006 喜べ召使い、仕事を与えてやる!
工房の地下にある倉庫への扉を開く。そこには、両膝を床に着けて祈りを捧げるステラの姿があった。
「ステラ、何をしているんだ?」
「――っ、アンジュ様!」
弾かれたようにステラが振り返る。私を見た瞬間、急に泣き出し始めた。
なんだ、なんだ、なんだ――いきなりどうした? 倉庫の入口で足が止まってしまう。走り出したステラにも戸惑うだけだった。
「アンジュ様が、無事で……本当に、良かったです。私、私……」
立ち止まる私の前まで走ったステラは足元に跪いて頭を下げる。許しを請うような態度だった。
一秒……二秒……三秒……。
呆然と私はステラの後頭部を眺めていたが、不意に天啓を得る。口元はニマニマと緩んでいた。なぜだかわからないが、生意気な召使いが服従している。これはチャンスだ!
「ステラ、お前は後悔しているんだな?」
ドン、とわざと踏み鳴らし、威圧的な低い声で訊ねる。すると、ステラは床に額を擦りつけそうな勢いで謝罪し始めた。
「ごめんなさい、私が、ここにいるから……アンジュ様、怪我を……」
何を言ってるんだ、この召使いは? さっぱり意味がわからない。私は怪我なんてしていない。いや、怪我をしたと決めつけているのか?
そこで、ハッとして右半身を見る。私の衣服は赤黒く染まっていた。
全ては騎士から浴びた返り血で、この中に私自身の血は一滴も含まれていない。ステラは、これを私の血だと想っているのか?
あの程度の雑魚どもに傷つけられる、と……私が、弱いと言いたいのか!
「ステラ、本当に謝罪する気があるのか?」
靴先でステラの顎を上げさせる。少し息苦しそうに顔を歪めながらも、ステラは涙目で私を見上げていた。
「……あります! 私は、アンジュ様が望むのでしたら……どんなことだって、してみせます!」
「その言葉、口先だけでなければいいがな」
そう言って靴先を横にずらす。すると、ステラの顎は下へと落ちていき、床で強くぶつけて悶絶するはずだった――が、ガチンと硬質的な音を響かせる。ステラ自身もけろっとした表情だ。少しも痛がってはいない。
この召使い……本当に、腹が立つ。頭を踏みつけてもノーダメージだとわかってしまうのが、余計に腹立たしかった。
「あの、アンジュ様……」
「もう泣き言か? ステラ、お前の覚悟はその程度なのか?」
困惑したステラの様子に溜飲が下がっていく。もう後悔しても遅いのだ。
「いえ、申し訳ありません」
「ふん、お前はそこで立っていればいい。私が許可を出すまで、椅子に座ることは許さないからな」
研究室の椅子にふんぞり返って座りながら告げる。その隣には空いた椅子が一つ置いてある。いつかは椅子に座る許可が下りる、と期待させるための罠だった。
フハハハハハ、生意気な召使いに座る椅子はないんだよ!
勝手に期待し、勝手に絶望するといい。夜型人間の一日はまだまだこれからなんだよ! 睡魔と闘いながら、足の疲労に苦しむことだな!
ガストンからの報告書さえ書き終われば、すぐにでも解放するつもりではいるが……まあ、三時間はかかるだろうな。
現在時刻は午後十一時だから、明日の午前二時くらいまでか。
召使いのステラが苦しむのは当然だが、主人の私にとっても苦しい時間となりそうだ。
ガシガシ、と頭を掻きむしる。そして、舌打ちと供に報告書をクシャクシャに丸め込む。怒りのままに壁へ投げつけていた。
「やってられるか、こんな作業!」
ドン、と机にこぶしを叩きつける。ガストンの嘲笑が想い起こされた。
『魔法使い殿は頭が悪いのですね? 一度指摘した事項が、次の報告書では元に戻っていましたよ。魔法は一流でも、事務作業は三流ですか?』
毎回毎回、表現を変えながら同じことを言ってくるのだ。
私が努力をしていないと想っているのか! 過去の指摘事項をまとめた紙は真っ黒で何枚目かもわからない。
ドン、ドン、ドン――。
連続して机にこぶしを叩きつける。痛むこぶしがどこか心地よい。この場にガストンがいれば、間違いなく殴り掛かっていた。
「アンジュ様、ダメです!」
「――痛っ」
振り下ろしたこぶしを、両腕を合わせて盾のようにしたステラが受け止めていた。……机よりも、お前の身体の方が痛いんだよ! 反抗する気か!?
