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薬草茶

風の季節後期月、四週五日。


ネイクーン王国の南西の街で、予定通り行われた三国の会談は、各国の主張よりもまず、二国が初めて迎え入れる、水の精霊というものの実態を掴むことに時間を有した。


突然竜人によって変更された事柄もあり、ネイクーン王国の官吏達も、改めて問われると明確に答えられない事もあった。

ザクバラ国は、予めこの場に水の精霊を呼ぶことを要請していたが、王太子エルノートが許可を出さなかったので、それは実現しなかった。




翌日、五週一日。

予定よりも半日程度ずれ込んで、夕の鐘が鳴る頃、三国で協約が結ばれ、会談が終了したと報告があった。



「一先ずは、無事に終わったか」

エルノートが、安堵の息を吐いた。


年が明け、竜人を(あるじ)とした水の精霊が三国共有のものとなって、初めて出てくる問題もあるだろう。

現在との相違がどれ程あるのか、そうなってからでなければ分からない事もあるはずだ。


今回は協約を結んだだけだが、ある程度の期間を置いてから、改めて協定を結び直す必要が出てくるかもしれない。



「詳しいことは、宰相殿が戻られてからですが、やはり予想通り、水の精霊様を三国に巡回させる事に決まったそうです」

魔術師長ミルガンが、通信の記録をエルノートに渡した。


ザクバラ国は、リィドウォル卿が出て来た時点で、水の精霊をザクバラ領土へ入れることを望むだろうとは思っていた。

カウティスからの報告で、リィドウォル卿が、水の精霊に何らかの執着を持っていると予想していたからだ。


「はっきりしたら、カウティスにも伝えなければならないな」

既に“契約”だと受け入れている、精霊のセルフィーネと違い、カウティスは刻々と迫る契約更新に、焦燥感を募らせている。

この知らせも、不安を増すことになるだろう。


「気が重いことだな……」

エルノートは、窓から見える霞みかけた空を眺めた。





第三王子セイジェは庭園から温室に向かって抜け、薬師館に向かっていた。

この時期は暮れるのが早い。

日の入りの鐘はまだ鳴っていないが、太陽は霞んで光を失くし、既に薄闇だ。

庭園から続く石畳に沿って、点々と灯った魔術ランプが温かな色を放っていた。



薬師館は、温室の近くに建っている白い石造りの建物だ。

すっかり慣れ親しんだ建物の中に入ると、メイマナ王女の侍女が廊下に立っているのが見えた。


扉は開け放ち、重ね布を垂らされている入り口から室内を覗いたセイジェが、薬師長と向き合ったメイマナに声を掛けた。

「……メイマナ王女、何かあったのですか?」

どうも、部屋の雰囲気が重い。


メイマナは、セイジェに挨拶をしてから言った。

「王太子様が、フェリシア皇女に害された詳細を聞こうとしていたのです」

セイジェは顔色を変える。

「それは……」

フェリシア皇女がエルノートを毒殺しようとした事は、王城内で箝口令が出されているはずだ。

一体誰が、メイマナの耳に入れたのか。




セイジェの様子を見て、メイマナが錆茶色の眉を下げ、小さく溜息をついた。

「王太子様は疲れが溜まっておいでですし、夕食も進まないようでしたので、薬草茶をお出ししようとしたのです」


しかし、厨房に使いを出した侍女が戻って来て言うには、王太子に薬草茶は出してはならない事になっているという。

理由を聞いても、そういう決まりだとしか返ってこなかった。


そこで、母国流に自分で煎じようと、薬師館へ訪れたが、定番のハミランを合わせようとすると、薬師に止められたのだった。



「こちらに越した時、ハミランは王太子様がお好きではないので、香などで使わないようにと教わりました。しかし、それは本当に好き嫌いの範囲なのですか? お身体に不調を与える元になる物だからでは?」

メイマナは両手をキツく握り締める。


「もしや、フェリシア皇女が王太子様を害したのに使ったのが、ハミランだからなのではないのですか?」


セイジェが息を呑んだ。

メイマナは、フェリシア皇女がエルノートを害したのだと、やはりもう知っているのだ。




「前妻の事を気にするのは、淑女教育から外れるので今まで口にしませんでしたが、こうなっては全く別の話です。私が知らずに行うことで、王太子様の傷を抉るような事があってはならないのです」


