違う世界
「本当にもう離れてください…!お願いですから…!」
「や~ん!そんな事言わないでぇ!ククちゃんか~な~し~い~!」
「ウソ泣きはやめてください…!!!」
唯織の右腕を胸に挟んで絶対に離さないククル…剥き出しだったおでこは前髪で隠し、ボサボサだった髪も今はいい匂い付きで高い位置に括られたツインテールを揺らし、充血して生気を失った青い瞳には大きな星と生気浮かび、目の下のくまは真っ白な陶器の様に艶やかで、血色の悪かった唇は瑞々しい桜色…その桜色の唇と尖らせてツインテールを振りながらうっすらと涙を浮かべていた。
「これ以上は本当にまずいです…!手遅れになりますから…!離れてください…!!」
「まずい?手遅れ?イオリ君が私に落ちちゃう事かな?いいよ…?」
「何もよくないですから…!!!」
左腕を胸に挟めないからか身体全体で抱き着いてくるアデル…くすんだ鈍色の髪はいい匂いを蓄え、艶のある光沢を持ちながら胸を隠す様に前に流れ、顔の半分を占拠していた眼鏡を外して隠れていた大人びた目元を存分に晒し、ククルと同じ真っ白で陶器の様な肌に映えるほんのり赤みがかった瑞々しい唇…その唇を指でなぞり、唯織の耳元で甘く囁くが…
(早く放して欲しい…でも…この状態で無理に引きはがしたら怪我をさせてしまうかも…それに…っ!?)
唯織は顔を赤らめるどころかどんどん蒼白にしながら心傷が刺激されそうな事と、遠くに座るティリアがこちらを笑みで見つめている事に恐怖を感じていた…。
「てぃ、ティリア…?」
「どうしたの?お姉ちゃん」
「っ…そ、その…コップ…壊れちゃうから落ち着いて…?」
笑みを浮かべ続けるティリアの手には鉄のコップが握られ、そのコップがティリアとは一番遠い対面の端っこに座る三人に動きがあるとギシッと悲鳴をあげていた。
「…お姉ちゃん?私が鉄を握り潰せる程の怪力女だって言ってるの?」
「えっ…い、いや…ちが…違わない…けど、ち、違うよ?」
ティアは知っている…ターレアを救う為に『巨水の三腕』の特訓していた時、水で物体を掴んだり殴ったり出来る様にする為に詩織に作ってもらった大型の鉄球を見て、冗談半分で「流石にこんな大きな鉄球は無理だと思うけど、ティリアならこれぐらいの鉄球の一つや二つ握り潰せそうだよね」と言ってこぶし大の鉄球を渡し、「流石に出来ないよ?」と言いながら鉄球を握って「ほら、握り潰すのは無理だよ」と見せられた鉄球が明らかに手の形がくっきりと刻まれて歪んでいた事をティアは知っているのだ…。
「さ、流石に無理だろ先輩…」
「そ、そうですよー!ティリア先輩の腕が小人族や鬼人族の大男みたいにゴリゴリのカチカチならわかりますよ?こんなに細いのに出来るわけないじゃないですか!」
確かに今のティリアの殺気にも似た笑みは怖い…流石は戦闘学科の黒服だとシリカもシエラも思うが、こんな細腕で鉄が握り潰されるわけがないとそう思いながら…本当に握り潰せるのでは?という思いが拭いされなかった。
「妹が自分よりも派手な下着を付けていた衝撃…知らない方が幸せな事もある…もうすぐ知る事になるだろうけど…」
「お姉ちゃん?」
「「……」」
そして…その時が来た。
「ねぇイオリくぅん?ククちゃんと今からデートしなぁい?ねぇ、いいでしょ~?」
「ククは本当に子供ね?…ねぇ、イオリ君?今夜、あなたの部屋に行ってもいい…?」
「ッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
「「「「「「っ!?!?!?」」」」」」
バキンッ!!!!という金属音が休憩室に響き、その音の発生源に皆がゆっくりと視線を移すと…鉄のコップが見事にティリアの手の中で握りつぶされて中の飲み物が噴き出していた…。
「…あ、ごめんなさいシリカちゃん、シエラさん。コップが壊れちゃいました」
「ほらね…」
「ま、マジかよ…」
「ひ、ひぃぃぃぃ……」
