キャンパスさん
イラスト:賀茂川家鴨
「夏といえばホラーなんだって。ホラーってなんだろう?」
「え、えっと……こわーいもののことだよ」
「こわーいの? 怪物のこと?」
「うーん、そんな感じかな」
そういえば、ねこさんは霊が見えるらしいです。
メディアちゃんには見えるのかな?
孔雀のジャックさんとお別れして渓流沿いに坂を下り、川の終端にやってきました。崖の向こうは高さ15メートルくらいの滝壷になっていて、近づくと危ないみたいです。滝から少し離れた場所に、ごつごつした白っぽい岩壁と、木でできた2階建てくらいの小屋が見えました。
「宿」や「緑茶」、「紅茶」、「売店」の看板が出ていて、備え付けのウッドテラスがあります。たくさんの木製テーブルには紺色のパラソルが花開いていました。
日の傾きからして、現在はお昼過ぎ、おそらく3時ころでしょうか。メディアちゃんは歩き疲れてへとへとです。スカートの下から伸びている、ふさふさの尻尾が、ふにゃりと地面に着いてしまいました。
「つかれたー!」
手入れされた若草と土の上を、メディアちゃんはころころと転がります。お店のすぐ傍には僕の身長の2倍くらいの一本の木が植わっています。お店の左右にあるそれぞれ5メートル四方の花壇には、桃、白、黄、水色の小さな花々が小さく左右に揺れていました。
「くうきが、おいしー!」
メディアちゃんはうつ伏せになって、深呼吸しています。
僕もつられて深呼吸してみました。
冷たくて新鮮な空気が胸一杯に広がります。
メディアちゃんは顔を上げて、僕を見つめてきました。
「あのね、ここには、僕と同じ、猫の獣人属のキャンパスがいるんだよ!」
獣耳がゆらゆらと風に揺られています。
*
入店のベルがカラコロと鳴り響きます。
「およ、新しいお客さんかなあ?」
白髪をした猫耳をした女性、キャンパスさんは、部屋のテーブルで寛いでいました。もふもふした毛並みは、ちょっと触ってみたくなります。
「キャンパス、また来たよ。こっちはこずえちゃん」
「こずえです。よろしくお願いします」
「あら、いらっしゃーい。わたしはキャンパスだよお。ここで宿屋と売店を兼業しているからねえ。といっても、半分趣味みたいなものだから、のんびりしてってねえ。あ、そうだ。ちょうどお茶ができたところだよお。よかったら飲んで行ってねえ」
「ありがとうございます」
白いティーポットの陶磁器から若草色の液体が湯呑みに注がれます。
辺りを見渡すと、入り口からすぐ右手には2階へ続く階段、左手には僕の身長の3倍ほどの高さの天井まである書棚、正面にはキッチンが見えました。キッチンには、料理に使う調度品が壁にかけられているのがわかります。
メディアちゃんは湯呑みに触れる度、「あちっ」と呟いて手を離しています。
「メディアちゃん、平気? 湯呑みの縁を持つと熱くないよ?」
メディアちゃんは湯呑みの縁を持って、もうもうと煙の立つ緑茶を口に注ぎ込みます。それから、「うっ」と呻いて、湯呑みをそっとテーブルに戻します。
「やっぱり、熱いよ! ボク、熱いものを食べるのが苦手なんだ」
「メディアちゃん、猫舌なんだ……。ちょっとずつ飲んだほうがいいと思うよ」
僕は少しずつ緑茶を口に含みます。
「うん。猫の子はみんな猫舌なんだ。こずえちゃんは平気みたいだね。あれ? キャンパスは平気なの?」
キャンパスさんは頬に掌をあてがい、小さく微笑みました。
「ああ、平気、平気。冷めるまで待ってから飲むようにしてるよお」
「さきに言ってよ!」
メディアちゃんは緑茶と睨めっこをはじめました。
「冷やして飲むのもいいよねえ。冷茶っていうの。美味しいよお。そうそう、クッキーもつくったんだよお。食べていってねえ」
メディアちゃんみたいな耳のついた、大きな猫耳のついたクッキーです。ねこさんの型でくりぬいたクウキーに、チョコレートで簡素な顔を描いてあります。僕はちらりとメディアちゃんの獣耳を一瞥してから、猫耳の部分をぱくりと食べました。
「おわー! み、耳がー!」
メディアちゃんは、まるで自分の耳がかじられたかのように、大きな獣耳を両手で押さえます。獣耳が残っていることを確認して、ほっと一息つきました。
「こ、こずえちゃん、僕の耳、かじっちゃやだよ……?」
「あはは、そんなことしないよ」
僕は小さく苦笑しつつ、クッキーの顔の部分をぱくりと頬張りました。
「みゃあー! か、顔までー!」
メディアちゃんは、自分の額をぺたぺたと触り、ちゃんと顔があることを確認して、ぐったりと机に突っ伏しました。そのまま、うんと伸びをして、小さく震えます。大きな獣耳は心なしか縮こまっているように見えました。
