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ザクバラ国の空

光の季節前期月、五週一日。


深夜、日付けが変わる頃。

ザクバラ国の北部国境に、闇に紛れて魔獣を駆って来たのは、フルブレスカ魔法皇国の竜人ハドシュだ。


彼は、馬に似た大型の魔獣の手綱を引いてその場で止まると、馬上で顔を上げる。

雨上がりで湿った空気の中、月は薄雲で半分程隠れていた。




年が明けた瞬間、数百年生き続けてきた水の精霊の契約が更新された。

以前の契約魔法陣に亀裂が入っていたことで、今回の更新に影響が出るかもしれないと危惧していたが、そのような事は起きなかった。

水の精霊の増大した魔力は、三国の空に引き伸ばされ、散り散りに消えるかもしれないと思ったが、踏み止まり、何とか繋がった。


そこまでは、予想していた事だった。

消滅するかもしれないし、消えずに留まるかもしれない。

どちらにしろ、精霊という存在以上になろうとした、“ネイクーンの水の精霊”は消える。

そう考えていたのに。


ハドシュは、僅かに深紅の瞳を細める。


見上げる暗い暗い空に、鮮やかに色を放っているのは水の精霊の魔力だ。

年が明けて三国に斑に伸びた水の精霊の魔力は、まだ一月も経っていないというのに、既に均整のとれた網目状に広がっている。


ネイクーン王国の王族と魔術士達を中心に、水の精霊の魔力を保つ試みが成されているのは知っていたが、そんなものは微々たるものだと思っていた。

しかし、この回復ぶりを見れば、人間達の魔術力のみならず、実行力や団結力も侮れないのかもしれないという考えが浮かぶ。



『 この大陸を覆い尽くし、全てを動かし始めているのは人間だ。竜人族(我等)は既に、人間を導く役割を終えている 』



シュガの言葉が頭を過り、思わず馬上で強く首を振る。

そんなはずはない。

人間が侮れない力を持っているのだとしても、竜人族は、世界の全ての存在の頂点に立つ種族なのだ。


「ぐっ……」

ハドシュは喉元を大きな手で押さえた。

ネイクーン王国の第二王子に付けられた傷は、鱗のような硬質な皮膚を割り、完全には消えずに残った。

時折こうして痛みを持ち、あの時の屈辱を甦らせ、彼を苛立たせる。



『 その溢れ出る感情こそが、我等が人間に感化されている証だろう。過去には竜人族に喜怒など無かったはずだ 』



――――忌々しい。

追い打ちを掛けるシュガの言葉に、ギチ、とハドシュは牙を鳴らした。




日付けが変わり、水の精霊がザクバラ国の領土に入った。

仄かに色合いと輝きを増す空の魔力に、ハドシュは見入る。

そうしている内に、苛立っていた心が不思議と凪いでいた。


ふと、この美しい魔力が再びあの揺蕩う層に戻れるだろうかと、頭の片隅で気にしている己に気付き、ハドシュは呆然とした。


ネイクーン王国の水の精霊を、物言わぬ元の精霊に戻すべきだと思っていたのに、一体いつからこんな事を思うようになったのだろうか。

ネイクーンの西部で、青銀の輝きが混じる空を見てからか。

…………それとも、傷付く第二王子の姿に涙する、儚い水の精霊を見てからか。



初めて持つ感情に困惑しながら、ハドシュは空を見続けていた。






日付けが変わり、セルフィーネは西部の空から、ベリウム川を越えて越境した。



西部に留まってから、ずっと対岸にあったはずの空を、初めて意識する。

ザクバラ国もまた、ネイクーン王国やフルデルデ王国とは違う空気感だ。

他の二国に比べて、なんとなく重く感じる。

セルフィーネは、ベリウム川が見えなくなる所まで駆けて、一度止まった。


ザクバラ国も、三国共有になって既に()()いたし、地理も理解している。

ここから見たところ、各地の水源はよく保たれていて安心だ。

フルデルデ王国でそうしたように、まずは王城の上空に留まるべきかと思い、セルフィーネは再び動き出した。



雨上がりの空には薄雲が多く、月は半分以上姿を隠してしまっている。

月光の助けがないからなのか、セルフィーネは、ザクバラ国の空を何故か思うように駆けることが出来なかった。

動きづらさに戸惑って、再び止まる。

止まってしまうと、もう一度駆けようという気になれなかった。


向かっていた王城の方向である北西は、こちらよりも更に暗く、禍々しく感じ、じわりと後退る。

気が付くと、自分のまわりに闇がまとわり付いているようで、ぞっとした。


セルフィーネは辺りを見回す。

上を向けば、更に上の空には、天候を動かす為に、風の精霊と水の精霊が世界を薄く覆っている。

