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沈みゆく船 (後編)

この回には、暴力的な表現があります。

苦手な方はお気を付け下さい。

ザクバラ国王は、変わらず寝台の縁に座っていた。

それなのに、今やその気迫と呼んで良いのか分からない気配に、室内の誰もが動くことが出来なくなっていた。

主人を守る役目の護衛騎士や近衛騎士さえも、麻痺したように身体を硬直させている。



「答えよ、リィドウォル。そなたは、タージュリヤの求めるように、私との契約()を解きたいのか。それとも、ただのタージュリヤの独りよがりか」

王の声は、掠れているが強い圧がある。


リィドウォルは浅い呼吸を繰り返した。


王の精神状態は普通ではない。

目の前には、忠臣であった年嵩の魔術士の亡骸が転がっている。

ここでタージュリヤを庇えば、自分も間違いなく絨毯の上に転がることになるだろう。

リィドウォルは、チラとタージュリヤを見た。

彼女もまた、怯えて動けず、リィドウォルが答えるのを縋るような瞳で見詰めていた。


タージュリヤを、ここで失うわけにはいかない。

まだ未熟ではあるが、尚の事、生まれ変わるザクバラ国の旗印として、相応しい若木なのだ。

しかし、ここで自分が死ねば、国は荒れ、詛は今後も受け継がれてしまう。

それだけは、どうしてもそれだけは避けなければならない。




「…………心外でございます」


リィドウォルは一つ息を吐いて、王に向き直ると、姿勢を正して跪礼した。

「私の忠信をお疑いになられますか?」

ふと、王の気が緩んだのが分かった。


「陛下がお眠りになっていた約二年、再び陛下の下で、この国の為に身を粉にする事を願い、あらゆる屈辱に耐えてきた私をお疑いならば、どうぞ処罰を」

リィドウォルは顔を上げ、王の落ち窪んだ瞳を真っ直ぐに見上げる。

「叔父上をただ一人の君主と誓い、今日まで生きてきました。疑われたままお側に侍るのは耐えられません。お疑いならば、彼のように……」

「リィドウォル。おお、リィドウォル、我が甥よ。そなた以上に信じられる者があろうか」

王が右手を下ろした。

「許せ。そなたを疑おうなどと、どうかしておった」


王の声音は掠れながらも柔らかく、暗い瞳には懐かしい温かな光が戻る。

しかし今は、そのどれもが空々しいものに感じられ、リィドウォルの胸を抉った。




室内を取り巻いていた、不穏な気配が収まり、ぎこちなく人々が動き出す。


護衛騎士がタージュリヤを立ち上がらせようとしたのを目に止め、ああ忘れていた、というような気軽さで王が口を開いた。


「私に忠臣を疑わせるような振る舞いをした王太子には、仕置きが必要であるな」

言葉と共に持ち上げられた右手を見て、タージュリヤが傍目で見て分かる程に身体を震わせた。

「……御祖父様、……わ、私は、そんなつもりでは……」

青褪め声を震わせる孫娘の姿を見て、何の感慨も窺わせず、王が金の指輪をはめた指先を上げた。



「お待ち下さい、陛下」

リィドウォルの制止に、王がグリと目玉を動かした。

彼は跪礼したまま、動いていない。

「仕置は、私にお任せ頂けないでしょうか」

「そなたが?」

「王太子殿下の専横によって、私のこの忠信を陛下に疑われる恥辱を晒しました。この場で晴らす権限を頂きたく存じます」


ふむ、と王は室内をぐるりと見回した。

確かに、侍従や近衛騎士のような、元々この室内であったことを口外出来ない者達だけでなく、前室に多く残っている文官や魔術士達にも事の顛末は見られている。

まだまだ未熟な若い王太子が、国王の臣によって辱めを受けるよりも、最側近のリィドウォルの恥辱を晴らしてやる方が、今の王にとっては重要であるように思われた。


「良かろう。但し、この場で行使せよ」

王の冷ややかな声が響いた。


タージュリヤは大きく息を呑んだ。

リィドウォルの主張も、王の判断も、何もかもが信じられなかった。

タージュリヤを庇うようにして前に出た護衛騎士は、王の命で近衛騎士によって取り押さえられた。


「御祖父様! お待ち下さい、違います、御祖父様! 御祖父様!」

護衛騎士を引き剥がされ、寝台の縁に座った王に懇願するも、近衛騎士に後ろから二の腕を掴まれて、その場から動けない。

リィドウォルが前に立ってタージュリヤを冷たく見下ろした。

「リィドウォル卿!」

慄きながらも、必死の思いでリィドウォルを睨んだタージュリヤを、リィドウォルは無表情で見返した。

その目に紅い色が滲む。

「やめ……っ」

目を合わせてしまったタージュリヤは、身体を強張らせ、視線を逸らすことが出来なかった。



「……大人しくなさっているべきでした」


呟くように言ったリィドウォルの右目が、一瞬で深紅に染まった。


その瞬間、タージュリヤの防護符が反応し、パンと乾いた音と共に、鼓膜が圧迫されるような強い衝撃波が二人の身体を弾いた。






