仮の姿は
午後の休憩時間に、セルフィーネは王の執務室にやってきた。
エルノート王は、メイマナ王女との短いお茶の時間を過ごしていた。
「セルフィーネ、来たか」
魔力の纏まりに気付き、エルノートが声を掛ける。
メイマナも気付いて立ち上がろうとするので、セルフィーネは止めた。
「礼は良い。……お茶の時間を邪魔してしまったな。すまない」
突然、どこからともなく聞こえた水の精霊の声に、侍従や侍女達は驚いた様子だった。
だが、メイマナはセルフィーネに向かって、にこやかに微笑む。
「お会いできて嬉しいですわ。水の精霊様も、こちらにお座り下さい」
あまりにも自然に席を勧めるメイマナを見て、セルフィーネは戸惑う。
「……私は、まだ姿を持たない」
「いいえ? ここに、いらっしゃるではありませんか」
メイマナ達には、おそらく、ぼんやりとした魔力の纏まりにしか見えないだろう。
それなのに“ここにいる”と言ってくれることがセルフィーネは嬉しかった。
これ程不安定になっても、セルフィーネが消えていないのだと、ネイクーンの皆は教えてくれる。
セルフィーネの魔力が、嬉しそうに明るい色を滲ませて、ふるりふるりと揺れると、メイマナの隣に収まった。
その様子は、慰問で西部を訪れた時に、カウティスの胸に留まっていた時の事をメイマナに思い出させる。
「……相変わらず、可愛らしい……」
「か、……かわいい!?」
口元をふっくりとした手で覆い、錆茶色の目を潤ませるメイマナを見て、セルフィーネは目を見張る。
そんな二人を目の前にしたエルノートは、思わず噴いた。
ようやく笑いが収まってきて、エルノートは笑い含みに口を開く。
「それで、何か用があったのでは?」
「……フルデルデ王国との連携を急いでくれたことに、礼を言いたかった」
笑われたからか、何処か拗ねたような声で、セルフィーネが言う。
「おかげで、とても居心地よく過ごせたし、アナリナにも会えた。感謝している」
「確かに連携は急いだが、そなたの為だけではない。私達が縁を結べば、今後そうしていこうと考えていたからな。それに、居心地よく過ごせたのは、フルデルデ王国の人々のおかげだろう。特に、女王陛下は懐の深いお方だ」
思うところがあるのか、感慨深く言うエルノートに、メイマナは照れたように微笑む。
「我が母をその様にお褒め下さり、恐縮ですわ」
「確かにフルデルデ王国では、王族をはじめ、貴族院や魔術士館の者達も、私を好意的に遇してくれた。だが、それもネイクーンが友好的に根回しをしてくれたからこそだろう。……ありがとう」
エルノートは頷く。
「これからも、出来ることはもっと増やすつもりだ。……だからこそ、ザクバラ国の事を聞いておきたい」
セルフィーネの魔力が、ビクリと震えた。
エルノートは笑みを消し、薄青の瞳でセルフィーネを見据える。
「カウティスは、そなたを思って聞かないかもしれない。だが、今後も三国共有が滞りなく続いて行くためには、あの国がそなたをどのように扱うのかを知らねばならない。セルフィーネ、話せることだけ、ここで話せ」
各国の国政に関わる情報や内情を、水の精霊を通して手に入れることを禁ずる。
これは三国の協約で定められた事だが、そもそもセルフィーネには、そんなことをするつもりは全くない。
水の精霊としての役割には、関わりない事だ。
ネイクーンにいた頃も、水に関係する事案以外に、自ら関わることもなかった。
「ザクバラ国では、辺境の空にずっと留まっていて、特に誰とも関わっていない。……だだ、『十日間、僅かにもザクバラ国領土を出ることは許さない』と言われた。『お前の全てはザクバラ国のものでもある』とも……」
「そなたにそれを言ったのは、リィドウォル宰相だな?」
セルフィーネの魔力が頷くように動いた。
セルフィーネは、リィドウォルの目を思い出した。
しかし、昨夜はあれ程苦しかったのに、今は不思議と落ち着いていた。
そっと、左手首のバングルを撫で、自分の手足には何の枷もないのだということを、改めて確かめる。
カウティスを想うと心が温まり、もう怖がる必要はないように思えた。
「ザクバラ国に派遣した魔術士達からの報告では、水の精霊を損ねない為の取り組みには、どこも概ね前向きに協力がされている。リィドウォル宰相と魔術士館が、統括管理しているようだな」
以前よりザクバラ国は、フルブレスカ魔法皇国に、水の精霊を与えて欲しいと嘆願を送り続けてきたのだ。
三国共有とはいえ、手に入った水の精霊を、無下に扱うことはしないだろう。
「それにしても、なぜそれ程にザクバラ国は水の精霊様を欲したのでしょう。水源に不安があるのでしょうか? それとも、水に関する国の事業計画でも?」
