一滴の血
「よーし、ここで野営するわよー。テッタ、凄く助かったわ」
「はい!馬車を引いてくれてありがとうね?」
片側は草原、もう片側は森になっている舗装されていない道に出来た轍に沿うように馬車をテッタの血統魔法で命を吹き込んだ土の馬はテッタの声に音の無い嘶きを返すとボロボロとその体を元の土へと変えていく。
「さて…ユリ?お願いしていいかしら?」
「りょーかいっす!」
御者台からアリアが呼びかけるとユリは元気のいい声を上げて森の中へと入っていくが…幌張りの馬車の中からユリの元気な声とは正反対のうめき声が上がる。
「うぅ…さ、最悪ですわ…うっ…」
「身体…痛い…」
「気持ち…わ…けふっ…」
「…走った方がまし…腰いた…」
「あなた達根性ないわねぇ…」
「あはは…」
今まで質のいい馬車しか乗った事が無かったのかメイリリーナ、シャルロット、リーチェの三人とシルヴィアが元の白い顔を更に白くしてぐったりしていた。
「…唯織は大丈夫なのかしら?」
「あ、はい。僕は全然大丈夫です」
「そう…ならみんなの介抱をしてもらえるかしら?私が野営の準備してくるわ」
「わかりました」
アリアの指示に唯織がそう答えると馬車が小さく二回揺れ草を踏む足音と土を踏む足音が二つ聞こると黒い猫耳が馬車の外から生える。
「イオリ一人じゃ大変だろうから僕も手伝うよ?」
「ありがとうテッタ。でもハプトセイルからずっと馬を走らせてたから疲れたんじゃない?」
「魔力使いすぎてちょっと気怠いけど授業終わりの気怠さと比べればこれぐらい何ともないよ?」
「あはは…まぁ授業終わりに比べればそうだよね。じゃあアリア先生が野営の準備している場所に四人を寝かせられる場所を用意してもらっていいかな?」
「わかった!」
身長が足りず顔は見えないがテッタの猫耳がピクピクと嬉しそうに震えて消えると土を踏む足音から草を踏む足音に変わりその音が遠ざかって行く。
「さてと…リーチェ、ちょっと我慢してね?」
「だ、大丈夫です…自分で…うくっ…」
「無理しなくて大丈夫だよ。今テッタが横になれる所を用意してくれてるから」
「…ご迷惑おかけします…」
無理に立ち上がり足元が覚束ないリーチェを横抱きに抱いた唯織はリーチェを揺らさない様に馬車から降りると森側の少し開けた場所に大きめなテントが一つと小さめのテントが二つ既に用意され、その中心に石が円形に積まれていた。
「わ…アリア先生凄い…こんな一瞬で野営の準備が終わるなんて…」
「イオリ!こっちの大きなテントがリーナ達のテントだからリーチェをこっちに寝かせてあげて!」
「ありがとうテッタ」
「じゃあ僕もリーナ達を運んでくるね?」
「うん、お願い」
テッタが出てきた大きめのテントにリーチェを抱いたまま入ると外の蒸し暑い空気が嘘の様に涼しくテントの中なのに心地のいい風が弱々しくもしっかりと吹いていて王都ラーウィスにある特待生寮と同じ快適さになっていた。
「おお…何でこんなに涼しいんだろ…リーチェ大丈夫?」
「ええ…少し休めば何とか…」
「ならゆっくり休んでて。一応飲み物はここに置いておくからね」
「ありがとうございます…」
リーチェを寝袋の上に降ろして空間収納から飲み物を取り出しテントから出ると青白い顔をしたメイリリーナを横抱きに抱いたテッタとすれ違いそのまま馬車に向うと中からシルヴィアとシャルロットが体を伸ばしながら出てくる。
「あれ?シルヴィとシャルは大丈夫なの?」
「…まだ痛いけど痛いだけ」
「私もただ痛いだけで気持ち悪いとかはないですよ」
「そっか。じゃあシルヴィとシャルは中にいるリーナとリーチェの介抱をお願いしていい?僕もアリア先生の野営の準備を手伝いたいからさ」
「…ん」
「わかりました」
メイリリーナとリーチェの介抱を交代すると入れ替わる様にもう一度テッタがテントから出てくると少しだけ疲れを見せた笑みを見せる。
「テッタお疲れ様。テッタもテントで休んできなよ」
「んー…でもイオリやアリア先生達だけに任せっきりも…」
「有難い申し出だけど僕はずっと馬車に揺られてただけだからさ…ね?」
