正解のない問い
「…あの二人は本当に人なんですの?」
「…まぁイオリ君とアリア先生だし、あれぐらい普通なんじゃないのかな…?」
「すっかり私達の常識も毒されましたね…私もあれぐらい普通だと思ってしまいました…」
少し離れた場所で唯織とアリアの試合を見ているメイリリーナ、シャルロット、リーチェは唯織達のぶつかり合う衝撃で暴れる髪を押さえつけつつ自分の中の基準がすっかり変わってしまった事に苦笑を浮かべていた。
「…」
だがテッタだけは苦笑を浮かべるわけでもなく三人から少し離れた場所で食い入るように唯織とアリアの試合を見つめ、後ろから近づいてくる人影に気付いていなかった。
「…隙あり」
「っ!?」
背中に指を突き付けられたテッタは体を跳ねさせながら咄嗟にアンドロメダに手をかけて後ろを振り返るとそこには赤黒いボロ布をマントの様に首に巻いたシルヴィアがいた。
「…ってシルヴィか。びっくりさせないでよ…どうしたの?」
「…真剣だね」
「え?…ああ、今イオリもアリア先生もナイフで戦ってるし、僕も短剣を使うから二人の動きを参考にしたくて」
「…なる」
「…?」
言いたい事を言い終えたのか隣に座ったシルヴィアに首を傾げながらもテッタは抜き気味だったアロンダイトを収めてもう一度座り唯織とアリアの試合を観戦し始めるとまたシルヴィアが口を開く。
「…ねぇテッタ」
「ん?どうしたの?」
「…テッタはイオリが大事?」
「え?いきなりどうしたの?」
「…大事?」
「…うん。僕の初めての友達で親友だし大事に思ってるよ」
「…ふぅん。…じゃあ…」
そこまで言うとシルヴィアはテッタの顔を覗き込みながら心を凍らせてしまう程平坦で冷酷さを秘めた声色で問う。
「…もし、イオリと敵対して殺し合わなくちゃいけなくなったらどうする?」
「っ!?…何でそんな事を聞いてくるの…?」
「…質問に質問で返さないで。どうするの?」
「どうするのって…そんなの急に聞かれてもわからないよ…」
「………そう。結局その程度なんだね」
「っ!」
突然の問いに答えられずあたふたするテッタから完全に興味を失ったのかシルヴィアは立ち上がりテッタの元を離れていこうとするがテッタはシルヴィアの手を力強く握る。
「…結局その程度って何…?」
「…そのままの意味。テッタの言う親友って結局その程度なんだねって」
「っ…ならシルヴィはどうするの?」
「…」
怒りを滲ませた表情でテッタがシルヴィアに問い返すとシルヴィアはテッタの顔に自分の顔を寄せて淡々と語っていく。
「…私はイオリがしたい事なら何でも手伝うし何でもやらせる」
「え…?」
「…イオリがテッタを殺したいって言うなら私はそれを止めないし喜んで手伝うしイオリが私の事を殺したいって言うなら私は殺されてあげる」
「っ…」
「…今すぐイオリの事を馬鹿にする奴らを殺せと言われれば一瞬で全員殺すよ?」
「…」
「…これがテッタの問いに対する私の答え。私の問いには答えないで私に問い返して答えを得たわけだけど満足?」
「……」
何も映さない虚ろな目で覗かれたテッタは震えそうになる体と声をぐっと堪えて呟く。
「そんなの間違ってる…」
「…間違ってる?何でそんな事を言えるの?」
「だっておかしいでしょ…?止めないといけないでしょ…?殺すなんて…」
「…」
「何でそんな簡単に人を殺すとか言えるの…?」
「…それが私だから。…というよりテッタは勘違いしてる」
「え…?」
「…この話に正解なんて無い。私は私の答えをテッタに答えた。それが私の中での答えで正解なの。テッタの中で不正解だとしても私には関係ない。間違ってるとかおかしいとか止めないといけないとかテッタの中の答えを私に押し付けないで」
「っ…」
そこまで言うとシルヴィアは掴まれている腕を振ってテッタの手を払い突き放す様に言葉を吐き捨てる。
「…私はテッタに聞いた。イオリと敵対して殺し合う事になったらどうする?って。だけどテッタはわからないと言った。自分の答えも持たないテッタに私はその程度なんだねって言った。何か間違ってる?」
「…」
「…アリアがテッタを推してたから期待してたけど本当にがっかりした。…じゃあね」
心底失望したと言わんばかりの声色を響かせてその場を離れ…
「待って、シルヴィ」
テッタがもう一度シルヴィアの腕を掴むとシルヴィアは怒りを滲ませた表情を浮かべて殺意をテッタに向ける。
「…何?もうテッタに興味もないし答えもどうでもいい。離さないなら腕を斬り落とすけどいい?」
「僕はまだシルヴィの問いに答えてないしどう思われてるかなんて関係ない。だから今、さっきの問いに答えるよ」
「…だからもうどうでも『僕は!』…」
シルヴィアの拒絶の言葉を遮ったテッタはシルヴィアの腕から手を離して決意の言葉を零す。
「イオリと敵対して殺し合わなくちゃいけなくなったら僕は僕のやり方でイオリの事を全力で止めてみせる。それがどれだけ血なまぐさい事になっても僕は絶対にイオリを見捨てたりなんかしない」
「…」
