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水の精霊のいない国 (後編)

砂漠のオアシスでは、時を知らせる鐘の音は聞こえない。

太陽が月に替わるのを見て、今が日の入りの時刻だと知る。




国境に近い場所にある、青々とした木々が茂るオアシスの水辺で、焚き火を前に煮炊きしているのは、魔術士のマルクだ。

今は魔術士のローブを脱いで、腕まくりして鍋を掻き混ぜている。

彼は王城の魔術士館から派遣された魔術士だ。

栗毛の垂れ目で、気が弱そうに見えるマルクだが、カウティスと組んで度々魔物討伐に参加させられている、魔術素質の高い魔術士だ。


少し離れた所に陣取った隊商の面々が、仲間に話し掛けている。

彼等は国境を越えて、隣国で商売をするために砂漠を通っていたが、巨大化した砂ミミズのせいで足止めを食らっていたようで、討伐隊が来てくれたことを喜んでいる。

「隊長、隊商の方に果実酒を頂きました。一杯、いかがです?」

女剣士のパリスが水袋を持ち上げて見せた。

彼女はエスクトの街の傭兵ギルドから、討伐に参加している。

「いや、俺はいい」

カウティスは立ち上がって歩いて行く。

夜だというのに、頭に深くフードを被ったままだ。

マルクは声を掛けた。

「隊長、何処へ行くんですか?もう食事の用意ができますよ」

「砂を落としてくる。先に食べててくれ」

昼間砂にまみれたままで、全身ザラザラする。

カウティスは、生い茂る木々の向こうへ姿を消した。

「育ちがいいと、毎日身を清めないと落ち着かないのかね」

無精髭を生やし、濃い灰色の髪をオールバックにしたラードが笑う。 

彼もパリスと同じ、傭兵ギルドから派遣された剣士だが、南部での討伐ではカウティスと何度も組んだことがあった。



「随分と若そうな隊長さんですね」

隊商の中の、一人の商人が干し肉を裂きながらパリスに聞いた。

「若いけど、皇国で剣の達人(ソードマスター)の称号を受けた、凄い人だよ」

パリスはカウティスが行った方を、親指で示す。

パリスの答えに、別の商人が呟いた。

「称号…それはもしかして、カウティス第二王子では?」

「さすが、商人は情報通だね。そうだよ、カウティス王子さ。民の為にこんな所まで、自ら魔物討伐に来られてるのさ」

何人かの商人とその連れが顔を曇らせた。

「あれが…黒髪の第二王子?」

「水の精霊様を失った原因だっていう…」

“黒髪の第二王子”とは、フォグマ山の噴火前から、敵国の血を引く王子として、カウティスを侮蔑的に呼んだものだ。

噴火以降から、特によく聞くようになった。


「あの方は、そんな風に呼んでいい方ではありません」

キッパリと言ったのは、オアシスの湧き水を汲もうとしていたマルクだ。

彼は澄んだ湧き水を柄杓で汲むと、彼等に向ける。

「今もここでこうやって水を汲めるのは、水の精霊様がネイクーン王国(この国)にいる証拠です。カウティス王子も、水の精霊様も、今もこの国を守って下さってます」

マルクは唇を引き結ぶ。

商人達はバツが悪そうに視線を逸し、話の矛先を変える。

ポツンと取り残されたマルクの肩を、パリスが叩いた。

「仕方ないよ、そういう噂を、あの頃は皆信じたんだ」

パリスの言う“あの頃”とは、フォグマ山か噴火してからの六、七年だ。


地震はひと月程で収束したが、毒煙は度々噴き上がり、舞い落ちる灰や土で人々を困らせた。

山の麓の街や村は壊滅的で、土地を移るしかなくなり、川の周辺でも多くの被害が出た。

長い長い歴史の中で、災害が起こると、水の精霊の何かしらの救済を得ていた国民は、今度も水の精霊が奇跡を起こしてくれるのではないかと期待していた。

しかし民が望むような形での奇跡は起きず、王城から聞こえてくる噂は、第二王子の失態で、水の精霊がネイクーン王国(この国)を去ったというものだった。


マルクは唇を噛む。

魔術士館の魔術士達には、当時の魔術師長クイードが、禁忌を破った上に王族と水の精霊を害したのだと解った。

それ故に、カウティス王子への心無い噂や仕打ちに、できる限り抗ってきた。

しかし民には届かず、未だにこうやって王子と水の精霊への偏見を耳にして、悔しい思いをするのだった。





雨の多い水の季節でも、砂漠には殆ど降らないが、夜になると厚い雲が多い日が続く。

今夜もぼんやりとした月の形が見えるだけだ。

青白く輝く月光は何日も拝んでいない。



