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協約改め

水の季節前期月、五週一日。


カウティスは王城で昨晩を過ごし、午前の二の鐘が鳴る頃、西部へ戻る為にラードと出発準備を整えていた。

しかし、出発間際になって王に呼び出され、ついさっき挨拶に訪れた王の執務室に、再び入室した。




「今しがた届いた物です」

宰相セシウムが、ザクバラ国から届いたという親書を机上に広げた。

読んでみろと、エルノート王が目線で示す。

カウティスとラードは、一度顔を見合わせてから、指示された通り親書に視線を落とした。



「セルフィーネの三国間移動を認める?」

読んでいる途中で、カウティスは思わず声を出した。


ザクバラ国からの親書には、水の精霊は三国の協約で定められた、月の五、六週を原則ザクバラ国内に留まる事とある。

但し、国内の水源に問題がなければ、水の精霊の意思により、三国間の移動を認める旨が足されてあった。



カウティスの鼓動が早まる。

もしこれが本当なら、セルフィーネは日を問わず、自由にネイクーンへ戻って来る事が出来ることになる。



「なまじ信じられた話ではないな」

エルノートの冷えた声が聞こえて、僅かに浮き立ちそうになっていたカウティスは、唇を引き結んだ。

相手はザクバラ国だ。

言葉通りに受け取って良いものかどうか、これだけでは分からない。


「確かに、鵜呑みには出来ません。それにしても、我が国から水の精霊を奪い取ろうとしていたザクバラ国が、なぜ急にこんな申し出を?」

カウティスは黒い眉を寄せて、親書を睨んだ。

「分からない。だが報告によれば、ザクバラ国では、最近国王が国政の場に復帰したという噂が流れているらしい」

「国王が?」


ニ年以上表に姿を見せなかったというザクバラ国王は、一部では死亡説も流れていたが、やはりそれはただの噂で、年末の政変は、国王復帰の為の布石だったのだろうか。


「では、国王が復帰して、水の精霊への対応を変えたということなのでしょうか」

ラードが無精髭の顎をなぞると、セシウムも難しい顔で軽く首を振る。

「どうでしょう。諜者の報告でも、派遣している魔術士の報告でも、“国王が復帰したらしい”というだけで、国政の場に姿を見せたという情報はないのです」


「どこまでが本当の事か分からないが、とにかくセルフィーネが戻れば、ここに書かれてある内容が真かどうかは分かる。真であれば、フルデルデ王国滞在期間のようにネイクーンへ戻って来るだろう。戻るとすれば、そなたのところか王城(ここ)だ。戻ったらすぐに知らせろ」

カウティスは強く頷いた。





日の入りの鐘が鳴って、西の空で太陽が月に替わった。

今夜は風が強い。

空には薄雲が流れ、丸い月は、時折青白い光を弱くする。



王城でザクバラ国の親書を見てから、カウティスは西部へ戻る間も、もしかしたらセルフィーネが今にも自分の下に帰って来るのではないかと思い、落ち着かない気分だった。

しかし、拠点に戻ってからも、セルフィーネがザクバラ国から戻ることはなかった。

マルクや拠点にいる魔術士達が見る限り、空に広がる魔力は回復傾向のまま、変化はない。


先月のザクバラ国滞在期間、セルフィーネは毎晩、日の入りの鐘から二刻程の時間に、川原へ来ていた。

もし条件が変わらないのであれば、きっと今夜もその時間に来るだろう。

だがその時間まで大人しく待っていられず、カウティスは夕食もそこそこに、一度川原へ下りることにした。


ラードとマルクと共に拠点を出て、疎らな木立を川原に向けて歩く。

昼間に弱く降った雨のせいで、伸びてきた下生えの中を歩くと、靴やマントの裾が濡れた。




突然サアッと風が吹き、頭上の葉から落ちてきた水滴に、カウティスは咄嗟に目を細めた。

同時に、風に朝露のような蒼い香りが混じった気がして、はっと目を開ける。

「あっ! 王子……!」

マルクが声を上げた一拍後に、カウティスの胸に軽い風圧と声が届く。

「カウティス」


あの香りは気の所為ではなかった。

セルフィーネが戻って来たのだ。


カウティスは、その蒼い香りを吸い込み、この胸に彼女が添っていることを確信する。

両腕で彼女を抱き締めて、優しく言った。

「おかえり、セルフィーネ」





「では、三国間の移動を認めたことは、間違いないのだな?」

カウティス達は拠点の居住建物に戻り、改めてセルフィーネに話を聞いていた。

マルクはセルフィーネが戻ったことを、取り急ぎ王城へ知らせる為に、魔術士の詰所へ行った。


「原則として、十日間はザクバラ国内にいて欲しいとは言われた。神殿は先月と同じく留まることを認めているので、そこで回復に努めるようにと。……それで、後は私に任せると」

