第18話 依頼主の正体
翌日になり朝食も終え、今日はどんな難題をふっかけられるのだろうとローゼは考えていた。
思わぬ方向からの我儘に戸惑いが勝つ。
ホテル内のカジノで遊びたいとヘルマンは言うのだ。
カジノに覚えがないローゼ達はこんな服装でいいのか? とか年齢は大丈夫か? とか一昨日、一緒だったガード、リーンハルトに聞いた。
「お金をここ仕様のメダルに換えて遊ぶだけなので年齢も服装も大丈夫ですよ。ですけど、今日はヘルマン様のお部屋にしませんか?」
「お前がいうなら、そうすることにするか」
「付き添えて何よりだけど、ポーカーぐらいしか知らないぜ?」
その言葉でヘルマンとアロイスの心に火が灯った。
「わしはポーカーには昔から強くての! 手解きしてやるわい」
「ポーカーなら昔、よくやっていた」
ディーラーと呼ばれる親に当たる人がカードを配る。伸るか反るか。
ローゼとコルネリアは勝っても負けても良いと思いながら運任せに遊んでいるが、ヘルマンとアロイスは遊びの域を超えていた。
なのだがアロイスがめちゃくちゃ弱い。わざとかというほどに。
ローゼは善戦しており、コルネリアにはたまに凄い手が来ていた。けれどヘルマンが連勝を重ねる。リーンハルトは不参加。というより、調べ物があるとこの場から席を外していた。
ヘルマンの警護より優先する調べ物、やはりそれは襲撃犯の目星を探るものだろう。
部屋に食事を運ばせ、サンドイッチを食べながらポーカーは続く。気づいたら窓の外は真っ暗だ。一体何時なのか一瞬わからなくなる。
アロイスがもういいだろうといったことで解散となった。
アロイスが自室に宛がわれた一室に戻る。
「アロイスさん、おやすみなさい」
「……」
何か言葉をかけたいローゼだが上手く思いつかなかった。ちょっと残念な気持ちになる。おやすみぐらい言えたら良かったんじゃないかと。
それじゃあとローゼ達も部屋に入ろうとした時、ふいにヘルマンに声をかけられた。
「あんたたち、あの男……いや、一時間後ホテルのロビーに来てくれんか。あんたたち二人だけで」
どういうことかはわからないが、依頼主であるヘルマンの頼みを断る理由は特にない。
ロビーまでの警護はどうするのか確認する。
聞いてみるとガードをつけるから大丈夫だと、ローゼ達の存在を否定しそうなことを言ってのけた。
頑固なヘルマンが決めたことは覆らないだろうと、一人での行動じゃないならと了承。
「いいですよ」
「いいぜ」
返答を聞くとふんっと鼻を鳴らし部屋へと入っていくヘルマン。無事部屋に入室するのを見届けるとコルネリアから口を開いた。
「なんだろうね?」
「気をつけた方がいいかもな……」
真剣な面持ちで告げるローゼ。
「え?」
「まぁ話はあのじいさんに会ってからでいいだろ」
それから一時間後、疑問と疑惑を抱えながらヘルマンに会いにロビーにまで来た。
ロビーは待ち合いスペースも兼ねているらしく朝食を摂った時には気づかなかったが、結構大きなソファや合わせたテーブルなどの家具も置かれている。
深紅のソファの一つにリーンハルトとライナーを控えさせたヘルマンが座っていた。
近づき挨拶をするコルネリア。
「お待たせいたしました」
「いや、わしが早く来すぎただけじゃ。わしについてこい」
言うなり機敏な動作で立ち上がり移動し始める。
その時はそう感じたが、機敏なのではなく、本当は何かに怯えていただけかもしれない。
早足で進むヘルマンを追いかけると、鍵を差し込まないと動かないエレベーターに乗ることになった。
『鍵が必要なエレベーターなんてびっくりだね。地下に行った時も驚いたけど』と心に語りかけてくるコルネリアに軽く頷いた。
エレベーターに乗るのは、もちろんリーンハルト達も一緒だと思ったのだが「ここからはわしたちだけでいい。部屋で待っていてくれ」と、人払いをしたのだ。
ますます何かあると勘ぐってしまうローゼ。
エレベーターにはヘルマンとローゼとコルネリアの三人だけ。
体感を信じる限り上階へ上がっているらしい。何階という表示をするものは何もなく、ただ浮遊感があるだけだった。耳が詰まる。
気まずい空気の中、ローゼは考えることに集中した。
ひょっとするとリビルドの特別室みたいなものがこのホテルにもあるのかもしれない。
このホテルだけにあるのか余所のホテルにもあるのかはわからない。
ただこのホテルもこれから行く先もヘルマンが利用するのは初めてではないのだろうなと思わされた。
ヘルマンの目的の階に着き、エレベーターの扉が開く。
足を踏み出そうとして見えたのは、アンファングのリビルドの特別室が狭く感じるほどに広い豪奢な部屋だった。
隔てるものはなくヘルマンの私室と思われる場に直結したエレベーターだったらしい。
多分よっぽどのお偉方を招待する時ぐらいにしか使われない、用意されない場所なのだろうと思った。
ローゼ達はなんとはなしに「お邪魔します……」と一声出してからエレベーターから一歩踏み出す。
