番外編 第8話 少年の過去と誘拐事件 4
ヌルの中心から少し離れた、元々は青果市場だった場所に来ていた。今では面影はなく、ただ倉庫が並ぶだけの広大な敷地だった。
倉庫はいくつかあったが一台だけ車が扉の近くに駐めてあったのを見てここだなと確信する。【1】と書かれた倉庫の塗装はいくらか剥がれていたもののわりと小綺麗だった。
扉以外のどこからか侵入できないかと廃倉庫の周りを見て回る。窓のあり方からして三階だと思われる部分の一つが開け放たれていた。そこから入れれば奇襲がかけられるかもしれない。コルネリアがバッグからロープを取り出しフックをつける。投げるのはローゼ。窓枠に見事に填り、引っ張って外れないかを確かめてみたが大丈夫だった。
「アタシが先に行く」
ロープを両手で掴み、壁を蹴るようにして登っていく。窓枠に手をつき、静かに室内に着地する。わずかな音はしたはずだが、男達の下卑た嗤い声でかき消されたようだ。大丈夫そうだとコルネリアに手を振り、窓まで登ってきたコルネリアを引き上げた。
『ありがとう』
「ん」
二人はいつになく緊張していた。どうしてなのかはその時はわからず後で痛いほど思い知るのだが。コンテナに身を潜めながら、声がする方に近づいていく。まだばれてはいない。フェリクスは無事だろうか。
いくつか目のコンテナに寄ると誘拐犯達が祝宴をあげている様子が見られた。瓶に入ったお酒を飲みながら、良い仕事したなー、なんて言っている。フェリクスはどこだ? と目で探す。
フェリクスは簡素な椅子に座らされ手と足をロープで縛られていた。怯えた目をしているのが痛々しかった。口だけは何故か自由なまま。妙に思うと、「ほら、お前も飲めよ!」と無理矢理お酒を注ぎ込まれるフェリクス。だが、むせてすべてを吐き出してしまう。愉快な出し物を見ているといった感じで、指さして笑う誘拐犯達。
もう見ていられなかった。コルネリアの静止も聞かず、ローゼはフェリクスの前に飛び出す。
「いい加減にしろ!」
「ろ、ロージィ?」
驚きに満ちた顔ではあったがとても安心した表情をローゼに見せた。それだけで来た甲斐があったと思えた。
「誰だお前は、どっから入った」
「教えるかよ」
ローゼはさっきフェリクスに酒を飲ませようとした男の顔面を蹴ろうと狙う。別の男がローゼの上げた足首を掴む。振り払おうとするが思った以上に力が強い。ならばと腰の短剣アインタウゼントに手を伸ばそうとする――が、ない。靴型装備に換装したままだったのだ。
「ちっ!」
自分も転ぶ覚悟で動かせる脚で男に足払いをかけた。もつれるような形で転ぶ。素早く態勢を整えて今度こそとアインタウゼントを指一本で触れ二丁拳銃に変化させる。
「この野郎!!」
二人のうち先に起き上がった男が長い腕を伸ばし、ローゼの首を絞める。持ち上げられて足が着かない。
「ロージィ!!」
フェリクスの悲痛な叫びが聞こえる。意識が遠のきそうになるローゼ。詠唱を終えたコルネリアが霧の魔法を唱える。
「何だ、何が起きてる!」
コルネリアが混乱に乗じてローゼを絞めつける男に渾身の体当たりをする。手の力が弱まった瞬間にローゼは男の体を蹴り、離れた。
「けほっげほっ……ネリア、さんきゅ」
「それよりこの魔法長くは続かないから早くしないと」
「早くしないとなんだって?」
いつの間にかコルネリアの後ろに回り込んでいた男がコルネリアを羽交い締めにする。その手には銃が握られていた。
視界がクリアになり、コルネリアの姿がはっきりとしていく。
「おお! さすが、兄貴」
ローゼが二丁拳銃をコルネリアを捕まえている男に向ける。
「撃ってもいいぜ? ただしこの娘に当たっちゃうかもしれないけどなぁ」
そう言い終える前にローゼに向かって銃を発砲した。太腿に弾丸が撃ち込まれる。貫通した弾が後ろでからんと音を立てる。
「くっ……」
「ローゼ!」
「ロージィ! コルネリア!」
泣き叫ぶような失態は避けられた。痛みに立っていられなくなり立て膝つくローゼ。それをただ黙ってみている誘拐犯ではなかった。
