第15話 不穏な目覚め
ローゼは立ち尽くしていた。
漠然とした不安が襲い、とてつもない虚無感を抱かせる。
違和感を感じる両手を開く。
視線を落とし見るとどす黒い血にまみれた自分の手があった。
気味が悪く血を拭おうとするが手のひらは赤いまま。
これ以上見ていたくなくて視線を上げる。
ところどころ赤さがあるものの全体的に白いものが視界に入る。
あれは人間……?
横たわっているのか?
そう思った途端、怖気がした。
コルネリアだ。
コルネリアの服にもローゼの掌にある血と同じ色をしているものが付着している。
「アタシじゃない、アタシじゃない」
混乱しながらも自分がコルネリアに手をかけたとは思いたくなくてそう叫ぶように声を絞り出す。
コルネリアのことを認識すると血の臭いがわかるようになった。
嫌だ、こんなことは嫌だと頭を振る。
はっとして後ろを振り向くと誰かが不敵に笑っている。笑っているとわかるのに顔がわからない。アレは誰だ。コルネリアの仇? 仇に違いない。仇討ちを、アイツが人間だとしても殺さなきゃ……!!
「――ローゼ、ローゼっ!」
「…………ネリ、ア……か?」
「何だか魘されてたよ。大丈夫?」
「う、ん、ああ、へいきだ……」
コルネリアは心配そうな顔を浮かべ、いつもの純白のワンピース姿でローゼを見下ろしていた。もちろん、血はついていない。
夢であるとわかったのにまだ夢に飲み込まれそうになっていた。
危うく目の前のコルネリアの首を夢と現実の区別も誰なのかも判断できないまま絞めるところだった。手が痺れていて動かせなかったことが幸いしたとローゼは安堵した。
「ほら、お水。飲んだら楽になるよ」
水に数個の言霊をかけてローゼに渡す。
リラックス作用の魔法でも使ったのかもしれない。
手を振って痺れを取ると起き上がり、コップを受け取りよく冷えた水を流し込む。
「ありがとう、楽になった」
「よかった。まだ時間には早いと思うからシャワー浴びてきたらどうかな? 寝汗もひどそうだよ? その間の警護は私に任せて。アロイスさんが交代してくれたから、私もちゃんと眠れてるから心配ないよ」
「あー、うん。そうするよ。悪いな、……熟睡しちゃってて」
「いいよ。ロージィがそこまで寝ちゃうっていうのも珍しいし」
「そう、だな。じゃあ頼むよ」
任せて大丈夫そうだと判断しローゼは浴室へ、コルネリアはソファに腰かけ本を読み始めた。もう支度は済んでいるらしい。
コルネリアこそ何時に起きたんだ、と突っ込みを入れる元気を取り戻すためにも体を清めた方がいいと考えた。
着替えを脱衣所にある服置き場に置き服を脱ぐ。キャミソールの裾を持ち引っ張り上げる。あとで洗濯だなとカゴに入れておく。ショートパンツも脱ぎ、下着類も同じようにカゴに入れた。
アインタウゼントは形を変え指輪型になり――中央には漆黒の宝玉――左手の小指に装着されていた。指輪型になるだけで他には特に効果といった効果はない。
過去に魔法が使えると騙されて買ったものだが、こういう時に便利だとコルネリアの体験談を聞いて以来、風呂などで何も着用していなくても武器だけは持っている状態を保つことが出来ていた。どこかで捕まり奪われればどうにもならないのだが。
騙されたこともコルネリアの話を参考に指輪をつけていることも内緒だった。
大理石なのだろうか。黄みを帯びた白色の輝きと滑るような足触り。壁まで同じ材質に思える。
昨日は気に留めもしなかった。
さっきの夢が続いているのか、普段は気にならないものにまで興味が向いてしまう。過敏なのかなと呟く。
シャワーのつまみを適温にひねる。好みの湯温だ。まず手を念入りに洗った。
ある程度洗ったところで頭からシャワーを浴びることにした。
夢で付着した血が流れていく気がして浄化されているような錯覚がした。頭、首、胸、腹、太腿と伝いお湯が肌の上で弾ける。
置いてあるシャンプーを使い泡立てると、頭に指を立て洗い始める。頭が泡だらけになると、ボディソープのポンプを押して手にとり、泡を腕に撫でつける。ビルダー業を始めてからどんどん筋肉質になっていく腕や体。
夢の中とはいえこの腕でコルネリアを殺したのかと思うと気持ちが悪かった。
いつもより念入りに体中を洗い尽くすことにした。
露天風呂があるんだっけなと、風呂には気持ち長めにゆっくり浸かることにした。温泉とかいう病気を治す効力を持つお湯だとかコルネリアがはしゃいでいたのを思い出す。
「なら、この悪夢を忘れさせてくれよ……」
浴室を出て脱衣場でローゼは着替えなどを済ませ、コルネリアが待つ部屋へと急いで戻る。
コルネリアはさっきとは違う本を読んでいた。ローゼに気づいたのか声をかけられる。
「お風呂どうだった? 露天風呂っていいね。そうだ、また今日もガードの人が来てね、朝食にしようって。そういえば自己紹介してないね、できるタイミングあるといいな」
「あーあたしもコルネリアから温泉の話聞いて気になってさ、つい露天風呂にも入って来ちゃったよ、待たせてごめん。呼ばれてるなら早く行かないとな」
「だね。朝食はなんだろうね?」
思っていたよりも長風呂になってしまっていたようだった。
返事もそこそこに詫びを入れると、ソファに投げっぱなしだったジャケットを羽織り、指輪にしたままだったアインタウゼントを短剣に戻し、腰に差す。
コルネリアにはバレずに行えたようだ。
武器でも指輪をしているところを見られるのは恥ずかしいローゼだった。
一度何も知らず左手の薬指に装着しているところを見られた時、コルネリアに散々おちょくられた記憶が強く残っている。
部屋を出るとヘルマンやガード(昨日とは違うガードだ)とアロイスが待ち構えていた。
コルネリアは律儀にお待たせしてごめんなさいと言っている。
何故か直視できないローゼだった。
「お嬢さんは朝から不機嫌だね」
「アタシのことか? 放っといてくれよ」
「そうはいかない。お嬢さんの機嫌で警護が疎かになっては困る」
「仕事には差し支えねーよ!」
「やかましい! 黙ってついてこんか!!」
一番大声自慢のヘルマンがガードと先頭に立ち、続いてローゼとアロイス、最後にコルネリア。
昨日とは違う並びに何か意図があるのか考えようとするがアロイスの存在が思考を邪魔した。