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前例のない力 (前編)

「カウティス。……カウティス?」

抱き竦められたまま、セルフィーネがカウティスの胸の中で彼を呼ぶ。

日の入の鐘が鳴った後、カウティスはベリウム川の川原に降りて、人形(ひとがた)を現したセルフィーネを抱き締めて離さなかった。

聖職者は川原から姿を消している。



ザクバラ国との三回目の話し合いは問題なく終了し、明日からは両国揃って堤防建造を進めると聞いた。

国境地帯が浄化され、復興に向けて何の問題もなくなったと思ったのに、何かあったのだろうかと、セルフィーネは心配になる。

「カウティス、何かあったのか?」

実体でないのだから、カウティスの腕の中から抜け出ようと思えば、簡単なことだ。

しかし、自分から離れたいとは思わない。

セルフィーネはカウティスの胸に白い額を寄せたまま、動かずに彼を呼んだ。



何度目か声を掛けた時、ようやくカウティスが腕を緩めた。

「カウティス?」

「……見せつけてやりたくて」

「見せつける? 誰に、何を?」

カウティスは唇を引き結ぶ。


リィドウォルに『惑わされた』と言われ、血が湧きそうだった。

セルフィーネの魔力しか見ていないくせに。

彼女の心を知らないくせに。

よくも『強く惹かれ、欲する』などと。

セルフィーネは、ネイクーン王国の水の精霊だ。

それなのに、自分だけのものだと言いたい。

どんなに欲しても、セルフィーネは渡さないと、知らしめ、見せつけてやりたい。

子供じみた独占欲だと、分かっている。

それでも、こうして己の胸に閉じ込めずにはいられなかった。

リィドウォルは、今夜対岸からこちらを見て、歯噛みするだろうか。


「カウティス?」

セルフィーネの声に、我に返ったカウティスは、彼女を見つめる。

紫水晶の瞳は、僅かに熱を帯びて彼を見つめ返している。

カウティスはセルフィーネの頬を指でなぞり、今度はそっと、彼女を大事に腕の中に仕舞った。

彼女が黙って自分の腕に収まり、その細い指を胸板に添うのが、堪らなく愛しい。



セルフィーネは、カウティスの胸に添って、その早い鼓動を聞き、彼が自分を想ってくれている事を知る。

トクン、トクンという音に熱を感じ、そっと顔を上げた。

すぐ側に、彼女を見つめる青空色の熱い瞳があって、口付けを予感した。


「……っ!」

セルフィーネは胸の奥に光の熱を感じ、咄嗟にカウティスから飛び退った。

「……セルフィーネ?」

突然胸の中から彼女が抜け出たことに、カウティスは驚き、戸惑った。

まるで口付けを嫌がって逃げたようだ。


カウティスの表情で、彼が考えた事を察して、セルフィーネは水色の細い髪を散らしながら、首を何度も振った。

「違う、……光が」

辛そうに胸を押さえる彼女の姿に、理由が分かって、戸惑いつつもカウティスはゆっくり手を伸ばす。

暫くすると光が収まり、セルフィーネは俯きながらカウティスの側に戻った。

「大丈夫か?」

「大丈夫だ。……すまない」

消え入りそうなセルフィーネの声が、薄闇の中に吸い込まれた。





土の季節後期月、五週一日。

聖女アナリナはネイクーン王国での巡教を終え、隣国フルデルデ王国を目指して発つ。

王族への挨拶は数日前に終えている。



一年弱世話になった神殿の居住棟で、女神官と別れの挨拶を交わす。

女神官は目に涙を溜めて、手を握った。

アナリナは馬車に乗り、王城の騎士に守られて、孤児院や治療院の人々、城下の街の人々に見送られて出発する。


その光景を、イスターク司教を始めとする視察団の面々が見ていた。

「聖女様は、これからも御自分の役割を果たされるでしょうか」

聖騎士エンバーが呟く。

隣に立つイスターク司教は、迷いなく頷いた。

「勿論です。彼女はね、どんなに腹を立てても、理不尽な世から逃げないのです」


オルセールス神聖王国に召喚されて、イスタークから指導を受けていた日々。

突然授けられた特別な力の為に、故郷からも家族からも離されて、聖職者として生きることを義務付けられたアナリナは、毎日怒っていた。

周りにいる人、ある物、全てに怒っていたが、彼女は決して聖女の役割から逃れようとはしなかった。

指導係と神聖力を繋げて行う“慣らし”は、相当な不快感を伴うが、アナリナが音を上げたことはなく、極めて早く神聖力の扱いを習得した。



イスタークは、遠ざかる馬車と騎馬の列を見送りながら、柔らかく微笑む。