「……何か、言いたいことでもあるのか?」
私は優秀な主人だから、話くらいは聞いてやろう。内容次第ではさらなる罰が必要だろうがな……。
「あの、アンジュ様……私に、お手伝いさせてください!」
「……お前、私をバカにしてるのか?」
「違います! ……えっと……そう、そうです! 書類作業は、召使いの仕事です! 主人の仕事ではありません!」
「召使いの仕事だから、お前がやると言いたいのか?」
「はい! 私に任せてください!」
ステラは深く頭を下げ、一向に頭を上げようとしない。主人に口答えした後だ、なかなかに殊勝な心掛けではないか。……まあ、任せてもいいのだろう。どうせ上手くいかないのだ。失敗した召使いを責め、反抗の意思を失わせる良い機会だと考えばいい。
そうと決まれば、さっさと行動するだけだ。風魔法を発動し、お辞儀状態のステラを巻き上げて隣の椅子へ座らせた。
「ふん、召使いの仕事を果たすのだな」
「はい、アンジュ様!」
何がそんなに嬉しいのやら……。ステラの前に紙とペンを置き、私は腕を組んで座り直す。召使いの失敗ぶりを隣で鑑賞するつもりだった。
しかし、ステラは報告書を書き出さない。指摘事項をまとめた用紙を読み始めていた。
ステラが報告書を書き出したのは三分後だった。そして、報告書を書き終えたのは十分後のことだ。名前を呼ばれて閉じていたまぶたを開く。視界の先には、不安そうなステラの顔があった。
「完成したんだな」
「……あの、アンジュ様。ご確認をお願い致します」
受け取った報告書に目を通していく。上から下へ全てを読んだとしても一分も必要なかった。しかし、私は報告書を三回も読み返していた。
衝動的に握り潰したくなったが、理性を総動員して押さえつける。……小賢しい召使いめ、私の報告書よりも読みやすいじゃないか。
内心の怒りを抑えるべく、大きく深呼吸をする。大人になるんだ、私。
寛容な主人であれば、生意気な召使い相手でも成果を認めるはずだ。ほんの少し褒めてやるだけだ。
これは敗北宣言ではない。生意気な態度を許すわけではないんだ!
「よく書けている。ありがとう、ステラ」
一方的に告げ、顔も見ずに立ち上がる。書棚から空き封筒を探し、机に戻ろうとした瞬間に足が止まった。
私を見つめるステラが声も出さずに泣いていた。ポロポロと止めどなく涙が零れ落ちている。……これは、私が泣かせたのか? そんなに傷ついていたのか? 否定する理由を必死に探すが、私とステラの二人しか工房にいない以上、犯人は私以外に考えられなかった。
どうしたら、泣き止むんだ? 言葉で褒めてダメならば……褒美、か? 元王女を喜ばせる逸品なんて、この工房には一つもないぞ。そもそも、ステラはどうしたら喜ぶんだ?
一日を振り返ってみるが……ステラを罰することばかり考えていた。
何の参考にもなりそうにない、と諦めかけた瞬間、ピンと一つ閃く。十数分前に笑顔を見たではないか。そう、それは確か――。
「ステラ、合格だ! 明日から、召使いとして働かせてやる!」
真っすぐにステラを指差して宣言する。さあ、歓喜に震えるがいい。
「……アンジュ様、ありが、とう……ございます」
おいおい、なんで泣き出すんだよ! 飴細工のようにくしゃりとステラの顔は歪んでいる。涙雨も先ほど違い、一気に降り注ぐ。赤ん坊のように声を上げる様は、号泣と言っても過言ではなかった。
「とにかく、今日はもう部屋に戻って寝ていいぞ! 明日の朝七時に、私を起こしに来い! ステラ、おやすみ!」
言うだけ言って研究室の外へと飛び出す。廊下を走っていると、深夜零時を告げる鐘の音をどこかの部屋にある置時計が奏でていた。夜型の私にはちっとも眠たくない時間だが、ステラに命じた以上、朝起きる前提でスケジュールを立て直すべきだろう。
全部、泣き虫な召使いが悪い。明日になれば何か衣服を用意してやるから、早く泣き止めばいいんだ。主人に気を遣わせるなんて、本当に生意気な召使いだ……。




