俺だけのもの
セルフィーネの聖紋が、熱を持った。
「あっ……」
白い光を放出出来ずに苦しんだ時のように、肩下で聖紋が焼ける。
カウティスの目には、セルフィーネの魔力は見えない。
それなのに、セルフィーネの小さな喘ぎに視線を落とせば、腕の中で確かに、少し欠けた聖紋が白く浮き出るように輝いていた。
そこに、セルフィーネが確実に存在する!
カウティスは迷いなく右手の皮手袋を取り、白く浮いたセルフィーネの聖紋に右手を合わせた。
カウティスの右手が彼女の肩下に触れ、チリと焼けたように感じると、二人の文様が合わさり、完全な聖紋になった。
いつの間にか、周りに極薄く水色の魔力が漂っていた。
その中にセルフィーネの細い髪のように流れる、青銀の魔力が見える。
辺りは青白い月光と共に、青銀の光の粒が、闇の中を霧のように散っている。
風もなく、湿った土の匂いもしない。
初めて魔力干渉をした時のように、月光神が手助けしてくれたのか。
「カウティス……」
呼ばれて、カウティスは我に返る。
腕の中には、セルフィーネがいた。
陶器のような肌を流れる、薄紫の滲む水色の髪。
柔らかな曲線の素肌の肩。
長いまつ毛の下には、潤む紫水晶の瞳。
淡紅色の薄い唇が、小刻みに震えている。
「……ああ、やっとそなたを思い切り抱き締められるな」
カウティスは力を込めてセルフィーネを抱き締めた。
僅かな隙間を埋めるように、彼女がカウティスの背に腕を回す。
細い指が、背中で騎士服を握ったのが分かった。
確かな感触に、胸が震える。
「……月光神様が、御力を貸して下さったのだろうか」
腕の中から、細い声が聞こえる。
「……そうだな。きっと、そなたを見守っているのだ。だから、元気を出せ」
半ば怒りに任せて祈ったのだとは言えず、カウティスはできるだけ優しい声で言った。
「こうしてカウティスに触れてもらえると、それだけで力が湧く気がする……」
セルフィーネがカウティスの胸に、額を擦り付ける。
カウティスはこのまま掻き抱きたい衝動に駆られたが、今はその時ではないと耐え、口を開いた。
触れ合える今しか、聞けない気がした。
「セルフィーネ、ザクバラ国で、何者かがそなたを傷付けたのか?」
腕の中で、彼女の身体がビクリと震えた。
「…………私の全ては、ザクバラ国のものでもあると言われた」
口にするセルフィーネの身体に、怖気が湧く。
「あれからずっと、手足に枷が付けられたようで、苦しい……」
それがどうしょうもなく、彼女の気力を削いでいく。
それを言ったのは誰なのか、問い詰めたいのを必死に抑え込む。
腹立たしさに密かに奥歯を噛んだが、カウティスはそれをセルフィーネに気付かれないよう隠した。
今は彼女の心を少しでも軽くしてやりたい。
「セルフィーネ、手首を見せて」
カウティスが優しい声で言うので、セルフィーネは騎士服を握っていた手を離し、そろそろと手を胸の前に戻した。
「そなたの手足には、枷なんて付いていない」
カウティスは左手の指で、セルフィーネの左手首で揺れるバングルを撫でる。
「ほら、俺からの贈り物があるだけだ」
セルフィーネは目を瞬いた。
左手首で愉し気に揺れる、飴色のバングル。
番の水鳥が、穏やかに添っている。
「水の精霊は、今は三国共有のものになったが、セルフィーネの心はここにある。そなたの心は自由だ。そなたがネイクーンのものだと思えば、それが真実だ」
カウティスが笑い掛けると、セルフィーネの瞳に涙が溜まっていく。
「…………私は、ネイクーン王国の水の精霊だ。今でも、これからも」
「ああ。それでいい」
紫水晶の瞳から、大粒の涙が溢れる。
一度溢れ出すと、止まらなかった。
ポロポロと溢れる涙を拭ってやりながら、カウティスは何処か照れたような笑みを浮かべる。
「それに、本音を言えば、そなたは三国のものなんかでなく、俺だけのものだと思っている」
セルフィーネは涙に濡れた目を見開いて、カウティスを見上げた。
「もう一度。……カウティス、もう一度言って欲しい」
ほんのりと染まるセルフィーネの頬を撫でる。
「そなたは、俺だけのものだ、セルフィーネ」
「嬉しい……」
カウティスは、微笑むセルフィーネに顔を近付ける。
「ずっと、どこにいても、いつだって。そなたは俺だけのものだ。……忘れるな」
小さく頷いた彼女に、カウティスは口付けた。
