立場の違い
「クソがっ!!何でだ!?何で当たらねぇんだよ!?クソが!!クソがクソがクソが!!!!目隠しした奴に…種族的に身体能力で優ってんのに…魔力も纏ってねぇのに何で当てられねぇんだよ!?」
人を殺しそうな程激昂する灰色の狼…キースのその怒りの矛先は目元に黒い布を巻き付け鞘に納めたままの刀を握るリーチェに向けられていた。
「やる気は認めます。ですが何でもがむしゃらに、力一杯にやればいいってわけじゃありませんよ?」
「……じゃあどうしたらいいってんだよ…!!わかんねぇよ!!」
「それを考える為の訓練って言ったじゃないですか。グダグダ言ってないで一度ぐらい私に当ててください。動きながら考えてください。時間が勿体ないので」
「…クソが!!!!!!!!!!」
咆哮を上げて一直線に突撃するキースだが…
「考えた結果がこの動きですか?0点ですね」
「がっ!?」
リーチェは目隠ししている状態なのにも関わらずキースの突進を半身で躱し、そのまま鞘に収まった刀で首の後ろを強かに打ち付け地べたに這い蹲らせた。
「ごのっ!!!」
揺れる視界、激痛が走る頭、それでもこのままじゃ終わらないとばかりに右脚でリーチェの脚を払おうとするが…
「うっ!?ぐぅぅぅ……」
「それも0点…いえ、点数すら付けられませんね」
リーチェは自分の脚に届く前に鞘を地面に突き立て威力と速度が乗る前の脛をがっちりと止め…キースは脚に走る激痛で蹲った…。
「鞘に収まっていたからいいものの…抜き身だったら脚を失ってましたよ?」
「…くそ……」
「…はぁ、今日はここまでにしましょう。これ以上無理に続けても成長の兆しが見えません」
目隠しを外し癖がついた髪を優しく手櫛で梳かしていると廃墟にしか見えない建物から二つの小さな影が飛び出しリーチェの脚に纏わりついた。
「リーチェ姉ちゃん!聞いて聞いて!!風!ビューってなったよ!俺!魔法使えた!!」
「緑の魔色ですか。一度教えただけで魔法が使えるなんてガルムは凄いですね?」
「ぼっ!僕も!バチバチってしたよ!!リーチェねぇ!」
「黄の魔色…ポトラも凄いですね。お誂え向きに私は緑と黄の魔色なのでもっと教えれますね?」
「「本当!?教えて教えて!!」」
「ええ…と言いたい所ですが、もう遅いので魔法の練習は明日の朝にしましょう」
「えええ!?今がいい!!俺魔法いっぱい覚えたい!!」
「僕も!!いっぱい覚えて強くなりたい!」
「いいやる気ですね。でもこれは私の先生がいつも言ってる事なのですが…魔法を覚えたり強くなるには体調を万全に整え、いいパフォーマンスを常に発揮し続けないといけないんです。そしていいパフォーマンスは食事と睡眠の質が高ければ高い程発揮しやすいんです。だからいい物を食べて寝て、いいパフォーマンスが出来る様になる明日まで我慢出来ますか?」
「「……うん!!」」
目をキラキラさせながら聞き分けよく頷くガルムとポトラ…そんな二人の頭を撫でながら笑みを浮かべ、リーチェはキースからも二人からも見えない様にブレスレットの空間収納から湯気を出す温かい食事を取りだした。
「いい子ですね。特訓前に買ってきておいたご飯があるのでこれを食べてください」
「っ!?すっげぇ!?何処から出したの!?」
「こ、これも魔法!?僕もその魔法覚えたらもう僕達お腹痛くならない!?お腹痛くて起きる事なくなる!?」
「っ…」
取り出した食事に涎を垂らし腹の虫を鳴らし…ここがスラムでこの子達には親もいない、誰も手を差し伸べてくれない、頼れる相手は小さな身体のガルムとポトラだけ…食べる事もままならず、安心して寝る事も出来ない…そんな現実に自分が発した言葉と行動がどれだけ無神経で残酷かを気付いてしまい言葉に詰まってしまう…。
