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思い遣り (1)

水の季節後期月、二週一日の日の入りの鐘が鳴った。



フルブレスカ魔法皇国の竜人族の管轄区域で、竜人シュガは、旅装の濃灰色のローブを纏った兄のハドシュを見て、訝しむように眉を寄せた。

「兄者、今日戻ってきたばかりだというのに、こんな時分に何処へ行くつもりだ?」


ハドシュは始祖七人(円卓様)の命により、ひと月程大陸北部へ行っていた。

今日戻って来て、報告を終えたばかりだった。


大きな爪で器用にフードを被り、ハドシュはのっぺりとした顔で、口だけを動かす。

「ネイクーン王国へ向かう。水の精霊の魔力をこの目で確認する」

シュガは呆れたように口を開ける。

その仕草はまるで人間のようだが、目には感情が現れておらず、ちぐはぐな印象だ。

「まだ水の精霊にこだわっていたのか? 兄者が(あるじ)となったのだから、勝手に契約を破棄すれば済む話だろうが」



新皇帝になってからのフルブレスカ魔法皇国は、未だ纏まりに欠けているので厄介だった。

皇帝は、竜人族に手綱を引かれることを、あからさまに拒否する。

暫くは皇国(こちら)の調教に集中していたいのに、皇国外を担当する竜人族の要ともいうべきハドシュが、まだ水の精霊に執着しているとは。


水の精霊が三国共有になり、引き伸ばされて消えるかと思われた魔力が、徐々に回復していたのは知れている。

それがここにきて、急激に劣化したような状態になったという報告を聞き、シュガは、特殊であってもやはり精霊は精霊だったと思った。

ここまでくれば、放っておけば消滅するだろう。

それよりも皇国としては、水の精霊が消滅した後の、三国の均衡を気にせねばならない。


「この目で確認してから決める。皇国担当のお前が口出すことではない」

ハドシュは無表情に言ったが、血のような深紅の瞳には、僅かな怒りが込められた。

水の精霊が三国共有になった時、シュガが出張って来た事を、未だに良くは思っていないのだ。

「……これは、兄者は本当に水の精霊に篭絡されたか?」

シュガは軽く鼻で笑う。

しかし、ハドシュは相手にせず、大きな体躯でスルリと横を擦り抜けて行く。



はは、とシュガは乾いた笑い声を出した。


竜人族すら、変わっていく。

変わらないものなど、ないのだ。


竜人族(我等)の世も、終わりが近いかもしれんな」

シュガは去って行くハドシュの後ろ姿を見詰めたまま、僅かに期待を込めた声で呟いた。






ザクバラ国では、リィドウォル達が目的地の領地を目前にして、立ち往生していた。


知らせによると、堰の切れた貯水池に水魔が湧いたらしい。

堰の修繕の為に集まっていた作業員や兵士達に、死傷者が出た。


水魔を何とかしなければならないが、領地民の避難等に自警団や駐在兵の多くは出払っていて、残っていたのは修繕目的の人員が殆どだ。

リィドウォル達の一行も、魔術士と護衛騎士が数名ずつはいるが、魔獣討伐にはとてもではないが戦力が足りない。


しかも、既に領民から王城に救難を求める知らせも送られたという。

太陽が隠れてから、魔獣の討伐は出来ない。

今夜準備を整えれば、明日、早ければ午前の二の鐘半には、王城から討伐隊が来るだろう。




馬車の外に立ち尽くして、リィドウォルは歯噛みした。

領地の手前の村までは来たが、既に手詰まりだ。

水の精霊に、何としてでも詛を浄化させるという目的は、悪意が逆効果だと分かった今、手段を失くしてしまった。


「リィドウォル……」

魔術師長に声を掛けられ、リィドウォルは深く息を吐いた。

「……終わりだ。これ以上水の精霊を抱えていても、状況は悪化するばかりだ。それよりもまず、目の前の民を救わなければならない」

詛の浄化を諦めるのは苦渋の決断であったが、ザクバラ国の未来のことにこだわり過ぎて、今目の前で苦しんでいる民を見捨ててはならない。



民を優先すると静かに言ったリィドウォルに、魔術師長は深く安堵した。

国王のように、このまま人格が変わるようなことになれば、例え魔術でやり合うことになったとしても、止めなければならないと思っていた。


「明日、討伐隊が到着次第、私と魔術士達は合流して討伐に参加する。残りの者達を頼む」

「宰相のお前が参加してどうする! 俺が行く」

魔術師長がキツく眉根を寄せて言ったが、リィドウォルはバカにしたような視線を向けて、鼻で笑う。

「魔獣討伐に関しては、魔術士館に私に勝る魔術士はいない。お主は大人しく引っ込んでいろ」

その憎たらしい顔付きと言い様は、以前のリィドウォルそのもので、魔術師長は顔を顰めて文句を言いながらも、ちらりと側に止まっている大型の馬車を見遣る。


どのような経緯があったのであれ、水の精霊がリィドウォルの詛を一時的にでも鎮めてくれたことに、心から感謝した。





リィドウォルは空を見上げる。

今夜は数日振りに雲が晴れ、夜空に月がくっきりと浮き出ていた。



大型の馬車の扉を開け、リィドウォルは中に入る。

昨夜から掛けたままの薄い毛布を捲れば、虚ろな瞳をしたままの水の精霊の身体は、昼間よりも更に白い肌の部分が減った。

放っておけば、朝には殆ど肌は見えなくなるかもしれない。


それは、完全に狂った精霊になるということだ。


リィドウォルは暫く水の精霊を見詰めていたが、膝をついて、その赤黒い泥の塊のような身体を、毛布ごと横抱きに抱き上げる。