武器や防具に使った材料の端材で作ったとはいえ、頑丈な鉄のコップが見るも無残な姿になった事にシリカとシエラが動揺を隠せないでいると、ティリアは徐に立ち上がりゆっくりと唯織に近づいていく。
「イオリ君?」
「は、はい!」
「もう緩んでますよね?」
「え…あっ!」
驚き過ぎて魚の様に口をパクパクと動かすククルとアデルの拘束が甘くなっているのに気付いた唯織は即座に抜け出してティアの後ろへと移動した。
「あ、ありがとうティリア…」
「…イオリ君は優しいから怪我をさせない様に振り解かなかったんですよね?」
「う、うん…流石に魔法も使えないし…」
「…よかったです。もし、鼻の下を伸ばしていたら…ふふふ」
「っ!?」
可愛らしく笑っているはずなのに一撃で気絶させられた時の記憶がフラッシュバックした唯織はぶるりと身体を震わせ、ティリアはククルとアデルの間に座った。
「ククルさん?」
「ひっ!?」
「アデルさん?」
「ひゅぃ!?」
「是非仲良くしてくださいね?」
「「は、はい…」」
腕を抱いて手を握るだけで借りてきた猫になったククルとアデル…絶対にティリアを怒らせてはいけないと皆の気持ちが一つになると、シエラは握り潰されたコップを観察しながら口を開く。
「…これが戦闘学科の実力か。…イオリはこんな事出来るのか?」
「えっと…まぁ、はい」
「「「「っ!?」」」」
辛うじて形が残っているコップを受け取って掌で挟むとギギギッという鉄の軋む音が響き、今度こそコップは唯織の手の中で鉄塊へと姿を変えた。
「…すげーな」
「す、すごすぎです…」
「ククちゃん達を振り解かなかったのはそう言う事…?や~さ~…」
「優しくて顔も可愛くて強いなんて…やっぱり逃がせな…」
「どうしたんですか?続きを言ってもいいですよ?」
「「……」」
ほんの少しティリアの腕に力が込められた事に気付き口を閉じる二人を無視して鉄塊を興味深く見つめるシエラとシリカは無言で頷き、本題を話し始める。
「実はな…イオリに頼みたい事があるんだよ」
「…そういえばそう言ってましたね?」
「ああ。…あーし達の武器と防具を使って1ヶ月後に開催される大会に出てもらいたいんだ」
「大会ですか?」
「そうなんです!一年に一回ハプトセイル王国の最強を決める武術大会があるんです!」
「最強を決める武術大会…」
エルブランド姉妹の武器と防具を使い最強を決める大会に出る…鍛冶職人の顔付きになった二人を眺めた唯織はああ、と呟く。
「シリカさんとシエラさんの武器と防具の宣伝という事ですか?」
「察しがいいね。ざっくりと言うならエルブランドの名を売る為の宣伝なんだけど…」
「実は…あーくし達、最近スランプなんです…」
「スランプ…ああ、だから僕の剣と制服を見て興奮していたんですね」
「ああ…廊下ではしゃいでごめんな?」
「ごめんなさい…」
「いえ、それはいいんですが……スランプのままで大会で名を売るって言うのは難しいんじゃないんですか…?」
スランプのまま大会に出ても成績も振るわなければスランプも脱せない事は二人もわかっているのか「まぁ…」とばつの悪そうな表情を浮かべるが、すぐに表情を改めて切り出した。
「そこでだ。まず、あーしらが作った武器と防具を使って使用感を教えてもらいたいんだ」
「使用感ですか?」
「そうです!風の噂で聞けばイオリ先輩はSランク冒険者!騎士や兵士とは違った視点で意見をもらえると思うんです!この学園は正直魔法が主体なので武器を振るう人もなかなかいないですし、鎧どころかみんなローブか制服ですし…冒険者の人に使ってみてくださいなんて無理ですからね…」
「なるほど…確かに騎士や兵士の装備は戦場で討たれてしまった味方の装備を誰でも扱える様に一定の品質を確保しながら量を確保する量産系の代物が多いですもんね。…それに騎士や兵士と比べて冒険者は常に命の危険と隣り合わせですから自分にだけ合わせたほぼオーダーメイドの装備をしてますし、尖った性能の装備を手足の様に使う人もいるので確かに感想を聞くにはもってこいだとは思いますが…冒険者が自分の命を預ける装備をいきなり初対面の人に渡されても命を預けるどころか信頼も出来ませんし、確実に断られますもんね…」
