信じる
『 ですが貴方は、水の精霊に心寄せるあまり、最初から我等聖職者を色眼鏡で見ておられる 』
イスタークの言葉に、カウティスは衝撃を受けていた。
拠点に戻ってからも、その言葉が頭に残ったままだ。
イスターク司教と出会ったのは、国境地帯が浄化された直後で、聖職者が何処からか、続々と集まっていた頃だ。
復興作業の邪魔になると苛立ち、セルフィーネの神聖力に気付かれるのではないかと気を揉んでいた。
だからだろうか、確かにイスターク司教には、最初から構えていたように思う。
「確かに我々は、最初から警戒はしましたが、それは仕方のないことなのではないでしょうか。警戒するしかないタイミングでしたから」
話を聞いたマルクが、眉を下げた。
ラードは腑に落ちない顔だ。
「第一、猊下が水の精霊様を、神殿に据えようとしたことは事実です。王子がそれ程気に病まなくても良いのでは?」
そうだろうか。
カウティスは考えてみる。
国境地帯が浄化される前で、精霊が狂っていた頃にイスタークが訪れていたなら違っただろうか。
きっと、復興の障害であった、歪んだ魔力を取り去る事が出来るか、真剣に相談しただろう。
そして、司教や聖職者一団が、セルフィーネを悲しませ続けていた、狂った精霊を鎮めることが出来たなら、自分は手放しに感謝しなかっただろうか。
聖堂の話が出されたのが、セルフィーネの“慣らし”を持ち掛けられた後でなければ、これ程に強く反発しただろうか。
そんな可能性に突き当たり、確かに自分は聖職者に、殊にイスタークに関して目を曇らせていのではないかと、羞恥に襲われた。
「確かに、改めて思い返しても、セルフィーネの神聖力を狙ったのは絶対に許せない。だが聖堂の件は、……王族の責務としてもっと広い視野で見て、公平に判断するべきだったと思う」
苦々しい表情で言葉を吐くカウティスに、ラードは小さく息を吐いた。
「まったく、王子は真面目過ぎですよ」
そう言いつつも、ラードは少し嬉しそうだとマルクは思った。
「管理官の確認の時に、私が司教に水を掛けたから、事態を悪くしたのか……?」
少し離れて話を聞いていたセルフィーネが、ぽつりと言った。
カウティスが、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「そうじゃない。あそこで水を掛けてなかったとしても、きっと結果は同じだった」
セルフィーネの側に行って、肩に手を添える。
イスタークが召集した管理官が、水の精霊には神聖力は無いと判定したことで、聖騎士たちは侮辱と受け取ったはずだ。
「水の精霊様が水を掛けるなんて、一体何があったんですか?」
水の精霊が、それを公の場でしたことに驚いて、マルクが目を丸くする。
「……意地悪なことを言われたから……」
「意地悪? 何て言われたのだ?」
カウティスも初耳だ。
イスタークは、セルフィーネに何を言ったのただろうかと思ったが、彼女は小さく首を降って教えてくれなかった。
「動揺するようなこと言われたんでしょ? そういえば、仮説を検証する時に、いつも必ず反対のことを言って揺さぶるんだよね」
懐かしそうな顔で、クスリと笑ったハルミアンを、ラードが軽く睨んだ。
「お前は良かったのか? アスクルまで付いて行ったのに、猊下と一言も話さなかったじゃないか」
「イスタークの二十数年を何も知らないのに、『あの時はごめん』なんて言っても押し付けだよ。彼の言う通り、『何かを成したいと願うなら、偏見に流されず、全ての可能性を公平に吟味するべき』だよ」
ハルミアンは軽く口を尖らせた。
ハルミアンは、合同結婚式を初めてきちんと見た。
集まった人々の歓びと、イスタークの慈愛に満ちた微笑み。
ハルミアンの知らない、彼の姿。
「彼が選ばざるを得なかった、聖職者ってものを、少しは知らなきゃ」
ハルミアンの真剣な呟きに、ラードが肩を竦める。
「お前も少しは賢くなったか」
「元々ラードよりは賢いよっ」
二人のやり取りにカウティスは笑ったが、セルフィーネは側のカウティスを黙って見上げていた。
自分の部屋に入るとすぐに、カウティスは、魔術士達との施策案をまとめてある書類に手を伸ばした。
その手に、白い手が重なる。
「カウティスはもう休め」
「大丈夫だ。もう少ししたらちゃんと休む」
カウティスが微笑み掛けるが、セルフィーネは手を退けず首を横に振る。
「そういった業務は、他に任せよう。カウティスは西部でやるべき事があるはず。それに集中すべきだ」
カウティスは顔色を変える。
「そなたに関わることを、他の者に任せろというのか?」
「王城でも地方でも、皆がそれぞれに動いてくれている。西部には、そなたにしか出来ないことがある。民の為にすべき事をして欲しい」