「……これは…魔法じゃないんです…」
「…そーなんだ…お腹いっぱい食べれたらなぁ…」
「…何言ってんだよポトラ!魔法をいっぱい覚えて強くなればご飯もいっぱい食べれるし屋根があるところで寝れる!頑張るぞ!」
「…うん!僕頑張る!リーチェねぇありがとう!」
「いえ…」
制服のポケットに手を入れ中をまさぐるとチャリ…という音が鳴り、ゆっくりとポケットから手を出そうとした時、
「テメェ…それだけは絶対にすんじゃねぇ」
「…わかってます。少し気が迷っただけです」
キースの力強い手に掴まれ振り解いたリーチェの手には何も握られていなかった…。
「…?リーチェ姉ちゃんどうしたの?」
「リーチェねぇ…?」
「何でもありませんよ。冷めないうちに食べてください」
「…チッ、ガルム、ポトラ、冷めねぇうちに食っちまえ。せっかくの飯が不味くなっちまう」
「「うん!!」」
尻尾を振りながら廃墟の中に戻り美味しいという声が聞こえるとリーチェは鋭い眼差しでこちらを射貫いてくるキースに悲痛な表情を向けた。
「ここでこの金貨を渡すのは簡単です。ただ、こんな大金をあの子達が持てばこのスラムでは奪う為に残虐な事を平然とする人がいる…あの子達の身体を見れば分かりきってます…恵む事より自分の手で稼ぐ方法を教えるのが何百倍もあの子達の為になる事もわかってます…頭ではわかってるんです…わかってますが…こんなたった一枚の金属であの子達を救う事も貶める事も出来るなんて…」
手にかかる金貨一枚の僅かな重み…この重みが時には命より重くなる現実に吐き気の様なものを感じているとキースの目が優しくなりポツリと呟かれる。
「……テメェは他の貴族とはちげーみてぇだな」
「…随分貴族がお嫌いなんですね?」
「ああ…オレの…オレとルマの居場所を奪ったのはくそったれな貴族共だからな…」
「居場所を奪った…ですか」
無意識に言葉を漏らすとキースは続きを促されたと思ったのかゆっくりと語っていく…。
「…オレとルマは…実は腹違いの兄弟なんだよ」
「え…?それは母親は違うけど同じ父親から生まれたという事ですか…?」
「ああ、どっちもクズ親父に似ねぇで母さん似で狼型と獅子型に綺麗に分かれてるせいでルマは知らねぇがな」
「ティアさんとティリアさんは容姿が似ていたのですんなり受け入れる事が出来ましたがルマさんとあなたが兄弟というのは驚きですね…」
「正直あのクズ野郎の事だから他にもオレらの兄弟がいるかも知れねぇが…あのクズ野郎はガルフィア獣王国の貴族…戦争で功績を上げた十家を称える十爪なんだ。力こそ正義の国で貴族となりゃぁ…」
「力で何でも思いのまま…ですか?」
「そうだ。オレらの母さん達は暴力をチラつかされて…で、オレらは生まれたわけだ。母さん達はぜってぇあいつの血が混じったオレらの事が憎かったはずだ…それでもオレらを生んで育ててくれたんだ…だけどよ、クズ野郎は自分の欲を満たす為だけに遊んだ相手が自分の子供を産んでたってなりゃ重荷になっていつしか人生の汚点、障害、しがらみになるっつって権力で母さん達の職を奪い精神的に追い詰めに追い詰め…オレらを王都の置いてオレの母さんは田舎に、ルマの母さんは自殺…ルマは母さんの遺体を見てショックのあまり今までの事をすっかり忘れちまったからこの話は知んねぇんだ」
「……すぅ…はぁ…」
余りにも酷い話に知らず知らずのうちに怒りで息が荒くなっている事に気付き冷静になる為に深呼吸するとキースはそんなリーチェを見て自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ハッ…人様の過去話にそんな感情的になんのかよ?本当に貴族なのかテメェは」