彼の隣に添う者が、知らず知らずの内にでも、再び害を与えるような事は、絶対に避けなければならない。


「お願いでございます。セイジェ様が、私を王太子様の妃にと望んで下さるのなら、どうか全て教えて下さいませ」

メイマナのつぶらな瞳には、強く決意が込められていた。






エルノートの下に、メイマナが茶を運んだのは、既に日の入りの鐘が鳴って一刻経っていた。


「薬草茶をお持ちしたのですが、いかがですか?」

薬草茶と聞いて、一瞬エルノートが構えたのが分かった。

侍従が申し訳無さそうに、王太子は薬草茶は飲まないのだと説明しに来るが、メイマナは首を振った。

「私が母国流に煎じましたの。苦くありませんのよ?」

メイマナの笑顔と、薬草茶という割には甘く香ばしい香辛料の香りに、エルノートは興味を引かれた。

「せっかくだ。頂こう」



ソファーに座ると、侍女のハルタがカップにお茶を注ぐ。

メイマナから渡されたカップを覗き、エルノートは不思議そうにした。


「フルデルデ王国では、薬草茶にもミルクを入れるのか?」

「入れないものも勿論ございます。これは、ヤドのミルクを使っています。少しクセがあるので、薬草や香辛料の苦味にも合いますし、滋養もありますわ」


隣の国とはいえ、全く知らない事も多いものだと思いながら、エルノートはカップに口を付けた。

一口飲んで、軽く眉を寄せる。

「……少し甘くはないか?」

「あら、控えめにしたつもりだったのですが。苦い薬草茶と、こちらと、どちらがお好みですか?」

言いながらクスクスと笑うメイマナを見て、エルノートは少し考えてから、言った。

「貴女が淹れてくれるのなら、どちらでも飲む」


メイマナは笑みを深める。

甘い、と眉を寄せるエルノートを見て密かに喜んでいたのに、そんなことを言って更に喜ばせてくれるとは。




先程、薬師館でセイジェから聞いた話は、メイマナが想像していたよりも、遥かに心を抉る内容だった。


今までに、様々な所から耳にしていた噂や憶測などを撚り合わせ、おそらくフェリシア皇女は、王太子の毒殺を試みたのではないかと、メイマナは想像していた。

しかし実際に使用された毒は、一度口にして倒れるような毒ではなく、原因不明のまま、内側から蝕むように生命を削られる、残酷な物であった。


それは、どれ程の恐怖と苦痛であったのだろうか。

そして、今も尚、その痛みは完全に消えることなく、彼の中に大きな傷として残っている。

話を聞きながら、メイマナは震え、涙しそうになった。



目の前のエルノートは、当然のように日々民の為に尽くしている。

傷などほんの僅かもないような、光の中だけを歩いているような顔をして。


ここに戻ってくる為に、どれ程の努力を要したのだろうか。

その強さを心から尊敬する。



「エルノート様」

最後の一口を飲み干して、カップを置こうとしたエルノートに声を掛ける。

目線を上げた彼に、メイマナは心から微笑み掛けた。

「お慕いしております」


エルノートは薄青の瞳を少し見開いてから、優しく目元を緩めて笑んだ。

「……後口が欲しいな」

「え? 苦味が残りましたか?」

あの割合で合わせれば、飲んだ後に苦味は残らないはずだった。

久しぶりに淹れて、少し感覚が狂ったのだろうかと思った時、エルノートがカップを置いたテーブルに手を突き、上体を乗り出した。


テーブル越しに唇が重ねられる。

香辛料とミルクの香りがした。


「……明日、また淹れてくれるか」

お茶以上に甘い声で囁かれて、メイマナは赤くなりながら微笑んで頷いた。






西部では、カウティス達が、聖堂建築に関する調査を重ねていた。



聖堂建築は、フルブレスカ魔法皇国でさえ拒否できない事案で、この大陸に住まう限り、結局どうあっても避けられはしない。

オルセールス神聖王国が、ネイクーン王国の状況を考慮してくれるつもりがあるのならば、少しでもこの国の民の為になるように考えて、受け入れる体制を整えなければならない。


カウティス達は、王が皇国の葬送の式典から戻り次第、貴族院で検討を始められるよう、改めて西部の各地域の調査をし、資料をまとめていた。




日の入りの鐘を過ぎてだいぶ経つ。

今日は昼間からよく晴れていたので、薄雲も掛からず、月は真ん丸に姿を見せている。



広間で、ラードとマルク、ハルミアンと共に、机に資料を広げていたカウティスは、セルフィーネが側に来たので顔を上げた。


「月光を浴びてくる」

セルフィーネがそう言って微笑む。

「分かった」

カウティスが返事をすると、セルフィーネはパッと光の粉を散らして消える。


以前はよく、窓際にガラスの小瓶を置いて月光を浴びていたが、今は誰にでも姿が見えてしまうので、出来なくなってしまった。

拠点で月光を浴びる時は、必然的に、姿を消して上空(うえ)に行くことになる。




カウティスは、セルフィーネが消えた辺りをぼんやりと見ていた。


確か昨日も、セルフィーネはこうやって上空(うえ)に行ってしまった。

カウティス達が忙しそうにしていても、いつも少し離れた所から、黙って見ているのに。


「どうしたの?」

ハルミアンに声を掛けられて、ハッとする。

「いや、何でもない」

答えて、再び資料を捲る。




姿を現して、側にいることが多くなったからだろうか。

この広間に皆でいる時に自ら姿を消されると、急に寂しい気がして、カウティスはこっそりと溜息をついた。





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