028 どうするか、お前が決めてもいいぞ?
翌日の体調は最悪に近かった。久しぶりに夜遅くまで研究したからか、身体全身に倦怠感が染み込んでいる。朝食を食べる手がどうしても止まりがちになっていた。昨日、大量に血を抜いたことも影響しているのかもしれない。食欲が湧いてこなかった。
「だから夜更かしは止めてください、と言ったんですよ」
テーブルを挟んで真正面に座るステラが小言を言う。怒ったような口調だが、その表情は心配げだった。今回の非は私にあるからか、生意気な弟子と反発しようとは想わなかった。
「すまない、確かにステラの言う通りだったな」
瞬間、ステラが目を大きく開いて固まった。
「お前、何をそんなに驚いてるんだよ?」
「……本当に、アンジュ様ですか?」
「何を言ってるんだ、お前。私が他の誰かに見えるのかよ。……もしかしてお前、まだ寝惚けているのか?」
「違います! ただ、アンジュ様が素直だから……」
慌てて口を閉ざしてステラが顔を背ける。こいつ、私をひねくれた性格だと想っていたのか……!
「お前の口は、随分と軽いみたいだな? 素直なお前の口が羨ましいよ」
「あの……ごめんなさい、アンジュ様」
「……はあ、もう頭を上げろ。とやかく言うつもりはないぞ」
ため息と供に、ステラへの罪悪感が吐き出されていく。一晩中悩んでいたことがバカみたいに想えてきた。もうステラに決めさせればいい、そんなやけっぱちな気持ちになっていた。
「お前、私の血を飲んでみないか?」
訊ねた瞬間、ステラの表情が凍りつく。たっぷり一分間、アホ面を晒していた。
ようやく開かれたステラの口から、しわがれた声が聞こえてきた。
「あの、もう一度だけ言ってもらえませんか?」
「ああ、構わないぞ。ステラ、私の血を飲んでくれるか?」
「……アンジュ様、失礼ですけれど、レベルが高過ぎませんか!」
バンバン、と突然ステラがテーブルを叩き、腰を浮かして前のめりになっていた。テーブルの上にある食器がカチャカチャと甲高い音を立てる。想わず私は眉をひそめてしまった。
数秒後、私の冷めた眼差しに気づいたのか、ステラは椅子に座り直していた。
「誰かの血を飲むなんて、普通の行為ではないとわかっていますか?」
二度三度と深呼吸をしてから、真剣な顔つきのステラが諭すような口調で言う。
「わかっているぞ」
「一般的な、夫婦や恋人同士でも、相手に血を飲ませたりはしません。それは、アンジュ様も理解していますか?」
「お前、何を言ってるんだ? そんなの当然だろ」
「えっ? ……アンジュ様は、血を飲めと言いませんでしたか?」
「言ったけどさ……お前は何が気に入らないんだ? 実験に付き合うことが、そんなに嫌なのか?」
想わず唇を尖らしてしまう。ステラの身体から"不純物"を排出する、それはステラにとって重大事のはずだ。血を飲むことに生理的な嫌悪感を抱いても、拒絶する理由にはならないほどだ。……まさか、"吸収"の使い過ぎを恐れ、『死にたくない』と泣いていたのは嘘だったのか!?
「そう言う意味ですか……」
どこか安心した顔でステラがつぶやく。何を誤解していたんだ、この弟子は?
「他に意味があるのか?」
「……アンジュ様は、まだ知らなくても良いことです。その……知るべき時期が来たら、私が教えてあげますから。世の中には、特殊な人も多いらしいので……」
「面倒なことを言うなよ。お前が言わないなら、ガストンに聞くだけ――」
「――絶対に止めてください!」
急に興奮するなよ……。部屋中に響きわたるほどの大声で耳がキーンと痛い。原因のステラは椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
「アンジュ様が聞けば、公爵様を困らせて、いえ、きっと傷つけてしまいます! だから、絶対に止めてください!」
「なんで、ガストンが傷つくんだよ?」
「……父親には繊細な一面がある、と聞きます。公爵様はアンジュ様を溺愛していますから、特にダメなんです」
有無を言わさぬステラの剣幕に負け、小さく首を縦に振る。不満は残っているが、どうしてか頑なに主張するステラが折れるとも想えなかった。
コホン、わざとらしくステラが咳き込み、意識が浮上していく。ステラは蹴倒した椅子を直し、深く腰掛けていた。
「アンジュ様、実験の内容について教えていただけますか?」
真剣な顔つきでステラが訊ねる。肯定的か否定的かは表情からは読み取れなかった。ステラへの不満を頭の片隅に押し退け、その瞳を見つめ返していた。
「内容は単純だな。私の血をお前が飲み、"分解"を試す。上手く"分解"できれば、左腕にできた石肌は、元の人肌に戻っているはずだ」
「昨日、石に変わった場所だから……ここですね」
私がステラの左腕を指差すと、ステラは腕捲りをする。左腕には数センチほどの石肌ができていた。コチン、とステラが指先で叩いて音を響かせる。
「どれだけの血を飲めば良いのですか?」
「私の概算では、少なくとも五十ミリリットルくらいは必要だな。まあ、量は試行錯誤するしかないだろ」
「……私、朝食はこれで止めておきます。アンジュ様はどうされますか?」
「ああ、私も止めておくよ。お前のために血を抜き過ぎたのか、どうも朝から身体の調子が悪くてな……。だから、飲むと決めてくれて良かったよ。私の努力は、無駄にならずに済みそうだ」
「…………頑張って、飲みますね」
ステラがぎこちない笑顔で答える。やはり他人の血を飲むことには抵抗があるのだろう。それでも拒絶しない当たり、必要性は理解できているようだ。
「食器は私が片づけますので、アンジュ様は少し横になって休んでください」
そう言ってステラが立ち上がり、食べ残しをまとめ、空いた食器を重ねていく。
私も椅子から立ち上がろうとした瞬間、視界が突然に歪み出す。バン、と想わずテーブルに手をつけて身体を支えていた。
一秒……二秒……三秒……。
何とも言えない吐き気に堪えるべく、まぶたをギュッと強く引き結ぶ。真っ暗な世界の中で一人ぼっちだった。
目も耳も鼻も頭も、何もかもが働いてはいなかった。だから、横抱きにされていた事実に気づいたのは、ベッドの上に寝かされた後だった。
「……ステラ?」
驚くほどに声は弱々しかったが、ステラの耳には届いていたらしい。頭を優しく撫でられた。
「少し眠ってください。私が一緒にいますから」
二度三度と撫でられた後、ステラに布団を掛けられる。そして、ステラに手を握られていた。……心がじんわりとあたたかくなっていくのは、身体が弱っているからだろうか。不思議な気分だった。
もっともっと、と熱を欲しがるように意識は身体の奥深くへと沈んでいった。




