表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
132/381

竜人と聖女

カウティスは、王太子エルノートの執務室で、西部の情報を共有する。

魔術士の定期通信でも、日々報告を上げているが、堤防建造の進行具合や、村や町の復興具合に加え、ザクバラ国側の状況を改めて報告した。



「それ程に深刻か」

「はい。……これではザクバラ側だけ、予定通りに進まないでしょう」

二人は表情を曇らせる。

魔獣の出現が頻繁なことで、ザクバラ国の復興は何もかもが滞っている。


「それでもあの地は手放さぬか……」

エルノートの一言で、カウティスは兄も両国の抱える遺恨を知っているのだと気付いた。

禁書庫に入って、王にだけ閲覧を許される文献も既に読んでいるのだから、当然かもしれない。

「……兄上、このままでは、更に軋轢を生むことになるのでは……」

カウティスは奥歯を噛む。

部屋の中にいる近衛騎士や侍従達も、緊迫した雰囲気に、息を潜める。



「カウティスは、どうするべきだと思う?」

エルノートが静かに聞いた。

執務机の向かいに立っているカウティスを、薄青の瞳でひたと見つめる。

「……あの地の精霊を鎮めることが第一だと」

両国の遺恨を表しているかのような、あの地の魔力の濁りと歪みを正すこと。

それが、両国のこれからを作る第一歩なのだと思う。


エルノートが深く頷く。

「私もそう思う。西部国境地帯が両国の関係の要だ。どうにか精霊を鎮めることは出来ないものか。以前報告された、浄化の光の正体は分からないのか?」

「はい……」

浄化の光については、魔術士の定期通信で報告が上がっているが、出所は不明としている。

カウティスとセルフィーネの間から光が放たれた事は、ラードとマルクしか知らない。


カウティスは右手を握り締め、革手袋の下の痣と、セルフィーネの聖紋を思い浮かべた。

あの光は、あまりにも不確実な力だ。

セルフィーネが神聖力を使うことが出来るのだとしても、せめて、どうすれば使うことが出来るのか分かるまでは、信頼する兄にも話すことは躊躇われた。

彼女の負担を、これ以上大きくしたくない気持ちもある。


「オルセールス神聖王国に、今、使者を送っている。精霊を鎮める手はないか、相談してみようと思う」

エルノートがひとつ息を吐いて、顔を上げる。

「困難な地だが、引き続き頼むぞ」

「はい、兄上」




応接室では、マレリィとフルデルデ王国の使者が向かい合って座っていた。

艷やかな黒髪を結い上げ、細身の紺のドレスに身を包んだマレリィが姿勢を正して座っていると、少しの隙もないように見える。

まさか一国の側妃と、一対一で会うと思っていなかった使者は、顔色が悪い。

その上、メイマナ王女を正妃候補には出来ないと答えた後から、マレリィの目付きが変わって、使者はまともに顔を上げることも出来ない。



「何故、側妃は良いのに、正妃候補には出来ぬと言うのですか? 王太子が再婚となるからですか?」

マレリィの話し方は変わっていないのに、妙に圧が増したように感じて、使者はハンカチで額の汗を拭いた。

「まさか! そ、そうではありません。その、メイマナ王女は、王妃として嫁ぐにはお歳を召されていますし、その……器量が……」

「王女の年齢は、ネイクーン王国では問題になりません。それに、どのような器量の方か存じております。それでも、と言っているのです」

マレリィが表情を変えず言った。


フルデルデ王国では、女性が結婚を決める時期が早い。

成人してすぐに嫁ぐことが殆どだ。

国風として、出来るだけ多くの子を残す事を良しとするからだ。

メイマナ王女は24歳。

フルデルデ王国では、既に正妻としては歓迎されない歳だ。


使者は更に吹き出る汗を、忙しそうに拭く。

「そ、それに、メイマナ王女は、どなたかの正妃になることを望まれておりませんので……」

ちらりと見る机の上には、メイマナ王女の身上書と共に、絵師が書いた王女の肖像画がある。


ふっくりとした頬に、低い鼻。

つぶらな瞳は錆茶色で小さく、ぽってりとした桃色の唇が際立つ。

瞳と同じ錆茶色の髪は、毛先だけが跳ねるように曲がっている。

愛嬌のある顔立ちだが、お世辞にも美人とは言い難い。


マレリィは眉を寄せた。

メイマナ王女が側妃になることを受け入れていたのなら、結婚すること自体を嫌がっている訳ではないはずだ。

ならば、何故正妃になることを避けるのか。

「……分かりました。では、慰問の日程に、まず王城でのお茶会を入れて下さい。今月の四週四日です」

「側妃殿下、……半月後ですが……」


今日は、土の季節後期月、一週四日だ。

一ヶ月は六週、一週は五日間、つまり、お茶会はちょうど半月後だ。

「そうですね。急がねば間に合いませんね」

涼しい顔のまま、漆黒の瞳で使者を見つめてマレリィは言った。

使者は、更に吹き出る汗を拭くのに大忙しだった。





南部街道を分岐して、東部に入るとすぐに、小さ目の街がある。

その街のオルセールス神殿に、聖女アナリナはいた。


この街で一昨日、街の外壁修繕工事中に事故があり、怪我人が多数出た。

大怪我の者もいるということで、城下の神殿に応援要請が届き、昨日太陽神の神官とアナリナがやって来たのだった。

幸い、死者は出ず、昨日一日で落ち着いた。



礼拝の間で街の人々と祈りを捧げ終え、人々が神殿を後にするのを見送る。

聖女を間近に見られて喜んだり、感謝を述べる人々に囲まれて、なかなか静かにならなかったが、ようやく最後の一人を神官と共に送り出すと、アナリナは一人、扉を閉めて小さく息を吐いた。

