式典
日付が変わり、火の季節の前期月、三週目の最終日になった。
今日は式典の日だ。
三刻ほど前に、季節外れの雨は止んだ。
雨が止んだのは、水の精霊の魔力が尽きたのか、カウティスが水の精霊を取り戻したのか。
王は眠ることができないまま、執務室の椅子に座ったり、立って室内を歩いたりしていた。
侍従がマレリィの来室を告げる。
「こんな時間に、どうした」
「陛下が起きておられると聞いて」
部屋に入ってきたマレリィは、後ろに続く侍女に、持ってきたお茶を入れさせる。
室内に香辛料の甘い香りが漂う。
マレリィは、緑葉の模様が付いたカップを受け取ると、王の前に差し出した。
「どうぞ、陛下。気が休まります」
いつもきっちりと結い上げている艷やかな黒髪は、今は下ろされ、さらりと揺れている。
「そなたも、一緒にどうだ」
マレリィは漆黒の瞳を細め、頷く。
王は、執務机を離れ、バルコニーへ続くガラス戸を開く。
外から、雨の匂いを含んだ風が入った。
扉の近くのソファに座り、お茶を一口飲んだ。
「エルノートは?」
「まだ禁書庫にいるようです」
王は自嘲気味に笑う。
「私より、余程肝が座っているな」
「エレイシア様に、よく似ておられます」
見た目はセイジェがエレイシア王妃に似ているが、内面はエルノートが似ている。
エレイシア王妃は、ふわりとした外見とは違い、何かあったときには、芯のぶれない強さがあった。
マレリィはカップを置き、その琥珀の水面を見つめて、何かを思い出しているようだった。
王がカップを置いて、息を吐いた。
「カウティスは、水の精霊を連れて戻るだろうか」
「どうでしょうか。……でも、連れ戻せなくても、あの子は決して諦めないでしょう。そういう子です」
マレリィは王に頷いて見せる。
王はマレリィの右手に、己の手を重ねた。
「マレリィ。カウティスを、エルノートの臣にする。すまぬ」
今日の式典で、エルノートへの譲位と、カウティスの近衛騎士就任が発表される。
マレリィは王の手を両手で包む。
「初めから、エレイシア様とお約束しております。ザクバラへの牽制のためには、カウティスは臣下に下らなければならないのです。それに」
マレリィは王に微笑みかけた。
「カウティスはエルノート王太子と作る治世を、子供の頃から夢見ておりました。これが、二人にとって最良なのですわ」
王とマレリィが微笑み合った時、カウティスと水の精霊の帰城が伝えられた。
執務室の水盆に立つセルフィーネは、透き通った姿が普段より薄く、とても朧気だった。
しかし、揺れる長い髪や、ドレスの細かな襞がゆっくりと柔らかく揺れていて、美しい。
「迷惑をかけた。……すまない」
セルフィーネは俯き気味にそう言う。
深夜に執務室に揃った面々は、ひとまず安堵の息を吐いた。
エルノートがカウティスの肩を叩く。
カウティスは兄を見て頷いた。
珍しく軽装の騎士団長バルシャークが、口を開いた。
「それで、何故水の精霊様は姿を隠されておったのですか?」
「「「………………。」」」
王とエルノート、カウティスは口を噤む。
マレリィが一歩前に出た。
「水の精霊様。お戻りになり、安心致しました。今日の式典には、皆の前にお出まし頂けますか?」
セルフィーネは頷く。
「必ず」
「では、予定通り準備致します。少し休んだ方が良い者もおりますので、詳しい事はまた後日に致しましょう。陛下、日の出の鐘までお休みを」
王太子とカウティスにも仮眠を取るように言うと、マレリィはそれぞれの侍従達に指示を出すため出て行く。
魔術師長ミルガンは、大体の事情を察したようで、困惑気味のバルシャークとセシウムに退室を促した。
それぞれが部屋を出ていく中、カウティスは水盆に向けて手を伸ばした。
「セルフィーネ、行こう」
水盆に佇んでいたセルフィーネが、一瞬輝いて姿を消したかと思うと、カウティスの左胸の前に現れる。
「父上、朝までセルフィーネは預かります」
カウティスはそう言うと、一礼して部屋を出て行った。
取り残された王が唖然とする。
「何だあれは、悪びれもせず……」
「父上への意趣返しでは?」
エルノートが楽しそうに笑い、王が渋面になった。
セルフィーネは、カウティスの自室のバルコニーで月光を浴びる。
華奢なガラステーブルの上に、カウティスのガラスの小瓶を置いてあり、その上に小さなセルフィーネが立って、青白い月の光の中、薄っすらと光を帯びている。
カウティスは椅子に座って机に頬杖をつき、それを眺めていた。
「そなたは少し眠った方が良い」
セルフィーネが言う。
「さっき仮眠した」
オルセールス神殿の月光神殿で、不覚にも、意識を失うように一刻程眠ってしまった。
