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異変

セルフィーネは王城の小さな庭園にいた。

泉に佇み、虚ろに目を瞬く。


月が東の空で薄く輝いている。

空は既に白んでいていて、もうすぐ日の出の鐘が鳴るだろう。


少し離れた所で、子供のカウティスが訓練用の木剣を振っていた。

まだ背は低く、顔立ちは幼い。

袖を捲くって見えている前腕は、薄く筋肉が付いているが、剣士のそれには程遠い。

毎朝ここで鍛練をするようになって、まだそれ程経っていない頃だ。



疲れてきたのか、足捌きがおぼつかない感じで、呼吸も乱れてきた。


「カウティス」


セルフィーネの呼ぶ声に、カウティスは手を止めてこちらを向く。

澄んだ青空色の瞳を輝かせてにこりと笑うと、再び木剣を振り始めた。

気合を入れ直したように、表情が引き締まり、足捌きが確実になった。


その笑顔と真摯な様子に、セルフィーネは不思議と胸が温まるのを感じる。

それで、あの頃、毎日こうして黙って見ていた。




『 そなた、もうカウティスに関わるな 』


突然の声にビクリとして、声のした方を見た。

泉の側に王が立って、セルフィーネを見ていた。

カウティスと同じ青空色の瞳は、光なく昏い。


『 そなた達の関係性が広まれば広まる程、カウティスの危険は増すだろう 』


王が以前と同じ台詞を吐く。

セルフィーネの薄い唇が震える。



ギィィンと金属がぶつかる耳障りな音が響いて、セルフィーネは弾かれたようにカウティスの方を振り返った。

折れた長剣の剣身が、空中で回転して泉の側の石畳に突き立つ。

旅装の長いローブを翻し、折れた長剣を握って立つカウティスがいる。


『 変わるなと警告したはずだぞ、水の精霊よ 』


後ろから竜人ハドシュが現れ、セルフィーネの横を通り過ぎ、カウティスの方へ大股で進んで行く。

その手には炎の竜巻が噴き上がる。


「待って!」

セルフィーネが、前へ出ようと足を動かすと、スイとその前にイスターク司教が滑り込んだ。



『 水の精霊よ。お前のせいで、カウティス王子は酷く傷付くことになるだろう 』


焦茶色の瞳に覗き込まれて、セルフィーネは怯んで一歩下がる。

首を横に強く振った。


竜人は、今にも炎噴き上がる腕をカウティスに振り下ろそうとしている。


「いやっ! やめて!」

セルフィーネはイスタークを避けて白い腕を伸ばした。

しかし透明な壁でもあるように、その指が阻まれる。

気が付けば泉は消え、セルフィーネの足元には契約魔法陣が脈打っていた。

「契約はもう受け入れた! だからやめて!」


『 お前は、ただの精霊だ 』


竜人ハドシュの腕が振り下ろされ、全ては炎の中に飲み込まれた。





「いやあぁぁーっ!」


セルフィーネが寝台の上で、手を伸ばして目を覚ました。

「セルフィーネ!」

目の前にハルミアンがいて、彼女の手を取った。

「いやっ!」

セルフィーネはその手を振り払い、身体を起こそうとするがままならず、崩れるようにしてハルミアンに抱き止められる。


「大丈夫だ! もう終わったんだよ!」

「カウティス! カウティスッ!」

ハルミアンが抱き止めたまま宥めようとするが、セルフィーネは手足をバタつかせて、ハルミアンの腕から逃れようとする。


「王子を呼んで来ます!」

マルクが急いで幕の外へ走り出た。

カウティスとラードは、村長や兵士長達と話があって、ちょうど幕外へ出ていた。


「カウティス!」

「セルフィーネ! 王子は無事だから!」

ハルミアンが暴れるセルフィーネの頭を抱えて、自分の胸に押し付けた時、その胸を擦り抜けるようにして、彼女の姿が消えた。

「は……、え?」

咄嗟に振り返ったが、幕の内側にはハルミアン以外誰もいなかった。





竜人が突然現れた日から、一日経った。


昨日は幕の内で夜を明かし、太陽が上ると共に一旦は建物の中に入った。

セルフィーネは目を覚ますことなく、眠っている。

ハルミアンが抱いて移動することも考えたが、イサイ村の人々の好意に甘え、一日滞在した。



イサイ村の人々は、夜が明けると普段通り動き出した。

多少騷ぐ者もいたようだが、村長や作業員達がよく宥めてくれた。

厳戒態勢を解けば、もっと大騒ぎになるのではないかと考えていたカウティスは、拍子抜けした程だ。


村人や作業員達は、竜人の来訪に驚きはしたが、村や民に直接の被害があった訳ではなく、竜人とフルブレスカ魔法皇国に対する忌避感を植え付けるに留まったようだった。


ありがたかったのは、イサイ村の人々がカウティスと水の精霊を労ってくれた事だ。

彼らは復興に関わってきたカウティスと、それを見守る水の精霊を間近で見てきた。

それ故に、竜人が去った後イサイ村に避難してきたカウティス達を、作業員や職人も共に気遣い、休めるようにしてくれたのだった。




カウティスとラードは、町長の小さな家で、作業員代表と兵士長を交えて話をしていた。


「私達としては、王子や水の精霊様がどれだけここにいて頂いても構いません。ですが、一旦は王城へ戻られた方が安全かもしれません」

町長が申し訳なさそうに言って、残りの二人も頷く。



昨日の事件を目撃した者には、水の精霊の姿や、契約更新に関して、戸惑いや驚きが大きかった。

