フルデルデ王族のお茶会
フルデルデ王国の宮殿は、居住区の中庭が広い。
区画分けされていて、趣の違う庭園の造りが年間を通して楽しめるようになっている。
そして、その一部に、王族の私的なお茶をする区画があった。
大振りな花が幾つか咲いているだけで、緑の生い茂った、木々に囲まれた一画で、フルデルデ王族達がお茶の時間を楽しんでいる。
周辺には細い水路が通り、涼し気な水音がする。
風の季節も折り返しに近付きつつあるが、ネイクーン王国程ではなくても、一年中、比較的気温の高いフルデルデ王国では、余程の薄着でなければ、日中はまだ外でお茶をするのも苦にならない。
大きな長椅子の上のクッションに凭れ、褐色の肌の大柄な美女が、素足を伸ばして斜めに座っている。
大きくスリットの入ったドレスからは、筋肉質な太腿が露わになっているが、いつもの事なので、この場にいる誰も注意はしない。
美女はフルデルデ王国の女王だ。
円形に並べられた同様の長椅子には、長椅子一つにつき一人が、女王と同じ様に寛いで座っていた。
女王の左右に、王配と王太子である第一王女。
彼等の前に、メイマナ王女と、王太子の夫、今年の学業を終えて、皇国から帰国したばかりの末弟ニザル王子がいる。
フルデルデ王族は、普段からこうして集まってお茶をしては、国政に関しての意見を擦り合わせていた。
「では、やはり詳しいことは分からないままなのですか?」
メイマナが、長椅子の側に置かれた背の低い机に、カップを置く。
「うん。皇国は嘆願を承諾して、“年明けに水の精霊を与える”とは返答してきたけどね、詳細は後日に知らせると言われてから、何の反応もなしだ。ザクバラ国が願い出た通り、ネイクーン王国の水の精霊を分けるのか、新たな水の精霊を与えてくれるのか、そういう詳しい事は何も分からないよ」
王配が小さな砂糖菓子に手を伸ばした。
長椅子に寝そべっていると、短い腕では取りづらかったのか、上半身を起こして菓子を摘む。
「ザクバラ国には、以前“新たな水の精霊は与えられない”と却下したのでしょう? それならば、やはりネイクーン王国の水の精霊を分けるという事なのではないのですか?」
王太子が言った。
王太子はメイマナの姉だが、父である王配にそっくりなメイマナと違い、母の女王にそっくりだ。
褐色の肌、焦茶色の髪の、吊り目の美女である。
豊満な胸の下には、突き出した腹を抱えている。
第四子を妊娠中なのだ。
「そうであろうな。まあ、どちらにしても、我が国に水の精霊が下される事は間違いない訳だが、メイマナは何故そんなに気にしている?」
お茶のおかわりを入れてもらいながら、女王がメイマナを見遣った。
メイマナは、長椅子の上に伸ばしていた素足を下に下ろし、ふっくりとした唇に指を添わせる。
「……私がネイクーン王国で見た水の精霊は、三国に分け与えることのできるような、そういうものではないように思うのです」
メイマナは、ネイクーン王国の西部で見た、カウティス第二王子と水の精霊について話した。
水の精霊に関してはネイクーン王国の秘事なのかもしれないが、本当に国外に知られてはならないような事は、まだメイマナには知らされていないはずだと判断した。
話を聞き終えると、皆信じられないというような表情だった。
「ネイクーン王国の水の精霊が、乙女のようだと言うのか? 感情を持って、第二王子と恋仲だと……?」
女王が困惑気味に確認すると、メイマナはしっかりと頷いた。
「はい。ザクバラ貴族の言うように、確かに水の精霊の魔力は国中を覆っていましたが、王子やネイクーン国民が水の精霊の存在を認めている様子は、魔力というより、人に近いように感じました」
メイマナは、西部の町で人形劇を行った際、水の精霊が虹を掛けた時の事を思い出す。
子供も大人も水の精霊を讃え、カウティスも民と共に笑っていた。
ネイクーン王国では、水の精霊が人々と交わろうとし、人々も見えない精霊の存在を受け入れている。
ただの魔力や幻という存在ではない。
“分け与える”という事になったら、王子の胸で健気に揺れていた、水の精霊はどうなるのだろう。
ネイクーン国民との、あの尊い関係は壊れてしまわないのだろうか。
フルデルデ王国はネイクーン王国にとって、相当に残酷な嘆願を送ってしまったのではないだろうか。
それを考えると、背筋に冷たいものが流れる。
「皇国とザクバラ国に、改めて確認しよう。場合によっては、嘆願を取り下げても良い。乙女だというネイクーン王国の水の精霊を、我が国の為に損なうのは本意ではない。ネイクーンに何も知らされていないようなのも気に入らぬ」
女王がぬるくなったお茶をぐいと飲み干す。
「大体、外交の一環で嘆願の話を受け入れたが、我が国に水の精霊がどうしても必要な訳では無い」
長椅子に横にしていた身体を起こし、足を組む。
女王の片足の太腿は完全に剥き出しだが、全く気にする様子はない。
「……陛下は、こんな途方も無い話を信じて下さるのですか?」
メイマナが円な瞳を瞬いて、母を見る。
