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悪意の結果

ザクバラ国中央から東部へ向かっていた馬車は、一週五日の、日の入りの鐘が鳴る頃に止まった。

被害のあった領地まではまだ距離があったが、今夜は街道沿いの街で一泊する。


目的地は、王城から馬で行けば半日掛からず行ける距離だったのだが、水の精霊を乗せた馬車はあまり速度を出せなかった。

速度を上げて振動が強くなると、それだけで傷口のような引き攣れから、爛れが湧き出るのだ。

爛れが湧き出ると、そこが赤黒い泥の塊のようになっていく。

王城を出発した時よりも、今の方がずっと泥の塊のような部分が増えた。

既に、身体の表面の三分の二はそんな状態だった。



宿を取って休むのに、水の精霊を動かすか迷ったが、外に出せば、この異様な姿が人の目に触れる危険が増える。

それで結局、水の精霊を馬車に残し、リィドウォルだけは共に馬車の中で一夜を過ごすことにした。





薄い毛布一枚を持ち込み、リィドウォルは上着を脱いで毛布を羽織る。

眠るつもりはなかった。

見張るつもりで、向かい側の席に座る水の精霊を見詰めた。



座席に横たわった水の精霊は、左の半顔を上に向けている。

小型の魔術ランプの明かりに照らされた、白い肌にほんのりと生気の通った頬が美しい。

揺れる長いまつ毛や、垂れた細い髪の間から見える淡紅色の薄い唇が、時折切なそうに微かに揺れるのが、艷やかにすら見える。


それだけ見れば、どんな人間も吸い寄せられて、その存在を触れて確かめたくなるかもしれない。

または、触れてはいけない者のように、畏れを含んで感じるだろうか。


だが、こちらから見えない右の半顔は目の下から爛れている。

身体も左上半身を中心に、多くの部分が赤黒い泥の塊の様になっていた。

泥の縁から爛れが滲み出て、徐々に陶器のような肌を侵食している。

足枷がついたままの両足は既に泥化していて、外したとしても歩けないかもしれないが、保証はないので外していなかった。


このまま放っておけば、全身が泥の塊になるのはそう遠くないだろう。



リィドウォルは溜息をついた。

一体、何故こんなことになったのだろう。


あの、厄介だった国境地帯の狂った精霊(魔力)を、水の精霊は完全に浄化した。

広範囲を浄化したのは降ろされた月光神の御力でも、その前に確かに水の精霊が浄化したのだ。

水の精霊(この者)には神聖力が、しかも、とても強い神聖力がある。


三国に伸ばされて、あれ程微弱になったにも関わらず、清浄な魔力の質は変わっていなかった。

魔力が回復さえすれば良いと思っていたのに、何故。

人間の魔力に、年齢や美醜、内面の正邪は関係ない。

どんな者の魔力であっても、魔力は等しく魔力だ。

人によって魔力量が違い、素質や修練によって、魔術発現の威力や質が変わるだけ。

だからこそ、魔石の魔力充填に新人魔術士が充てられる。

魔石の質に関わるのは魔石自体の器であって、充填される魔力は、誰が充填しても変わらないからだ。


水の精霊も魔力の塊なのだから、どんな回復でも変わらないだろうと思ったし、実際に魔石と同じ様に回復出来た。

神聖力も失っていなかったのは、ネイクーン魔術士達を癒したことで確認出来ている。

それなのに、何故。


魔術師長は、『このやり方は間違っていた』と言った。

こうなったからには、そうなのだろう。

しかし、ではどうすれば良かったのか。

月光で回復するしか手はなかったのか。

だとしても、今から元に戻せるのか。

時間はない。

既にザクバラ国王は、詛に覆い尽くされそうになっているのに。




ズキズキと頭が痛み、低く唸ってこめかみを押さえたリィドウォルの耳に、微かな声が聞こえた。


「ご……め……、さい……」


水の精霊がまた、うわ言のように謝罪を口にしているのだ。

リィドウォルは苛立って、こめかみに当てていた手で黒髪を握る。


―――あの声は、母親を思い出させる。

幼い頃から、リィドウォルに謝罪し続けた母を。





リィドウォルの父は、先代王の長子として生まれた。

魔術素質が低く、王太子の座を魔術素質が極めて高かった弟に譲り、それで詛から遠ざかったと安堵していた、気の弱い男だった。

心安く生きていたのに、次男が魔眼を持って生まれたことに酷く落胆し、長男だけを可愛がった。


逆に母はリィドウォルを過剰に構った。

リィドウォルが魔眼を持って生まれ、幼い内は魔眼を制御出来ず、多くのことに弊害を生じていたからだ。

読み書きもおぼつかない内から、厳しい魔力制御と魔術士としての修練を強いられたリィドウォルに、度々泣いて謝った。


『ごめんなさい。母がこんな風に産んでしまったせいで……』


それを言われる度、リィドウォルは分からなくなって、苦しんだ。

“こんな風”とは、一体何だ。

私は、そんな形容をされなければならない程、歪な者なのだろうか、と。


しかも、そうやって謝る母は、決してリィドウォルの魔眼を覗かなかった。

そんな日々の内、無意識に魔眼を使い、侍女を廃人にしてしまったこともあり、周囲は彼を極端に恐れ始める。

時々母と一緒に付いて来て、『兄上様』と呼び、屈託なく笑ってくれた三つ下の妹も遠ざけられた。

二人目の妹が生まれ、気が付けば母は、父のようにリィドウォルを構わなくなった。



自分が一体、何に満たされていないのかも理解していなかったリィドウォルを掬い上げたのは、父から王太子の座を譲られた叔父だった。

