聖女の共謀
セルフィーネは、カウティスの胸から離れ、王城の上空に出る。
そこから南部に向けて駆けた。
日の入りの時刻が近付き、南部街道は街や村へ急ぐ旅人達が見える。
収穫祭も無事に終わり、農村では収穫を終えた畑で、子供達が駆け回っていた。
母親に呼ばれ、家路につく子供達は笑顔だ。
アドホの街を通る時は、貧民街を見た。
カウティスと走った時よりも街灯が増えているようで、以前よりも明るい。
簡易テントが幾つか張られて、夕食であろう湯気の立つ椀が配られている。
仕切っている者は官吏や兵士ではなく、街の顔役のようだった。
貧民街の立て直しには時間がかかるのだろうが、アナリナとカウティスの行いが、こうして途切れず、少しずつ繋がっていることを、セルフィーネは嬉しく思った。
王城に戻ったら、この様子をカウティスに話して聞かせよう。
ネイクーン王国の最南端の街であるエスクトは、南部で最も大きな街だ。
エスクト領は隣国との交易で栄え、更にエスクトの街の南側には、巨大なオアシスが観光地として人気で、日の入りの鐘が鳴っても人出は多かった。
セルフィーネは街に着くと、神聖力の発現に注意を払いながら、神殿の上空へ向かう。
エスクトの神殿の前広場には、広場の中央に大きな噴水がある。
中央に大きく一本噴水が上がり、その周りに小さな噴水が斜めに六つ吹き上げ、月光を弾いて空中に水晶のような輝きを散らしている。
以前、城下の神殿で見たように、アナリナが噴水の近くで腕を上げ、大きく伸びをしているのを見つけた。
祭服から、白い二の腕までが剥き出しになっている。
女神官がいたら、きっと叱られるだろう。
セルフィーネは周囲に警護の騎士しかいないことを確認し、噴水に降り立つ。
噴水に水柱が立ち上がり、淡く輝くセルフィーネの人形が姿を現すと、アナリナはパッと顔を輝かせて近寄った。
「セルフィーネ! 来てくれたのね」
「見送ると約束した」
セルフィーネは頷いて微笑む。
「嬉しいわ。もう馬車で移動、移動で疲れちゃうし、今回は話し相手もろくにいなくて!」
巡教で南部を訪れた時と違い、途中で町村に停まることも少ないので、馬車に乗っている時間が長い。
しかも今回は、共にフルデルデ王国へ移動するのが太陽神の男神官なので、馬車も別で移動中の話し相手がいないらしい。
「急いで戻らなくてもいいんでしょう? ね、少しお話しましょ」
屈託なく微笑んで噴水の縁に座るアナリナに、セルフィーネは目を瞬く。
「……アナリナは、怒っていないのか?」
「怒る? 何を?」
キョトンとするアナリナに、セルフィーネは躊躇いがちに言う。
「私は、……アナリナがカウティスを連れていけないようにしてしまったのに……」
アナリナの気持ちを知っていたのに、収穫祭の二人の時間を邪魔してしまった。
今更後悔はしていないが、アナリナには距離を置かれるだろうかと、少し寂しく思っていた。
アナリナは顔を顰める。
「あのね、ちゃんと告白して、真剣に振られたの。セルフィーネが現れたから上手くいかなかったんじゃないのよ」
アナリナは手を伸ばして、セルフィーネの手を握る。
腕に水が伝い、祭服が濡れる。
「むしろお礼を言いたかったわ。我慢させてごめんね。辛かったでしょう。それでも、ちゃんと告白させてくれてありがとう、セルフィーネ」
「アナリナ……」
二人は微笑み合う。
二人で何気ない会話をし、笑い合っていたが、ふと、話が途切れた時に、アナリナの表情が曇る。
暫く躊躇ってから、一度唇をぐっと噛んだ。
「セルフィーネ、話しておきたい事があるの。……オルセースル神聖王国が、あなたの神聖力を利用しようとしている」