「…貴族だろうが王族だろうが平民だろうが私は私で一人の人であり女性です。貴族だからといって私自身を否定するのは流石に不愉快ですが?」
「…そうだな、ワリィ…テメェはクズ貴族とは違うってわかっててもなかなか切り替えらんねぇんだ…」
「それにあなたも…いえ、アリア先生の件はお互いの同意があったので無理やりとは言いませんか。…ルマさんにはこの事を伝えないのですか?」
「…伝えて何になんだよ?オメェのかーちゃんは自殺したってか?オレとオメェは兄弟なんだってか?…知らねぇ方が幸せな事もあるし、ルマとは兄弟でいるよりライバルとして競い合う方がいいんだよ…」
「…そうですか。あなたの好きにすればいいと思います」
語り終えたのかしかめっ面に戻りボロボロの木箱の上で腕を組みながら目を閉じるキースから視線を外し、さっきまで賑やかだった廃墟を覗くとガルムとポトラは口の周りを汚しつつも幸せそうな表情で寝息を立てていた。
「…では私は明日の準備をしますのでこれで。明日はもっときつくなるのであなたもしっかりと食べて睡眠を取ってくださいね」
「…チッ、わーったよ」
小さく「じゃあな」というキースの声を聞きリーチェはこの世界の汚くて醜い理不尽を胸に刻みつけ皆が待つ馬車へと歩みを進めた…。
■
「…ぜーんぜんダメ。もっと具体的に、正確に、緻密に、繊細にイメージして。ほらもっかい」
「ま、待ってくれ…はぁっ…も、もう魔力が…」
「待たない、そこからもっと出し切って。もう魔力が無いからって何も出来なくなってたらこんな特訓意味ないんだけど?」
「うぐ…ううううううう!!!!」
足元に光る魔法陣…最後の魔力を振り絞りイメージを積み重ねていくと眩い光が立ち上り…形を成す事なく霧散した。
「はっ…はっ…」
「ターニャ生きてるー?」
「…はっ…はっ…」
「喋れない程ちゃんと全部出し切ったみたいだね。恋する乙女はすごいね~」
筋力を補助するペンダントも消え息をするのも億劫になる程の倦怠感に苛まれつつ虚ろな眼で茶化す様に頭を撫でてくる詩織を睨みつけると口の中に仄かな甘みが広がり…
「…ぷはっ!?…ま、魔力が徐々に回復してる…!?」
「アリアちゃん特製の魔力ポーションだよー。わざと薄めてるから歩けるぐらい…ペンダントが創れるぐらいしか回復しないけどねん」
薄めたと言っても市販の物と比べ物にならない速度で回復する魔力に目を見開くと詩織は空になった細長い瓶を太腿に付けたケースに戻し消えたペンダントを創るターニャを見つめて難しい表情を浮かべた。
「んー……やっぱ異世界の空想物は創造しにくいのかな…ここも十分あっちからしたら空想の世界なんだけど…」
「すまねぇ…ロボットだとか言われてもよくわかんねぇし口だけの説明じゃイメージも湧き辛い…」
「まぁそうだよね~…設計図なんてあるわけでもないし…なら巨大ロボの路線は破棄するかー」
「っ…貴重な一日を無駄にしてすまねぇ…」
「んー?別に無駄になってないよ?意外と知られてないけど魔力ってすっからかんになるとこれじゃ足りないって身体が感じて徐々に増えてくし」
「そうなの…え?そうなのか?」
「そ。だから無駄になってないし気を落とす事ないよ。…でもどうしよっかなぁ…他のみんなは近接出来るから魔法が使えなくても何とかなるけどターニャの場合は魔力が切れたらそのペンダントまで消えちゃうし…うーん…」
「……」
自分の事の様に真剣に考える詩織の表情を見ているとターニャはこの特訓が始まる前からずっと感じていた疑問を呟く。