「んー…」
「そうよテッタ、あなたが一番働いているんだからそこのテントで休んでなさい。こんな風にやってあげるのは今日だけよ」
「アリア先生…」
黒い大型の鍋を中央にある石積みに置いて指を鳴らすだけで火を付けるアリアが親指で空のテントを指差すとテッタは折れる様に小さく息を吐く。
「…うん、じゃあ任せるね?」
「うん。…アリア先生、僕は周辺の見回りでもすればいいですか?」
「そうねぇ…もうユリがしてんのよねぇ…」
空間収納から食材を取り出しテキパキと具材を切り分けながら小首を傾げたアリアはシルヴィア達が休んでいるテントを一瞥して調理の手を止める。
「なら唯織?今日の夕食頼んでいいかしら?」
「え?僕の料理でいいんですか?多分みんなアリア先生の料理の方がいいって思うと思いますが…」
「そんな事言う奴には生の野菜でも口に突っ込んでおきなさい。私はあの馬車の調整するからここは頼んだわよ」
「は、はぁ…わかりました」
包丁を手渡し髪と尻尾を揺らしながら馬車に近づき片手で持ち上げるとアリアとユリのテント付近に置き…
「っ!?!?な、何やってるんですか!?」
「何って調整よ調整」
指を鳴らして馬車をバラバラに分解すると空間収納から出した木材やら鉱石やらを加工し始める。
「え、か、買ったばかりですよね…?いいんですか?」
「別にいいのよ。本当は馬車も空間収納に仕舞ってあるけれどかなり目立つから買っただけだしこのままじゃ明日もあの子たちはダウンしちゃうでしょう?」
「でも…快適な馬車に乗ったら何時まで経っても慣れませんよ…?」
「………」
唯織のその言葉でアリアがピタッと動きを止めると何度も何度も頭を傾げたり左右で白と黒に分かれている狼耳と尻尾をパタパタ動かし始め…
「………まぁ、もうばらしちゃったし仕方ないわよ。ええ、仕方ないわ」
「あ、あはは…」
まるで自分に言い聞かせる様に何度も仕方ないと呟きながら手を動かし始めていくのを見て唯織は夕食を作りながらポツリ呟く。
「でも…そこまで僕達の事を考えてくれてありがとうございます」
「…?何よいきなり」
「ユリさんから言われたんですよ。不器用だけど僕達の事を大切にしてるって。だから僕もちゃんとわかってるって事を伝えておこうかと」
「…ユリめ…私はあなた達の先生なんだから当たり前でしょう?詩織にも頼まれてるんだから」
「頼まれたとしてもほぼ毎日料理作ってくれたり武器を用意してくれたり…今だって僕達の事を考えて馬車をいじってるじゃないですか」
「…私も腰が辛かっただけよ」
「さっきと言ってる事が違いますよ…?」
「うっさいわね。いいから早く作っちゃいなさい」
「あはは…」
狼耳をペタっと寝かせてこれ以上何も聞かない姿勢を見せたアリアに苦笑する唯織は心地のいい音と匂いを野営地に広げると自分達が進んで来た道から馬車が来る事に気付く。
「あ…アリア先生?馬車が近づいてくるみたいですよ?」
「………」
「アリア先生?」
「………」
「アリア先生!?」
「…?何かしら?」
「馬車が近づいてくるみたいです!」
「…わかったわ。唯織はそのまま料理を続けててちょうだい」
耳を塞いでいたアリアはピクピクと耳を動かして馬車の音を拾ったのかスッと立ち上がり道の方に向かって行くのを見送ると森から何か大きな物を担いでユリが戻ってくる。
「ありゃ?アリアっちはどうしたんっすか?つーか何で馬車がバラバラになってんっすか?」
「おかえりなさいユリさんアリア先生は今…って、リビルボアですか?」
「安全確認してたら突っ込んで来たんで今日の晩飯にする為にのしたっす」
「あはは…アリア先生は今道を通りそうな別の馬車のとこにいて馬車がバラバラになってるのは調整らしいです」
「アリアっちはほんっと過保護っすねぇ…まぁそういうとこがいいんっすけどね。んじゃ、こいつも晩飯にしてもらっていいっすか?あたしもアリアっちのとこ行ってくるっす」
「わかりました」
長身のユリの二倍ほどの体長で胴回りは馬車と同じぐらいのイノシシ…リビルボアを地面に降ろすとユリは口笛を吹きながらアリアの元へと向かって行く。