下を向けば、広い大地には、地を満たす為に、土の精霊と火の精霊が根を張っている。


精霊(同胞)達に、特に異変は感じない。

それなのに、この気分の悪くなるような、澱んだ空気はどうしたことだろう。



セルフィーネは知らず知らずに後退っていた。

王城のある中央部には、行けない。

行ってはいけないと思った。



セルフィーネは踵を返し、国境地帯へ向けて戻る。

暗いベリウム川の水面が、僅かに見える所まで戻ると、そこで止まった。

これ以上戻っては、ネイクーンの岸がはっきりと見えてしまう。


カウティスのいる拠点を見てしまったら、今すぐに戻りたくなる。


苦しくて、見えない胸を押さえ、セルフィーネは下を向く。

何処にも行く所がないような気がして、セルフィーネは日の出の鐘が鳴って陽光が差すまで、その場に留まっていた。





五週五日。


ザクバラ王城の廊下の窓から、タージュリヤ王女は空を眺めていた。

月光冴え渡る夜空に、水の精霊の魔力が網目状に広がっている。


ザクバラ国に入っているはずの水の精霊は、数日前から待っているが、中央部には現れていないようだ。

魔術士に話に聞いたところでは、ネイクーン王国の水の精霊であった頃は、強い魔力の纏まりのように見えていたという。

三国共有のものとなり、随分と引き伸ばされてしまったので、今は纏まって存在を示す程の魔力はないのではないかと言っていた。

ザクバラにいる今月末までに、その魔力(姿)を見ることは出来るだろうか。



タージュリヤは固い表情で、小さく息を吐く。


王太子であった父が亡くなり、本当の意味での後ろ盾は祖父である王だけになった。

祖父を軟禁し、扱いやすい小娘を王に就けて、自分達の思うままに国を操ろうとしていた、ザールイン以下貴族院上層部は片付けた。

これから国王になり、この国を率いていく為には、リィドウォルの力は必須だ。

彼は腐敗する政権の中でも、忠実に王に仕え続け、特に地方貴族達の信頼は厚い。

若輩の身で国政を担う為には、新しい勢力だけではいけない。

必ず彼には、近くで仕えてもらわねばならないと思っていた。




もう一度小さく息を吐いて、窓から離れたタージュリヤの視界に、宰相の黒いローブを揺らして歩く、リィドウォルの姿が入った。


「リィドウォル卿」

声を掛けられたリィドウォルが、立ち止まり、護衛騎士と共に立礼した。

「また、屋上へ行っていたのですか?」

リィドウォルの歩いて来た方向は、掲揚台のある屋上へ上がる階段の方だ。

「はい、殿下」

「……水の精霊は、中央部には来ていないようですが、その内来るのでしょうか」

「政変で多くの血が流れた後です。精霊というのは血を嫌いますので、今は来れないのでしょう。ですが、魔力の回復が進めば、王城付近に留まらせましょう」


当たり前の事のように言ったリィドウォルに、タージュリヤは軽く首を傾げる。

「そのようなことが出来るものなのですか?」

「ネイクーン王国の水の精霊は、普通の精霊とは違い、感情や意思があります。そのような者は、いくらでも従わせる方法があるものです」

タージュリヤは内心ヒヤリとする。

表情を変えず、冷徹な事を淡々と言うリィドウォルは、決して敵に回したくない。



以前、政変の計画を持ち掛け、政変後の地位の約束と、タージュリヤに仕えて欲しい旨を明かした時、リィドウォルは、政変には協力するが、王に“血の契約”を課されているので、仕えるのは無理だと答えた。


“血の契約”を解くには、契約者の王が正気を取り戻し、契約を解除しなければならない。


今の国王の状態から、正気を取り戻させるのは無理だと思ったが、リィドウォルは、ネイクーン王国の水の精霊を手に入れられたら可能だと言った。

そして、タージュリヤが水の精霊をザクバラのものにすることを手助けしてくれるのならば、“血の契約”を解いた後に仕える事を約束した。


水の精霊の魔力の効果については、タージュリヤは半信半疑であったが、先日、王が目を覚ましたことを見るに、もしかしたらリィドウォルの言う通り、あの清浄な魔力を以てすれば可能なのかもしれないとも思った。




リィドウォルは再び立礼すると、背を向けて歩き出す。


タージュリヤは、リィドウォルの後ろ姿を見詰めた。

態度こそ礼節を保ち、敬ってくれているが、彼の忠信は、未だ祖父であるザクバラ国王のものだ。

“血の契約”が解かれた時、彼のあの忠信が自分に向けられることを、タージュリヤは切に祈った。






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