「イスターク司教だな」
セルフィーネが平坦に答える。
「もう知っているのね?」
「……私を、聖職者として神殿に移せと」
アナリナは拳を握った。
「セルフィーネは聖職者なんかじゃない。ネイクーン王国の水の精霊だって言ったけど、少しも聞き入れてくれなかった。私は怒ることしかできなくて、司教を止める事ができなかったの。ごめんなさい……」
「怒ってくれたのか……」
セルフィーネの代わりに、竜人族だけでなく、自分が属する組織にも怒ってくれるとは。
セルフィーネは、悔しそうに口を閉じたアナリナを見下ろし、長いまつ毛を揺らした。
アナリナは、いつも心を汲み取って、理解し、背を押してくれる。
セルフィーネが、カウティスに恋しているのだと認めてくれたのも彼女だ。
精霊でも、セルフィーネなら、祈ることが出来ると教えてくれたのも。
「アナリナ、どうか、心を痛めないで欲しい。私は、アナリナが好きだ。いつかアナリナの願いが叶い、幸せだと笑ってくれることを祈る」
セルフィーネは水面に膝をつき、アナリナに視線を合わせると、彼女の青銀に輝く髪に口付けた。
セルフィーネの胸に、仄かな光が宿る。
光は溢れることなく、セルフィーネの身体に馴染むように、緩やかに薄く薄く伸びると消えた。
アナリナは黒曜の瞳を驚きに見開いた。
セルフィーネの神聖力が安定している。
「セルフィーネ、まさか、もう“慣らし”を受けたの?」
「受けてない」
嫌悪感を露わに、セルフィーネはブンブンと強く首を振る。
「あんなに不安定だったのに、どうやって?」
「聖紋を合わせて、カウティスと一緒に練習したのだ」
アナリナは絶句した。
セルフィーネは何でもない事のように言ったが、“慣らし”とは、本来なら高位聖職者が、神聖力の安定しない未熟な聖職者を相手に行うものだ。
聖職者でも、まして魔術素質もなくて魔力が見えないカウティスが、一体どうすれば一緒に行えるというのか。
聖紋を合わせたといっても、全く想像できない。
「カウティスと?……あ、あなた達って、ホントに規格外ね」
更に驚いたような顔で目を瞬くアナリナに、セルフィーネは尋ねる。
「アナリナ、神聖力を隠すことは出来ないのだろうか」
「隠す?」
アナリナは青銀の眉を寄せて、首を傾げた。
「王太子が、神聖力を思うまま制御して、私の魔力の中に隠せと言う。だが、上手く出来ないのだ……」
セルフィーネは小さく溜息をついて、俯いた。
驚きの連続に、アナリナはぽかんと口を開いた。
「……セルフィーネを手放さず、まさか神聖力を隠して、神の国を欺こうっていうの?」
アナリナが喉の奥でククッと笑う音がして、セルフィーネは顔を上げた。
目の前のアナリナは、悪戯を思い付いた子供のような顔をしている。
「これだからネイクーン王族は嫌いになれないの」
ぴょんと立ち上がったアナリナに、セルフィーネも戸惑いながら立ち上がる。
「セルフィーネ、私ね、聖女になった頃、嫌で嫌でたまらなかった。すぐにでも神聖力を失くしてしまいたかったの。でも、どうしても自分からは失くせないのよね」
アナリナが人差し指を立てた。
「だから、神聖力の扱いを訓練していた頃、消えたように見せることは出来ないか、一人で特訓したわ」
「消えたように見せる……」
目を瞬くセルフィーネに、アナリナは立てた指を向ける。
「私が“慣らし”をして、教えてあげる。かなり強引なやり方だけど、私とセルフィーネだったら出来るわ」
「強引なやり方?」
「精霊降ろしよ。私の身体と神聖力を使って、やり方を教えてあげる」
アナリナは祭服の胸を張り、ニンマリと笑った。
「神聖力を完璧に隠して、司教の思惑をひっくり返してやるのよ!」