続く復興支援に加え、いずれ避けられない聖堂建築も、見直して検討し直すべきだと思い至ったばかりだ。
「しかし……」
すべき事は多いが、日に日に焦燥感を増して、やれる事を探してしまう。
「カウティス、私は消えたりしない」
カウティスは息を呑んだ。
「三国共有のものになって、どうなろうとも。例えこの姿形でなくなったとしても、決して消えることなく、カウティスの側にいる。必ずだ」
セルフィーネは手を離し、カウティスを抱き締める。
カウティスが抱き締め返すと、彼女は上を向き青空色の瞳を覗き込んだ。
「……この国の力を、信じて欲しい」
カウティスは、間近で輝く紫水晶の瞳を覗く。
カウティスへの想いと信頼で溢れ、不安や恐れは微塵もない、その美しい輝き。
「私を、信じて」
カウティスの心から不安も焦燥感も、完全に消え失せはしなかった。
それでも、カウティスは微笑んで答える。
「……信じるよ」
先への不安で、目の前の大事なものを見失わないように。
今ここにある想いを、ただの奇跡で終わらせない為に。
「そなたを信じる」
カウティスは目を閉じ、セルフィーネの白い額に己の額を当てる。
立ち上る蒼い香りをいっぱいに吸い込み、細く息を吐いた。
カウティスの額に確かな感触があって、カウティスは目を開ける。
目の前には潤んだセルフィーネの瞳と、薄く揺蕩う水色と薄紫の魔力が広がる。
「セル……」
名を呼ぶ前に、彼女の唇が重なった。
僅かにひんやりとする柔らかな唇が、ぎこちなくカウティスの唇を啄む。
セルフィーネから口付けされることに、カウティスの鼓動は急激に速さを増した。
唇を離したセルフィーネが、小さく笑う。
「ハルミアンが、“王子を癒やすことは、私にしかできない大事なこと”だと言っていた。私は、カウティスが抱き締めて、口付けてくれると……とても、嬉しいから……カウティスもそうかと……」
言いながら、照れるように少しずつ頬を染めていくセルフィーネに、カウティスの胸は鷲掴みにされた。
添えていた手に力を込め、セルフィーネの身体を引き寄せる。
彼女の肩に掛かっていた藍色のマントが、パサリと白い足元に落ちた。
カウティスは、セルフィーネの染まる頬に掌を添えて、深く口付けた。
掌を優しく滑らせて、耳の下を通り、うなじを撫でると、セルフィーネの細い指がカウティスの背中を弱く掻いた。
吸い付くようでいて、滑らかな肌を掌が感じ、引き寄せている腕に、更に力が入った。
「好きだ、セルフィーネ」
僅かに離れた唇から、熱い吐息と共に言葉を紡ぎ、そのまま白い首筋に唇を這わせた。
熱い、という吐息のような声が聞こえ、カウティスは我に返った。
反射的に身体を離すと、白いはずのセルフィーネの肌が随分と赤く色付いている。
以前、昏倒したことを思い出し、一気に血の気が引いた。
「すまない! 大丈夫か?」
「……平気だ」
何度か深呼吸すると、セルフィーネの肌は、徐々に薄い桃色に戻っていく。
カウティスは安堵の息を吐いた。
落ち着いたセルフィーネが、再びカウティスの身体に腕を回そうとするので、カウティスは身を引いた。
「カウティス?」
怪訝そうに首を傾げるセルフィーネに、カウティスは首を振った。
「今夜はもう横になることにする。セルフィーネは小さくなっていてくれないか」
「でも……」
「そなたが側にいてくれるだけで、俺は癒やされるから」
そういって、カウティスは笑う。
最近よく見る、その困ったようなカウティスの笑顔に、セルフィーネは何も言えなくなってしまう。
「……分かった」
セルフィーネは言われた通り、寝台の側にカウティスが置く、ガラスの小瓶に姿を現した。
カウティスが眠りに就いた後で、セルフィーネは姿を戻した。
静かに寝息を立てる、無防備な寝顔を見下ろす。
拠点に戻って来て、この部屋で二人きりで夜を過ごすことが続いている。
以前の人形と違い、魔石に月光を溜めていなくても、ガラスの小瓶に姿を現しておけると分かってから、カウティスは夜の間セルフィーネに小さくなっておくよう望んだ。
始めは、拒絶なのだろうかと思ったが、上空にいようとすれば引き止められ、側にいることを望まれる。
そうかと思えば、人間と同じ大きさで近付くと、先程のように熱い抱擁をしてくれる。
それでも、眠る時に寝台には入れてくれなかった。
どうして、想い合う人間の男女がそうするように、抱き合って眠ってくれないのだろう。
人間の体温よりも、私の身体は冷たいと言っていたから、そのせいなのだろうか。
聞いてみたくても、あの困ったような笑顔を向けられると、セルフィーネは言葉を飲み込んでしまうのだった。
セルフィーネが小さな溜息をついた時、部屋の外で気配を感じた。
広間で、誰かまだ起きているのだろう。
セルフィーネは、一人でそっと部屋を出た。




