったですよね…?それにこの馬は…」
「…ぷはっ!ご馳走様っす!あの後みんなが寝た時に移動し始めたんすよ。この馬はアリアっちの馬で白炎馬と黒炎馬っす」
「夜通し走ってたんですか…白炎馬と黒炎馬…見た事ないですけど魔獣とかですか…?」
「んー…この子達は魔獣でも動物でもないわ。…何て言えばいいのかしら…同じ馬は一頭もいない唯一馬って言うか…幻獣…?なんていえばいいのかしらねほんと…」
「あはは…それよりこんな速度で走ってますけど風が全く感じられないのは…?」
「風の魔法で風を逸らしてるのよ」
「なるほど…隣、いいですか?」
「…?別にいいわよ?」
「あたしはアリアっちの後ろっすー!」
何故隣に座るのかわからないアリアは首を傾げるが唯織はそんな事を気にせずに腰を掛け…ポツリ呟く。
「…アリア先生ならティリアさんの体…治せますよね?」
「…まぁ、ぶっちゃけるなら治せるわね」
「ティリアさんのお兄さんの呪いも…解けますよね?」
「…そうね」
「なら………僕の奴隷契約は…どう…ですか…?」
「……」
自分の腹をきつくきつくきつく…まるで腹の肉を抉り取らんばかりに握りしめる唯織の表情はまるで縋る様な表情をしてたがアリアは目を閉じ小さく息を吐く。
「奴隷契約に関しては私も調べていたのだけれど…唯織は奴隷契約について何処まで知ってるのかしら?」
「…奴隷契約は奴隷とする相手の体に主人となる人間の血を混ぜた奴隷印を刻み付けて主人の命令に対して絶対服従…命令に背けば死に等しい激痛と思考操作…人を主人の所有物とする人間だけが扱える血統魔法…です」
「そうね。…ならどうやって絶対服従や激痛、思考操作をすると思うかしら?」
「それは血統魔法で『違うわ』…?」
「私が聞いているのは方法ではなく原理よ」
「方法ではなく原理…呪い…でしょうか」
「…だから私に奴隷契約を解除出来るかどうか聞いてきたわけね」
「はい…」
「その答えについては無理よ」
「っ…魔王様…魔神様でも…ですか…?」
「…その呼び方をするって事はこの世界の理を超えた方法でなら何かあるかもしれないって言いたいのね?」
「…」
「そういう事なら出来るわよ」
「っ!?な、なら『ただし』…?」
「確実に唯織は死ぬわよ」
「…え…?死…?」
奴隷契約の解除条件が自分の死だというアリアの言葉に耳を疑った唯織はアリアの続きの言葉に耳を傾ける。
「奴隷契約は簡単に言えば魂の書き換え。唯織という魂に無理やり主人となった人間を刻み込む魔法なのよ。だからもし私が無理やり解除するのならその奴隷契約が刻まれてから今この瞬間までの全てを消し去る必要があるの。…言わば記憶、今までの唯織という存在を完全に消し去る必要があるわ」
「僕の…今までの記憶…存在を消し去る…」
「正直記憶どころじゃないわ。唯織の魂を切り取るんだから寿命も減るし切り取った事でどんな副作用が出るかなんてわからない…今と同じ様にまた人格が形成されるかすらも保証出来ない。…もし、同じような人格が形成されたとして本当にそれは由比ヶ浜 唯織と言えるのかしら?」
「……」
「親に売られ奴隷として過ごした記憶、スラムに捨てられ詩織に拾われ名前をもらった記憶、詩織と一緒に過ごして魔法や世界の理を教えてもらった記憶、学園でテッタ達と出会い友達になった記憶、テッタ達と訓練した記憶、寮で一緒に生活した記憶、今日ここでこうしている記憶…これは忘れたくても忘れられないもう二度と経験出来ない記憶よ。それを切り取って同じ経験を出来ないのであれば同じ人格に形成されてもそれは由比ヶ浜 唯織ではなく別人よ」
「別人…」
「それでもやりたいならもう一度同じ話を私にしなさい。今の唯織を認めて好いてくれている皆に別れを告げてからね」
「はい……わかりました……」
今の環境、初めて出来た友達、友達と過ごした記憶や詩織と一緒に過ごした幸せの全てが無くなると言われた唯織は爪が食い込んで血が滲む腹から手を退けて中に戻ろうとするが…
「…まだ話は終わってないわよ唯織」
「…え?」
「とりあえずもう一度座りなさい」
「…はい」
話は終わってないと呼び止められもう一度座るとパチンと指の鳴らす音が響き自分で付けた傷も痛みも服に滲んだ血も跡形も無く消える。
