全てを懸けて (2)
この回には、暴力的な表現があります。
苦手な方はお気を付け下さい。
セルフィーネは、視界を一度広げ始めると、止めることが出来なかった。
知らない内に、ザクバラ国内は混乱を極めていた。
ザクバラ国の各所で起こっている謀反で、同じ国の人間同士が血を流す様が映る。
見たい訳ではないのに、嘆き悲しむ人々から、目を逸らすことが出来ない。
「セルフィーネ、もう良い。今は見るな!」
苦し気に顔を歪めて、カウティスがセルフィーネの硬質な瞳の上に左手を翳す。
しかし、手で覆ってみても、三国の空に広がった魔力で見ているセルフィーネの視界を遮ることは出来なかった。
「何故? どうしてこんなことに……?」
ザクバラ国の民にも、それぞれの暮らしがあり、其処此処に小さな幸せがあるのだと信じていた。
それなのに、セルフィーネの意識が混濁していた間に、何もかもが失われてしまったかのように感じて、胸を締め付けられる。
セルフィーネの瞳から、涙が流れ続ける。
誰もが幸せに、笑って生きて欲しいと思う。
人間は皆、それを望んでいるのだと信じたい。
それなのに、それを叶えることは、何故こんなにも難しいのか。
セルフィーネは空に清廉と輝く月を見上げる。
ああ、月光神様、何故なのですか。
人間は神々が創り出した生命のはずであるのに、何故この世界を血で汚すような真似をするのですか。
どうすれば争うことをやめるのでしょう。
輝く月が、彼女の悲しみに同調するように、青銀の粒を惜しみなく降らせ始めた。
それはまるで、セルフィーネに向けて月光神が輝く腕を伸ばしたかのようだった。
それと同時に、セルフィーネの発する白い光が、青銀の混じる青白い色に変化していく。
「やめろ、セルフィーネ」
カウティスは恐怖した。
これはまるで、西部国境地帯を浄化した時と同じだ。
しかし、今のセルフィーネは弱っている上、彼女が見ている規模があの時とは大きく違う。
光を放ち続ければ、魔力はすぐに枯渇するだろう。
「セルフィーネ、待ってくれ!」
ダブソンに肩を借りて立ち上がったイスタークは、祭壇の間から溢れてきた白い光に目を見張った。
これこそは、イスタークが聖職者として神殿に据えたいと考えていた、水の精霊の神聖力だ。
その光がイスターク達を包み込んで、更に広がっていく。
気がつけば、電撃を受けた火傷も頭部の傷も、きれいに塞がって痛みも消えていた。
この白い光を初めて目にした、隣室側の近衛騎士達は、神々の怒りに触れたのだと完全に戦意を消失している。
ダブソンに女司祭についているよう命じて、イスタークは祭壇の間へ向かう為に、壁の穴へ急いだ。
先に動き出したリィドウォルが、壁の穴を抜けるところだった。
「おのれぇ……。ただの魔力の塊が……」
地を這うような声が、祭壇の間に響く。
前のめりに、ゴツと強く杖をついて、ゆらりとザクバラ国王が顔を上げた。
「精霊が神の力を持つなど、許さぬ……」
肩越しに振り返ったカウティスだけでなく、近衛騎士達すらも、驚きに目を見張る。
「叔父上……」
壁の穴を抜けたリィドウォルも、苦し気に表情を歪めた。
王は老いていた。
いや、肉付きも肌艶も変わらない。
それなのに、杖をつく立ち姿や胡乱な目付き、ゼェゼェと吐く息と、何よりも、覇気にも似た強く暗い気配が急速に萎んでいた。
しかし、王はこめかみに筋を浮かし、怒りと憎しみを露わに叫ぶ。
「許さぬ! 水の精霊は我が魔力となって、ザクバラ国の繁栄の為に使われる! ネイクーンを叩き、祖先の宿願を果たさねばならぬ!」
神聖力の白い光の中で、徐々に詛が抑えられていくのを感じて、王は慄く。
震える足を叱咤して、杖を振り上げた。
「私は覇王の再来であらねばならぬのだ!」
王が杖を振り抜く。
幾筋もの稲妻が、祭壇の間を駆け抜ける。
敵味方関係なく放たれた魔術は、近衛騎士もろとも薙ぎ倒す。
壁の穴の側に稲妻が弾けた。
寸前で祭壇の間の方へ逃げたリィドウォルとイスタークの後ろで、更に崩れた壁が上から瓦礫となって落ちた。
土煙がたつ向こうで、穴は人の通れない程の大きさに埋もれてしまった。
カウティスは咄嗟にセルフィーネを守るように抱き締めた。
しかし、側を稲妻が走ったが受けた衝撃はない。
