収穫祭前
収穫祭まで、あと五日。
この日、カウティスは王城の図書館に来ていた。
自国の特産品を調べ始めると、次々と関連した気になることが見つかって、それを調べる。
最近すっかり図書館通いだ。
図書館は魔術士館と近く、館内には薄いクリーム色のローブを着た魔術士達が何人も本を読んでいる。
カウティスが通ると、席を立って挨拶する。
いちいち全員の挨拶を受けるのも大変だし、彼等の仕事を邪魔するのも嫌で、図書館でカウティスに会っても会釈で済ますように魔術士館に通達した。
その通りにする者は少ないようだが。
カウティスは資料を探していて、入ったことのない奥まで来た。
カウティスには全く読めないような本ばかり並んでいるが、こんな場所もあったのかと、棚を眺めて歩く。
一歩足を前に踏み出した時、突然頭がくらりとして視界が歪んだ。
ギュッと目を閉じて、再び開けると、三歩程後ろに下がっている。
今、足を後ろに動かしただろうか?
困惑しながら、もう一度前に進もうとした時、後ろから声が掛けられた。
「それより先は、禁書庫ですよ、カウティス王子」
「魔術師長」
振り返ると、いつの間にかクイードが立っていた。
カウティスが気付くと、胸に手を当てて立礼する。
クイードは、普段使いの深緑のローブを着て、分厚くて古そうな本を二冊抱えている。
彼もまた、何かの資料を探しに来たのだろうか。
「禁書庫?」
「ええ。王の許可が無ければ立ち入れません」
クイードは、カウティスが立ちくらみをおこした辺りを指差す。
「禁書庫には魔術陣が敷いてあるので、入れなかったでしょう。陣の効力で、気分が悪いのでは?」
確かに、馬車酔いしたように、胸の辺りがムカムカした。
「……何か、古い記録でもお探しだったのですか」
クイードが、薄氷の瞳を細めて、カウティスを窺うように見た。
カウティスは首を振る。
「いや、入ったことがなかったので、珍しくて見回していただけだ」
今日は講師と生徒ではないので、自然と臣下への喋り方になったが、クイードは全く気にした様子はなかった。
「そうですか…、フォグマ山に関係する物なら、あの赤い印が付いた棚です」
クイードは、カウティスが持っていた、調べたいものの書かれたメモを見て言った。
「そうか。ありがとう」
カウティスが、そちらの棚の方へ歩き出す。
「そうそう」
クイードの声に、カウティスは足を止めて振り向いた。
クイードは、銀色寄りの金髪をゆっくりと耳に掛ける。
「お忍びで行かれる収穫祭ですが、私も護衛に付くことになりました」
「そうなのか?」
カウティスは内心焦った。
護衛は騎士だけだと思っていた。
魔術士が一緒では、水の精霊を連れているのが分かってしまう。
クイードはカウティスの側まで来ると、頭を下げてカウティスに耳打ちした。
「水の精霊様を連れて行くことは、黙っておきましょう」
「!!」
カウティスがクイードに向き直れば、彼の顔が近くにある。
何故分かったのかと、カウティスの顔に書いてあったのだろう。
薄氷の瞳を細め、クイードが薄く笑う。
「王子の侍女が、小瓶に入る魔石が欲しいと魔術士館に来ましたから」
王城の魔石の管理は、魔術士館の仕事の一つだ。
魔術や魔法に精通しているクイードは、それだけで、カウティスが何をしようとしているか気付いたのだろう。
クイードは頭を上げると、落ちてきた髪を神経質そうに耳に掛け直した。
「小瓶に入れる水は、泉の水が良いですよ」
彼はそういいながら、カウティスの横をすり抜けて去って行った。
収穫祭当日。
早朝鍛練はいつものように庭園で行った。
汗を拭いて、カウティスは泉の水をガラスの小瓶に入れる。
ガラス瓶はユリナが用意した物で、細かい飾り彫りがされていて、光が当たると乱反射して美しい。
そしてその中に、一晩月光にあてておいた小さな魔石を入れた。