カウティスは小さな泉の側でローブを脱ぐ。

オアシスの水は特に貴重なので、水が湧き出ている泉からは、飲食用にしか汲まない。

その泉から溝を掘って、下流に別の小さな泉を作り、そこで汲んだものを洗濯や洗顔などに使う。

カウティスはその小さな泉で、共用に置かれてある盥に水を張り、顔を洗った。

さすがに全身をここで洗うことは出来ないので、シャツを脱いで、水に浸して絞った布で身体を拭う。

砂を払って終わりにするよりはずっとスッキリするが、侍女のユリナが見たら顔色を失くすかもしれない。

討伐隊として王城を出るようになってから、辺境で生活することも多いので、こういったことにも慣れた。


首筋を拭くと、首に掛かった銀の鎖に触れ、鎖に下がったガラスの小瓶が揺れた。

細かな彫りの入った美しい小瓶の中には、ただの水と、極小さな魔石が入っている。

王城で水の精霊が姿を見せていた水盆や、庭園の泉には、フォグマ山の源流から引いた水を張っていた。

噴火後、王城の庭園にも多くの灰が降り、泉の水は汚れてしまい、全て抜いてしまった。

十年以上の経ち、毒煙が収まり灰が降らなくなっても、フォグマ山周辺にはガスが発生している所もあって、水を引きに行くことは出来ないままだった。



カウティスは身体を拭いていた手を止めて、鎖を引く。

ガラスの小瓶を空に掲げてみるが、月の輝かない空では、小瓶の美しい乱反射も見られない。

「…セルフィーネ」

日課のように小瓶に向かって彼女の名を呼んでみるが、何の変化も見られないまま、日々は過ぎていく。

「もう十三年だぞ…」

カウティスはため息交じりに呟く。


“十年は”と、彼女は言った。

終点を知らずに走るのは辛いものだ。

十年と約束した訳ではないが、カウティスは十年を区切りに必死に努力し、耐えてきた。

そして十年を過ぎると、変化のない日々に、突然不安が湧き上がる。

水の精霊が戻ってくるのは、今日か、明日か?

それとも、季節ひとつ、ふたつ先?

まさか、もう一年、二年先なのか?

……もし、死ぬまでに戻って来なかったら…。

何度も何度も、考えて震えた。

苦しいなら、忘れてしまえば良いと言われたこともある。


それでも忘れられない。

忘れたくない。

もう一度、会いたい。

「セルフィーネ」

彼はもう一度、小さく息を吐いた。




「まだ、待ってるんですか」

不意に声を掛けられて、我に返った。

近くまでラードが来ていた事に気付かなかった。

カウティスは彼を一瞥すると、黙ってシャツを羽織る。

「王子は今、人生の一番良い時期だっていうのに。はあ、勿体ない勿体ない」

ラードは眉を寄せて、わざとらしく肩をすくめて見せる。

ラードは元騎士で、過去に女性問題で事件を起こして、騎士団を除籍になったらしい。

彼にしてみると、十年以上も幻の女を待ち続けているカウティスは、理解不能の生き物らしい。

「…何か用か」

カウティスは彼の言葉を無視し、フードを被り直すと長剣を拾う。

ラードは苦笑すると、態度を改めて報告する。

「隊商の者の話では、巨大化した砂ミミズの奴が、北の方にもう一匹いるようです」

「分かった。明日、日の出と共に北の部隊のオアシスに向かう」

砂漠に点在するオアシスに、数部隊が分かれて討伐にかかっている。

カウティスはラードに指示を出すと、踵を返した。





日の出と共に、北のオアシスを目指したカウティス達は、途中で馬を降りた。


砂ミミズは砂を吐き出しながらゆっくり進むので、地表近くにいる時には、小さな砂山が列になったような跡が残る。

カウティス達はその跡を見つけたのだった。

「これ、ついさっき出来た跡みたいだね」

パリスが言う。

跡が出来ても、時間が経てば風で砂が均される。

しっかり残っているということは、出来て間もないということだ。

跡は国境に向けて続いている。

「マズイな、隊商も日の出で国境に向けて出たぞ」

「追うぞ」

ラードの言葉に、カウティスが迷わず馬に乗る。

土魔術のかかった魔術馬具を付けている馬なら、砂の上も走れるので、砂ミミズにも追いつけるはずだ。

マルクが慌てる。

「隊長、待って下さい!追いかければ国境越えになってしまいますよ!手続きが…」

「そんな暇はない。追うぞ!」

カウティスが馬を走らせる。

ラードとパリスが続き、マルクが慌てて追いかけた。





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