「…服まで戻ってる…?これも回復魔法…なんですか?」
「違うわよ。時間を巻き戻したのよ」
「じ、時間を巻き戻した…!?」
「前に私の仲間に女神がいるって言ったでしょう?…まぁ、嫁なんだけれどその女神が時と空間、人の繋がりを司る女神なのよ。私はその女神に召喚されて別の世界に来たわけ。…で、色々あってその女神の眷属になって左眼に時を操る力を授かったのよ」
そう言ってアリアが意識を集中させると時計の様な模様が左の赤い瞳に浮かびうっすらと秒針が動いている様に感じた唯織は乾いた笑いを零す。
「もう…滅茶苦茶ですね…」
「そうねぇ…さっき言っていた魂を切り取ってって言う解除の仕方は私の女神の権能である左眼の力と私の魔王としての権能を合わせた方法なの。邪道も邪道…だから正攻法で奴隷契約を解除する方法を伝えるわ」
「正攻法…?ど、奴隷契約を解除する方法がわかるんですか!?」
「ええ、ユリが調べてくれたわ」
「っすー!あたしが調べたっす!」
「ど、どうやって…!?奴隷契約の血統魔法は一切情報が無いのに…!」
「あたしは血を操る吸血鬼とサキュバスのハーフっすよ?んなの朝飯前っすよ!」
ずっと黙って話を聞いていたユリは自分の番だと言わんばかりに豊満な胸を張って叩くとアリアの肩に顎を乗せて話し始める。
「奴隷契約を解除する方法は何種類かあるんっすけど、一つ目は奴隷契約に使用された唯織っちの血と血統魔法を使った奴、唯織っちを買ったクソ貴族三名の血が混ざったインクで書かれた契約書を燃やす事っす」
「契約書…」
「二つ目は血統魔法を使った奴と唯織っちを買ったクソ貴族から契約を破棄すると言わせる事っす」
「契約破棄を宣言…」
「三つ目っすけど簡単な事っす。血統魔法を使った奴とクソ貴族を殺す事っすね」
「殺す…」
「まぁ…ぶっちゃけ二つ目と三つ目は無理っすね。絶対服従を刻まれてるんで。だから契約書を燃やすのが一番希望あるっすけど…テッタっち達に奴隷商とクソ貴族殺してって頼むっすか?」
「それは…絶対にしません…」
「んじゃ詩織っちとかあたしらに頼むっすか?」
「…師匠にもアリア先生にもユリさんにも頼みません。正攻法で解く方法がどれだけ調べても分からなかったので今回頼りましたが正攻法があるなら自分一人でどうにかします…それに僕の復讐対象が一人増えただけですので…」
「…ふーん、そっすか。唯織っちのやりたい事は復讐なんすね?可愛い顔して意外とえげついっすねー」
「あ…れ?アリア先生から聞いていたんじゃ…?」
「私はユリにもランにもムゥやファフにだって唯織の秘密は話してないわよ」
「っすねー。奴隷に堕とす血統魔法について調べておいてしか言われてなかったっすね。今ここで話を聞いてて唯織っちの事だったんすかって驚いて無言だったっす」
「そうだったんですか…」
「私はちゃんと約束を守ってたわよ?まさか唯織からこの状況でその話をされるとは思わなかったからユリに席を外すよう言い忘れたけれどね」
「あはは…あ、ありがとうございます」
「別にいいわよ」
自分のうっかりで秘密を漏らしてしまった事に肩を落とした唯織はぐしゃぐしゃにしてしまったサンドイッチを食べようとすると口に運ぶ前に元の綺麗なサンドイッチに戻ってる事にお礼を告げる。
「さてと…話したい事は話し終えたかしら?」
「…はい、相談に乗ってもらってありがとうございます」
「わかったわ。そろそろティリアちゃんの村、セグリム村に着くからみんなを起こして朝食を食べさせておいてちょうだい」
「わかりました」
そう言うと唯織はサンドイッチを食べ終えすぐに馬車の中へと戻っていき…
「…魔王様なら復讐とか止めそうっすけど、止めないんっすね?」
「…止めたいけれどそれは同じ気持ちを持つ人がするべきだわ。私は唯織の様な凄惨な過去は持ち合わせて無いもの。もし自分が逆の立場なら何も知らないくせに知った様な口を聞くなって言ってるわ」
「…それもそっすねぇ。あたしでもそう言うっす」
「だから私は唯織がしたい様にさせてあげるわ。詩織のようにね」
「そっすか。…唯織っちは復讐を遂げたら何を生き甲斐にするんっすかねぇ…」
「それこそ詩織やテッタ達の出番よ」
「っすねぇ…」
アリアとユリはようやく見えてきた村を悲し気に見つめるのだった…。