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三国共有

カウティスは泉の庭園に急いだ。

既に日の入りの鐘から、一刻半は過ぎている。

今日という日は、後一刻と少しだ。


感謝祭の間、セルフィーネは上空にいたが、今は王城に降りているとマルクに聞いた。

それならば、泉で月光を浴びているはずだ。




カウティスは花壇の小道を走り抜け、小さな庭園に飛び出す。

しかし、中央の小さな泉には、細い噴水がサラサラと音を立てているだけで、セルフィーネの姿はなかった。

「……セルフィーネ?」

カウティスの心臓はザクザクと不吉な音を立てる。

まだ今日という日は終わっていないのに、なぜ彼女の姿がないのか。


再び名を呼ぼうと口を開いた途端に、後ろから柔らかな腕で抱きつかれた。

「セルフィーネ!」

「ふふ、驚いたか?」

身を捩って後ろを向いたカウティスを、悪戯な笑顔で見上げる、マント姿のセルフィーネがいた。

「いつも待ってばかりだから、一度驚かせてみたかっ……」

力任せに抱き締められて、セルフィーネの声が詰まった。

「…………心臓が止まるかと思っただろう」

カウティスの切ない声がして、セルフィーネは額を胸に擦り付ける。

カウティスの早い鼓動が耳に響いた。





セルフィーネが泉の縁に座るので、カウティスは手を伸ばして頰に触れる。

空気の密度が濃くなったようないつもの手触りで、実体を感じられないことに、心の内で落胆した。



「感謝祭をずっと見ていた」

セルフィーネはふわりと笑む。


カウティスが成人してからの、感謝祭を見るのは初めてだった。

王族として祭壇に祈りを捧げる姿は堂々としていて、セルフィーネの目には、誰よりも輝いて見えた。


「とても凛々しかったぞ」

嬉し気に目を細めて見上げるセルフィーネは、今日という日が終わろうとしているのに、少しも気負ったところがなく、むしろ何処か浮き立って見えた。

「何だか楽しそうだな」

隣に座ってカウティスが言う。

「楽しい。今まで、こんなに堂々とカウティスの側にいられたことはない。自由に動けて、そなたと一緒で、とても楽しい」

満面の笑みで答えるセルフィーネを、カウティスは抱き寄せる。


「……カウティスは、楽しくはなかったか?」

「楽しいに決まってる。堪らなく楽しくて、嬉しくて……」

今日が終わらなければ良いのに、という言葉は続けられなかった。

口に出せば、辛い、苦しいと顔に出てしまうだろう。

言葉の代わりに、抱き締める腕に力が入った。



「それならば、笑っていて」

声が耳元で聞こえて、カウティスは腕を緩めた。

セルフィーネは見上げる。

「カウティスの笑顔が、その澄んだ瞳が大好きだ。どうか、これからも笑っていて欲しい。ネイクーン王国の王子として、強く真っ直ぐに生きて」

「……別れのような言葉を言うな……」

思わず顔を歪めたカウティスに対して、セルフィーネは晴れやかに笑った。

「別れだなんて少しも思っていない。これは私が戻るまでの約束だ」

「約束?」

「そうだ。ずっと側にいること。カウティスと食事をすること。ユリナに話を聞かせてもらうこと。カウティスに、また、触れてもらうこと。そして、……進化すること」

セルフィーネは熱を持った瞳で、カウティスを覗き込む。



「一つ約束をする度、魔力(生命)が湧き出る気がした。……私は、決して消えない」


精霊は嘘をつけない。

それは全て、セルフィーネの心の真実だ。



「信じると、約束したな」

セルフィーネはカウティスの頬を、白い両手で包む。

「信じて待っていて欲しい。きっといつか、私は進化する。どんな姿になっても、必ず、必ずそなたの元に戻る」

カウティスは歯を食いしばり、震える両手でセルフィーネの頬を包むと、額をつける。

「…………信じる。その時には、そなたの側に胸を張って立てるように、これからも生きてみせるから。……だから、だから……」


カウティスは込み上げる全てを堪えて、微笑んだ。

「必ず、俺の元に戻れ」


二人は唇を重ねる。

そして抱き合った。

マント越しに触れるお互いの感触を、残り僅かな時間に確かめ、その身に刻むように。

セルフィーネが今にも擦り抜けて行ってしまいそうで、カウティスは無意識にマントの端を強く握っていた。






イサイ村より東に位置する、西部で一番大きなオルセールス神殿では、神殿の窓からイスタークが空を眺めていた。

月光神の感謝祭では大きな役割はないが、明朝、日の出の鐘から始まる、太陽神の御迎祭で祭司を務める為、修繕中の神殿からこちらに移動していた。


月が輝く空には、薄紫と水色の魔力の層が揺蕩うのが見える。

最早逃げ場はないというのに、水の精霊の魔力は、いっそ見惚れるほどに美しい輝きを放っていた。



神殿の前庭では、月光神の感謝祭を終えても、平民向けに用意されている祭壇に、祈りを捧げに来る者が絶えない。


「喪中で、もっと人出は少ないかと思いましたが、ネイクーン王国は敬虔な民が多いのですね」

聖騎士エンバーが、感心したように呟く。

「水の精霊との関わりが深いからだろう。特に今日という日は、ネイクーンの者にとっては特別だ……」


アナリナに付けている神官からの報告では、アナリナもまた、水の精霊の魔力を保つには月光神殿の祭壇の間に置くべきだということを、ネイクーン王族に進言したという。

イスタークは深く息を吐いた。

アナリナの勧めがあれば、もしかしたら、と思ったが。

「やはり、……来なかったな」



青白い光を惜しみなく降らせている丸い月が、中天に差し掛かった。