メイマナでさえ、水の精霊と王子の様子を、直接見ていなければ信じられなかっただろう。
女王は濃い眉を寄せて、困ったように笑う。
「子供の内で、一番誠実なそなたの言う事を疑うはずがないであろう」
他の子供の前で言わないで下さい、と王太子が女王とそっくりな顔を顰めた。
「そもそも、最初は“ネイクーン王国のような水の精霊を授けられたら良いかもしれない”程度の話だったのに、いつの間にか貴族院の者達が“水の精霊を手に入れるべきだ”という主張に変わっていったのだ」
王太子が大きなお腹を擦りながら言った。
「確かに。不思議と、いつの間にかそういう意見で貴族院が纏まりましたね。まるで意識操作でもされているようで、驚きましたよ」
元貴族院の一員だった、王太子の夫が褐色の腕を擦る。
“意識操作”と聞いて、メイマナは薄ら寒い気分になる。
まるで、ザクバラ国に良いように動かされたようだ。
その時、文官が何やら封書を女王に持って来た。
女王が受け取って封を切る。
「……メイマナ。待ちに待った知らせが届いたぞ」
女王が持っていた知らせの紙を振って、ニンマリと笑う。
「エルノート王太子との国家間婚の許可が下りた。正式な書簡は数日中にも届くそうだ」
メイマナの顔がパッと輝き、王配の顔が曇る。
「ネイクーンにも知らせは届いたろう。急ぎ準備を整えよ」
女王の言葉に嬉し気にメイマナが頷くと、隣の長椅子に座っているニザル王子が、少し寂し気な顔をした。
メイマナと王配にそっくりの、優しげな風貌で溜息を落とす。
「とうとう姉上も嫁いでしまわれるのですね。寂しくなります」
メイマナは微笑んで、ニザルの肩を撫でる。
「エルノート王太子様は、ニザルの勤勉な様子を聞いて、是非会ってみたいと仰っていたわ。隣の国ですもの、会おうと思えば、きっと幾らでも会えます」
「はい。会いに行きます、姉上」
ニザル王子と話していると、王配がわっと走って来てメイマナに縋る。
「メイマナ〜、まだ父は許すと言ってないよ〜!」
「もう! 父上っ!」
娘離れの出来ない夫に、女王が呆れて笑う。
「なんだ、それ程娘に側にいて欲しいなら、後一人、二人娘を産んでやろう。それならば寂しくなかろう。まだまだ私は現役だぞ」
女王は豊満な胸を張り、これ見よがしに露わになっている太腿を指でなぞって見せる。
大きな子供が六人もいるようには見えない肉体美に、思わず王配が目を見張る。
「もう……、そういうやり取りは、せめて子供のいない所でやって下さい」
ニザルがげんなりした様子で言った。
「メイマナ、そなたもネイクーンへ向かう前に閨事を習い直して行けよ」
「なっ、なっ、何を仰っているのですか、母上!? 婚約が成っただけで、婚姻はまだ先でございますよっ!」
閨事などという言葉が向けられて、メイマナは大いに慌てた。
「馬鹿を言うな。エルノート王太子は再婚の27歳、そなたは行き遅れの24歳だぞ。のんびりしている間があるか。正式に婚約したのなら問題ない。早々に子作りせよ」
「こっ、子作り!」
女王の命令に、メイマナの声がひっくり返った。
「先妻の間に子が出来なかったのが、エルノート王太子の子種に問題があったのでなければ良いな」
続けて言った姉王太子のあけすけな言葉に、メイマナの顔に血が上る。
「もう! 母上も姉上も! からかわないで下さいませ!」
真っ赤になったメイマナが怒ると、別にからかってないのに、というように、二人は顔を見合わせて肩を竦めた。
男性陣は苦笑いしたまま、余計な事は言わなかった。
「そういえば、エルノート王太子殿下の先のお相手はフェリシア皇女だったのですよね?」
ニザルがおずおずと口を開いた。
「皇女は嫁ぎ先の国で、王族を害した罪で離縁されたと噂を……」
「ニザル王子」
姉王太子の夫が、ニザルを制した。
メイマナの、まだ上気していた頬から血の気が引いていく。
「……それは、どういう話ですか? 王族を害した……?」
「……皇女が離縁されて皇国に戻るという不名誉な事態であるのに、皇帝がネイクーン王国への制裁も与えないどころか擁護する向きもあって、今更噂が増長されているのだ」
女王が言って、気不味そうに視線を落としたニザルをチラリと睨んだ。
先日まで皇国にいたニザルは、そういう噂をよく耳にしたのだろう。
メイマナは、カウティスの言葉を思い出し、大きく息を呑んだ。
『 兄は以前、ある者に陥れられて心身を大きく損ないました 』
皇女に害された王族とは、王太子エルノートのことだ。
王太子の不安定さは、そこからきているのに違いない。
「どこまでが本当か分からぬ。だが、皇帝があれ程肩入れすれば、何処かで皺寄せが来るかもしれぬな。……ネイクーン王族になることに、怖じ気付いたか?」
黙って固い表情をしているメイマナに、女王が顎を上げて尋ねた。
「いいえ。何があろうともあの方をお支えすると、既に心は定まっております」
メイマナは、強く輝く瞳を上げる。
「それでこそ、我が娘」
女王は満足気に頷いた。
隣国だけで終わってしまいました……。