「そなたに任せる?」

セルフィーネの声が僅かに弾んだ。

「私が戻りたい時があれば、ネイクーンへ戻っても良い、と」


カウティスとラードは顔を見合わせた。

確かにそれは、あの親書に書かれてあった通りだ。

「そなたにそれを話したのは、もしかして国王か?」

「違う。リィドウォル卿だ」

「では、急に態度を軟化させた理由を言ったか?」

セルフィーネはコクリと頷く。

「私の意思を尊重したいと言われた」




昨夜、ザクバラ国の祭壇の間で、リィドウォルから説明を受けた。


セルフィーネがネイクーンへ戻りたければ、今後ザクバラ国は止めないという。

ただ、先月タージュリヤ王太子が乞うたように、ザクバラ国の澱んだ気を払う為に、出来る限りザクバラ国内で回復に努めて欲しいと言われた。

セルフィーネが国内に留まっていることで、ザクバラ国の澱んだ気は薄まり、魔獣の出現も減る。



セルフィーネは思わず確認した。

「どうして、制限を緩める?」

「お前は先月、我等の協力要請に、誠意を以て応じた。そのおかげで、澱んだ気は薄まり、長く床についていた、国王陛下の容態にも変化があった」

リィドウォルは一度深く呼吸した。

「誠意には、誠意で返すべきだろう。お前の意思を尊重したいと思う」



その言葉に、セルフィーネの心は浮き立った。

日に一度だけでも、カウティスの側に行くことが出来れば良いのにと思っていたが、戻りたい時に行って良いというのだ。


ザクバラ国がセルフィーネの意思を尊重し、フルデルデ王国のように対応してくれるのなら、憂いはとても少なくなる。

祭壇の間(回復の場)を用意されているのだから、カウティスが公務に当たっている昼間や、眠っている夜中にザクバラ国内にいても、一向に構わない。



即座に了承の返事をしようとして、ふと、エルノートから『全てを信じるな』と言われたことを思い出した。

言葉を飲み込み、俯いて考える。


疑う要素は、どこにあるだろう。


疑おうと思えば、何だって疑えるのかもしれない。

だが、『誠意には誠意を以て返すべき』という言葉を、どうして疑えるのだろう。

それに、例え何かあっても、セルフィーネは越えようと思えばいつだって国境を越えられる。

ただ、三国の均衡や、ザクバラ国の民のことを考えて、越えていないだけだ。

そして、リィドウォルはそれを分かっている。


第一、フルデルデ王国の西部で、ザクバラ国からの魔獣の流入で被害があったことを考えれば、既に、澱んだ気はザクバラ国一国の問題ではなくなっているのかもしれない。

セルフィーネの護りが弱くなった今、ネイクーンにも影響が出ないとは言い切れない。


アナリナには全て背負うなと言われたが、ザクバラ国内で回復に努めているだけで澱んだ気を薄めることが出来るなら、それは一人で無理をしていることにはならないだろうとも思った。




今すぐにでもネイクーンに駆け戻りそうに見える魔力を、リィドウォルは苦笑いして見遣った。

「我が国からの親書がネイクーン王城へ届くのは、おそらく明日の午前だ。我が国の事情を考慮してくれるのなら、明日の夜までは、まず留まって欲しいがな」


セルフィーネは顔を上げた。

「……分かった。とにかく今日は、日の入りの鐘まではここにいる。明日からも、出来る限りザクバラ国内にいよう」

リィドウォルはゆっくりと頷いた。





「日に一度はネイクーン(こちら)に戻る。出来ればそれ以外は、ザクバラ国内で回復に努めるつもりだ」

日に一度と言うセルフィーネの言葉を聞いて、カウティスが僅かに眉を寄せる。

「……そなたがザクバラ国に滞在する理由があるのだな?」

セルフィーネは何も答えないが、困ったような雰囲気が伝わった。

おそらく、内情に関わる事で、答えられないのだ。


「すまない、答えられないことを聞いたのだな。とにかく、そなたが戻って来られるようになったことを喜ぼう」

訝しんで備えるのは、人間(こちら)の仕事だ。

セルフィーネには、心を軽くしていて貰いたい。



セルフィーネが、ほっと息を吐いたのが分かった。

「昨夜、名残惜しく魔力干渉してもらったのに、すまない」

恥じらうような小声で言う。


「『名残惜しく魔力干渉』ですか……」

ラードが含みのある目を向けるので、カウティスは鼻の上にシワを寄せた。

「復唱するな。あっ、そういえば、そなたセルフィーネに妙な言葉を教えるな!」

「妙な言葉? ああ、『がっつくな』ですか? じゃあ、言われるような羽目になった訳ですね?」

「うっ、うるさいっ!」

ラードのにやけ顔に、カウティスが噛み付き、セルフィーネが楽しそうにふふと笑った。






ザクバラ国の魔術士館の外では、リィドウォルと魔術師長が、夜空を見上げていた。


「それで、水の精霊(お嬢さん)は嬉々としてネイクーンへ戻った訳か。本当に戻してやる必要があったのか?」

吸いかけの巻煙草を咥えたまま、魔術師長がリィドウォルの方へ視線をやった。

「水の精霊は自らの意思でザクバラ国に残ることになるのだ。帰りたければ帰れるのだということを、ネイクーンの者達に示しておかねばならぬだろう」

「……もし、こちらへ戻ってこなかったら?」

リィドウォルは空を見上げたまま、鼻で笑う。

水の精霊(あれ)が? 有り得んな。私に礼を言って、約束して行ったぞ」



日の入りの鐘が鳴って、ネイクーン王国へ戻る前、本当に戻って良いのか不安だったのか、水の精霊はリィドウォルのいる文官棟までやって来て聞いた。


「本当に、ザクバラ国を出ても良いのか?」

「言っただろう。お前の意思を尊重する。戻りたいなら戻れ」

リィドウォルの言葉を聞いて、窺うように揺れていた魔力の纏まりが、パッと輝いた。

「ありがとう。十日間、必ずザクバラ国(こちら)に戻るから」




魔術師長の巻煙草が、口から落ちそうになった。

「……本当に“お嬢さん”だな」

「リィドウォル様!」

半ば呆れたように言った魔術師長の言葉に重なるように、リィドウォルを呼ぶ声が近付いた。

あれは、王の侍従の一人だ。


「お探ししました。陛下が急ぎ居室へ参るようにと……」

青褪めた侍従の言葉が、不吉な気配を含んでいた。







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