彼だけは、常にリィドウォルの魔眼を平気で覗き込み、甥として当たり前に可愛がった。

成人よりもずっと前に、魔術士としての頭角を現し始めたリィドウォルを褒め、側近くに置き、様々なことを教えた。

国政についても、叔父の側にいたから自然と学ぶようになった。


父のように、兄のように、時には歳の離れた友のように。

そんな叔父をリィドウォルが崇拝するようになるのは、当然の流れだっただろう。



その叔父(国王)が詛に侵されている。

既に身体を覆う気は真っ黒に見える。


叔父を詛から掬い上げたい。

彼だけは、詛に勝った王として、安らかに眠って欲しい。


それなのに、いつの間にか、何をどうすれば良いのか分からなくなって、時々混乱する。

水の精霊に、何としても詛を解かせなければならないのに、どうすれば。

頭が痛い、息苦しくて堪らない。

このまま、叔父が詛に絡め取られてしまいそうで恐ろしく、自分も詛が身体から湧き出て、藻掻くように胸を掻いた。




不意に、ひんやりとしたものが、汗ばんだ額を撫でた。

その心地良さに、リィドウォルは浅く息を吐く。

涼やかな気配が胸を梳き、重く黒い塊のようなものを一瞬で押し流していく。

あれ程重かった頭と身体が、嘘のように軽くなった。


朝露のような蒼い香りが鼻孔をくすぐり、リィドウォルはハッとして目を開け、薄い毛布を落として跳ね起きた。


対面の座席に横たわる水の精霊から、青白い光が腕のように伸びて、リィドウォルの身体に触れていた。

跳ね起きた彼に驚いたように、光は霧散する。



「……ごめ……なさ、い……」

横たわったまま、先程と少しも変わっていない姿で、水の精霊が呟いた。


リィドウォルは目を見開き、言葉もなく呆然と立ち尽くしていた。






日付が変わって、水の季節後期月、二週一日の早朝。

日の出の鐘が鳴る前に、魔術師長は馬車に戻った。

護衛騎士のイルウェンは変わらず馬車の外におり、馬車の中は特に変わった様子はないようだった。



リィドウォルは詛の影響からか、随分と消耗続きだ。

水の精霊から離れるのを頑なに拒んだので、馬車に残るのは任せたが、交代して食事と身仕度くらいはさせなければ。

そう考えながら、そっと馬車の扉を開けた魔術師長は、中を覗いて眉根を寄せた。


リィドウォルが持ち込んだ薄い毛布は、座席に横たわった水の精霊に掛けられてある。

当のリィドウォルは、対面の座席に座らず、水の精霊の側の床に腰を落として眠っていた。


「……おいおい、どうなってる?」

肩を揺すられて薄く目を開けたリィドウォルが、魔術師長を見て、一瞬バツが悪そうにした。

「もう朝か?」

「あ? ああ、まだ日の出の鐘までには半刻程あるが」

「……月光は?」

開ききっていない目を擦りながら聞くリィドウォルと、暗い空を見比べて、魔術師長は首を振る。

「雲が多くて、月は見えない」

「そうか……」



明らかに昨夜と雰囲気が変わっているリィドウォルを見て、魔術師長は馬車に乗り込んで扉を閉める。

「どうした? 憑き物が落ちたようだぞ」

「……正に、その通りだ。昨夜、水の精霊が私を清めようとした」

「何ぃ!?」

うるさい、というようにリィドウォルは一度魔術師長を睨み、水の精霊の反応を確認したが、彼女は少しも動いていないようだった。

「どういう事だ? 何か反応があったのか?」

魔術師長が窺うように聞くと、リィドウォルは小さく息を吐いた。

「……水の精霊は、詛に呑まれそうだった私に、自身の魔力を伸ばして触れた」



触れられて分かった。

その清らかな魔力は、彼女の心。

苦しんでいる者が目の前にいれば、苦しみを軽くしようと力を尽くそうとする。


そこに利害や好悪はない。

慈悲の祈りだけが存在する。



「やはり魔力の質は問題ではなかった。水の精霊は、取り込んでいる魔力を清らなかなものに出来るが、その人格()が、今はそれを出来ないでいる」

魔術師長は、毛布から出ている水の精霊の顔を見る。

美しい半顔は、何処か悲し気な表情だ。

「お主の言う通りだったのだ。水の精霊の人格は、人間と違って魔力の質に直結するもので、汚れに極端に弱い。……水の精霊(この者)をこの姿にしたのは、おそらくザクバラ国(我々)の悪意だ……」

リィドウォルは目を伏せた。



騙し、宥め、命を盾にして脅してでも思い通りにしようとした悪意が、まるで水鏡のように映り込み、澄んでいた彼女の人格()を蝕んだ。



「……しかし、だとすれば、水の精霊を元に戻すには、一体どうすれば……」

魔術師長が苦い物を噛んだような顔で、黒髪をガシガシと掻く。

リィドウォルは、水の精霊の虚ろな瞳を黙って見詰めた。





リィドウォル達は、予定通り中央と東部の境にある領地に向かう。

馬車の中で、水の精霊の様子は変わらず、爛れはじわじわと滲み続けている。

一旦、王から水の精霊を引き離すことに成功はしても、脅すような手はもう使えない。

領地の被害状況を見て、各方面に指示を出せば、宰相のリィドウォルが長く滞在する理由もない。


時間的余裕のない今になって、一体どうすれば良いのか分からないまま進めていた馬車が、午後のニの鐘を過ぎて、突然止まった。



護衛騎士のイルウェンが、馬車の扉を空かして声を掛ける。

「目的地で、魔獣が数体出ているそうです」





恋愛要素が足りてません……。


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