日付が変わる頃、セルフィーネはザクバラ国へ戻る為、カウティスから離れる。


「明日、王城へ行ってから拠点(ここ)に来る」

「分かった」

カウティスが手を差し出した。


セルフィーネが本当にザクバラ国から帰って来たことを、マルクが通信で王城へ知らせると、また明日帰って来た時に、王城へも寄るようにと返信されて来たらしい。


セルフィーネは差し出された手を握る。

十日間はこうして会うことは出来ないと思っていたので、突然会えるようになって、否が応でも心は浮き立った。

「……カウティス」

「ん?」

「今日も会えて、嬉しかった」

恥じらうような声で言われて、カウティスもまた胸が弾む。

「俺もだ。明日も、待っているからな」

カウティスの笑顔に胸を温かくして、セルフィーネは空へ駆け上がった。



薄雲が流れて、月に掛かった。

さっきまで明るかった空は、薄暗く重い色合いに変わる。

見上げればずっと上の空には、天候を司る多くの水の精霊(同胞)の存在を感じた。

深夜からまた雨が降るかもしれない。


そんなことを考えながら、セルフィーネはザクバラ国中央の、オルセールス神殿に戻った。

天井から、祭壇の間へ滑り込む。


今夜は前列の長椅子にリィドウォルの姿はなかったが、よく見れば入口付近に魔術士らしき男が一人立っていた。

刺繍の刺された長いローブに、記章を付けているところを見れば、高位魔術士であろうことは分かる。

魔術士は、セルフィーネの魔力を何か考えるように暫く眺めていたが、何も言わずに扉から出て行った。

何処かで見たことのある男だと思ったが、出て行ってから、先月に国王の居室へ入った時にリィドウォルと共にいた男だと思い出した。

セルフィーネは首を傾げたが、それだけで別に気にしなかった。





水の季節前期月、五週二日。


日の入りの鐘が鳴って半刻、ザクバラ国魔術師長は、王城の客間へ入った。

豪華な寝台には、クッションで上半身を斜めに支えているリィドウォルがいた。


「よう、眠り姫。丸一日眠っているなんて、日頃の睡眠不足が祟ってるんじゃないのか?」

魔術師長の軽口に、リィドウォルは大きく溜息をついた。

「くだらないことを……、つっ」

しかし、酷い頭痛に思わず顔を歪める。

「無茶しやがって」

魔術師長は呆れたような顔で、机の側から椅子を引きずって来て座った。


昨夜、王の居室で魔眼を使ったリィドウォルは、タージュリヤの防護符の反発で昏倒した。

王城の客間に運び込まれ、丸一日意識のない状態だった。



「……王太子殿下は?」

「軽い脳震とうと、打ち身程度だ。もうとっくにお目覚めになっている。……まったく、何だって全開で魔眼を使ったりするんだか」

「……それしかなかった。殿下は防護符を身に付けられていた。もしあの場で陛下が魔術を使っていれば、防護符の反発で、下手をすれば命に関わる事態になっていただろう」


王に限らず、リィドウォルが魔術を発現しても、反発で互いに無傷ではいられない。

精神に影響を及ぼす、リィドウォルの魔眼を使うのが、魔術の反発としては一番物理的な傷は浅いはずだった。


「やはり防護符を身に付けておられると知っていたのか。それにしたって、全開でやる必要はなかっただろう。……もう少し己の身のことも考えろ」

防護符の反発は、術を使った方に大きく反る。

己の身を案じて力を弱めれば、その反発で王は防護符に気付く。

防護符を外してのやり直しを命じられれば、元も子もない。

リィドウォルもタージュリヤも昏倒するのが、一番都合が良かったのだ。




「神官に、こちらにも寄るように伝えておいた。水の精霊は、昨夜約束通り神殿に戻って来て、今夜も出て行った。確認は任せて、少し休め」

魔術師長は話を切り上げるように、椅子から立ち上がる。


「陛下の人格障害は進んでいる。悠長に構えてはおられぬ」

大きく息を吸って、寝台から起き上がろうとするリィドウォルの頭を掴んで、魔術師長が寝台へ押し返した。

「何を……」

再び頭痛に顔を顰めたリィドウォルを見下ろし、魔術師長は鼻で笑う。

「俺の手も避けられんようでは話にならん。せめて、神聖魔法で頭痛を消してから起きて来い」

寝台に転がったまま起き上がれないで、リィドウォルはそれでも魔術師長を睨み上げる。

全く怯む様子はなく、魔術師長は続けた。

「中央に駐在しているネイクーンの魔術士は、適当な理由を付けて、城下に集めておいた。……いつやる?」


睨み上げていた目を一度閉じ、再び目を開けてリィドウォルは低く言った。

「……明日だ。……水の精霊がネイクーンから戻った時に」


魔術師長は腕を組んで頷いた。






ザクバラ国が続きました。

華が足りないぃ……。


どんよりが続いていますが、続けて読んで下さっている皆様、ありがとうございます。

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