二人がかりでローゼを捕まえ、拳銃を遠くへ蹴ると、もう一人が服を脱がしにかかった。抵抗しようとするが「こいつがどうなってもいいならな」とコルネリアの頭に銃を突きつけたまま命令され、さっき何の予告もなく撃ってきたことを考えると、怖くて動けなかった。太腿から血は流れ続ける。血だまりが作られていく。
下着姿にされたローゼは手首と足首を縛られフェリクスの横へ放られた。何も言えず何もローゼは出来ない。
コルネリアに銃を向けたまま、三人の男にこいつも脱がせと命じる。何か魔法を唱えられれば形勢をかえられるかもしれないが……。依頼で対面するアンダーマインとは違い、誘拐犯の男達は戦っている相手の命を自分と同じようには考えていないように思え、制圧される恐怖に侵されていた。
コルネリアは何度か魔法を使おうと試みているのだがまったく発動しなかった。魔法は心の状態に左右される。縛られている間もリーベがなくても簡単な魔法ならと試すが空振り。
コルネリアもフェリクスの前に放られ、その時フェリクスの座る椅子に当たりローゼの方へと倒れた。ローゼの胸の辺りにフェリクスの頭が乗る。なにやってんだあいつらとバカにしながらひいひい笑う誘拐犯達。
「おい、ちょっとお前ら作戦変更だ」
兄貴と呼ばれていた男が他の男達を連れてこのフロアからいなくなった。
「ごめんね、ロージィ。傷は大丈夫?」
「ちょっ、喋るな、くすぐったい。それにお前酒臭ぇよ。まぁあれだ、このぐらいの傷しょっちゅうだよ。それにローゼって呼べっていつも言ってんだろ」
放つ辛辣な言葉と違い力のない声、コルネリアやフェリクスでなくても、誰でも虚勢だとわかるような本当に弱々しい声だった。
「ごめんね、コルネリア」
見知らぬ男達の前で下着姿にされたこと、人間の殺意がどれだけ理不尽なのか感じ取ってしまったコルネリアは放心していた。フェリクスの声は多分、届いていない。
「よっ」
器用に体を跳ねるように使い、フェリクスを椅子ごと転がし、顔を地面に向けさせる。
「いたた。ロージィ? 頭がお酒の頭痛とダブルで痛いよ……」
「わりぃ。せっかくあいつらもいなくて口も開いてんだ、お前の腕のロープ解いてやるから我慢しろ」
フェリクスの言葉を待たずロープにかじりつくローゼ。複雑な結びはされていなかったようで、顎が疲れることと歯が欠けそうなことを考えなければあまり時間をかけずに解けそうだった。作業をして喋れないローゼの代わりにフェリクスはコルネリアに話しかけた。
「……ネリアごめんね、巻き込んじゃって。あ、今目を瞑ってるからっていうか目を開けても地面しか見えないから大丈夫だよ」
ネリアという愛称を《《初めて》》フェリクスに呼ばれ、ただの反応としてフェリクスの方を見る。ローゼは下着姿でロープを食い千切ろうとしているように見えたし、フェリクスは椅子が倒れ変な格好になっていた。本当に床しか見えなさそうだ。
「フェリクス……」
「大丈夫だよ、みんな助かるよ。誘拐された僕が言える言葉じゃないかもしれないけど」
「うん……」
まだ心ここにあらずのコルネリアだったが幾分かは回復してきていそうだ。
「どうだ!」
ずっと黙ったままのローゼが声を押し殺しつつ声を張った。フェリクスの手は自由になっていた。
「じゃあ、今度は僕がロープを解くよ」
「いや、フェリクスは自分の足首のロープを解いてくれ」
「ど、どうして?」
「リビルドの人達を呼んできて欲しい」
それはきっとローゼにとってはとても難しい選択だったに違いない。ルドルフからの頼みもふいにして、負けず嫌いなローゼが負けを認め、人の力を借りようとするのだから。
フェリクスはそれが痛いほどにわかったから、何も言えず、足首のロープを解くことに集中した。
「来た時に見たけど、あのバカたちの車が使えると思う。徒歩でも日が暮れきる前にはリビルドにつけると思うんだ」
「そうしたら、ロージィとコルネリアは?」
「アタシ達なら大丈夫、いやリビルドにいるビルダーたちの力を借りないと“アタシ達には無理だ”。酒、飲んでないんだろ? 運転できるぐらいの意識は保ってるよな」
すっきりとした笑顔で言われてはフェリクスも食い下がれない。