ローゼはブーツの汚れがやたらと気になった。拭けるものがあるならちょっとでも多く汚れを落としてから部屋の床を踏みたかった。
泊まることになっている部屋ですら広いと感じていたのに、ここはこの階そのものが部屋になっているようだ。どれだけ広いんだよと悪態をつきたくなるのを飲み込む。
大きな窓がいくつも並び、壁際にはバーカウンター、反対側の壁には何冊あるのかわからないほどの量を納めた年代物らしい書棚。ひょっとすると呪文書もあるのかもしれない。
いくつか見える扉の内のどこかにそれぞれ寝室やキッチンなどがあるんだろうと想像させられる。すべてが事足りそうだった。
重厚そうな深みのある赤い絨毯に乗っかる、何の皮でできているのか見当もつかない応接用らしきソファ。それに座るよう促される二人。
「ここにはカメラも盗聴器もない。だから安心して話せるはずじゃ」
なぜか表情は変わらず恐いままなのに、優しげな普通のおじいさんに見えた。
「やはりわしぐらい偉くなってしまうと世間体を気にしないといかん。偉そうな言い方をしてすまなかったの」
「あ、いえ……」
特に嫌だとも悪いとも感じてなかったコルネリアはそう答えるのがやっとだった。
対してローゼは、
「どうしてアタシ達だけをここに呼んだか、警護に選んだか聞きたいもんだな」
ずけずけと言いたいことをいうのだった。
「ほっほっほ、フェリクスから聞いた通りのお嬢さん方らしいのぉ」
「「フェリクス!?」」
どうしてここでフェリクスの名前がと驚く二人。
頼りなさそうな少年エンジニア――白い子犬のような風姿、丈の合わない橙色のつなぎ姿――の笑顔が浮かぶ。
「二人は昔、うちのフェリクスを助けてくれたそうじゃの。もう何年前になるか……」
「あの、えっと、ヘルマンさん?」
「ああ、あいつヘルマンさんのとこでも働いていたのか。そういことなら別に――」
「そうではない」
穏やかだけど毅然とした態度で言葉を遮る。
「フェリクスはわしの孫じゃ」
「ふぇ、フェリクスのじいさん……なのか?」
「いかにも。孫から話は聞いとるよ」
ヘルマンは人の良さそうな顔でしあわせそうに笑うのだった。
「あの時、君達がいなければわしの大事な孫が居なくなってしまうかもしれなかった。感謝している、ありがとう」
そう言うなり優雅な動作でソファから降り、ローゼとコルネリアの前まで来ると土下座をするヘルマン。額が赤い絨毯につけられる。
これにはさすがのローゼも止めにかかる。
もちろんコルネリアもだ。
「ちょ、ちょっと。そこまでされるような大したことはできてねーし、そんなことしなくていいからよ!」
「そうですよ! 頭をあげてください」
慌てふためく二人。だけれどヘルマンは頑固として頭を絨毯にくっつけたまま感謝し続ける。
二人はずっと説得にかかった。
そんなことをする必要はないと。
そんなことをされる必要もないと。
数分経ってようやく頭を上げてくれたヘルマン。
顔は涙に濡れていて、ローゼ達を見るなり嗚咽を漏らした。抑えていた感情が流れ出たのだと感じた。
「じ、じいさん?」
こんなに大きな企業となると自由に感情を吐き出すこともままならないのかもしれない、フェリクスが事件にあったことを知っても何もできず、救われてもお礼もまともにいえない、そんな立場なのではないかととローゼは熟慮する。
コルネリアはそっとヘルマンに近づき抱くように背中を撫でる。多少は心の痛みを和らげることができているようで、ヘルマンの歔欷は落ちついてきていた。
「じいさんじゃない、えっとヘルマンさん一体どうしたんだよ……じゃない……ですか?」
ヘルマンを気遣い、敬語で話そうとするが上手くいかないローゼを見て、多少気持ちが解れたようで訳を話し始めてくれた。
「わしには地位や名誉、金もある。それらは難しいかもしれんが手に入れようと思えば手に入れられるもんじゃ。だけど家族だけは……今のわしには家族と呼べるのはフェリクスしかおらん。だから本当に感謝しとるんじゃ。フェリクスを守ってくれた君達だからこそ警護を頼みたかった。ヌルのリビルドを選んだのはルドルフに、フェリクスを救ってくれた二人に悟られないよう手配してくれと頼みたかったからじゃ」
二人はヘルマンの言葉を聞いて心が温かくなるのを感じていた。あの事件に苦い思いを抱いていた二人に対して、こんな真っ直ぐに感謝の気持ちを持ち続けてくれている人がいたことが単純に嬉しかった。
自分達の友達が素敵な祖父に恵まれていることを知れて嬉しかった。
それだけにいたたまれない。
フェリクスが助かったのはフェリクスのおかげだったからだ。
ヘルマンを疑って悪かったなと思いバツが悪かったが、切り替えが早いのもローゼらしいところである。コルネリアは自分が思った通りの心暖かい人で安心していた。
今度は自分達があの事件について話す番だと、ローゼが何か言いかけたところで――
バリンッ!!
ガラスが割れるような大きな音が響いた。