再び肩越しに振り向けば、カッツが金の珠を握り、長剣を前に翳して立っていた。
カウティスを背にして、魔術を防いでくれたようだった。
長剣を握る手と袖が焼けていたが、それを気にせず素早く叫ぶ。
「カウティス殿、動けないか!? このままでは……っ!」
再び稲妻が走った。
カッツが防ぎきれず、膝を付いた。
王は正気を失くしている。
目につく全ての物を、怒りのままに攻撃していた。
セルフィーネの光で詛が弱まっているというのに、何という魔力だろう。
王は確かに、傑出した人物だったのに違いなかった。
ギョロと目玉を動かして、王がカウティスを見据えた。
「セルフィーネ、動くぞ!」
カウティスは、右手をセルフィーネの背中に貼り付けられたまま、左腕で彼女を掬い上げる。
殆ど重みの感じないセルフィーネは、難なく抱き上げられ、なされるがままだ。
「あぁああぁーっ!」
雄叫びなのか、悲鳴なのか分からない声を上げて、王が杖を振り上げる。
近衛騎士が体勢を崩している隙を突いて、ラードが覚悟を決めて、王の間合いに駆けた。
そして、短剣で躊躇わず脇腹から斬り上げた。
ギギ、と不自然な音がした。
王の詰め襟が斜めに裂けて、真っ二つになった防護符が舞った。
王の前身が露わになる。
その身体には、大小様々な、無数の魔石が埋め込まれ、周りにびっしりと魔術陣が描かれていた。
リィドウォルは驚愕した。
王が化石のような竜人の血を舐め取ったのだとしても、異常な身体回復だと思っていた。
しかし王は、魔石から身体に直接魔力を送り込んで、強制的に動かしていたのだ。
まるで、自分の身体全てを、魔術具にしてしまったかのように。
『もう良く馴染んだようだ』と言っていたのは、このことだったのだ。
あの自信溢れ、力強い信念に突き進んだ王が、何故ここまで追い詰められたのか。
リィドウォルは、叫びを上げて稲妻を放つ王の姿に、爪が食い込むほど拳を握り、心の内で懺悔する。
『覇王の再来であらねばならぬ』と叫んだ、あの言葉が全てだと思った。
王こそが、周囲から覇王の再来と期待され、その重圧に、たった一人で耐えていたのだ。
だからこそ、“詛”の存在を否定し、血の契約を以ってしてでも忠信を強く求めた。
誰よりも孤独であったのは、王だったのかもしれない。
そして、誰よりも側にいた自分こそが、それに気付かなければならない筈だった。
瓦礫に足を取られて、膝をついたカウティス目掛けて、稲妻が落ちる。
即座に前に出たラードがそれを受けた。
「ラード!」
「……っ、平気です」
火傷も裂傷も、白い光の中ではすぐに治っていく。
しかし、痛みを受けたことによる衝撃と疲労は蓄積される一方だ。
セルフィーネを抱いたカウティスは、剣を持てない。
ただ逃げ道を探すだけの視界に、瓦礫の上に散らばった魔術符が映った。
マルクとハルミアンが渡してくれた、残り数枚の魔術符。
しかし、今、どう使えば良いのかも分からない。
とにかく立たなければと、足に力を込める。
ハッと視線を上げれば、間近に王が迫っていた。
悪鬼のごとき形相に、その剥いた目玉に憎悪だけを滾らせて、王は杖を振りかぶった。
詛が弱まっているはずなのに、その身体からはなおも黒いオーラが立ち昇る。
セルフィーネだけは守らなければと、硬質な瞳の彼女に覆い被さった。
バリと稲妻が走る音と、焼け焦げた匂いがしたが、カウティスには痛みはない。
目を開けると、黒い影が前に立っていた。
「リィドウォル……」
「穴は塞がれた。扉へ行け、カウティス!」
王の稲妻を弾き飛ばしたリィドウォルが、鋭く言って足下の魔術符を拾った。
「リィドウォルゥッ!」
王が燃える瞳でリィドウォルに迫った。
リィドウォルは手にした魔術符に魔力を流し、決意の表情で、杖を振り上げて迫る王の懐に入った。
「もう終わりにしましょう、叔父上」
リィドウォルの脳天に稲妻が落ちるのと、王に魔力集結の魔術符が貼られるのは、同時だった。
前後編でまとめきれず、3部に伸ばしてしまいました。
読んで下さる皆様、ありがとうございます。
終わりが見えてきて、ちょっとホッとしておりますが、気を抜かずに最後まで書きたいと思います。
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