「「…!!」」
騎士と兵士とは違った視点でと言っただけなのに騎士と兵士が使う装備の利点を説明するだけではなく、武器や防具がどういうものなのかを理解している唯織にエルブランド姉妹は唯織の手を両手でぎゅっと握った。
「へっ!?」
「そうなんだよイオリ!鍛冶で生み出される装備は全て命を預ける物なんだよ!!騎士や兵士が使ってる量産型が悪いって言いたいわけじゃない…だけど命を預ける物は人それぞれ違うと思うんだ!!赤子に大剣を持たせたって碌に扱えないし命を預けれない!!でもその人に合う物なら小さなナイフが命を守る事があれば木で出来た盾でも命を守る事だってある!!だからあーしらはその使い手だけの装備を生み出したいんだ!!やっぱりイオリならわかってくれると思ったんだよ!!」
「流石ですイオリ先輩!!だから使い手の事だけを考えて作られたイオリ先輩の武器とその制服は最高なんです!!鍛冶師の憧れなんです!!だからどうかあーくし達のお願いを聞いてもらえませんか!?イオリ先輩!!」
「…あっちは手を繋いでるのにいいの?」
「不公平じゃない?」
「誰しも自分の好きな物を理解してくれる人と出会えば興奮します。シリカちゃんとシエラさんはククルさんとアデルさんみたいに下心は無いからいいです」
「「…さいですか」」
ティリアに咎められないシリカとシエラに唇を尖らせるククルとアデルは、幼馴染の姉妹の顔に今まで見た事のない女の部分を感じていたが、それを口に出す事はしなかった。
「…どうするの?イオリ君」
「装備の意見に関しては引き受けてもいいんですが…Sランク冒険者と言っても実際に依頼を受けてランクを上げたわけじゃないですし…うーん…大会…か…」
(武器と防具のテスターになる事はいいとしても、大勢が集まる大会に出なくちゃいけない…あまり目立ちたくはないけどシリカさんとシエラさんの名を売る為には優勝が一番…でもこれは二人にとって大切な事だから引き受けるなら手を抜きたくない…ターレア国王の時は僕一人じゃどうしようもなかったけど、このお願いなら僕一人でも大丈夫………よし…)
ティアの言葉に熟考した唯織は祈る様に目を閉じ返答を待つエルブランド姉妹に笑みを浮かべて手を握り返した。
「…わかりました。僕でよければそのお願い叶えてみようと思います」
「まっ、イオリ君ならそう言うよね」
「っ!ありがとうイオリ!!」
「イオリ先輩!ありがとうございます!!」
腕をぶんぶん振りながら喜びを露わにするエルブランド姉妹とお人好しだなぁと思いながら笑み浮かべるティリアとティア…
「それじゃあ早速武器と防具の要望とかきか『あ、ちょっと待って欲しいかな~』…?どうしたんだ?クク」
早速作業に取り掛かる為に要望を聞こうとすると、ティリアに掴まれていない方の手をあげてククルが流れを遮った。
「武器と防具を試すなら怪我をしたりするでしょ?それならククちゃんのお薬も試して見て欲しいな~?ダメかな?イオリ君」
「えっと…薬…ポーションとかですか?」
「うん!ククちゃんも薬学の特待生だし、毒とかを使わせるわけじゃないからいいでしょ~?それに…実は私もスランプなんだぁ…だから、生傷の絶えない戦闘学科どころか、Sランク冒険者の生の意見を聞くチャンスだし…ダメかな…?」
「Sランクと言っても…まぁ、そう言う事でしたらお手伝いします」
「やった~!イオリ君や~さ~し~い~!!ぎっ!?」
「ふふふ」
唯織が被検体になる事を了承し、抱き着こうと席を立つ前にティリアに押さえつけられるククルに続く様に今度はアデルが手をあげた。
「なら私もイオリ君とティリアちゃんにお願いしてもいいかな?」
「アデルさんもですか?」
「私もですか?」
