001 面倒な褒賞品、それは王女様
欠伸を噛み殺しながら、国王から送られてきた書状に目を通す。何度も何度も読み返すが、冗談としか想えない内容だ。眠気を覚ますにはちょうどいいかもしれないが、私にはありがた迷惑だった。
『貴公の貢献を称え、我が娘ステラを下賜する』
国王に苦情の手紙でも書いてやろうか、半ば本気で考えてしまう。王女を褒賞品として貰っても困るのだ。書状の内容が正式なものだと想いたくはなかった。
望まない来客を喜べるほど、私は寛容な性格をしていない。面倒事を持ち込まれるのは御免だった。
目の前には、ご立派な馬車とご立派な貴族様。公爵領と男爵領の狭間まで、遠路遥々ご苦労なことだ。
キラキラしい雰囲気は、廃城をリユースした私の工房とはアンマッチだった。景観を壊すだけで、目の保養にもなりはしない。さらに、私の平穏を壊すとなれば、なおさらお帰り願いたい。
ガシガシ、と右手で力任せに頭を掻く。左側から書状の歪む音が聞こえてきた。
「……おいガストン、この内容は本当に合っているのか!」
苛立つ心のままに叫んでしまう。丸一日稼働し続けた頭が、怒りで暴発する。
二十八時間ぶりの安眠を邪魔されれば、私でなくても怒るだろう。文句の一つくらい許されるはずだ。
薬の研究は成功し、その成果はすでに王宮へ報告している。
これから、流行り病で苦しむ多くの人たちの命が救われることになるのだ。その立役者の安眠を妨げるなど、国王であっても許されない。いや、許してはならないはずだ。
読み終えた書状が、手の中でクシャリと握り潰されていく。私は目の前に立つ、小太りの男――ガストンを睨みつけていた。
「私が嘘をつく、と? それは、とんだ言い掛かりですな、魔法使い殿」
嫌みったらしい、挑発するような言い方に眉根が寄る。
幼少からの長い付き合いだが、私はガストンにバカにされることが大嫌いだった。威圧的な態度で一歩二歩と私へ近づいて来る。すると、鼻がへし折れそうなほどの悪臭を感じ、私はザッと大きく後退っていた。自然と、服の袖を鼻先に押し当てていた。
「わかったから、その王女とやら置いて、とっとと帰れ! 臭いんだよ!」
シッシッ、と空いた手を振りながら叫ぶ。
こんな男とは一秒だって一緒にいたくなかった。服に臭いが移ったら、どうするつもりだ! お気に入りのコートなのに、もう着れなくなるだろうが!
苛立ちげにガストンは舌打ちをするが……どうしてか鼻を摘まんでいた。
「魔法使い殿は幸せ者ですね、これほどの臭気を感じられないのですから」
「お前、ぶっ殺されたいのか!」
「おお、怖い怖い」
そう言ってガストンは肩を竦めて見せる。ニヤニヤと嫌味たらしい笑顔に腹が立つが、罵り合いをしても時間の無駄だろう。
ガストンも同じ考えなのか、踵を返してご立派な馬車の元へと向かう。そして、載ってきた馬車の中から――件の王女を引き摺って戻ってきた。
「……お前、私をバカにしているのか?」
私の足元に投げ捨てられた王女を見ると同時に訊ねていた。瞬間的な怒りのままに、私は指先を動かして魔法を発動させていく。宙には十を超える火球が出現していた。
一つでもガストンを焼き殺すには十分な威力がある。返答次第では……死なない程度に攻撃するつもりでいた。
足元で疼くまる王女が……私には、バケモノにしか見えなかったのだ。
身に纏うのは薄汚いマント一つだ。地面に転がった拍子に脱げ落ち、王女は裸体を晒している。それを――私は醜いと想ってしまう。ガストンもゴミを見るような眼差しを向けていた。
端的に言えば、生ゴミ……いや、ゴミ箱女。
「魔法使い殿、怒りはわかりますが……それは王女殿下です」
キッパリとガストンは言い切り、真剣な顔で見つめてくる。
私は一つ舌打ちした後、火球群を霧散させていた。この表情を見せるときのガストンは、嘘偽りのない真実を語っていると経験的に知っていたから。
「ゴミを身体に貼りつけるのが、王都で流行っているのか? 王都の男も女も、とんだ変態しかいないんだな」