軽い身体を持ち上げる瞬間、水の精霊はイヤイヤと弱々しく首を振って、リィドウォルの胸を掌で押そうとした。

「月光を浴びるだけだ、セルフィーネ」

リィドウォルの口から、自分でも驚くような優しい声が出た。

その声が聞こえたのか、水の精霊は抵抗をやめて、黙って身を委ねた。

ただ、抵抗するだけの力が残っていないだけなのかもしれない。


水の精霊を抱き上げて、馬車から降りたリィドウォルを見て、魔術師長が目を丸くした。

「リィドウォル、どうする気だ?」

「月光に当てるだけだ」

「今更月の光を浴びて、どうにかなるものか?」

リィドウォルは首を振る。

緩くクセのある黒髪が揺れると、一瞬だけ、水の精霊が髪先の動きを目で追った。


「……もう、どうにもならぬ。このままでは狂った精霊になるだけだろう」

最早何もしなくても、爛れは滲み出て、泥化は進んでいる。

「それなら、どうして……」

「……このまま狂っては、この地の害になる。月光の中で消滅でもしてくれた方が、まだマシだろう」

どちらにしろ、水の精霊を損ねただけで終わることになる。

王の詛も解けない以上、ザクバラ国の今後は、どういうものであれ更に険しいものになることは間違いないだろう。


リィドウォルは足を踏み出した。

護衛騎士のイルウェンが付いて来るのは気にせず、村の高台に向かった。



高台にある広場は、静まり返っていた。

風もなく、低木の茂った葉や草むらからも、虫の一声さえ聞こえてこない。


リィドウォルは、出来るだけ振動を与えないように運んで来た、毛布のに覆われた水の精霊を見る。

それは羽根を抱えているように軽く、片腕だけでも支えられたので、左腕で抱えて直し、まだ時折震える右手でそっと毛布をはぐった。


月光に照らされた水の精霊は、半面しか残っていない美しい顔を、安堵したように緩ませる。

薄い唇から細く細く息が吐かれた。






ザクバラ国内の街に入ったカウティス達五人は、今夜はこの街で休む為にオルセールス神殿に入っていた。


この先の領地で水害があり、水魔が湧いていると聞き、イスタークは明日領民が避難しているという、郊外の領主の別邸付近へ向かうことを決定した。

水害では人的被害は少なかったというが、魔獣の出現で死傷者も出ているという。

魔獣討伐には関わらないが、領民には助けが必要かもしれない。



イスタークは、夕食を摂りながら、カウティスの様子を窺った。


このまま先の領地に足を伸ばすことが決まり、中央へ向かうつもりだったカウティスが、何かしらの不満を漏らすかと思った。

しかし彼は、終始静かにイスタークや聖騎士達からの指導を受けながら、聖職者として今出来ることをこなしていた。




神殿の隣にある治療院で、イスタークが患者の話を聞き、神聖魔法を施すのを、カウティスは側に付いて見ていた。

イスタークはアナリナがそうしていたように、患者と同じ目線で手を握り、背を擦る。

乞う者には、柔らかな語り口で教えを説いた。


患者達は、カウティス達聖騎士にも頭を垂れて感謝を述べる。

アナリナを護衛していた時とは違い、カウティスは自らも聖職者になった自覚を新たに、彼等の手を握った。

ネイクーン王国では、民の手を簡単には取ることが出来なかった。

ザクバラ国へ来て、こんな風に見知らぬ人々の手を握り返すことになるのは、複雑な心境だった。



日の入りの鐘が鳴って二刻は過ぎた頃、ようやくカウティスは治療院を出た。

自然と緊張していたようで、外へ出るとホッと息を吐いてしまった。


「驚きましたか?」

聖騎士カッツが側に来て声を掛ける。

「猊下はいつもああですよ。乞われれば、日付が変わっても治療院におられます」

「聖女様の師であるとお聞きしました。向き合い方が、よく似ておられます」


真摯に答えるカウティスの様子を見て、カッツは初めて表情を緩めた。

「……私は正直、貴方に驚きました。元王族が聖騎士など務まるのかと思いましたが、さすがエンバー殿が聖騎士にと望まれた方だ。貴方のその誠実性は、聖職者としては望ましい素質です」

「エンバー殿が?」

エンバーはイスターク付きだった聖騎士だが、そんな風に評価されていたとは知らなかった。


カッツは頷く。

「それに、神の眷族である精霊に好かれているようです」

カウティスは目を丸くした。

「精霊に、好かれている……?」

「ええ。自覚がなかったのですか? 貴方の周りには、常に何かしらの精霊がいます。水の精霊の加護持ちだからなのでしょうか」

カッツが太い首を回し、カウティスの周囲を見回した。

カウティスもつられて見回すが、神聖力の乏しいカウティスには、セルフィーネの色褪せてしまった魔力が、極僅かに身体の周りに見えるのと、一つ、二つと僅かな精霊の光が見えただけだった。




「水の精霊に好かれているから、付いて回るのか。それとも、君自身の素質に惹かれてくるのか、どちらだろうね?」

ダブソンと共に治療院から出て来たイスタークが言った。

カウティスは姿勢を正して、カッツと立礼する。


「そんな君だから、アナリナが『月光神と眷族に毎晩祈れ』なんて書いて寄越したのかな」

イスタークは楽しそうに肩を揺らして笑うと、カウティスの肩を軽く叩いて、神殿に向かって歩きながら言った。



「もう今晩は休みなさい。ああ、アナリナの言う通り、祈ってからね」





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