「今シルヴィが僕にそう問うのはイオリの過去が関係しているんでしょ?でもイオリが今どれだけのものを抱えてるかなんて僕は話してもらってないからわからない。それでも僕はイオリが今のイオリでいられるように絶対に見捨てたりなんかしないよ」
「……」
そう言うとシルヴィアはしばらくの間考え込む様に無言で俯くと徐に顔を上げ…
「…そう。ならテッタ、これあげる」
「え、あ…っと…これ、何…?」
空間収納から鎖に巻かれた箱を取り出してテッタに渡した。
「…いつか必要な時が来る。それまで空間収納に入れて大切に持ってて。本当に必要になった時に勝手に開くから」
「…?…わかったっ!?」
中からコロコロと音がする箱をもらったテッタはブレスレットに魔力を通して空間収納に箱を入れると後ろから凄まじい音が響き…
「あがぁ!?!?」
「イオリ!!!」
空中を勢いよく吹き飛んでいく唯織の声が聞こえるとシルヴィアは大声を上げて一瞬で空中に飛び唯織を抱きとめる。
「…イオリ、だいじょぶ?」
「ぐっ…だ、だいじょ…ぶ…っつぅ…シルヴィ…ありが…と…」
身体の至る所にナイフで切られた傷と可愛らしい顔に腫れあがった痣を作った唯織は痛みに喘ぐがその表情は出し切ったのかとてもやり切った清々しい表情を浮かべていた。
「…そっか。…楽しかった?」
「うん…久しぶりに…ぜんりょ…」
「…よかったねイオリ」
そこまで言うと唯織は腕の中で意識を失いシルヴィアは慈愛に満ちた笑みを浮かべながら音も無くテッタの元へ着地する。
「い、イオリ!?大丈夫!?」
「…大丈夫。気を失ってるだけ」
「そ、そっか…よかった…」
あたふたしながらも無事だとわかったテッタは張り詰めた尻尾を垂らしてその場にしゃがみ込むと後ろから草を踏む音が聞こえてくる。
「悪いわねシルヴィ。少し熱くなってやり過ぎたわ」
「…早く治して」
「わかってるわよ」
射殺す様に傷だらけのアリアを睨みつけるシルヴィアだがアリアは心底疲れた様に力なく手を振り唯織の額に指一本で触れると唯織の身体は眩い光に包まれる。
「…これでいいわね。唯織も合格したし今日の授業は全て終了だから教室に帰るわよ」
傷が治っても意識を戻さずスゥスゥと寝起きを立てている唯織に布をかけたアリアは皆を集めて指をパチンと鳴らす…。
■
「ん…あれ…?」
「…起きた?」
「…シルヴィ?…今何時…?」
「…23時」
「マジか…」
霞む目を擦りながら声を漏らした唯織は自分が今どんな状況に置かれてるのか確かめる為にシルヴィアの声を聞きながらゆっくりと体を起こす。
「…イオリ、アリアにボコボコにされて意識失ってた」
「あー…って、僕制服じゃないけど…」
「…ん、私が着替えさせた」
「という事は…」
「…イオリの身体の事を知ってるの私とアリアだけ。テッタが着替えさせるって言ってたけど断った」
「そっか…ありがとね」
「…ん」
ソファーに寝そべるシルヴィアに感謝を伝えた唯織はベッドから出て自分の部屋に置かれているお茶を用意し始めるとシルヴィアは本を読みつつ足をバタバタさせて話す。
「…そう言えばアリア先生が合格だって言ってた」
「あ、ほんと?合格ならよかった…僕だけ合格してなかったらどうしようかと思ったけど…あ、シルヴィは何か食べたの?」
「…ん、まだ食べてない」
「え?そうなの?」
「…イオリと食べたかったから持ってきた」
そう言うとシルヴィアは空間収納から二人分のまだ温かい料理をテーブルに並べていく。
「そうなんだ…ありがとね」
「…ん」
まるで長年連れ添った夫婦の様に手際よく料理を並べたりお茶を用意した唯織とシルヴィアは向かい合ってテーブルを挟み頂きますと言ってから料理に手を付け始める。
「ねぇシルヴィ?明日からの事ってアリア先生から何か聞いてたりする?」
「…明日から決闘が始まる。修学旅行とかする予定があるから一日で決闘を全て終わらせるって言ってた。唯織は明日115連戦する」
「うっ…115連戦か…まぁ問題ないけど疲れそうだね…」
「…でもイオリは115連戦もしないと思う」
「え?何で?」
「…数戦すればビビッて取り消すと思う。戦わなければ見逃してやったとかやれば勝てるとかほざけるし」
「なるほどね…」
「…後、もう魔王領にはいかないからしばらくは学校だって」
「そっか…」
「………不安?」
「え…?」
「…大勢の前にその髪色で出るの、不安?」
「…うん。正直…ね…明日からはまた髪を黒く…あ、髪染めの粉が無い…」
「…ん、あげる」
「あれ?シルヴィも持ってたの?」
「…シオリからもらってた。イオリが使い切ったら渡す様にって」
「シルヴィありがと。…やっぱり師匠に言って髪色を変えてもらうべきだったかなぁ…」
「…シオリ言ってた。イオリのその髪も目もその身体も全部イオリで全部好きだって。だから変えなくていいと思う」
「そっ…か…」
「…それに私もテッタもリーナもシャルもリーチェもいる。何も不安に思わなくていい」
「…うん。ありがとねシルヴィ。…じゃあ僕はお風呂に入って来るよ、ご馳走様」
「…ん、わかった。片付けしとく」
「ありがとね」
話している間に平らげた料理の皿を重ねる音、水が滴る音が唯織の自室に響き二人の一日は幕を閉じる…。