「アナリナはきっといつか、自分の役割を果たし終え、神の縛りを解ける気がします」





王城の離宮の庭園で、メイマナ王女は白い小花を指先で突付く。


内庭園の花々に比べて、離宮の花は小振りで、控え目な香りの物が多かった。

今は白い小花が連なって、濃い緑の葉を覆い隠すように咲いている。


メイマナの左の肩には、王太子エルノートから昨日贈られた布が掛けられている。

フルデルデ王国様式に着用するのに、丁度よい幅と薄さで、違和感なく身に付けられている。

それなのにメイマナは、昨日のレースの肩掛け以上にこの掛け布が気になって、少し動く度にシワを直したり、レース編みの部分を撫でたりしていた。


「……メイマナ様、今日の合わせがお気に召さないのでしたら、お替えしましょうか?」

メイマナの様子を見ていた、侍女のハルタが声を掛けた。

「え?……いいえ! いいの、とても気に入っているのよ! でも、ほら、昨日のレースは無様すぎて王太子様はこれを選んで下さったのでしょうけど、やっぱり私にはこんな可愛らしい小花柄なんて似合ってないのではないかしらとか考えてしまって」

「メイマナ様。落ち着いて」

捲し立てるメイマナに、ゆっくり声を掛けて、ハルタが笑う。

「……気に入られているのですね?」

「そうなの。とても……気に入っているわ」

メイマナは小さな錆び色の瞳を、恥ずかしそうに逸した。



『美しいな』


メイマナは、頬や耳が熱くなるのを感じる。

昨日のエルノートの声が、頭から離れないのだ。

面と向かって、そんな言葉を言われたことはない。


「本当に、ネイクーン王国のレース編みは、意匠も見事で、とても美しいですね」

うっとりした様子で、別の侍女が言った。

メイマナは、目を瞬いた。

そういえば、王太子は『美しいな』と言っただけで、何が美しいのか言っていないではないか。


改めて肩から垂らした布を見る。

鮮やかな染め色に、繊細で美しいレースの小花。

薄青の布を川面に見立て、流れるように配置して縫い付けてある意匠が美しかった。


「そうよね。とても……とても美しい布だわ」

何を一人で呆けていたのだろう。

美しいのは、この布だったのに。

王太子が美しいと褒めたのは、私ではないのに。

当たり前ではないか。

胸に手を当て、ふうと一息ついて、メイマナは顔を上げる。

「さ、ぼんやりしていないで、やるべきことをしなくては」


普段の様子に戻ろうとする主人を、ハルタは心の内で溜息をついて見る。

昨日、布を選んだ時、メイマナは目を閉じていたので気付かなかったのだろう。

メイマナの肩に布が掛けられた時の、ほんの一瞬、緩んだ王太子の表情を。

彼は確かに、メイマナを見て、美しいと言ったのだと思う。

でも、侍女がそう思うと伝えても、自分は美人ではないと頑なに思っているメイマナは、信じるだろうか。

主人の為にどうするのが一番良いのか、ハルタには分からなかった。





午後になり、オルセールス神聖王国の視察団が登城した。

謁見の間で、王が謁見する。

王太子エルノートと宰相セシウム、魔術師長ミルガン、騎士団長バルシャークが同席した。


イスターク司教を代表とする視察団は、先に西部を視察して来た。

これによって、西部が完全に浄化されたことが確定した。


これから西部を復興していくにあたって、もう一箇所神殿が欲しいと思っていた王に、イスタークから思いがけない提案がされた。

「聖堂?」

「ええ、そうです。本国の決定ではなく、あくまでも私の進言ですが、神の奇跡が起きた地ですから、聖堂を置くのが順当だと思います」


王が、エルノートとセシウムと目を合わせる。

神殿はともかく聖堂となると、世界的に見て、かなり特別な場所になるということだ。

経済効果や、あの地を再び争うことのない場所にするという利点はあるが、ネイクーン王国がオルセールス神聖王国の庇護下に置かれたように見えはしないだろうか。

それは、フルブレスカ魔法皇国と、皇国に恭順の意を示している国々の目に、どう映るのだろう。



「至極恐縮な提案ではあるが、すぐには返答出来ぬ。後日、オルセールス神聖王国へ親書を送らせて頂こう」

「良いお返事をお待ちしております」

王が王座から返答すると、イスタークは慇懃に立礼する。

そして、顔を上げると一呼吸おいて言った。


「それでは、先に水の精霊を、城下の神殿に移す許可を頂きたいのですが」





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