思案
この回には、暴力的な表現があります。
苦手な方はお気を付け下さい。
ザクバラ国の王城は、灰墨色の石造りだ。
中央部分が三階建てだが、後は低い建物が連なり建って、横にのっぺりと広く伸び、まるで大地に墨を流したように見える。
所々に見える庭園らしき物も、主が好まないのか華やかな花々は殆どなく、生い茂る葉や蔦で形作られている。
王城を囲むように広がる城下の街々も、灰色の建物が多く、建築技術の高い国であるのにも関わらず、どことなく無機質で古びて見える。
土の季節も終わりに近付き、太陽の光は白く、空気は乾いて澄んでいるのに、ザクバラ国の中央は、どことなく陰鬱とした空気が漂っていた。
高い金属音がして、カラカラと黄銅のゴブレットが床に転がった。
石床と複雑な模様の描かれた敷物の上に、鮮やかに赤い酒が散る。
敷物の上に立っているのは、文官服の上に黒いローブを着けた、リィドウォルだ。
青味がかったクセのある黒髪を垂らし、目を閉じている。
「愚か者め! お前に復興を任せたのは、あの地をネイクーンに与えるためではないぞ!」
大広間に罵声が響く。
円卓に座って罵声を飛ばしているのは、ザクバラ国の貴族院の重鎮三人だ。
ゴブレットで酒を飲みながら、神妙に立礼の姿勢で立っているリィドウォルに悪態をつく。
「堤防を建造させても、そのまま我が国に頂けば良いと申したのは、お前であろう。それが、オルセースル神聖王国が乗り出してくる様な事態になっているのは、どういうことか」
「……申し訳御座いません」
ただ大人しく詫びるだけのリィドウォルに、重鎮等は苛立ちを露わにする。
「魔眼を使わねば役に立てないのか」
「いっそ、その忌まわしい魔眼を使って、ネイクーンの者を全て狂人にしてしまえば良い」
「それはいい。手始めは、復興を仕切っているという、裏切り者マレリィの息子はどうだ」
リィドウォルが目を開けて、円卓の方を見た。
「我等の方を見るな!」
ガッと鈍い音がして、二つ目のゴブレットが敷物の上に転がる。
重鎮の男が投げたゴブレットが、リィドウォルの額に当たり、傷を付けた。
リィドウォルの足元に、数滴血が落ち、敷物に吸い込まれる。
「……申し訳御座いません」
再び詫びの言葉を口にするリィドウォルに、重鎮の男は強く舌打ちした。
「こうなったからには、水の精霊だけは何としても奪い盗れ。ネイクーンに一泡吹かせなければ収まらん」
「……御意のままに」
大広間のある建物の外に待機させられた、護衛騎士のイルウェンは、苛立ちに足を鳴らして立っていた。
リィドウォルと、使節団で一緒だった年嵩の魔術士が、一緒に出てくるのを見て近寄る。
そして、リィドウォルが額を抑えたハンカチに、血が滲んでいるのを見て顔を歪めた。
「リィドウォル様!」
「騒ぐな。少し切れただけだ」
イルウェンが年嵩の魔術士を見ると、彼は苦い表情で小さく頷く。
「奴等、細切れにしてやる……っ」
「お前が言うと冗談に聞こえん」
殺気を孕んだイルウェンの言葉に、リィドウォルが苦笑する。
「冗談ではありません。陛下の威光を笠に着る馬鹿共です。簡単に斬れます!」
こめかみに筋を立てて言うイルウェンに、リィドウォルは言う。
「そうだ。中央の狭い世界しか知らぬ、ただの阿呆だ。だが、無駄に権力だけはある」
歩いて建物を離れながら、三人は魔術士館を目指す。
「しかし、リィドウォル様が逆らえないのをいい事に……っ」
怒気収まらないイルウェンの拳を、リィドウォルは軽く叩く。
「あんな者等を斬っても、お前の剣が汚れるだけだ。そんな事は望まない。それに、まだ使い道はあるかもしれん」
『 水の精霊だけは何としても奪い盗れ 』
言われずともそのつもりだ。
そのために、あの阿呆共に気持ち良く権力を使わせてやった。
フルデルデ王国も巻き込み、ようやくフルブレスカ魔法皇国の竜人族を動かしたのだ。
皇国からの密使は、水の精霊をネイクーンから奪えないなどと言っていたが、今更だ。
リィドウォルは血の付いたハンカチを下ろす。
竜人族とオルセースル神聖王国は、表面上はお互いを尊重しているが、どちらも自分達こそが兄妹神の申し子だと信じて疑わない。
もしも、特別な神聖力を与えられた精霊の存在を知ったなら、竜人族はどうするだろう。
果たして、オルセースル神聖王国が乗り出してきたネイクーン王国に、水の精霊を据えたままにするだろうか。
リィドウォルは、血の付いたハンカチを強く握った。
ネイクーン王国の王城離宮では、フルデルデ王国のメイマナ王女が、下着姿で難しい顔をして悩んでいた。
メイマナの前には、侍女二人が、ドレスと肩布の組み合わせを手に持って立っている。
侍女頭のハルタが、エルノートから贈られた肩布をそれらに当てて見せるが、メイマナはうーんと唸った。
「メイマナ様、こちらに決めたのではなかったのですか」
侍女のハルタが、右の組み合わせを指して、笑い含みに言う。
「でもそちらだと、ドレスが鮮やか過ぎて、少し肩布の色がくすんで見えない? せっかく頂いた物だから、少しでも美しく見えるように着たいわ」
