慣らし
王城での話を終え、セルフィーネは月の輝く夜空へと抜け出た。
頭の中は混乱していて、何をどう考えれば良いのか分からなかった。
国境地帯が落ち着き、これからようやく落ち着いて復興を目指し、人々が生活を取り戻していく様を西部で見守っていくのだと思っていた。
それなのに、神殿に据え置く?
オルセースル神聖王国の所属としたい?
意味が分からない。
私は人間ではないのに。
王城の上空に留まるのは、城下の神殿に司教がいると思うと憚られ、セルフィーネは混乱したまま西部へ戻った。
拠点近くまで帰ったセルフィーネの目に入ったのは、川原で佇むカウティスの姿だった。
セルフィーネは川面に降り、彼のすぐ側に姿を現す。
カウティスは、夕方の魔術士の通信で、セルフィーネの神聖力が王の耳に届いた事を知った。
心配していた通り、やはりイスターク司教は、王城でセルフィーネについて意見したのだ。
詳しい事は、通信では聞けなかったが、あの感じでは良いことでは無さそうだ。
セルフィーネが王に呼ばれて王城に戻った。
きっと、帰ってきたら詳しい事が聞けるだろう。
そう考えていたところで、目の前の水面に水柱が立ち上がった。
「おかえり、セルフィーネ」
カウティスは、手の届く距離で姿を現したセルフィーネに、両手を伸ばした。
彼女の表情がフワリと緩み、この上なく幸せそうな笑顔になる。
瞬間、その顔が苦痛に歪んだ。
「あっ……、ああっっ!」
「セルフィーネ!」
ブワリと、セルフィーネの胸から白い光が湧き上がった。
よろけるようにカウティスから距離を取るが、光が増す勢いが強く、喘ぐように胸を押さえた。
「セルフィーネ、しっかりしろ!」
カウティスが川に入り、彼女に近付く。
セルフィーネは首を振って下がった。
混乱したまま戻り、カウティスの姿を見て、心からホッとした。
その心の隙をこじ開けるように、熱い光が溢れ出す。
光が瞬く間に盛り上がり、セルフィーネの身体を内から焼く。
「セルフィーネ! こっちへ!」
カウティスがセルフィーネの身体を抱こうとするので、彼女は首を振って更に一歩下った。
「セルフィーネ、聖紋を合わせるんだ。こっちへ!」
「……っ、出来ない……放出してしまったら……、カウティスに迷惑が……ああっ!」
熱に焼かれ、セルフィーネの身体は悲鳴を上げた。
それでも彼女は首を振る。
これ程に苦しそうなのに、それでもセルフィーネはカウティスの事を守ろうとする。
カウティスは歯を食い縛る。
ザブザブと水の中を進み、動けなくなったセルフィーネを抱き締めた。
それでも身をよじるセルフィーネを、カウティスは掻き抱く。
「セルフィーネ、好きだ。そなたを抱き締めたい。……ただ抱き締めたいんだ」
耳元で聞こえたカウティスの声に、セルフィーネは目を見開いた。
好きだ。
抱き締めたい。
それだけが頭の中に響いて、彼女の強張りを解く。
「……カウティス……カウティス!」
光の熱さも忘れ、ただ夢中で目の前の彼を抱き締めた。
カウティスの右手が彼女の肩下に触れ、チリと焼けたように感じると、二人の文様が合わさり、完全な聖紋になった。
フォグマ山で十三年半眠り、ようやく目覚めた世界で、セルフィーネは今迄感じることのなかった多くの事を感じながら過ごした。
すっかり大人になっていたカウティスは、子供の頃と同じように愛おしかったが、子供の頃以上にセルフィーネに愛情を示してくれる。
気が付けば、自分もあの頃よりも、もっとカウティスを必要としていた。
もう、離れていられない程に。
「セルフィーネ」
愛おしいその声で名を呼ばれ、セルフィーネはそっと目を見開いた。
すぐ側で、眩しい青空色の瞳がこちらを見ている。
「見ろ、光は放出されていない」
言われて目を瞬く。
呆けていた頭が覚め、ようやく状況が飲み込めた。
二人の周りには魔力が漂った状態で、確かにセルフィーネの肩下で聖紋がぴったりと合わさっているのに、光は放出されていなかった。
「何故……」
「放出したいと、願っていないからではないか?」
「願っていないから?」
「ああ。今までは、精霊を鎮めたいと強く願っていただろう?」
確かに、今迄ずっと、それを願って光を強く求めてきた。
だがこの地が浄化された今は、この力に何も願っていない。
どんな力も、目的を持って初めて動くのだから、これは当然なのかもしれなかった。
「痛みは?」
セルフィーネの頬に、カウティスが左手を添えて、気遣うように聞く。
その心地よく温かい手の感触に、セルフィーネは目を細める。