そして、振り返る。

「あなた、一体誰ですか?」

礼拝の間に並ぶ長椅子の、最後列に座る者に向かって声を掛けた。

そこに、鳥肌が立ちそうな魔力の塊が座っている。

礼拝の間に、たくさんの街の人間が集まっていたのに、誰もその者を気にしていなかった。


「さすがに聖女には、見えるのか」

低く重い声が響く。

途端に、その者を取り巻いていた薄い靄のようなものが消えた。

座っていた者が立ち上がると、背の高い男性よりも、更に大柄の体格だった。

深く被ったフードを、白い手袋をはめた両手で剥ぐと、人間とは違う容姿の男が深紅の瞳を光らせた。


アナリナが眉根を寄せる。

「竜人族……。どうしてネイクーン王国(こんなところ)に?」

アナリナは、聖女になってから皇国にも滞在したことがある。

その時に竜人には何度か会った。

「水の精霊の確認に来たのだが、聖女にも会えるとはな。月光神のお導きか」


竜人族にとって、敬うべき存在は兄妹神だけだ。

遥か昔、兄妹神が人間を創った時、神は竜人族に人間を導くよう促した。

それ故に、彼等にとって人間は下位の存在だが、神々を降ろすことが出来る聖人と聖女は別格だった。



「セルフィーネの確認って、どういうことですか」

首を傾げるアナリナの言葉に、竜人ハドシュがピクリと口を動かした。

「聖女も水の精霊を、人間の付けた名で呼んでいるのか」

「ええ、それが彼女の名前ですから」

「“彼女”? まるで人間のように言うな。人間の干渉によって、少しばかり変化しているが、()()はただの精霊だ」

ハドシュは口だけを動かして、表情がない。

アナリナが顔を歪めた。

「“ただの精霊”って……。あなたもネイクーン王国に入って、彼女の魔力を見たでしょう? あれが“ただの精霊”に出来ることですか?」


ネイクーン王国の空を覆う、薄い紫と水色の美しい魔力の流れ。

「……そうだ、それで少しばかり国内を見ることにした。聖女よ、あの魔力は何だ。水の精霊のものにしては、強すぎる」

円卓様は、ネイクーン王国の水源を保つのに足るだけ、水の精霊を切り取って落としたはずだ。

それが今や、国は護りで覆われ、見て回る先々で、人々の生活のあちこちに水の精霊の恩恵がある。

それなのに、この地に太陽神が根付かせた、火の精霊は少しも損なわれていなかった。



「セルフィーネが、この国を愛して守りたいと願っているからです」

アナリナが青銀の髪を揺らして微笑んだ。

ハドシュが、初めて不快そうに眉を寄せた。

「愛して守りたい……?」

「そうです。セルフィーネは人間と同じように感じて、考える事が出来ます。精霊が感情を持ったらおかしいですか?」


ハドシュが不快感を露わに、太く息を吐き出した。

その深紅の瞳が、ギラギラと輝く。

「おかしいのではない。あってはならないことだ。精霊は世界と共にあり、兄妹神と我等竜人族の意志に従って流れるのみ。変化は不要だ。あれが人間の手によってこれ以上変えられるなら、消さなければならないだろう」



アナリナは呆れと怒りが込み上げて、身震いした。

鼻の上にシワを寄せて、思わず呟く。

「頭、固すぎ……」

「何?」

アナリナはハドシュを睨みつけた。

「人間の手によって変わったんじゃない。セルフィーネが、自ら望んで変化したのよ。そして、ネイクーン王国の人々はそれを受け入れている。素晴らしい進化だと思わないの?」

「我等はそのような進化は認めない。兄妹神が望んだのは、我等竜人族が人間を導く事だ。それが正しい進化だ。精霊はそれに付随すれば良い」

深紅の瞳で、不快を全面に出して見下ろすハドシュに、アナリナは少しも怯まなかった。


「その選民意識を捨てないと、いつかは竜人族(あなた達)が取り残されるわよ。例え遥か昔がそうだったとしても、世界は兄妹神が望んでいるように、それぞれが進化し続けているんだから」

「生意気な人間め……」

ハドシュの手がアナリナの首に掛かった。

白い手袋越しに、太く固い爪が、彼女の柔らかな肌に喰い込む。

しかし、覗き込んだ黒曜の瞳の奥に、青銀の光が揺らいだのを見つけ、弾かれたように手を離した。


僅かながら、月光神の魔力を纏ったアナリナに、竜人は手を出すことが出来なかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