今日は、午後の二の鐘から、王太子エルノートとお茶会の約束だった。
お茶会に、贈られた肩布を身に着けて行くと決めたはいいが、朝からこの調子だ。
真剣に悩むメイマナを、侍女達は温かく見つめる。
メイマナが、異性との約束でこんなにもソワソワしているのは、初めてではなかろうか。
婚約者がいた頃でも、ここまでではなかったように思う。
「楽しみですね、メイマナ様」
ハルタが笑って言うと、メイマナは目を瞬いて、首を振った。
「違うのよ、ほら、王太子様には慈善活動についてお話を聞こうと思っていたし、ニザルのことも聞きたいと仰っていたからお話したいし。別に茶菓子を喜んで頂けるかしらとか、もっと王太子様のことを知りたいとか、そんな事を考えているのではなくて……」
「メイマナ様」
ハルタの宥めるような笑顔に、メイマナの頬が染まっていく。
一昨日孤児院で出会った時は、子供達との会話に夢中になっている内に、王太子は治療院へ行ってしまった。
王太子はとても忙しいのだろう。
こちらは慰問に行っていたのだから、何も問題はない。
でも、気付いたら後ろ姿だったあの時は、何だか少し寂しい気がした。
「……私、楽しみなのかしら」
「ええ、そうですね。きっと」
「でも……」
メイマナは落ち着かない気持ちで、ハルタが持つ肩布を見る。
鮮やかな染めの薄青の薄い布地に、小花を散らしたようにレースの意匠が縫い込まれている。
その色合いのせいか、可愛らしいだけでなく、清々しい雰囲気もあった。
とても美しくて、気に入っている。
しかし、日が経てば経つほど、これを着た自分はどんな風に見えるのだろうと、考えるようになった。
王太子様は、美しい布を身に着けても、美しく見えない王女にがっかりされないだろうか。
そんな事が頭の中をぐるぐる回って、一向に今日のドレスを決められない。
お茶会は楽しみなはずなのに、メイマナはどうしてだか胸がソワソワするのだった。
西部国境地帯の拠点では、セルフィーネがマルクと二人、部屋の中にいた。
机の上の水差しの水が揺れている。
部屋の中央にいるマルクの周りを、セルフィーネの魔力が揺蕩っていた。
セルフィーネは昨夜、カウティスと三度目の“慣らし”を行い、神聖力を一人で制御できるまでになった。
光の発現も、以前より安定してきたように思う。
しかし、安定すればする程、自分自身に神聖力が混ざる様な感覚で、隠す方法が良く分からない。
日中、西部に留まる為に拠点へ来て、ちょうど休憩中だったマルクを見つけた。
マルクは魔術素質の高い魔術士だ。
彼の目に、自分はどう見えるだろう。
それで、頼んで見てもらうことにした。
普段カウティスの周りを、水の精霊の魔力が揺蕩うように、今、マルクの周りを、美しい魔力の層が揺れている。
清廉と、涼やかな魔力。
しかし、その濃厚な魔力に覆われると、自分の内包魔力がそれを強く欲して苦しくなる。
「水の精霊様、お願いです、少し……薄めて下さい」
「すまない、苦しかったか?」
顔を赤くして、苦しげに言うマルクに、セルフィーネが彼の周りの魔力量を減す。
マルクはふうふうと、息を吐く。
身体中が熱い。
魔術素質の全く無いカウティス王子は分からないだろうが、身を以てこれを知れば、魔術士なら惹かれるか、恐れるかのどちらかだろう。
惹かれてしまう者は、この強く魅力的な魔力を身の内に取り込みたいと、強く思ってしまうかもしれない。
リィドウォル卿を警戒する王子は、正しいと感じた。
「水の精霊様、これ、私とやったこと、王子には内緒にして欲しいです……」
「何故?」
「知られたら、私、王子に殺されそう……」
大汗を掻きながら、マルクが情けなく眉を下げた。
マルクは気を取り直し、セルフィーネの魔力を観察する。
水色と薄紫色の美しい魔力の層が、何重にも揺蕩う。
その層の中に、青銀の細かな粒が混じって見えた。
「……神聖力なのか、青銀の魔力が混ざって見えます」
マルクの声に、セルフィーネは小さく息を吐いて、部屋の中に広がる魔力を戻す。
「やはり、見えるのか。……聖職者には、どう見えるのだろう」
「……分かりません。彼等に直接尋ねるわけにもいきませんし……」
これ以上どうすれば良いのか、セルフィーネには分からなかった。
管理官は、今日にも王城にやって来るかもしれない。
「ずっと上空にいて、召喚に応じないというのは……」
マルクが苦肉の策として言ってみるが、セルフィーネは首を振る。
「それでは、私が神聖力を持っていると認めた事にならないだろうか」
「そうですよね……」
ピクリと、セルフィーネが顔を上げた。
「どうかされましたか?」
魔力の揺れを感じて、マルクが声を掛ける。
「……アナリナが、エスクト領に入った」
「聖女様ですか?」
アナリナは、隣国のフルデルデ王国への移動途中だ。
国境を越える頃に見送りに行くと約束したので、ずっと南部に薄く意識を伸ばしていた。
セルフィーネは唇を噛む。
アナリナなら、この神聖力をどうすれば良いか、教えてくれるだろうか。