水の精霊は、泉に佇んでカウティスが準備するのを見守っていた。
「セルフィーネ、これでいいか?」
彼女は微笑んで、コクリと頷いた。
カウティスは姿見の鏡の前に立って、自分の姿を見た。
カウティスの服装は、短いベストと上着に、ズボンとツヤのないロングブーツで、中流の商家の坊っちゃんという感じだ。
「髪の色が違うと、変な感じだな」
カウティスの髪色は茶色になっている。
黒い瞳に黒い髪は、ザクバラ国出身者の特徴だ。
カウティスの青空色の瞳は父譲りだが、黒髪は母譲りだ。
ザクバラ国は隣国なので、人の出入りはあるが、城下で黒髪は殆ど見ない。
目立たないよう、今日は染め粉で染めることにしたのだった。
「なかなかお似合いですよ」
準備を手伝っていた侍女達が微笑む。
「皆にも土産を買ってくる」
カウティスが笑顔でそう言うと、侍女達がクスクス笑った。
「勿体ないお言葉ですが、私達にそのような気遣いはいりません」
「そうです。大荷物になって、お忍びどころではなくなってしまいますわ」
ユリナがカウティスの首に、ガラスの小瓶が繋がれた、銀の細い鎖をかける。
「私共のことはお気になさらず、楽しんで来てくださいませ」
ユリナはそっと、ガラスの小瓶を上着の内側に隠した。
カウティスと護衛騎士のエルドは、貨物や使用人、御用商人などが利用する通用門に来ていた。
上着の胸元近くで揺れる、小さな美しい小瓶を見つけ、平民の格好をしたエルドの顔が引きつった。
「王子。その小瓶には、何が入っているのですか…」
「ただの水だ。そなたには何も見えないであろう?」
カウティスは素知らぬ顔をして、ガラスの小瓶を上着の内ポケットに入れた。
確かに魔術素質のないエルドには、ただのガラスの小瓶にしか見えない。
「ですが、今日は魔術師長もご一緒します。あの方には分かるでしょう」
「魔術師長は知っている」
「は?」
エルドは眉を寄せる。
しかし、溜め息をついてから、帽子を被り直す。
「……では、何も見てないことにします」
「そうしろ」
エルドは背筋を伸ばす。
護衛の職務にだけ集中することにしたらしかった。
「お待たせしました」
魔術師長のクイードがやって来る。
今日の彼はローブではなく、仕立てのいいシャツとズボンを身に着けていた。
銀色に近い金髪は、後ろでキツく束ねている。
三人が並ぶと、商家の坊っちゃんと、付き人に荷物持ちという風だった。
王に出発の報告はしてある。
使用人用の乗り合い馬車に、三人だけが乗り込む。
午前の二の鐘が鳴り、門番が通用門から出ていく馬車を見送った。
初めてのお忍びに、カウティスはワクワクしている。
正面に座ったクイードが言う。
「王子、今日は名前でお呼びすることをお許し下さい」
「許す。今日は伴を頼む」
二人の顔を見て言う。
クイードとエルドが頭を下げた。
クイードがカウティスの胸の辺りを見る。
「準備は整えられたようですね」
カウティスは首の鎖を引いて、胸の内ポケットから小瓶を出す。
カウティスとクイードには、馬車の振動でゆらゆら揺れる小瓶から、ゆらりと淡く光が立ち昇るように見えた。
カウティスだけには、その光が徐々に人形を成形し、小さな小さな水の精霊の姿に変わって見える。
彼女はカウティスを見つめて微笑む。
「晴れて良かったな」
ははっ、とカウティスは笑う。
水の精霊を連れ出すという、秘密の計画が成功して、とても嬉しかった。
エルドには、水の精霊は全く見えないし、声も聞こえないが、カウティスの様子を見て、小瓶に水の精霊がいるのだということは分かった。
隣で子供らしい顔で笑う王子を、微笑ましく見守る。
今日はこの笑顔のままでいて欲しい。
そして笑顔のままで、無事に王城へ帰すことが自分の務めだ。
気を引き締めて顔を上げると、前に座ったクイードが、カウティスを凝視していた。
その表情からは何の感情も窺えなかったが、薄氷の瞳は強い熱を持って見えた。