「一応料理は出来たけど追加のリビルボアか…血抜きが凄い大変で臭いもきついんだよなぁ…流石に今回の晩御飯には間に合わないかな…とりあえず血抜きをはじ…め…?」
人数分の料理をしっかり作り終えた唯織はユリが獲ってきたリビルボアをテントから離れた場所に動かしリビルボアの首にトレーフルを突き立てて血抜きをしようとし…奇妙な違和感を覚える。
「あれ…?…あれ?もう血が抜けてる…!?でも何処から血を抜いたの…?」
傷一つない毛皮なのにも関わらず何処からも血は垂れずまるでまだ生きているかの様なリビルボアに驚きながらもトレーフルを入れて解体していくが…
「…やっぱりだ。一滴も血が出ない…骨も折れてないから殴ったり蹴ったりして仕留めたわけじゃなさそう…口や鼻に水はついてないから窒息させたわけでもない……まさか血だけを抜きと『唯織っち何してんっすかー!?』っ!?はい!すみません!!」
突然大声で話しかけられた唯織は今までの思考を誤魔化す様に一瞬でリビルボアを完璧に解体し今日食べる分の肉を分けると残りの分を空間収納に仕舞いテントへ戻ると自分達の馬車とは違う馬車が止まっていた。
「あ、唯織っちどこ行ってたんっすかー?」
「すみません…ユリさんの持ってきたリビルボアの血抜きをしようと思って離れてたんですが…」
「あっれー?ちゃんと血抜き出来てなかったっすか?」
「いえ一滴も出なかったです…」
「そっすか?…んまぁ、とりあえず今日の野営の人数が多くなったっすから料理追加で作ってもらっていいっすか?」
「あ、はい…わかりました」
そう告げるだけで唯織の元から離れていくユリは遠くで商人風の人と冒険者風の二人と会話しているアリアの元へ行きいくつか言葉を交わすと馬車に向い唯織は料理を追加で作りながら馬車からユリと一緒に降りてくる人達を観察していく。
(冒険者じゃなさそうな人が二人…と一人?)
ユリと会話しながら馬車から降りた二人は王都ではあまり見ない質素な服を身に纏っていたがもう一人はユリの腕に抱かれた少女で…既に降ろしていた車椅子に少女を座らせてあげると首を縦に一回振りユリに車椅子を押されてアリアとユリのテントへと入って行き…話し終わったのかアリアが近づいてくる。
「ごめんなさいね唯織。追加で料理を作ってもらう事になっちゃって」
「いえ、ユリさんがリビルボアを仕留めてくれていたので特に問題ありませんが…」
「さっきの馬車の人達が気になるのね?」
「はい…」
「商人風の人は王都ラーウィスと各村への物資輸送の片手間に送迎をする事になったドルドさん。冒険者の二人はBランクのレイラさんとガーブさんで馬車の護衛ね。冒険者っぽくない二人はドルドさんが物資を届ける予定の村へと帰るライルさんとその妻のネーラさん。…で、多分ユリがテントに案内した車椅子の少女は今回の依頼主よ」
「っ!依頼主なんですか!?」
「…多分ね。ユリがすれ違いざまにそんな事を言ってたわ」
「そうですか…」
「今はユリが話を聞いてくれてるからこのまま野営をして明日には目的の村へと向かうわよ」
「わかりました」
そう言ってこの場を離れていくアリアの背を見つめ…唯織は自分の中の疑問を問いかける。
「…あの…アリア先生、ユリさんについて一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「ユリさんは…何者なんですか?」
「何でそんな事が気になるのかしら?私の仲間なら特に心配ないでしょう?」
「…別に疑っているとかそういうのではないんですが…さっきユリさんが仕留めたリビルボアを解体してた時、血が一滴も出なかったんです…」
「ああ、そういう事ね」
ゆっくりと唯織に近づき耳元に顔を寄せたアリアは囁く様にユリの正体を告げる。
「ユリは私の嫁。吸血鬼とサキュバスのハーフよ」
「えっ!?えええええええ!?!?」
唯織の驚きの声はテントで休んでいたテッタやメイリリーナ達、野営に参加する事になった人達の視線を奪うのだった…。