日付が変わる。



イスタークが見上げていた空から、急激に引き伸ばされるように、魔力が北西に伸び始めた。

混ざり合って美しい色合いを見せていた層は、引き千切られた薄布のように、無惨な裂け目を見せながらも、伸びては繋がり、また裂けていく。


魔力がはっきりと見えるイスタークは、太い眉をキツく寄せる。

その空はまるで、声を上げることが出来ない叫びのようで、見る者の胸を抉った。





フルデルデ王国の王都では、宮殿の側にあるオルセールス神殿で、聖女アナリナが黒曜の目を見開いて身体を震わせた。


ネイクーン王国へ続く北の空から、恐ろしい速さで魔力が広がっていく。

アナリナの頭上を、勢いよく通り過ぎていく魔力は、層とはいえず、切れ切れに見えた。


ネイクーン王国の空を覆う、あの美しい魔力の層が壊されてしまった。

セルフィーネのネイクーンを想う心が、無理矢理裂かれていく。


「どうしてこんな事をっ!」

アナリナは拳を握り、叫んで月を睨む。

先程神殿内の祭壇の間で、月光神の最高司祭として祭司を務め、感謝の祈りを捧げた。

出来得る限りの心を込めて、真摯に祈った。

それなのに、神は恐ろしく酷い仕打ちを、この世界に生きる者達に返す。


「一体どうして! どうしてこんな思いをさせるの!? セルフィーネが何をしたっていうのっ!」

月光神へのアナリナの叫びは、声にならないセルフィーネの叫びの代わりに、フルデルデ王国の空に消えた。





光の季節前期月、初日。


日付が変わって三刻程過ぎ、年明けの日の出の鐘まで、一刻程になった。



ザクバラ国王城の屋上には、国旗と共に、巨大な弔旗が風を孕んで、闇の中を揺れていた。

その闇に溶けるように、リィドウォルは立っていた。

宰相の記章を付けた、黒いローブをなびかせ、上空を黙って長い間見詰めている。


「リィドウォル様、そろそろご準備を」

リィドウォルに、護衛騎士のイルウェンが声を掛けた。

日の出の鐘から始まる御迎祭に備え、祭事に参席する者は、沐浴などの準備を始めなければならない。



上空から視線を落とし、階下へ続く階段へ向かおうとすると、その階段から屋上へ、女性が護衛騎士を連れて上って来た。

高貴な身なりの女性は、真っ白な肌に、背中までの緩く巻かれた黒髪を揺らし、黒眼を知的に輝かせている。


リィドウォルとイルウェンは、近付いてきた女性に立礼する。

「タージュリヤ殿下」

女性は、ザクバラ国王女タージュリヤだ。

彼女はリィドウォルの挨拶に目礼を返し、夜明け前のまだ暗い空を見上げる。

「……これが水の精霊ですか。聞いていたよりも、弱々しい魔力ですね」

生真面目そうな固い声で、タージュリヤは言う。

「三国共有となったからです。ネイクーンただ一国のものであった頃に比べれば、そうなるでしょう」

リィドウォルの答えに、タージュリヤは振り返る。

「このように弱々しい魔力で、本当にお祖父様が救えますか?」

「はい。必ず」

リィドウォルの言葉には、少しの迷いもない。

タージュリヤは黒い巻き毛を揺らして頷いた。

「……リィドウォル卿を信じます」


「ありがとうございます。では、予定通り、新年の祝週を終えれば、王太子殿下の葬儀と、タージュリヤ殿下の立太子の儀を行います。……王太子殿下(父君)の葬儀を後回しにすることを、お許し下さい」

タージュリヤは小さく頷く。

「王族の責務から逃げ続けた父です。葬儀が後になったからといって、文句は言えぬでしょう」

病弱で王族の役割を放棄してきた王太子は、数日前にとうとう亡くなった。

しかし、年末年始の神祭事を滞り無く行い、水の精霊を迎え入れる為に、その死はまだ公表されていなかった。



タージュリヤは踵を返し、御迎祭の準備に向かう。

それに続きながら、リィドウォルはもう一度空を見上げた。

日付けが変わると同時に、ネイクーンの空から引き伸ばされて来た魔力は、最初こそ切れ切れだったのに、数刻経った今では粗い織物のように繋がり、三国を一つのものとして覆っている。


――――ようやく、ここまで来た。

リィドウォルは、感慨深く目を細めた。

国境という隔たりが消えた。

そうなれば、幾らでも水の精霊を奪う術はある。


空を見上げるリィドウォルは、今も美しい魔力の層が見える気がした。






日の出の鐘まで半刻。

御迎祭の準備ギリギリまで待って、ラードは泉の庭園に向かった。

戻ってこないカウティスを、迎えに行くのだ。


ラードには見えないが、日付けが変わると同時に、水の精霊の魔力は、ザクバラ国とフルデルデ王国へ向けて引き伸ばされていったらしい。



奇跡は起きなかった。

進化は間に合わなかったのだ。



日付けが変わる時、水の精霊と王子は、一体どんな瞬間を過ごしたのか。

想像が痛く、ラードは顔を顰めた。

それでも、王族の責務を果たすため、王子には御迎祭に参列してもらわなければならない。



ラードが温室の横を越した時、大樹の横を通ってこちらに戻って来るカウティスが見えた。

「王子!」

ラードが駆け寄る。

やや憔悴したカウティスは、それでも強い瞳で顔を上げて、濃紺のマントを握り締めていた。

「……遅くなった。準備をする」

掠れた声で、固い口調だが、きっぱりと言ったカウティスに、水の精霊がどうなったのか、ラードは聞くことは出来なかった。

一礼して、黙って後に続く。




この日より水の精霊は、ネイクーン王国、ザクバラ国、フルデルデ王国の、三国共有のものとなった。






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