ネイクーンは水の精霊の加護を失うのかと、幕の外で、警備に立つ兵士に尋ねる声も聞こえた。


辺境の小さな村だから今はこれで済んでいるが、王子と水の精霊がここに長く留まれば、これからどうなるか分からない。

復興事業にも影響が出るかもしれなかった。



「私もその方が良いと思います。水の精霊様がご心配なら、移動に時間は掛かりますが、馬車で一緒に戻られてはどうでしょう」

ラードがカウティスに提案した。


日の入りの鐘が鳴って一刻。

二晩目の今、再び広場の幕の内側で、セルフィーネは月光を浴びて眠っている。

朝になっても目を覚まさなければ、そうした方が良いかもしれない。



馬車の手配を頼むと言おうとした時、突然、カウティスの服の下で、ガラスの小瓶が光を放った。

布越しに僅かに光が漏れ、目を見張る皆の視線が、カウティスの左胸に集中する。


「王子! 水の精霊様が目を……」

マルクが勢い良く部屋に入って来た時、カウティスの左胸には小さなセルフィーネが姿を現していた。


「セルフィーネ!?」

カウティスが驚いて声を上げると、セルフィーネは彼を見上げた。

「……カウティス……。カウティス!」


その姿は、以前の人形(ひとがた)のものだった。

腰まである水色の髪を揺らし、伸び上がるようにして、傷ひとつない白い両腕を伸ばす。


「セルフィーネ!」

カウティスは小さなセルフィーネを両手で包み、俯いて顔を寄せた。

彼女はカウティスの顎の線を撫でて、震えながら頬に身を寄せる。 



なぜセルフィーネの姿が戻っているのか、そんなことは、今はどうでも良かった。

彼女が目を覚まして名を呼んでくれた事に、カウティスは心の底から安堵した。






王城の執務室では、王が不機嫌そうに書類を机上に投げ出した。

白いものが混じった明るい銅色の髪を、ぐしゃぐしゃと掻きむしる。


険しい顔を突き合わせていた貴族院の会議室から、ようやく執務室に戻ったばかりだ。

これ以上のことは、水の精霊が目覚めてからだと、今夜は強引に終了した。



「……セルフィーネはまだ目覚めておらぬのか?」

「目覚めた連絡は入っておりません」

鼻の上にシワを寄せて唸る王に、宰相セシウムは、投げ出された書類を整えながら言った。




昨夕の西部での事件は、その日の日の入りの鐘が鳴る前に、王城にも知れた。

というのも、フルブレスカ魔法皇国から、貴族院参与のシュガという竜人が、転移魔法で突然王城の門前に現れ、即時謁見を申し入れたからだ。


シュガの語る西部での顛末は、随分と端折られたものだった。

ただ水の精霊の契約が勝手に更新されたことは衝撃で、王は強く抗議した。

しかし、水の精霊はそもそも竜人族のもので、貸与されているネイクーン王国に口を出す権利はないと、一蹴される。

その上、元々水源を守る為に貸与された精霊なのだから、三国共有になってもネイクーン王国に損はないはずとまで言い募った。



あまりの突然の事態に、王城の官吏や貴族院の一部は騒然となった。

西部と通信も行われ、カウティスに急ぎ翌日の帰城を命じたが、水の精霊を動かせないという返事が来て、更に混乱した。


結局、ハルミアンが使い魔を飛ばし、事の顛末を詳しく語り聞かせる羽目になったのだった。




「…………目覚めるのであろうか」

王がくしゃくしゃの髪のまま、ドサリと椅子に座り、ポツリと言った。

「……それは……、魔力が回復すれば目覚められるのでは?」

セシウムが書類を整え終わり、机の上に積み上げる。


「そうだな。そして、目覚めてここに来たら、私はまたあの者に聞かねばならないのだ。“そなたが三国共有のものになれば、ネイクーン王国の水源は如何に保たれるのか。今までのように、水盆で呼べば王城に現れる事は出来るのか。……我が国に与えられてきた恩恵は、今後どのようになるのか”……どれもこれも、酷な事ばかりだ」

王は低く溜息をついた。



「以前まま、ガラス人形のようであったなら良かった。そうすれば、あの者がまた泣くかもしれぬなどと、考えずに済んだものを……」

窓際の水盆を睨んで呟く王に、セシウムは苦笑いする。

「すっかり情が移っておいでですね」

「当然だ。いつからあの者を見てきたと思っている。子供達よりも長い付き合いなのだぞ」


子供とは違う。

家族というのも、しっくりこない。

ただ、ネイクーン王国という、自分が要となって支え守るものを、常に一緒に支え続けてきたのは、紛れもなく水の精霊だ。


ある意味、“同士”と言っても良い。


それを、あっさり契約の主だからといって奪っていく。

実は王が一番、竜人族に怒りを覚えているのかもしれなかった。



王が再び溜息をついた時、西部と直接通信する為に、魔術士館に赴いていたエルノートと魔術師長ミルガンが戻って来た。

二人の表情は険しい。


「どうした。西部でまた何かあったか?」

最近何か起きるのは大体西部だ。


揶揄するように言って、軽く眉を上げた王に、ミルガンが掠れるような声で言った。

「北部の魔術士ギルドより、緊急の知らせが入りました」

緊急の知らせと聞き、部屋の空気が緊張した。




「……本日、皇帝が崩御されたとのこと」 




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