「なぁ…何でまだ会って一日も経たないウチの為にそんな考えてくれるんだ…?」
すると詩織は少し天井を見つめ何かを思い出すような間を空けターニャの問いに答える。
「…んー、別にご高尚な理由があるわけでもないしターニャを助けてあげたいだとかあの王子が可哀そうだからとかそういう理由じゃなくて申し訳ないけど、いおりんが助けたいって言ったからかな」
「あいつが助けたいって言ったから…それだけなのか?それだけの為に国に魔獣を嗾けてターレアを英雄にしようとしてるのか…?」
「そ。他の人がそれだけの理由で?って言っても私にとっていおりんって存在は何よりも優先する私の全てだからそれだけで十分なの。その次にリーナ達って感じかな?アリアちゃんも私と同じ考えだしね~」
「…よく知りもしない相手の為に…ウチじゃ無理だ…」
「私だってターニャ達をよく知んないけどいおりんがそう思う何かがあった…だからターニャ達を信じて自分が異世界から来た勇者だとか教えたわけじゃないし、いおりんが信じたから私はいおりんを信じてこうしてる。それにもう…いおりんが助けたいって思った人に背を向けたくないし」
「…」
唯織が信じたから詩織も信じる…簡単そうに、でも何処か後悔する様に言う詩織に自分とは考え方もやり方も生き方も違って到底真似出来るものじゃないと口を噤んでいると詩織はターニャの頭をコツンと小突きボロボロのソファーに身体を沈めた。
「まぁ人ってさ…あ、犯罪者とかじゃなくてごく一般的な人だよ?そういう人達ってさ、自分の為って考えて色々する人と誰かの為って考えて色々する人の二種類がいると思うんだけど…共通点があると思うんだ」
「共通点…?」
「そ。結局自分の為にやってるって事」
「結局自分の為にやってる…?どういう意味なんだ…?他人の為にやっていれば他人の為じゃないのか?」
「自分の為に動いてる人って自分の為に動いてるんだから当然自分の為になるっしょ?」
「そうだけど…」
「でも誰かの為って考えはさ、周り巡って最終的には自分がこの人の喜ぶ姿を見たいから手伝いたい、笑顔が見たいからこうしたい、プレゼントしたいとか…それが見れたら自分は幸せだ、満足だって感じるわけでしょ?簡単に言うとパン屋さんとかで人が喜ぶ顔が見たいから美味しいパンを作るんだ的な、ターニャがあの王子を助けたいって言うのも結局ターニャがあの王子の事が好きだから死んで欲しくない…ほら、結局自分の為じゃん?」
「……確かに」
「でもさぁ…誰かの為にって考え方は結局報われない事の方が多いじゃん?」
「そうだな…」
「私はさ…誰かの為に頑張ってる人は自分の為に頑張ってる人より報われて欲しいって思ってる。だからいおりんが報われる様に、いおりんの為に頑張るアリアちゃんやリーナ達が報われる様に、あの王子の為に頑張るターニャ達が報われる様に私は頑張って最終的にはあの王子が救われていおりんにありがとうって言われたい。そして私の為にずっと頑張ってくれてたママにこの世界はすごく楽しかった、いい世界だったって胸を張って言ってママを笑顔にしたい…」
「……」
「まっ…そう言う事だからさ」
ソファーから身を起こし神書を開いて大人の姿になった詩織は…
「今日やった事は絶対に無駄になってないし私が無駄になんかさせない。私は私の為にターニャを英雄の妻に相応しい女にしていおりんに褒められる。このWin-Winの関係を崩さない様に明日も厳しくするからしっかりいいもの食べて寝とくんだよ~」
「……わかった、ありがとう…」
「んじゃね~」
ターニャの感謝の言葉を聞き、皆が待つ馬車へと氷の翼を広げ眼下に広がる王都を眺めながら夜空を飛んだ…。
■
「…シッ!!」