聖紋が繋がり、互いの感触を感じることが出来た。
「……ない」
二人の周りに漂っている魔力が、身の内でセルフィーネを焼いていた光なのか、さっきまでの熱さも痛みも消えていた。
僅かに安堵したが、では、この身の周りに漂う魔力はどうしたら良いのだろう。
「そなたの魔力は、やはり美しいな」
耳元で囁かれるように言われて、セルフィーネはカウティスを見た。
こんな状況だというのに、カウティスはどことなく楽しそうで、セルフィーネをしっかりと抱き締めたまま、周りに漂う魔力に手を伸ばす。
「聖紋が繋がっていると、魔力が見える。そなたの魔力は美しいな」
薄紫と水色の魔力の流れを、なぞるように彼の手が動き、美しいと言われて、セルフィーネはその身に指を滑らされているようで、落ち着かない気持ちになった。
「だが、以前と少し違うな」
「違う?」
「ああ。魔力干渉した時は、もっと穏やかな波のように揺蕩っていて……ほら、今はここが波立っているだろう」
カウティスの指す所は、魔力が滞って、歪な流れになっている。
普段は自分の気持ちのままに魔力は動き、その流れを故意に動かすことはない。
セルフィーネは、歪んだ所に意識を向け、流れを変えるよう動かした。
ぎこち無く動いた魔力が、流れを変えていく。
「ここもだ」
次にカウティスが指した所に、更に意識を向ける。
「次は、ここ」
カウティスの手が触れるまま、セルフィーネは少しずつ魔力の流れを修正していった。
「ここは、出来るか?」
何箇所かの修正が終わり、次にカウティスが手を滑らせたのは青銀色の魔力だった。
薄紫と水色の魔力が歪んでいた場所に滞っていたのか、流れが変わった所から、細い糸のように絡んだ魔力が溢れてくる。
「神聖力……」
セルフィーネが怯んだ。
「絡んでいるところを、解すんだ。きっとできる」
カウティスが絡んだ糸のような魔力に手を伸ばす。
「そなたの髪のように、細く、軽やかに流れたら、きっと美しい」
カウティスが触れると、セルフィーネは不思議と、その部分の流れをどうすれば良いか分かった。
彼の言うように、絡まりを解き、己の髪のようにサラサラと流してゆく。
水の魔力と、神聖力の流れが変わっていく。
だが、二層の流れは別々のもののように、所々でぶつかっては離れた。
「……司教が言っていたな。『力を留めるのではなく、己の魔力と同じ向きへ流せ』と」
「同じ向きへ……」
セルフィーネは意識を集中するが、流れはあまり変わらないように見えた。
「分からない。上手く動かせない……」
セルフィーネが形の良い眉を寄せる。
カウティスが左手でセルフィーネの右手を取った。
「焦らなくていい。さっきみたいに少しずつやろう」
笑顔を向けるカウティスに、セルフィーネは目を瞬いた。
「カウティスは、楽しそうだ」
「……そうだな、すまない。そなたは苦しかったのに、不謹慎だな。でも、決して関われないと思っていた部分に関われて、嬉しいんだ」
魔術素質のない自分は、魔力に関することはどうにもできなくて、悔しかった。
少しでも関われている今が、とても嬉しい。
少し申し訳無さそうに笑うカウティスに、セルフィーネは何故か安らいだ気持ちになり、僅かに笑む。
「……私も、嬉しい」
カウティスはセルフィーネの細い手を優しく握り、その指を魔力の流れがぶつかる所へ導いた。
カウティスが共に有ると思うと、さっきまでの焦りがきえ、セルフィーネは落ち着いて流れを見ることが出来た。
二人の指が触れた所から、少しずつ流れが変わり、水の魔力と神聖力が重なり合っていく。
何箇所も修正している内、周りに漂っていた魔力は、薄くなっていった。
気付けば、川の中に膝まで浸かって立っているのが見える。
「セルフィーネ、光を放出せずに、神聖力を収められたぞ」
カウティスが興奮気味に言った。
握っていたセルフィーネの、右手の指が曲げられ、カウティスの左手に絡んだ。
細く滑らかな指が、彼の手をきゅっと握る。
初めての感触に、カウティスの心臓が跳ねた。
「ありがとう、カウティス」
下を向けば、紫水晶の瞳を潤ませたセルフィーネが見上げている。
「このままでは、もう、カウティスに触れることが出来なくなるのではないかと思っていた」
「セルフィーネ」
「ありがとう、カウティス」
カウティスが左手を握り、二人の指が絡まる。
周りに漂っていた魔力が全て消え、二人の聖紋が離れた。
久々に、二人きりの回でした。
読んで下さる皆様、ありがとうございます。
感想、評価など頂けると励みになります。
よろしくお願いします。