目覚めた時には、アナリナに物凄く笑われて、きまりが悪い思いをした。
「あれを仮眠と呼んでいいのか」
セルフィーネが小さく笑う。
「セルフィーネ」
カウティスが呼ぶと、彼女はカウティスの方を向いた。
「俺は、セルフィーネから聞いてない」
「え?」
「俺を、どう思ってるか」
本当は、聞かなくてもとっくに分かっている。
彼女が向けてくれる、潤んだ瞳も、柔らかな微笑みも、優しい声も、美しい涙も、全て自分だけの特別なものだ。
それでも、言わせてみたくなったのだ。
自分に会いたいと、泣いていた彼女に、言わせてみたかった。
セルフィーネの目が見開かれて、白い頬に、人の肌のような薄い桃色が滲んだ。
淡紅色の薄い唇が、僅かに震える。
細く長い髪が、柔らかな肌の上を滑ると、紫水晶の瞳が潤み、スイと逸らされた。
「……好きだ」
小さな吐息のような言葉に、言わせたカウティスの心臓が跳ねて、顔に血が上る。
そのままズルズルと机に突っ伏すと、両腕で頭から顔を覆った。
「…………自分で言わせておいて……阿呆か、俺は……」
カウティスはそのまま、暫く顔を上げることが出来なかった。
午前の二の鐘が鳴り、王座の間で、水の精霊の帰還を祝う式典が始まる。
国内の主だった貴族は、十三年間不在だった水の精霊が、本当に王城に帰ってきたのかを確認すべく集まっていた。
騎士団長バルシャーク、魔術師長ミルガン、宰相セシウムに続き、王太子エルノートと王太子妃フェリシア、第二王子カウティス、第三王子セイジェが入場する。
そして、王と側妃マレリィが壇上に入場した。
マレリィは王妃の座には着かず、王の側に控えた。
壇上の王座の前には、細かな彫刻がされた、美しいガラスの水盆が置かれてある。
王が水盆の前に立つ。
「十三年の時を経て、我が国の恩恵たる水の精霊が帰還した。水の精霊よ」
王がよく通る声で宣言し、水盆に手のひらを向ける。
ガラスの水盆の透明な水が揺れ、小さな水柱が立った。
人形は皆には見えないが、水柱が立ったことで、集まった貴族達から歓声が上がる。
「こうして、無事に水の精霊が帰還した……」
王は水盆を見て、一瞬言葉に詰まった。
水の精霊とは、こんな姿だっただろうか?
水盆に立つ水の精霊は、いつも通り直立不動だが、魔力不足で朧気な姿だった。
しかし、その白い肌には薄く桃色が滲み、長い髪やドレスの襞は柔らかに流れる。
瞳の輝きすら、温かい光が灯っている。
まるで、魔術の力で動いていた美しいガラスの人形に、今は魂が吹き込まれたようだ。
「……水の精霊が帰還した。水の精霊よ、国難の時に、我が国の水源を守り続けてくれたことに感謝する。よく戻ってくれた」
王はセルフィーネに一礼する。
そして、王座の間に集った者達の方へ向き直る。
「そして、皆、長き時をよく耐えてくれた。心から礼を申す。この苦難の時の終止を以って、私は王太子に譲位することにした」
王は宰相セシウムに合図する。
セシウムは頷くと、手にしていた式辞用巻紙を開いて読み上げる。
「来季、光の季節後期月、第一週一日を以て、ネイクーン王国第二子、エルノート·フォグマ·ネイクーン王太子に、譲位することとする」
大広間がざわめきに包まれる。
「エルノート」
王の声に、エルノートと彼の腕に添ったフェリシアが、王の前に立つ。
「光の季節後期月、第一週一日を以って、そなたにネイクーン王国を託す。王太子妃と共に、永き良き治世を望む」
「謹んで承ります」
王の言葉にエルノートが答え、膝を折る。
フェリシアがドレスの裾を持ち、二人で頭を下げた。
「続けて、本日より王太子の近衛騎士隊を編成する。近衛隊の騎士は前へ」
セシウムの声に、カウティスと残りの七人が前に出る。
広間がざわめいた。
「第二王子カウティスは、本日より王太子エルノートの近衛騎士隊の所属とする」
王が宣言した。
続けて残りの七人が紹介される。
全ての紹介が終わる。
「王太子エルノート、カウティス、前へ」
王の言葉に、エルノートは王の前へ、カウティスはその一段下に止まる。
エルノートは純白の詰襟で、襟や袖に赤金色の刺繍がされており、マントは緋色だ。
カウティスは濃紺の騎士服に、青銀の刺繍が刺されていて、マントは黒だった。
二人が毅然と並び立つと、まるで太陽神と月光神の眷属が舞い降りたようで、貴族女性達から吐息が漏れた。
「次代を担う者達だ。王国の皆が支え、共に繁栄の道を進むことを、心より願う」
王の宣言に、歓声と拍手が起こった。
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