「おごっ…」
「…少し力を入れ過ぎましたね、すぐに回復します」
回し蹴りで脚に伝わってきた骨を砕く感触…しっかりと腕と脚を使って唯織の蹴りを防いだのに腕も脚も肋骨も砕かれ血反吐を吐くターレアの訓練は凄惨という言葉が優しく聞こえる程血みどろに塗れた訓練だった。
「…これでよし、さぁ立って構えてくださいターレア王子。寝るにはまだ早いですよ」
「……もう無理だ…」
「…何泣き言を言っているんですか?そんなんじゃ『もう無理だ!!耐えられるわけがないだろ!?』…」
「こんな拷問の何処が訓練なんだよ!?お前は俺を痛めつけて楽しんでるだけなんだろ!?」
「……」
「お前はどんな形であれ仲間を貶した俺達に仕返しがしたいだけなんだろ!?聞こえがいい訓練だって言葉で誤魔化しても無駄だ!!」
目を血走らせ飢えた獣の様に口端から涎を垂らしながら感情をぶちまけるターレアの姿はもはや王族の品位は無く、ただただ唯織を仇の様に憎しみを込めて睨みつけていた。
「…言いたい事はそれでお終いですか?短時間で英雄になる為にはこれでも温いですし時間も足りません。さっさと構えてください」
だが唯織はそんなターレアの叫びに表情を動かす事も無くただ冷徹に黒い剣を構え続けていると…
「…ユリ先生?」
真っ赤な猫が唯織の肩に上り頭と尻尾を左右に振り…唯織は重苦しいため息を吐き捨て震える手で剣を下ろした。
「ふぅぅぅ…わかりました、今日はこれで終了にします。…ターレア王子、明日も同じ時間から開始しますので遅れずにここに来てください。食事と睡眠は十分にとって頂いて『……か』…?ターレア王子?」
「こんなとこに来るもんかって言ったんだよ!!!!!!」
「っ…」
青白い顔、今にも血を吹き出しそうな充血した目、歯の根が噛み合わないのかガチガチと奥歯を鳴らす口、弱々しく唯織の胸倉を掴む手と汚れた身体…そんなターレアの姿を冷静に見てしまった唯織は昔の自分と面影を重ね息苦しくなっていく…。
「お前も薄々気付いてんだろ!?俺が無能な事を!!」
「…」
「俺は!!この最強の『時間停止』っていう血統魔法に頼り切ってきたんだよ!!魔色も一色しかない!!しかも茶色だぞ!?その上俺の色は他の人より薄いせいで上級魔法を使っても初級魔法と同じぐらいの力しか出せない!!!」
「…」
「魔力を纏って身体能力を上げたってたかが知れてる!!剣技だって拙くてこの剣だってお飾りだ!!!それに俺は死の運命から逃れる為にお前達の中に勇者が居ればそいつに取り入って友好関係を築いて俺に手を出せば勇者が黙っていないって虎の威を借りようとしたただの小物なんだよ!!そんな俺が英雄だと!?馬鹿げてる!!俺はお前みたいな才能もないし恵まれてなんかいない!!!俺の無能さは俺がよく知ってる!!!俺の限界は俺自身が一番理解してるんだ!!!!」
「……」
「どうしようもない俺が!!今ここで!!死に物狂いで何かをしたって何も変わらないんだよ!!!もうたくさんなんだ!!俺をこんな目に合わせたお前を絶対に殺してやる!!!!王族の力でも何でも使って絶対にお前を殺してやる!!!!!」
思いの丈をぶちまけ乱暴に唯織の胸倉を離したターレアは荒々しく息を吐き捨てながら地面に落ちた煌びやかな剣を鞘に納めて闘技場を後にしようとするが…
「僕は…ターレア王子の事が羨ましいですよ」
「貴様…!!っ!?」
ポツリと呟かれた唯織の言葉にターレアは鞘に納めた剣で斬りかかる…が、その刃は黒い手袋を嵌めた唯織の手に軽く握られた。
「ターレア王子、家畜の糞がどういう味か知っていますか?」
「………は?」