メイマナが、隣に座るセルフィーネを見て尋ねる。
「水源は、水質も水量も問題ない。むしろ、よく管理されている印象だ。それ以外は分からない」
ザクバラ国にいる間、余裕がなくて感覚を狭めていたセルフィーネには、水源以外のことは全く見えなかった。
「……これから、そなたが回復するにつれ、何か露見していくかもしれないな。とにかく先ずは回復に尽きる。そなたのその朧な魔力は、霧で作った人形よりも、ある意味心臓に悪い」
メイマナも控え目に頷く。
魔力素質の低い二人には、セルフィーネは今にも消え失せてしまいそうに見えるのだ。
「魔力を消耗せず、せめてあの霧の人形のように、仮の姿を作れないものでしょうか」
「仮の姿?」
メイマナの言葉に、セルフィーネは首を傾げる。
「はい。そうすれば、魔力素質の低い者にも、魔力素質のない者にも、皆同じ様に水の精霊様の存在を感じられますし……」
メイマナは、侍従や侍女のハルタを見る。
彼等は、セルフィーネが人形だった頃には、水柱が立つのが見えるだけで、声も聞けなかった。
進化して魔力の塊の姿を手に入れてからは、その美しい姿を見て、声を聞くことが出来た。
しかし今、何もない空間に水の精霊がいて、水から突然声が聞こえてくる事に驚き、戸惑っている。
目に見える何か、仮の姿になるものがあれば、水の精霊の存在を、もっと近くに感じられるはずなのだ。
「何か、仮の姿……。例えば、このように?」
セルフィーネはそう言って立ち上がり、執務机に近付くと、今は明かりの灯っていない魔術ランプに手を伸ばす。
ランプは眩しい程に光を放った。
近くにいた侍従は、驚いて飛び退く。
「セルフィーネ、何をしている?」
眩しさに目を細めて、エルノートが言った。
「これで、誰にでも私がいると分かるかと思って」
セルフィーネは魔石の代わりに、自分の魔力を使ってランプを点けた。
ランプがひとりでに点いたり消えたりすれば、誰にでも気付いてもらえるのではないかと考えたからだ。
生活の魔術具に魔力を使うくらいは、消耗とは言えない。
「……確かに分かるかもしれないが、その前に、皆驚くな。それに、それは仮の姿とは言えないだろう。そなた、ランプが自分の姿で良いのか?」
エルノートが可笑しそうに笑うので、セルフィーネが再び不機嫌そうな声になった。
「魔術具が小さいものしかないのだから、仕方がないだろう」
「……魔術具であれば、何でも動かせるのですか?」
メイマナが白い人差し指を顎に当てて、首を傾げた。
「魔石で動く物だから、おそらく何でも動かせるだろう」
セルフィーネの返事に、メイマナが嬉しげ気に手を叩く。
「それならば、縫いぐるみはどうでしょうか!」
「……縫いぐるみの魔術具とは、どういう物だ?」
セルフィーネにはピンとこなくて、問い返す。
「貴族向けの子供の玩具にあるのですわ。魔石で動く、可愛らしい縫いぐるみが! このくらいの大きさで……、あれなら、水の精霊様が動かして喋れば、とてもとても可愛くてピッタリです! ええ、ぜひそういたしましょう! ハルタ、ひとつ手に入れてちょうだい」
両腕で抱える程の大きさを示しながら、何故か物凄く嬉しそうなメイマナが、ハルタに指示を出し始めた。
「どのような縫いぐるみを?」
ハルタが聞けば、メイマナは満面の笑みで即座に答えた。
「白いウサギが良いわ!」
ふわふわの白ウサギの大きな縫いぐるみが、セルフィーネの代わりに城内を歩く様を想像して、メイマナは目を輝かせ、エルノートは再び噴いた。
ようやく二人がどういう物を想像したか理解したセルフィーネが、見えない眉を寄せる。
「……そなた達、楽しんでいるな?」
「そんなことはありません! でも絶対に可愛くて、水の精霊様に似合うと思うのです!」
上気した頬を緩めているメイマナと、可笑しそうに笑い続けている王に、セルフィーネはむっと唇を歪めた。
「もう良い。すぐに回復して、姿を現して見せるから、仮の姿など要らぬ。……邪魔をした」
魔力の纏まりが、ツンと顔を逸らすように動くと、フイと消えてしまった。
「あっ、水の精霊様……。行ってしまわれました。怒ってしまわれたのでしょうか?」
残念そうにメイマナは辺りを見回す。
「回復に意欲的になったようで、良かったのではないか?」
笑いの収まらないエルノートが、拳で口を押さえて立ち上がる。
そろそろ休憩を終えるようだ。
「メイマナ様、縫いぐるみはどうしますか?」
ハルタが聞くので、メイマナは少し考えたが、やはりさっきの想像を諦めきれなかったらしく、笑って言った。
「ひとつ、手に入れておいてちょうだい」