唯織だけではなくティリアにまでお願いがあるというアデルに小首を傾げると、ティリアの拘束を解いてもらったアデルが休憩室の戸棚にあった正方形の缶を取り出した。
「うん。スランプってわけじゃないんだけど、今開発してる料理があって…それを食べて見て欲しいの。味も保障するし、毒とかじゃないから」
「…ちなみにどんな料理何ですか?」
「えっとね、これなんだけど」
そう言って正方形の缶のふたを開けると美味しそうな四種類のクッキーが現れ、白黒のクッキーを唯織とティリア、ついでにティアに手渡した。
「クッキーですか?」
「うん。見た目と味はクッキーだけど、これは一時的に力を高める効力があるの」
「それって身体強化魔法の料理…?」
「そう!でも、効果が表れなかったり、効果が表れても安定しないのか効果が切れる時間もまばらだし、元々力があんまりない人に食べてもらっても効果がなかったりとか…だから私のも手伝ってもらえないかな?」
「なるほど…っ!?」
クッキーを口にした途端、身体の底から力が沸き上がり今なら触れるだけで何でも壊せそうな気を起こさせるが、一秒後にはその全能感も綺麗さっぱり無くなり、まるで力の前借をした分のツケを払わされた様な倦怠感が襲った。
「こ…これは何とも…でも確かに…一瞬でしたが、触れるだけでさっきのコップを潰せそうな力は出たと思います…」
「私は何ともない…ティリアは?」
「うーん…私も何も感じなかった…ただ美味しかっただけ…」
「こんな感じにバラバラなの。…だから安定させるのを手伝ってもらえないかな?」
身体強化魔法は血統魔法であり、人間族が発現したとしても獣人族、鬼人族、竜人族の血統魔法には遠く及ばない…それでもこのアデルの研究が成功してしまったらきっとアデルは不幸に見舞われる事になる…その事に唯織だけではなく、ティリアとティアも気づいたのか難しそうな表情を浮かべた。
「確かにこれが安定するのであれば凄い所ではなく偉業です。…ですが、もしこの研究が成功した後の事を考えた事はありますか?」
「え…?どういう事?」
唯織の問いに偉業とも呼べる研究が成功して何が悪いの?と疑問を浮かべるアデルにティリアは言う。
「血統魔法でしか得られない効果がご飯を食べるだけで得られてしまえば全員が身体強化血統魔法を得るのと同義になります。そうなってしまえばいい人も悪い人もひっくるめてアデルさんを我が物にしようと躍起になって争いが起きます」
「え…う、嘘でしょ?そんな事にならないでしょ?だってたかが料理だよ…?ずっと効果が続くならわかるけど、一時的にだよ?」
いきなり話が飛躍した事に狼狽えるアデルだが、ティアはつい身近に起きた悲劇を思い返しながら言う。
「力に魅入られた者は力を求め続けるの。自分では取るに足らない力だったとしても、他人からは喉から手が出る程に欲しい力かも知れない。そして人はそれを独り占め出来るのであれば文字通り何だってするんだよ。殺した人の腕を他人にくっ付けたり色々ね」
「「「「っ!?」」」」
ターレアを救った日の祝勝会前…リーナに59番達を使って何故人を殺したのかその理由を教えて欲しいとごねられたアリアは、当事者は知る権利があると言ってムーア王国が裏でやっていた事を教えてくれていた。
「だからシリカもシエラもククルもアデルも自己防衛の力が無い分、自分の能力をしっかりと知らないと血生臭い事に巻き込まれるんだよ?」
「「「「……」」」」
今まで血生臭い事とは無縁だったのか、途端に唯織達とは住む世界が違うんだという現実を突きつけられて押し黙る少女達だったが…
「でもそれは考えなしに能力をひけらかした場合。仲間や大切な人の為に振るう力と能力は美しいし、使い方を間違えなければ何も問題ない。だから…その素晴らしい能力を間違った使い方をしない様に私達が協力してあげるよ」
「…そうだね。私も手伝います」
「ええ、僕も手伝わせてもらいます」
もう二度と、あんな悲劇を起こさない為に手を伸ばす…。