「メディアちゃん……。僕、もうクッキー食べないほうがいいかな」
すると、メディアちゃんは咄嗟に顔を上げて、クッキーを一口で頬張りました。
「ほふえちゃんははふふはいよ!」
メディアちゃんの口の中で、ごりごりとクッキーの砕ける音がする度、メディアちゃんは小さく「いっ」と低く呻きます。
「キャンパスさん。僕、街に行ってみたいんです」
「うーん、あんまり、おすすめしないけどねえ。どうして街に行きたいのかなあ?」
「なんでも、ディエスさんという物知りな方が街にいるらしいので、僕のことやこの地域の歴史について詳しく教えてもらおうかと思いました」
「そっかあ。そういえば、ディエスちゃん、なかなか遊びに来ないねえ。まだ街の研究でもしているのかなあ。あれ……? こずえちゃん、どうかしたの? そんなに思い悩んじゃって」
キャンパスさんは心配そうな面持ちで、僕の目をじっと見つめてきます。
僕は、自分がうつむいて暗い顔をしていたことに気づかされました。
「あの……僕、メディアちゃんに合う前の記憶がほとんどなくて、よくわかりません。完全に記憶がないわけではありませんけど……。だから、昔のことが知りたいんです」
「あー、そっかあ。それは、大変だねぇ」
キャンパスさんはお茶を一口啜ると、いつもの笑顔に戻りました。
「あとは、歴史かあ……、そこの本にはお料理のことしか書いてないからなあ。それに、歴史の本ともなると、きっと難しいだろうねえ……」
キャンパスさんは文字が読めるのでしょう。本の背表紙を一瞥すると、お料理の本がたくさんあることがわかります。
メディアちゃんは耳をぴんとさせ、目を輝かせました。
「あ、そうだ! 聴いてよ、キャンパス! こずえちゃん、文字が読めるんだよ!」
「おおー。それじゃあ、お料理のレシピも簡単に教えられるねえ」
と言って、キャンパスさんは僕に一冊の本を渡してきました。
「野外でできるお料理のレシピ本だよお。このへんの食べ物についてもわたしがメモしておいたから、よかったら読むといいよお」
「はい、ありがとうございます」
ぱらぱらと本をめくってみます。
「米の炊き方、雑炊、野菜カレー、スパゲッティ、味噌汁、野菜炒め、りんごのジェラート、などなど……」
「何それ! 食べてみたい!」
メディアちゃんが身を乗り出して、本の挿絵に、釘付けになりました。
獣耳が頬に当たって、くすぐったいです。
「じゃあ、材料が揃ったら、今度つくってあげるね」
僕がすらすらと読んでいると、キャンパスさんが小さく溜息を吐きました。
「……わたし、読むのに時間かかったんだけどなあ。すらすら読めてすごいよお」
「キャンパスさんのメモ、とっても参考になります。料理の作り方で気をつけなければならないところが丁寧に書かれていて、とっても読みやすいです」
「そっかあ。ありがとねえ」
*
「脇道をまっすぐと下ると、街に着くよお。危なくなったら、すぐに引き返すといいよお」
キャンパスさんはにっこりと笑って、お菓子のバスケットをくれました。
「元気がないときは、食べるといいよお。りんごを混ぜ込んだ特製のお菓子だからねえ」
「ありがとうございます、キャンパスさん。僕にはメディアちゃんが一緒にいますので、心配しなくても大丈夫です」
「ボクに任せて! ボクがこずえちゃんをしっかり案内するから!」
キャンパスさんは僕とメディアちゃんを交互に見つめてきました。
「お世話になりました」
「キャンパス、いつもありがとう!」
僕がお辞儀をすると、メディアちゃんも僕にならってお辞儀をしました。
「はいはい。気をつけてねえ。元気でいることがなによりだよお」
僕たちが頭を上げると、キャンパスさんは、にこやかな笑顔を返してくれました。僕たちが手を振ると、キャンパスさんも手を振り返してくれます。
僕のこころの中には、期待感と不安感とで一杯になっていました。でも、メディアちゃんが僕の右手をしっかりと握って、元気よく足踏みしながら変な鼻歌をしているのを眺めていると、とても気が楽になりました。
~ミニあとがき~
緑茶は、ストレートの紅茶とは違い、熱々のものよりも、ある程度冷ましたほうがお茶の香りが引き立ちます。湯冷ましを使って、お湯の温度を下げたほうがおいしいですよ。蒸らすのは一分以内にしましょう。緑茶を注ぐとき、濃さが変わらないように、湯飲みには順番に少しずつ淹れていきます。また、最後の一滴まで湯呑みに淹れるようにします。緑茶を急須に残しておくと、苦くなってしまいます。緑茶は、2番煎じ、3番煎じと、長く楽しめますよ。
次回、第5話。
「さいごのまち」
暇だー、はやく誰かきてくれー!