止まらずに溢れる涙と、カウティスの身体から伝わる熱に、セルフィーネの中に冷たく残っていたものが、ようやく全て溶け出ていった。
翌日、光の季節後期月、一週二日。
「よく似た主従ですねぇ」
カウティスが執務室代わりに使っている部屋で、呆れ顔で言ったのはラードだ。
無精髭の顎を掻きながら、カウティスとマルクの顔を見比べる。
二人の額には、魔術士館の若い魔術士が考案した、額を冷やす水属性の魔術符が貼られてあった。
服装は騎士服と緑ローブなのに、落書きされた小さな張り紙を額に貼られているようで、なかなかおかしな格好だ。
「みっともないので、この部屋を出る時は除けた方が良いですよ、王子」
言われたカウティスが、鼻の上にシワを寄せる。
「うるさい。……だが、いちいち布を水で冷やさなくて良いのは、面倒がなくて良いな。薬師館で使えるようにしたらどうだろう」
「良い案かもしれませんね。魔術士館に戻ったら検討してみます」
マルクは、額の魔術符を触りながら頷く。
昨夜はあの後、庭園に衛兵が見回りに来て、二人の聖紋は離れた。
誰も来ないと思っていたが、カウティスが大声で叫んだのが不味かったらしい。
聖紋が離れた途端、セルフィーネの姿は見えなくなった。
それと同時に、カウティスは脱力感と頭痛に襲われた。
カウティスの祈りで、神聖力が発現した為だ。
神聖力の発現には、生命力を使う。
カウティスの持つ半端な神聖力では、発現するのに随分と生命力を使うことになったのだろう。
辺境で一日中魔獣と戦った後のように、身体が重く、その場に座り込み、衛兵の手を借りて王城に戻った。
体力的には一晩休めば概ね回復したが、頭痛が完全に引かないので、この体たらくだ。
マルクも同様のようだ。
「二人共、私の為に無理をさせてしまった。すまない」
カウティスの胸のガラスの小瓶から、申し訳無さそうな声がする。
「気にするな。そなたが元気になってくれて嬉しいのだから」
カウティスが笑って言えば、マルクも大きく頷く。
「そうです。少しでもお役に立てて嬉しいです。今度はもっと上手く魔術符を作って見せますから」
セルフィーネは見えない頭を振る。
「いけない。あれは、魔術士一人が発現して良いような符ではない。……マルクに何かあったら、私は悲しい」
「そ、そんな、勿体ない……」
「それに、マルクはそんなことをしている時間はないはずだ。昇給試験は、今月だろう?」
マルクは驚いて目を瞬いた。
「……知っておられたのですか?」
「試験日程と受験予定者が貼り出されていた」
ネイクーン王国の魔術士達は、毎年光の季節後期月半ばに試験がある。
昇給試験はその後、月末頃だ。
マルクは今年、最上級の濃緑ローブを目指して試験を受ける。
「来月ザクバラ国から戻った時には、濃緑ローブ姿のマルクを見られるのを、楽しみにしているから」
「は、はい! 頑張ります!」
応援されて、感極まった様子のマルクを見て、カウティスは笑う。
そして、『来月ザクバラ国から戻った時に』と、セルフィーネが躊躇いなく言ったことに安堵した。
昨夜の神聖力の発現から、セルフィーネの気力は随分回復したように思える。
ミルガンやマルクが見たところ、セルフィーネの纏まった魔力は、回復が足りず弱いままだが、今朝には不安定さがなくなったという。
このまま揺さぶられることなく、回復を進めていければ良いと、カウティスは思った。
「明後日には、西部に戻る予定だが、セルフィーネも一緒に行くだろう?」
頭痛のせいで一旦休憩したカウティスが聞くと、少し弾むような声が返ってきた。
「行く。フルデルデ王国へ向かうまで、一緒にいても良いだろうか?」
「良いも何も、…………一緒にいたいから俺といてくれと言っているんだ」
カウティスが照れたように鼻の頭を掻く。
ラードとマルクが聞いてない振りをしながら、こっそり笑っているのに気付いて、カウティスが睨むと、ふふ、とセルフィーネの小さな笑い声がする。
鼻先で、蒼い香りが僅かに濃くなった。
久しぶりに聞く、くすぐったいような笑い声と、濃くなる香りに、胸が強く打った。
こうしてカウティスの側にいられること。
そして、共にいて欲しいと求められることを、セルフィーネはとても幸せに思った。
「一緒に、いる」
改めて口に出し、これからもずっと共にいる未来を、心の中で描いた。
冷え○タ魔術符……。
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