「これが王国の常識なら、私は迷わず王国を捨てますね」
「同感だな。……で、お前たちは、このゴミ女を私に押しつけるつもりか?」
私が凄んでみせると、ガストンは実にいい笑顔でうなずいた。
「王都に、ましてや王城に、汚いゴミは不要だと想いませんか?」
「お前、私の工房を廃棄場か何かと勘違いしているのか? ここで私が研究した薬が、どれだけの王国民を救ったと想っているんだ!」
「ええ、わかっていますとも。ならば、礼儀知らずの魔法使い殿を、私がどれだけ守ってきたのかもわかりますね?」
二の句を継げずに黙り込む。その指摘には反論できない。
過去に、男爵位と領土を恩賞で貰っているが……私は完全に持て余してしまった。そのときに、助けを求めた相手が――育ての親のガストンだった。公爵位は伊達ではなく、優秀な領主だと知っていた。
そして今や、隣り合う公爵領と男爵領は、切っても切れない関係となっている。政治はガストンが担当し、領内の疫病対策は私が担当する。持ちつ持たれつの関係で上手くやり繰りしていた。
ガストンと私は見つめ合う。先に根負けしたのは……私の方だった。
「わかったけどさ……本当に、『召使い』にしていいのか?」
ひらひらと国王からの書状で顔を仰いで見せる。王族に雑用をさせるなど、王国貴族にあるまじき行為だろう。
親王派に知られれば、暗殺されかねない。……まあ、全員を返り討ちにするから関係ないけどな。
「構いませんよ。王女と言えど、公式には病死したことになっていますから……いっそ実験台に使うのはどうです? 殺しても構いませんよ?」
「……お前、わかっていて言っているだろ」
「ええ、魔法使い殿の性格は知っていますから。廃棄王女とは言え、最低限の幸せは必要でしょう?」
別に、私は善人を気どるつもりはない。人体実験を行う必要がないから、実行しないだけだ。
それにしても最低限の幸せ、か。ガストンめ、私を買いかぶり過ぎだろう。王女を幸せにできるとは想えず、自然と大きなため息を吐き出してしまう。視線を下ろした先では、王女が身体を小さく丸めていた。
まじまじと見つめていると、軽く吐き気が起きそうになった。
肌の隙間がないほどに、『モノ』が貼りついているのだ。
髪の毛に、埃に、小石や木片……。正直、素手では触りたくない。こんな汚い王女を工房に入れたくはなかった。衝動的に魔法を使うことに決めていた。
パンパン、と両手を叩き、右手と左手の人差し指を指揮棒のように振るう。すると、王女の身体を包むように水風船が出来あがる。王女の顔だけを外に出し、身体全身の汚れを落としていった。
王女の悲鳴が聞こえてくるが、私は無視を決め込んでいた。止めとばかりに、王女の顔を丸洗いにして完了だ。
「……少しは、見れる姿になりましたね」
「……本気で言っているのか? それなら、この王女の裸に興奮するのか?」
指先をクルリとまわし、水風船を移動させる。ガストンの目の前に王女の裸体を晒して見せた。
「冗談が上手いですね、魔法使い殿。王女殿下に欲情するなど、臣下にあるまじき行いですよ。まさに不敬に当たります」
王女を投げ捨てる方が不敬だろう、と言いたいが我慢する。余計な追及は許してやるとしよう。恥ずかしそうに王女は顔を俯かせているが、私とガストンは白けたままだった。
肌に付着したゴミの一部が落ちただけに過ぎない。素肌が見えているのは、身体全身の一割にも満たないだろう。
手足はすらっと伸び、胸は豊かでお尻も引き締まっている。身体のシルエットだけで言えば十分な美人なだけに……憐れに想ってしまう。
「魔法使い殿」
ガストンに顔を向けた瞬間、着ていた上着を押しつけられた。そして、目線で王女を遠ざけるようにガストンが指示してくる。
訝しげに想いながらも私は従い、王女の入った水風船を遠ざけていく。どうかしたのだろうか?
「王女殿下を、どうか守ってください」
王女を蔑んでいた人物とは想えない、真剣な声音でガストンがお願いしていた。