心臓を鷲掴みにする冷たい声色から問われる突拍子もない質問…考えたくもない問いに頭に血が上っていたターレアは底なしの闇を映し出す様な、人間がどうしてこんな眼を出来るのかと思う程にどす黒く負に満ちた唯織の眼に覗かれ一瞬で身体から血の気が失せた。
「虫が湧いた水の味を知っていますか?」
「……何を言っているんだ…」
「カビの生えたパンの味を知っていますか?虫が集った腐った肉の味を知っていますか?」
「…そんなの知るわけないだろ…!」
「泥の味、人間の排泄物の味、骨と皮だけになって異臭を放つ人間の味を知っていますか?」
「し…知らないし知りたくもない…!!」
押しても引いても唯織の手から引き抜けない剣を手放し距離を取ろうとしても、もう片方の唯織の手が素早くターレアの胸倉に伸び逃がしてくれない…。
「なら、焼け爛れた鉄の棒を身体に押し付けられる熱さと痛みは知っていますか?」
「しる…知るわけがない…」
「皮膚がくっ付き剥がれる氷を身体に押し付けられる冷たさと痛みは知っていますか?」
「……」
「音を立てて身体を打ち付ける鞭の恐怖と痛み、爪を一枚一枚ゆっくりと剥がされていく恐怖と痛み、目に針を刺される恐怖と痛み、熱い室内で飲み水も無く干からびる辛さ、衣服も無く寒い部屋に放置される絶望、水浴びも食事も寝る事も生きるという行動すら何も出来ず人間として腐っていく虚無…他にも色々ありますが僕が言った何か一つでもターレア王子は知っていますか?」
「…しら…ない…」
力を入れている様に見えないのにピクリとも動かない手、得体の知れない唯織から距離を取りたいのに逃がしてくれない事にターレアが震え始めると唯織の目の端から小さな雫が零れた…。
「一色でも、例えその一色が薄く上級魔法が初級魔法に劣るとしても茶の魔色という一色を持っているんですターレア王子は」
「っ…」
「忘れていると思いますが…僕は透明の魔色です。世間からは無色の無能と蔑まれ、薄い色すら持たない、もちろん血統魔法も無い僕は人間として扱われない日々を過ごしてきました。今でも世間は僕の事を無色の無能と指を差して笑う人はいます。…何故なんですか?僕は僕を笑い虐げる人と何が違うんですか?色が無いだけで人間の親から生まれた同じ人間のはずなのに…何で僕は人間ですらないんですか?僕は化け物ですか?おもちゃですか?教えてください、人間のターレア王子…」
「…」
顔を伏せ、ポタポタと零れ落ちる唯織の涙に何も答えられないでいるとずるずると鼻を啜る音が聞こえ目元を乱暴に拭い赤い眼をターレアに向け…
「すみません、少し取り乱してしまいました…」
「…さっきの質問…お前は…」
「さぁ…どうですかね?」
はぐらかす様にぎこちない笑みを浮かべぐちゃぐちゃになった胸元を正し、落ちたターレアの煌びやかな剣を鞘に納め…
「さっきのターレア王子が羨ましいという言葉…正確には自分の手で道を切り開く術がある事に対して羨ましいと言ったんです」
「自分の手で…」
「ええ、僕は色が無かったから姉さんに出会えて名前をもらって人間にしてもらえて、アリア先生に生き方を教えてもらえてテッタ達という理解者に出会えました。僕は姉さんやアリア先生、テッタ達から毎日幸せや楽しみ、色んな物をもらってばっかりなんです。だから選択肢があってそれを自分で選び、自分の手で掴み取る術を最初から持っているターレア王子が羨ましい」
「……」
「だから…どうか自分が進みたい道を選び間違えないでください。僕は明日もここにきますから」
そう言って指を鳴らし赤い猫と共に目の前から消えた…。
「俺が…進みたい道…」
音のしない闘技場の中心…ターレアは自分の進むべき道を間違えない様に闘技場を後にした…。




